26.提案
「坊やが左眼を戻していたら、ただの寿命で疑われることもなかったろうに」
事の顛末を聞かされ、予め予想していた更田ときっかけを作ったソルを除く全員が絶句した。
「魂が完全に抜けた後は出血も抑えられなかったはずだから、結果としては随分凄惨な死体が残った訳だね」
淡々とかつての己の死に際を述べるルナの冷たさは変わらない。
明かされた真相を、誰もが受け入れ難く複雑に表情を歪める。
経緯を聞くに、暴走したソルにも罪はあるが、殆ど魔王の消極的自死、或いは生存放棄にも等しいではないか。
当人がどう受け止めるかはともあれ、正直なところ更田は落胆や絶望をルナにぶつけられるのを厭うていた。魔王であった頃に深層に抱いていた空虚を、あまり思い出してほしくなかった。
知ってしまった以上、置き去りにされた者には言い分があるだろう。15年、更田が異世界で安穏と育った月日は、世界が、民が、魔王不在に耐えた時間でもある。
「宰相殿は、当初から俺に犯人を断罪させるつもりでしたね?」
「……ええ」
茫然としたままプロメテウスが頷く。
「あの頃、新生児の虐殺にソル殿下が噛んでいるのは概ね突き止めていました。陛下があのような形でお斃れになった直後ですから、陰謀を疑わない方がおかしいでしょう」
「証拠がなかった?」
「当座の混乱を治めるのに手間取り、力不足だったことは否めません。ソル殿下の影響力は日増しに勢いを強めていました」
プロメテウスは当時の記憶と悔恨を刺激され、嘆息する。寄り添うようにシャランが傍らに立った。
「宰相閣下は何とか敵に見つかる前にオートロード……新王を保護して、すぐ私に連れて逃げるよう命令したってわけ。私はプロメテウス様とはその、古馴染みだったので」
「シャラン嬢が、プロメテウスの?」
「そうです、元帥閣下。その節は急な辞職でご迷惑をおかけしましたが」
辺境とはいえ将の地位にいたシャランは、以前所属していた組織の長に頭を下げる。アルタイルは暴露された事実に困惑し、額を抑えた。
「確かに……失われた異世界転移の禁術を解くなど、プロメテウスの知識以外はあり得ぬか」
「当時、勢力を増したソル殿下の手から完全に逃げ切るのはシャランでも難しかったのです。一種の賭けでしたが、博打の結果は見ての通りです」
無茶な命を下した責任者として、プロメテウスはシャランを労う。
「あの状況下でよくぞ使命を果たしてくれました。また此度の……寵妃の件も」
「え……っと、いや別に?」
シャランは居心地が悪そうに口ごもった。
普段は横柄な養い親の存外可愛らしい反応に、更田は苦笑する。
宰相が味方であり恩人であることは、シャランから聞き及んで承知していた。
千年を治めた先代の、つまりルナの前身の片腕であり、最も近しく付き合いの長い部下であり友人であったという。今もその信頼は続いている。
「どうされますか、宰相殿」
「どう、とは?」
「経緯が経緯だけに、末裔殿に魔王殺しの罪は問い難いでしょう?」
視線を流すと、地に伏せたままのソルは歯を食い縛って耐えながら、憎々しげに残された紅の片眼を上げた。
思えば彼も憐れな男だ。
能力にも秀でており、気概もあった。斯くも常人離れした存在の身内でなければ、また無闇に劣等感に溺れなければ、こんな汚名ではなく、ひとかどの人材として歴史に名を遺したかもしれない。
魔王も罰するでなく、機会を与えようとしていた。気づかなかったのか、拒否したのか……ただ執着が勝ったのか、ソルは王の左眼球を所持し続け、自らを死地に追い込んだ。
何の意味があったのか、更田にはわからない。同情であれ憐憫であれ、次代の立場がそれを掴めなかった男の胸中を慮るなどあり得ない。
「私の条件は……真相の解明まで。あとは次代殿、あなたが」
「確かに俺には弾劾する権利、つまり殺されかけた遺恨がありますけどね」
更田は下顎に手を充て、悩ましく考えを巡らす。
「ルナ先輩」
やがて、冷ややかながらも訝しがる少女に、いつもの調子に戻った後輩が徐に声をかけた。
「末裔殿を解放してください」
唐突な申し出に、ルナに限らず、一同全員が眉を顰めた。
「更田くん?」
「俺が決着をつけますよ」
更田の唇が可笑しそうに弧を描いた。
「そうですね。ここは古式に則り、タイマンといきましょう」
「いつの時代のヤンキーなんだよ、君は」
という呆れ半分の科白は日本語だったので、異世界経験者以外には理解できなかった。
更田の提案は到底理に適ったものではない。過去の罪状については事実関係を確認後、粛々と制裁ないし処罰を行うのが王たる者の真っ当な振る舞いであり、私的決闘など論外だ。
「様式美ですよ」
「正々堂々と不当に奪われた地位を回復する。その儀式が必要か。まあわからなくもない」
「あーなるほど。最後は強い者が正義っていうのはわかるわー」
軍人組には戦闘力勝負は納得し易かったようで、アルタイルとシャランがそれぞれに頷いた。
喧嘩っ早い同僚と部下の短絡的思考に中てられ、プロメテウスの眉間に皺が寄る。次代の王を危険に晒す状況などに軽々しく賛同できるはずもなかった。
「次代殿は先刻の『調整』でかなり消耗しておられるでしょう」
「だからこそ、対等に闘えると思いますよ? 末裔殿は魔眼を隠していたせいで最初から弱っていますし、先程からお仕置きを受けてるわけですから」
「腐っても陛下の血脈。危険では」
「承知です。むしろ魔王を名乗る以上、最低限の試練ですよ」
内心はともかく表面上は余裕を取り戻し、更田は不敵に笑う。
向けられた眼差しから、その意志に迷いがないのを見て取り、ルナは大きく息を吐いた。
「いいよ、わかった」
「すみません」
ルナの声音には諦めはあっても不安はない。心配する素振りも見せない先達だが、更田は見透かして言った。
「大丈夫ですから」
「……知ってる」
無感動に呟くと、ルナはソルの拘束を解いた。




