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ブルホーンのミルク その1

 朝の日差しで目を覚ました俺は、むくりと身体を起こして大きな欠伸をした。


 とはいえ、目覚めはスッキリとしたものだったので二度寝はすることなくベッドから出る。


 作業着に着替え終わると、ソファーの上に置いている布の塊へと近付く。


 様子を見るように布を捲ると、そこにはライラックの卵が置かれている。


「……依然として孵化する様子はないか」


 ライラックの卵は一週間から二週間で孵化すると言われている。


 つまり、もうそろそろのはずなのだが、卵にその様子は見られない。


 ライラックの子供は最初に見た者を親と認識するので、いつでもそのタイミングを迎えるべく寝室に置いているのだが、まだ対面するには至らないようだ。


 卵に布を被せ直した俺は、少し離れた厩舎へと向かうために家を出る。


 玄関を出て立てかけておいた手押し車を引っ張ると、家の裏からベオウルフが走り寄ってきた。


「ウォフッ!」

「おはよう!」


 ベオウルフの元気さに苦笑しながら、朝の挨拶をして手押し車を押して歩く。


 すると、ベオウルフも機嫌良さそうに尻尾を振って付いてきた。


 遠目ではモコモコウサギが牧草の上で寝転がって気持ち良さそうに眠っている。


 あいつも、もはやここにいるのが当然とでも言うような感じだな。野生の森とは違う環境に順応してくれているようで何よりである。むしろ、外敵がいないぶん、モコモコウサギにとってここは楽園のようなものなのだろう。


 厩舎へと入ると既にブルホーンは起きており、今日も元気に「ブモオオ」と鳴いていた。


 俺は厩舎の端に寄せてある藁の感触を確認。


「うん、ちゃんと乾燥しているな」


 干し草の状態がいいことを確認して、農用フォークで手押し車に積んでいく。


 そんな傍らでベオウルフは干し草の感触を楽しむように、飛び跳ねたり寝転がったりとしていた。


 傍から見ると本当にただゴツイだけの犬にしか見えないな。俺に襲い掛かってきた時の野性的な面は一体どこに置いてきてしまったのやら。


 だけど、無邪気にはしゃぐベオウルフが微笑ましい。


 ベオウルフは従属するべき者の傍にいると安心するという情報があるが、これもそういう特性からくる行動なのだろうか。


 干し草を手押し車に積み上げ、ブルホーンの下へ移動。


「ほら、今日は干し草や果物を持ってきてやったぞ」


 餌を持ってきたことを教えてやると、座り込んできたブルホーンが立ち上がって尻尾を揺らす。


 柵があるにも関わらずに興味津々に鼻を近付けてくる。


「ブモオオオッ!」


 そして、早くこの柵をどかして餌をよこせとばかりに鳴くブルホーン。


「はいはい、わかったから」


 柵のロックを解除して中に入ると、ブルホーンは手押し車に乗った餌に頭を突っ込んだ。今日も絶好調の様子で、ガツガツと干し草と果物を食べている。


 ブルホーンは草食であり、そこら辺に生えている牧草などでもいいのだが、干し草や果物などの食料も好んで食べるので、こうしてたまに干し草や果物なんかも食べさせているわけだ。


 食べている間に体を撫でながら全身を確かめるが、特に異常はないようだ。


 リフレット村にやってきて一週間。最初は新しい環境に慣れなくて気が立っていたようだが、さすがに少し落ち着いてきたな。これなら今日はミルクが絞れるかもしれない。


 普通の牛であれば、子供を産んだ一定の期間しかミルクを絞ることができないが、魔物であるブルホーンは違う。雌という条件はあるものの、基本的にいつでも絞ることができるのだ。


 レフィーアによると、これは常に命の危険に晒されている魔物だからこその進化ではないかという。ブルホーンの子供は、母親以外からもミルクを摂取することがあるそうだからな。


 まあ、俺はレフィーアのように魔物を研究し続けているわけではないので色々な考察はできないが、人間とは違う進化の道らしいものが見えてくるのは面白いものだ。


「ちょっと失礼するぞー」


 言葉が通じているか知らないが念のために声をかけて、ブルホーンの腹にある乳房に手を伸ばす。


 牛とほとんど同じ形状をしたそれを、手全体で絞り出すと真っ白なミルクが飛び出た。


 ブルホーンのミルクはストレスがかかった状態だと、少し粘り気があり色も黄色くなってしまう。


 だが、今出たばかりのミルクはとても瑞々しく真っ白なものであった。


「うん、これならいけるな!」


 ブルホーン様の体調が絶好調なので、ここぞとばかりに俺はバケツを手繰り寄せる。このバケツはしっかりと洗っているし、お湯で殺菌もしているので清潔だ。


 ブルホーンのお腹の下にバケツを置くと、搾乳作業に入る。


 ギュッと握り込む度に飛び出るミルク。


 ブルホーンは餌を食べることに夢中なのか、特に気にした様子もない。


 レフィーアの下で研修を受けている時は、俺の搾乳が不快に感じられたようで随分と怒らせてしまったものだが、今はこの通り、ブルホーンの反応をビクビクと窺ったり、脚で蹴られるような心配もない。これも研修の賜物と言うべきだろうな。


 研修の苦労を思い出して感慨にふけっていると、いつの間にかかなりのミルクが絞れたらしく、バケツが満タン近くになっていた。


 ブルホーン一匹から大量のミルクが絞れる。レフィーア調べによると、調子のいい時は150リットルと普通の牛よりも二倍近い量が絞れたそうだが、そこまで絞り続けると機嫌が悪くなるようなので100リットルあたりが目安らしい。


 とはいえ、このバケツだけで8リットルくらいあるしな。そんなに絞っても、今の環境では無駄にしてしまうだけだろう。


 とりあえず、半分を村の人にでもあげるとするか。魔物から採れたミルクということで忌避する者もいるかもしれないが、美味しさを知ればケロッと変わるかもだし。


 そんなことを考えていると、ミルクの入ったバケツにベオウルフが顔を突っ込もうとしていた。


「こらこら、勝手に飲もうとするな」

「……ウォフウ」


 バケツを持ち上げて叱ると、ベオウルフが残念そうな声を上げて尻尾を垂らす。


「ちゃんと温めて殺菌したら飲ましてやるから少し待ってろ」

「ウォフ!」


 俺が頭を撫でながらそう言うと、理解したのか嬉しそうに声を上げて尻尾を振る。


 まったく、わかりやすい奴だな。


 十分にミルクが絞れた俺は、バケツを持って家に戻る。


 すると当然のようにベオウルフも入ってきた。


「そのまま入ってきたら床が汚れるだろう」


 俺はベオウルフにその場で待機するように命じて、タオルを持ってくる。


 そしてベオウルフの足の裏を丁寧に拭ってから、入るのを許可した。


 これまで家に魔物は入れていなかったのだが、まあベオウルフなら言うことも聞くしいいだろう。


 今後のことを考慮して、玄関にカーペットや土落としを設置して、自分で拭く習慣づけさせておいたほうがいいかもな。


 ベオウルフはリビングにある最も日当たりのいいソファーを見つけると、そこに飛び乗ってまったりとし始めた。本当に自由を満喫しているなぁ。


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