困った社長 3
「レフィーア、フォレストドラゴンもいいんだけど、せっかくだし他の魔物達の体調を調査してくれないか? 一応、毎日診断はしているが、レフィーアのほうが詳しいだろうし」
「……そうだな。魔物達の生態データも欲しいと思っていたところだ。健康状態を確かめておくとしよう」
朝食を終えリビングで小休止しているレフィーアに、俺は昨日から考えていたことを告げる。
するとレフィーアが二つ返事で了承してくれた。
早速、俺とレフィーアがソファーから立ち上がると、それを傍で聞いていたリスカが勢いよく立ち上がり――、
「あたしも付いていっていいですか? その、あたしは魔物について知らないことも多いので知識と知っておけば役に立つかなって……」
と、レフィーアに告げる。
本来ならば俺から切り出してあげるべき内容だったであろうと思った反面、リスカ自身が魔物達のことを思って言い出してくれたことがとても嬉しかった。
それは恐らくレフィーアも同じだろう。
「ああ、いいとも。それと私に対して敬語は不要だ」
「ですけど、レフィーアさんは社長さんで……」
「私はあくまで、ただの魔物研究者だ。そのような社会が定めたルールなど興味がない。大体、敬語を使うだけでどれだけ時間が浪費されることか」
敬語を面倒臭がるレフィーアの気持ちはわかるが、それで上手く成り立っている部分もあるので、すべてを否定できはしないが……。
「で、でも……」
「大丈夫だよ。レフィーアはいつもこんな感じだから。俺達が気にするだけ無駄さ」
本来、俺もレフィーアに敬語を使わなければいけない立場ではあるが、王都でもないこのような田舎で格式張っていても意味はない。
「わかった。お願いね、レフィーアさん」
「『さん』もいらないのだが、まあそこはいいだろう。まずはライラックの雛から見たいのだが、どこにいる?」
「あ、ピイちゃんならここに!」
レフィーアの言葉に反応して、リスカが自分の胸ポケットを指で突く。
「ピイ?」
すると、そこからピイちゃんがひょっこりと顔を出した。
「おお、そんなところにいたのか。ライラックの雛がポケットを気に入るとは面白い習性だな。幼体ゆえに卵のような密閉された空間を好んでいるのだろうか?」
ポケットから顔を出したピイちゃんを興味深そうに眺めるレフィーア。
ピイちゃんは見慣れないレフィーアを見て、「誰?」というように首を傾げていた。
「大変可愛らしいのだが、このままでは診察ができないのでテーブルの上に置いてくれるか?」
「わかった! ピイちゃん、ちょっとここで大人しくしててね」
レフィーアがテーブルの上に布を置いて、リスカがそこにピイちゃんを降ろした。
リスカの言うことを何となく理解しているのか、ピイちゃんは布の上で大人しくする。
レフィーアはピイちゃんを様々な角度で観察。
指でピイちゃんの嘴を開かせると、ポケットから綿棒を取り出して口の中に入れた。
口の中に異物を入れられたことにピイちゃんは驚いて身を震わせるが、何故かすぐに大人しくなった。
「嘴を持っている魔物は口の中が汚れやすい。汚れが目立つようになったら綿棒のようなもので掃除してやるといいだろう」
レフィーアがそう言いながら引き抜くと、綿棒にはピイちゃんの食べかすらしきものが付着していた。
「あっ、口の外は拭ってあげていたけど、中までは掃除してなかったかも」
「放っておくと菌が繁殖したり口臭の原因になるからな。定期的にやってあげるといい」
レフィーアが掃除し続けると、ピイちゃんの口の中はすっかりと綺麗になった。
「ピイ!」
「ピイちゃんも口の中が綺麗になって嬉しいみたい」
「最初は驚いていたみたいだけど、すぐに大人しくなっていたもんな」
てっきり嫌がられると思ったが、ピイちゃんにとっても口の中の汚れは気になっていたみたいですっかりご機嫌だ。
これなら、今後リスカがやる時も暴れられるようなことはないだろう。
口の中の掃除が終わると、レフィーアはピイちゃんの体を指で触り出す。
「ライラックは、左腹部よりも真ん中よりの位置に胃があるので便の調子が悪い時は、ここを触ってやるといい。胃が張っていたりするはずだ」
「なるほど。この辺り?」
レフィーアに教えてもらったことをすぐに実践して、自分の指でも触ってみるリスカ。
「ああ、いきなり押すと嫌がられるからあやすフリをして、それとなく触診してやるのがいいだろう」
人間だっていきなり胃の部分を押されたら、驚いてしまうからな。
まず全身を触っておいて、それとなくやってやるのがいいのかもしれない。
レフィーアは聴診器で鼓動を聞いたりして、全身をチェックすると満足そうに言う。
「うむ、ライラックの雛はいたって健康みたいだな」
「ピイちゃんを見る上で、何か気を付けることはありますか?」
「……ふむ、酪農家であるならわかると思うが、ほとんどの魔物はフォレストドラゴンのように言葉を操ることはできないし、ベオウルフのように知能が高いわけでもない。こちらに異常を伝えることができないから、常に健康状態をチェックして察してやることが重要だな」
「わかりました!」
「珍しくレフィーアがまともなことを言っている気がする」
「それには文句を申したいが、否定できないのが辛いところだな」
久しぶりにレフィーアが魔物研究者としての頼りになる部分を見た感じだ。
「やっぱり、レフィーアさんってすごい人なんだね!」
「ふふ、そうだとも。これでも魔物牧場の社長だからな! さあ、この調子で他の魔物も診察していくとしよう」
◆
「よし、もう行っていいぞ」
「ピキ!」
レフィーアが腕に抱えたモコモコウサギを解放すると、モコモコウサギは喜ぶように元気に跳ねていった。
それを見送ったレフィーアは、そのまま牧草の上に倒れ込み、俺は腰を下ろして思いっきり足を伸ばした。
「ふう……ようやくモコモコウサギの診察が終わったな」
「そうだな。モコモコウサギは数が多いからちょっと疲れた」
モコモコウサギはピイちゃんと違って大人しくなく、レフィーアの医療道具を取って遊ぶものや怯えるもの、暴れるものと様々だったので大変だった。
「途中から追いかけっこになっちゃって、捕まえるのが大変だったね」
「本当にそれな」
逃げる個体を追いかけて捕まえてしまったのがよくなかったのだろうか。それを見たモコモコウサギ達は逃げると追いかけてもらえると理解し、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めたのである。
おかげでこちらは診察していない個体を片っ端から追いかけて捕まえる羽目になった。
「あんなに走り回ったのは久しぶりだ」
「とか言うけど、レフィーアは一分も追いかけていなかったよな?」
「私は研究者なのだ。肉体労働を期待するほうが間違っている」
己の体力のなさを何故か自慢げに語るレフィーア。
ここまで開き直られると清々しい。
「で、モコモコウサギの診察結果はどんな感じだ?」
「ほとんどの個体は問題ないが、三匹だけ腹を下しがちなものがいる。そいつには耳に赤インクをつけておいたので消化のいい食べ物に切り替えたほうがいいだろう」
「たまに印をつけていたのは、そのためだったのか」
視界には耳に赤いインクをつけられたモコモコウサギが呑気に転がっている。
見たところ特に異常は感じられないので、少し下し気味なだけなのだろう。
大きな問題はなさそうでよかった。
「ブルホーンの方はどうだった?」
「健康体そのものだな。誰かさんがタックルを受け止めているおかげでストレスもそれほどないようだ」
あっけらかんと笑いながら言うレフィーア。
日頃から俺がサンドバッグ代わりになった甲斐があったと言うべきなのだろうか。
可能であるなら、荒ぶることなく平穏に暮らしてほしいのだけどな。
フォレストドラゴンが住み着いたことにより、ストレスがかかっていないか心配だったが問題ないようだ。
「さて、最後はフォレストドラゴンだな! ククク、ククク……」」
レフィーアはそう言って立ち上がると、日陰で目をつむっているフォレストドラゴンを見やる。
フォレストドラゴンはレフィーアの得体の知れない気配を感じたのか、ブルリと身を震わせていた。
レフィーアがウキウキとした様子で向かう後ろを、俺とリスカもついていく。
フォレストドラゴンはやってくるレフィーアを見ると、露骨に顔をしかめた。
レフィーアにしつこく付きまとわれて苦手意識を持っているのだろう。
「……早速、その不気味な女の相手をせねばならんのか?」
「それもあるけど、今回はフォレストドラゴンの健康状態を診るためでもあるから。俺なんかよりもレフィーアのほうが魔物に関して詳しいから」
「うむ、ドラゴンの体についても調べているので基本的なことはわかるぞ。まあ、それが上位種であるフォレストドラゴンに通じるかはわからんがなっ!」
どこか鼻息を荒くしながら舐め回すようにフォレストドラゴンの体を見るレフィーア。
うん、これは嫌だろうな。
フォレストドラゴンが苦手意識を持ってしまうのも仕方のないことだ。
「我の健康のためでもあるし、夜に来られるよりはずっとマシだ。好きにやってくれ」
フォレストドラゴンから許可が降りると、レフィーアは早速とばかりに近付いて触診を始める。
レフィーアは奇声を上げながら体を触っているのだが、フォレストドラゴンはそれを気にした様子もない。
達観したような目をしていることから、レフィーアについては諦めたようだ。
「せっかくだし、俺達でブラッシングをしてやるか」
「うん、そうだね」
レフィーアの診察がストレスになっている可能性があるからな。少しでもそれを和らげてあげるようにブラッシングでもしてやろう。
そう思ってリスカとブラシを取りに倉庫へ。
大きなブラシを取ってくると、それぞれ両サイドから磨いてやるべく、ブラシで鱗を擦っていく。
「フォレストドラゴンよ。昨日から気になっていたのだが、背中にある植物はいつから生えていたのだ?」
「もはや、そんなことは覚えていないな。気が付けば背中から生えてきたという感じだ」
「ということは、最初から生えていたわけではないのだな?」
「そうだな。こいつが生える前までは普通のドラゴンだった」
俺とリスカがゴシゴシと鱗を磨いている間に、レフィーアはフォレストドラゴンに質問をしていた。
それらの問いは非常に気になるものだったが、レフィーアが真剣な表情で尋ねてメモを取っていたので、口を挟むのはやめておいた。
とはいえ、とても興味深いものだったので後で聞くことにしよう。
「……あっ」
ブラッシングに徹していると、微かにリスカから動揺の声が漏れるのが聞こえたので、俺はブラシを置いてリスカの様子を見に行く。
「どうしたリスカ?」
「アデル兄ちゃん。ブラシが……」
「あー、完全にへたれちゃってるな」
リスカが手に持つブラシの毛先は、すっかりひん曲がってしまっていた。
これではフォレストドラゴンの鱗を磨くことはおろか、床を磨くこともできないだろう。
「ごめんね」
「いや、リスカが悪いわけじゃないさ。これは床を磨くためのブラシでフォレストドラゴンの鱗を磨くためのものじゃないからな」
ただのブラシではいつかはこうなることがわかっていた。トレント事件やらブルホーンのミルクの販売などで忙しく、ブラシを後回しにしていた俺が悪い。
「これを機会にきちんとしたブラシを作ってもらうといいだろう」
「うむ、それは我も思っていたところだ。何度かブラッシングされてわかったが、そのブラシは微妙だ」
レフィーアが神妙に頷きながら言い、フォレストドラゴンも同意とばかりに頷く。
フォレストドラゴンのことだからリスカへのフォローということもないだろう。
これはまごうことなき本心だ。
「だから、リスカも気にしなくていいよ」
「うん、ありがとう」
俺がそう言うと、リスカは控えめながらも礼を言った。
「さて、俺はミルクの販売ついでに村でブラシの発注をしてくるよ」
このまま後回しにしていたら、また忘れてしまいそうだ。
こういうのはすぐに取り掛かるに限る。
今日はブルホーンのミルクを村の集落に売りにいくつもりだったので、ちょうどいい。
「あっ、それならあたしも!」
「いや、リスカはここにいてほしいかな。レフィーアを一人にしておくの……は怖いし」
「おい、アデル。私を何だと思っているんだ。私が魔物に対しておかしなことをするとでも?」
心外そうに言うレフィーアは、フォレストドラゴンの鼻の中に腕を突っ込んでいた。
このまま放置していると、尻の中にまで腕を突っ込みかねないな。
「我からも頼む。この女と一対一でいるのは嫌だ」
「あはは、わかった」




