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二日目の仕事 2


 ブルホーンの新鮮なミルクを鍋で低温殺菌して瓶に詰めていると、エルミーナがリビングに入ってきてソファーに倒れ込んだ。


「お疲れさま……」

「ええ、本当にね」


 労いの言葉をかけてやると、エルミーナはソファーに顔を埋めたまま短く返事した。


 それ以上は何も語りたくないと全身で訴えているようだった。


「ところで、もうすぐ朝食なんだけど食べられそうか?」

「…………無理、あれをやってすぐに食べられるわけないじゃな――あー! また鮮明に思い出しちゃった!」


 脳裏にチラついたものを掻き消そうとするかのように、ソファーでジタバタとするエルミーナ。


 初めてピイちゃんの餌を作ればそうなってしまうよな。


 魔物を討伐することで、ある程度の耐性を持っている俺でも食欲が減退したんだ。そういうことに全く免疫がなさそうなエルミーナがそうなるのも仕方がないか。


「はー、お腹空いたー。アデル兄ちゃん、朝食にしよーう」


 しかし、ここにそれをものともしなくなった超人が一人。


 そんな呑気な言葉を上げながらリビングに入ってきたリスカを、エルミーナは信じられないものを見るような目で見ていた。


「リ、リスカ。さっきあんなことしておいて、よく朝食を食べられるわね……」

「あんなことってなんですか?」

「え? いや、それはピイちゃんの餌を――」

「んん?」

「…………なんでもないわ」


 何かを言おうとするエルミーナだったが、リスカから発せられる得体の知れない圧力に屈した。


 どうやらリスカはピイちゃんの餌については、完全に忘れてしまうことで正常な意識を保っているらしい。それくらいやらないとタフなリスカでさえも、エルミーナと同じようになってしまうということか。


 たくましくなって嬉しいような、任せてしまって申し訳ないような気分だった。


 複雑な気持ちを抱きながら、朝食の用意を速やかに進める。


 途中でレフィーアも二階から降りてきて、四人で朝食だ。


 メニューは昨日のミルクシチューの残りと、パン、それにサラダと、少し質素なもの。


 昨夜のような豪勢な料理をずっと続けることは難しいし、朝は時間が少ないので勘弁してほしい。


 俺とリスカは普通に食事を終えたが、エルミーナはミルクシチューを二口とパンをひと齧りしただけで限界。


 リスカの言うように、飼育員の仕事は肉体労働なので食べないともたないのだが、こればかりはどうしようもない。


 ちなみにレフィーアもしっかり完食している。


 朝食が終わると、その後は休憩時間。


 エルミーナは気分が優れないと寝室に向かい、レフィーアはソファーで仮眠。リスカはリビングでピイちゃんと遊びながらまったりと過ごし、俺は時々リスカと会話しながら本を読んで過ごす。


 そうやって小一時間ほどが経過すると、仕事の再開だ。


 リスカにエルミーナを呼んできてもらう。


「体調は大丈夫か?」

「休憩して少し楽になったみたい。もう働けるわ」


 エルミーナは若干表情に疲れが滲み出ていたが、本人がそう言うので働いてもらうことにする。


 休憩が終わると、次にやるべきことは魔物達の健康チェックだ。


 とはいえ、今日は他にもやるべきことがあるし、エルミーナの指導をしながらではかなり時間がかかるので増員するとしよう。


 俺はソファーで転がっているレフィーアに声をかける。


「レフィーア、ちょっと仕事を手伝ってくれないか?」

「うん? 私に肉体労働は無理だぞ?」

「エルミーナに魔物の体調検査のコツを教えながら見守るだけさ」

「嫌だ。私はスライムの論文作業と実験結果をまとめる作業がある」

「ここ最近は部屋にこもってばかりじゃないか。少しは社長らしく部下の指導をしてくれよ。大体、彼女をここで働かせるって言ったのはレフィーアだろ」


 無責任な社長に文句を言うと、さすがにバツが悪くなったのかレフィーアはだるそうにだけど起き上がった。


「わかった。しょうがない、少しくらい手伝ってやるとしよう」

「ああ、頼んだよ。俺はベルフを連れて、牧場周りに異常がないかぐるっと確認してくるから」


 リスカやエルミーナのことをレフィーアに頼んで外に出る。


 その際にベルフにも付いてくるように言うと、尻尾を振って喜んで付いてきた。


 牧場の外に出ると魔法陣の埋め込まれた柵に沿うように、ぐるっと歩く。


 その際に注視するべきことは、他の魔物や動物が近付いた気配がないか確かめること。


 ここら辺はベルフの部下であるブラックウルフの縄張りでもあるので、近付こうとする魔物はあまりいないだろうが、こうして確認しておくことは重要だ。


 ベルフと一緒に歩きながら地面を見ていると、ふと見覚えのある足跡を見つけた。


「うん? これはブラックウルフの足跡か?」

「ウォフ!」


 思わず呟くと、ベルフがそうだとばかりに吠えた。


 ベルフの部下に限って、不用意にここに近付くような真似はしないはず。


「もしかして、定期的にブラックウルフが見回りに来てくれている?」

「ウォッフ!」

「まさか、そこまでしてくれているとは思ってなかったな。今度、お礼をしに山に向かうことにするよ」


 マメに見回りはしていたが、あまりにも近付いてくる魔物がいないから不思議に思っていたんだ。ベルフの率いるブラックウルフが巡回しているとなれば、魔物が近付いてこないのも納得だな。


 今度山で会ったときは感謝の言葉を伝えてあげないとな。


 一緒に狩りをして、ステーキなんかを振る舞ってあげてもいいかもしれない。



      ◆



 昼食を終えての午後の作業。


 休息を十分に挟んだというのに、エルミーナには相変わらず疲れの表情が見えていた。


「エルミーナ、本当に大丈夫なのか?」

「これくらい何でもないわ」

「とはいっても、昼食もあまり食べていなかっただろう?」


 エルミーナはピイちゃんの餌作りと疲労が重なってか、昼食もあまり食べていなかった。エネルギーの源になる食事も満足にとれていなければ、疲労も回復しない。


「余計な心配はいらないから次の仕事をちょうだい」


 こちらの心配をよそに、エルミーナは気丈にも大丈夫だと言い張る。


 昨日は気絶してほとんど仕事ができなかったので、今日は休むわけにはいかない。


 彼女の余裕のない表情が心の内を代弁しているようだ。


 しょうがない。今の状態で休めと言っても聞いてくれないだろうな。せめて、エルミーナが倒れないように身近でフォローできる仕事といえば……。


「よし、じゃあ次は村にミルクを売りに行くか」


 これなら村の中心部まで馬で移動して、ミルクを売るだけなので大きな負担にはならないだろう。


「村にブルホーンのミルクを?」

「ああ、村の中心部の集落にな。そこで楽しみに待ってくれている人がいるんだ」


 そういうわけで、ブルホーンのミルクを売りに行くことにした俺達は、早速準備をする。


 ミルク瓶を冷蔵庫から取り出して、木箱へと詰めていく。


「思ったのだけど、ここの牧場って魔道具が揃っていてかなりお金がかかっているわね。台所だって魔道具ばかりだし、柵にも魔法陣が組み込まれていたわ」


 さすがは魔法学園に通う生徒だけあって、魔法に関連するものをよく見ている。


「魔物達を安全に育てるには必要だと思ったからな。フォレストドラゴンのような例外もいるが、ほとんどの魔物は人間に言葉を伝えることはできない。だから、ちょっと過保護なくらいの設備があったほうが実際にここで暮らす魔物のためにはいいと思う」


 人間であれば、不安に思っていることがあれば口にして誰かに言うだろうし、相談したりもできる。寒ければ勝手に火を灯すなり、服を着こむなりして暖をとったりもするだろう。


 しかし、魔物は人間に言葉で意思を伝えることができない。であるなら、快適な空間や設備を徹底的にこだわって作り、こちらから与えてやるのがいいと思う。


 まあ、設備については俺とレフィーアが好き勝手夢を詰め込んだ部分はあるが、そういう信条を元にしている。


「……ふーん、本当にあなたは魔物が好きなのね」

「そうでもないと、こういう仕事に就かないさ」


 世間的には、魔物は忌避する存在という認識だからな。紛れもなくここで働いている俺やリスカ、レフィーアは変わり者といってもいいだろう。


 なんて会話をしながら木箱にミルク瓶を入れると、保冷用に氷魔法で氷を入れてやる。


「えええっ!? あなた魔法が使えるの!?」

「ん? 俺が魔法を使えるのがそんなにおかしいか?」

「だって、あなた、ボーッとしてて、とてもそんな風には見えないんだもの」


 このお嬢様は本当に失礼だな。見た目で判断しやがって。


 俺がジトーッとした視線を向けるも、エルミーナはそれに気付いていないのか木箱に入った氷を眺めている。


「氷魔法を使って保冷までするなんて、手間をかけてるわね。これ一本でいくらなの?」

「瓶入りで銅貨二枚だ」

「……はぁ!? それ安すぎない? 氷魔法で保冷している時点で、その二倍以上は釣りあげていいでしょうに」


 お嬢様と思いきや、意外と常識的な金銭感覚を持ち合わせているようだ。


 確かに氷魔法は習得するのが難しく、氷魔法で冷却された食べ物などにはかなりの費用が追加されるのが普通だ。王都に運び込まれる冷凍された肉や魚などがそうだろう。


 たとえ一日や二日しかもたない食材でも、氷魔法で冷凍してしまえば一ヶ月以上保存して輸送することも可能だ。


 それ故に氷魔法は重宝されており、それにかかる費用も莫大なものとされている。


 氷魔法で鮮度が保証されたミルクが、銅貨二枚など安すぎるという指摘も当然だ。


「王都やそれに近しい都市ならそれでもいいかもしれないが、ここは田舎だ。ミルクの需要と供給の面でも今の値段は適正だと思うし、そもそもそんなお金は誰も持ってないさ」


 このような場所でそのような値段の高いものを売っても無駄だ。そんなことをすれば、誰も買いはしない。


「じゃあ、どうして氷なんて入れるのよ?」

「どうせ買ってくれるなら冷たくて美味しいミルクを飲んでほしいからさ。それに常温のミルクと冷たいミルクがあったら、うちの冷たいのを率先して選んでくれるだろう?」

「呆れるほどにお人好しね」


 そう言われても仕方ないことをしているので反論もできないな。


「まあ、でも冷たいブルホーンのミルクはとっても美味しいし、悪くない差別化かもね」

「そう言ってもらえるとありがたいな」


 これはエルミーナなりに褒めてくれているのだろう。


 言葉こそぶきっちょではあるものの、嬉しかったので礼を言っておいた。


 ミルク瓶を木箱に詰め込むと、しっかりと蓋をしてロープで縛り、それが外れないことを確認したら外に運ぶ。


「大丈夫か? 持てるか?」

「だ、大丈夫だから先に行ってて」


 唸り声を上げながらガニ股で木箱を運ぶエルミーナ。


 かなり心配ではあるが、何とか運べているようだ。


 エルミーナがよったよったと一個を運んでいる間に、俺は二つ運んで外に置く。


 そして、残っているもう一つを家から運び出すと、エルミーナがようやく一つ目の箱を外に置くことに成功していた。


「はぁ、はぁ……う、腕が……」


 一つの箱に一リットルの瓶が十五本入っているからな。ミルクの重さだけで十五キロになる。


 最初は買い手がつくかわからなかったので一箱に五本しか入れていなかったが、今では一日で五十本近く売れるようになったので増量されてある。


 それをこれほど華奢な女の子が一人で運んだのだから大したものだ。


 エルミーナが休憩している間に、俺は馬小屋から馬を二頭連れてくる。


 それから外に運び出した木箱を馬に括り付ける。


「あっ、わたくしも……」

「さすがにこの高さまで持ち上げるのは無理だろう。少し休んでいてくれ」


 この作業ができないという分別くらいはついているようで、エルミーナは素直に引き下がった。


「馬に乗れないってことはないよな?」

「ええ、これでも乗馬は得意なほうだから」


 エルミーナは胸を張ってそう言うと、鮮やかな身のこなしで馬に乗ってみせた。


 貴族の子供となれば、乗馬も教養の一つになっているので大抵の者は乗ることができる。


 魔法学園の授業でも乗馬はあるので、そこは問題ないと思っていた。


 エルミーナが問題なく馬を歩かせていることを確認し、俺ももう一頭の馬に乗り込む。


「リスカ、レフィーア! ちょっと村までミルクを売りに行ってくる!」


 牧場でスラリンを観察している二人に声をかけてから、俺達は村の中心部に向かった。


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