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58.そのとき何が起こったのか(1)-朝日side-

 ミュービュリの……私の家へ。暁が待つ……あの場所へ。

 私はユウから預かった本を抱えて、ゲートの中を駆け抜ける。

 身体の痛みは、もうない。でも……あまり早くは走れない。

 ゲートのことは任せとけって言ったのに……やっぱりちょっとカンが狂っているみたいだ。

 いつもより、長い。


「……くうっ!」


 ゲートを駆け抜ける間にも、フェルティガを消費する。ゆっくり歩いている場合じゃないな。

 歯を食いしばる。出口が見えて……思いっきり飛び出した。


「うおっ!」

「きゃあ!」


 目の前には暁がいた。思いっきり暁に膝蹴りしてしまう。暁は私を受け止めきれずに後ろに倒れてしまった。

 ちょうどリビングのソファーの真上の位置だったらしく、私達の身体が大きく弾んで、床に放り出された。


「んが……」

「ご……ごめ……」


 どうにか起き上がると、暁がかなり迷惑そうな顔をしながら腰をさすっていた。


「もう……朝日、いつになったら加減っていうものを覚えるんだよ……」

「ちょっと……久し、振りで……」


 肩で息をしながら髪を払う。

 すると、暁が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「大丈夫? ちょっと無茶だったんじゃ……」

「本調子じゃないだけ。それより……これ」


 ユウから預かった指南書を暁に見せる。

 前は暁の血で染みだらけになっていたけど、気づいた理央がフィラの人に頼んで綺麗に装丁し直してくれていた。


「ユウの本」

「え……今?」


 暁も私と同じことを言った。

 私はちょっと笑うと、本を開いて挟んであった紙飛行機を見せた。


「失くしたら困るから、ミュービュリに持って行ってって言われたの。その方が安心だからって」

「これ……」


 暁が本と紙飛行機を受け取り、不思議そうな顔をしている。


「暁に手紙だって。あ、でも……」


 開こうとする暁の手を、私は慌てて止めた。


「待って、今はそれどころじゃない。ちょっと計画が狂って……もう始まってるの」

「えっ!?」


 暁は素っ頓狂な声を上げた。


「だから、はや……」


 その瞬間、私と暁の背後の時空が激しく歪んだ。

 私はまだ、ゲートを開いていない。何で……。


「――あ!」


 私の身体が宙に浮いて、視界がぐるりと回る。暁のひどく驚いた表情が……一瞬、垣間見えた。

 足を動かそうとしたけど、両足を掴まれて肩に担ぎあげられている。

 担いだ人間のお尻と足――リビングの床が見えた。


「な……」

「ヨハネ!」


 暁が叫んで飛び掛かる気配がした。……けど、どうやら蹴り飛ばされたようだ。


「どけえ!」


 ヨハネはそう叫ぶと、出現したゲートに飛び込んだ。


「え!? 何!? いったい、何が……」

「やっぱりお前だ。お前しかいない」

「何……」

「こいつも、ドゥンケも……駄目だった。お前、なら……!」

「な……」


 上半身が逆さになっているから、頭に血が昇る。

 さっきまでの疲れもあって、うまく頭が回らない。


「嫌……離し……」

「やっと――手に入れた!」


 ヨハネは嬉しそうにそう叫ぶと、出口から飛び出した。

 その瞬間――ゾッとする気配が私を包んだ。


「い、や――!」


 これに捕まったら駄目だ!

 私は思い切り身体の中心からフェルティガを放出した。


「ぐうっ……!」


 私を抱えていたヨハネも弾き飛ばす。

 その拍子に宙に投げ出されて……方向感覚がわからなくなる。


「くっ……!」


 床が見えて、かろうじて受け身を取った。止まり切れず、ゴロゴロと床を転がってしまう。

 ……空気が……冷たい。


 私は障壁(シールド)ができない。とにかくフェルティガを放出して、弾くしかない。

 その場にうずくまると、歯を食いしばって両手を組んだ。必死に力を絞り出す。


 ――いつまで……もつかな。


 不意に……地獄のような声が響いてきた。

 辺りを見回す。

 薄暗い、黒い神殿……真っ黒な闇が蠢いている。


 そうか……キエラ要塞の地下……デュークの元に、連れて来られたんだ。

 本体だからなのか……力が強大だからなのか……私の目にも、デュークの姿が――黒い闇が、見える。


「何が……」

 ――わたしにその身体をくれると言った。……契約を果たせ。

「あれは……嘘だし!」


 ようやく力の加減を思い出してきた。フェルティガで身を守りながら……少し肩の力を抜く。


 ――お前の本心がどうであろうと……神との契約には違いない。

「……」


 そうか……闇を取り込む器として、私を……。

 ユウを取り戻すためについた、咄嗟の嘘。

 それが……神との……契約……。


「そうは、させるかー!」


 そんな声が聞こえてきて、強烈なフェルティガがデュークにぶつかった。

 黒い闇の一部がベコリと凹む。


 ――ぐうっ……!


 声がした方を見ると、暁が片腕を突き出してデュークを睨みつけている。


「暁!」

「おらあ、もう一丁! うりゃあー!」


 自分の身体を媒体に、暁が連続でフェルティガを放つ。

 それらはうなりを上げてデュークに向かって飛んで行き、闇がどんどん削られていく。


 ――ぐっ……ううっ!


「ふう……ふう……」


 攻撃の手を止めると、暁は両手を膝に置いて、肩で息をしていた。


「暁!」

「大丈夫、ちょっと慣れないゲートで……ペースが狂っただけ」


 暁はニヤッと笑うと、背筋を伸ばした。デュークをビシッと指差す。


「お前だけは……許さないからな!」

 ――お前を仕留めそこなったのは……ぐ……本当に、目障り、な……!


 デュークの触手が鋭い凶器になって暁に襲いかかる。暁はバク転をして躱すと、左手を振り払った。触手が泡となって消える。


 ――ぐ……!


 デュークが苦しんでいる隙に、暁が私の方に駆け寄って来た。

 だけど……私のフェルで弾かれてしまう。


「朝日、俺が守るから……それ、やめて! 俺も近づけない!」

「駄目……一瞬でも、気を抜いたら……私はデュークにとり憑かれる!」

「……!」

「それだけは……」


 暁はちょっと考え込むと、デュークの方に向き直った。


「どうせ、俺の仕事はお前の力を削ることだ。ちょっと計画は狂ったけど……ここでやっても同じだよな!」


 そう言うと、暁は集中して両腕に力を溜め込んだ。

 物凄いフェルティガが凝縮されているのが、私にもわかった。


 ――がぁー!


 闇がどうにか止めようと、何十本と言う触手を繰り出す。

 だけど暁の力は身体全体を満たしていて……触れた触手が、すべて泡となって消える。


 ――くっ……。

「いっけえぇぇー!」


 暁は両腕からフェルティガを放った。

 ――その時だった。

 頭上から、大きな音が響いてきた。

 驚いて見上げると、神殿の真上の天井に、大きな穴が開いた。ガラガラガラ……と大きな音をさせて、土や石、瓦礫が雨のように降ってくる。


「わっ……」

「暁!」


 暁は咄嗟に隅の方に避けた。暁の放った力は真っ直ぐデュークに向かって飛んでいたが……上から落ちてきた何かがそれを遮った。


「ぐわあー!」

 ――ぐうっ……!


 その余波を食らったデュークが……低く呻く。

 遮った()()は……床に激しく激突すると、ゴロゴロ……と転がって行った。


 ――ドゥンケ……!

「えっ……」


 私は耳を疑った。

 今……何て、言った?

 デュークは……何て言ったの?


「ぐ……」


 うずくまっていた黒いものが、ゆっくりと顔を上げ、私を見た。

 黒い服、黒い髪、黒い翼――緋色の瞳。

 それは確かに、ドゥンケだった。


「――ドゥンケ……!」

「……アサ、ヒ……?」


 どうして? 何でこんなところにいるの? 島から出られないんじゃなかったの?

 一体、何が……。


 ――いか、ん……!


 デュークの声が響き……闇の触手がドゥンケに纏わりついた。


「わ……わたしの声を……聞けー!」


 少し離れた所から……ヨハネの声が響く。

 ドゥンケはビクリとすると、ゆっくりと頷いた。明るかった緋色の瞳が、どんよりと濁っていくのがわかる。

 幻惑……? ヨハネが、ドゥンケを……?


「くそっ……外した」


 暁は悔しそうに言うと、もう一度力を溜めようとした。


「……!」


 闇の触手から解放されたドゥンケが、暁にとてつもない速さで襲いかかる。


「駄目ー!」


 私は立ち上がると、暁の前に立ち塞がった。ドゥンケが放った力を、身体全体を使って思い切り跳ね返す。


「ぐ……ぐう!」


 ドゥンケが後ろにすっ飛んでいく。暁も私に弾かれて後ろに転んでいた。


「駄目……暁。ドゥンケはヒトじゃない。浄化だけじゃ、暁は太刀打ちできない」

「でも……」


 ――その時だった。

 まるで地震でも起こったかのように、辺りが激しく揺れ出した。天井の穴に亀裂が入り、どんどん大きくなる。

 そして地上にあるはずの要塞が、穴から滝のように流れ込んできた。


 ――何……?

「暁、こっち! 防御(ガード)!」


 私はデュークが気を取られている間に、咄嗟にフェルティガの鎧を解いて、防御(ガード)をしてみせた。

 暁はハッとして私の方を見ると、すぐに真似をした。


 穴から降って来た大量の瓦礫が辺りを覆い尽くす。私は防御(ガード)でそれらを跳ね除けながら、みるみる降り積もる瓦礫の山を駆け登る。

 その瞬間、デュークの黒い触手が私に襲いかかった。


「やめろー!」


 暁の叫び声が聞こえ、触手が根元から溶かされるように消えてなくなった。


 ――ぐううー!


 残った触手がちょっとひるんだように彷徨っている。


 

 しばらくして……どうやら、崩壊は治まったようだった。見下ろすと、デュークがいる黒い神殿の周りだけは瓦礫が一つも落ちていなかった。

 この地下空間が、カルデラのようになっている。

 ドゥンケは黒い神殿の陰で倒れていた。デュークの触手の一つがヨハネの身体を掴んでいる。

 ヨハネはぴくぴくと身体を痙攣させていた。

 生きてはいるみたいだけど……。


 ――この……!


 デュークが焦れたように私に触手を伸ばす。私は再びフェルティガの鎧を纏うと、触手を弾き返した。


「暁……とにかく、これ以上は危険すぎる。早く逃げなさい!」

「そんな……」


 暁は拳をブルブル振るわせた。


「そんな訳に、行くか、よー!」


 暁は叫びながら右手を突き出した。デュークに向かってフェルティガを放とうとする。


「アキラ……! やめてくれ!」


 不意に、ヨハネの声が飛んできた。

 見ると……デュークの触手が、ヨハネの身体をポーンと宙に放り出すところだった。


「ヨハネー!」


 暁が駆け出す。放り出されたヨハネを受けとめようと必死だ。


「くっ……」


 私が暁とヨハネに気を取られている間も、デュークは絶え間なく触手を伸ばしてくる。

 駄目だ、一瞬たりとも気は抜けない。――フェルティガを放出し続けなければならない。


「――ヨハネ……!」


 暁がヨハネの身体をキャッチした。ヨハネがニヤリと笑うのが見えた。


「駄目、暁!」


 操られてしまう!


 しかし次の瞬間――ヨハネの顔が苦悶に表情に変わった。


「ぐ……が……」


 何か苦しそうに呻きながら身体をブルブル震わせている。


「ヨハネ!」


 暁はヨハネの顔を心配そうに覗き込んだ。

 ヨハネは術をしかける余裕もなく……自分の身体を抱きしめながら激しく痙攣している。


 ――ゲートとやらは……限りがあるそうだな。


 不意に、デュークが忌々しげに呟いた。


「……それ、は……」


 ヨハネはフィラの人間だから、ゲートを越える資格は、多分……あったはず。

 でも……普通は1、2回が限度だって……。

 私はハッとして二人の方を見た。ヨハネの足や指先が……まるで石のような色に変色している。


「ヨハ……」

 ――この身体は……もう、終わりだ。


 私の言葉は、デュークに遮られた。


「あ……!」


 ヨハネがガクリと気を失った瞬間――暁がヨハネの身体から視線を上に向け、やがて神殿のデュークを見下ろした。

 悔しそうに睨みつけている。

 私には見えなかったけど……ヨハネにとりついていた分身がデュークの元に戻ったのかもしれない。

 デュークの身体が少し膨らむ。

 しかし次の瞬間……急にぎゅっと握り潰されたかのように縮んだ。


 ――う!? な、な、何……。


 何が起こったか分からない、というようにデュークがひどく慌てた声を出した。



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