第091話、魔猫楽園の教皇【ヴェルザの街】
【SIDE:幼女教皇マギ】
ここは魔猫の楽園とされる東大陸ヴェルザ。人間と魔猫が共に暮らす大陸である。
かつて人類とされた人間――西大陸を魔族に占領された影響で勢力を落とした彼らが、旧人類とされたのが約五百年前。
今を示す暦を、人間にはなじみのない魔王歴で記すと540年か。
しかしこの地に魔王軍の脅威はない。
日差しが温かい昼前の時刻。教皇の私室には真ん丸な毛玉が転がっていた。
いわゆる魔猫の群れである。
もふもふモコモコ。毛玉の中に包まれていた幼女が、ぐぐぐぐっともち肌の小さな腕を伸ばし、ぷはぁぁぁ……。ネコ達のゴロゴロ音から這い出て、ワチャワチャワチャ!
「ええーい! モフモフども、妾で暖を取るな! 簪を盗むな、髪を齧るな離れんか! さっきオヤツはあげたであろう!」
――と。
無数の猫を頭に乗せたブカブカ教皇服の幼女の名は、マギ。
幼女教皇マギと聞けば、その偉業を知らぬものは少ないだろう。
彼女は歴史の中の人物でありながら実在する統治者。
ヴェルザの街の代表にして、既に千歳は超えている聖職者である。種族は人間。魔猫イエスタデイから受けた恩寵は不老不死。そんな東大陸の教皇マギは集ってくる魔猫に負け、オヤツをおとりにネコ毛玉団子から抜け出し――ようやく執務に戻っていた。
オヤツの揚げドーナツに群がる魔猫を睨むのは、幼女のジト目。
「まったく、おまえたちは少々我慢というものを覚えねばならぬな。なんじゃ、その顔は。ああ、もう、オヤツはそれだけじゃ、それ以上は太るから本当にダメであるぞ!」
ペラッペラな報告書を眺めながらジャムクッキーを一口。
ぼろぼろと粉をこぼしながら声を発する。
「冒険者ギルドに突如現れたレイニザード帝国からの使者、のう……」
幼女は書類にジャムをこぼしながら思う。
まあ、とりあえず会ってみるかと。
ここは魔猫の楽園。魔猫と共にあるので魔王軍は攻め込んでこず、ダンジョン塔には名物経験値魔物がいるおかげで人間たちの平均レベルも高い。平和な世が続いているのだ。
ようするに、彼女はそれなりに暇だったのである。
◇
突然の親書を運んできたのは、まだ若そうな青年だった。額から頬にかけて大きな火傷痕があるが、それなりに顔の整った、少し馬に似た男である。
長い四肢。その筋張った左手の薬指には、結婚指輪が輝いている。
幼女は思う。
――既婚者か、美形がやってきたと騒いでおったが、うちの女性神官どもはがっかりするのう~♪
と、にょほほほと、ニタり顔。
幼女教皇マギは自分が不老不死ゆえに婚姻していないからと、他人の失恋をからかう悪癖を自覚している。だがそれを治す気など、今更ない。そんな内心を覆い隠し、幼女は足をパタパタ。
その足で描かれるのは重厚な魔法陣。
効果は魔術による散らかった部屋の整頓、それなり以上の規模の魔術を、よりにもよって部屋掃除に乱用しているのである。
本来なら教皇猊下であるマギが人と会うのならば、教会や寺院、聖堂や旧王宮の神殿といった場所で――厳かな顔をし、部下を並べ。偉そうに謁見を許可する必要があるのだが。あくまでもこれはプライベート。
そのまま会っても問題ない!
とは、本人の言。
幼女教皇マギのわがままに振り回される聖職者の青年が、汗を浮かべた鷲鼻を揺らしため息をつく中。
対面ソファーで、ふつうに客人を招いた形で幼女がニコりとドヤ顔を浮かべ。
「ほぉおぉぉぉぉぉ、そなたが使者か、それにしてもレイニザード帝国のう。真樹の森の北部がどうなっておるかの情報はまったく入ってこなかったが、そんなことになっていたとは――」
「えーと、その前に確認させていただきたいのですが。よろしいですか?」
使者の青年が馬面を困惑に染めるも、幼女はココアをズズッと啜り。
「構わぬぞ。さあ申してみよ。まあ妾のスリーサイズは内緒じゃがな!」
「ほ、本当にあなたがあの幼女教皇マギ様なのですか?」
「本当にとは、どういう意味じゃ?」
「い、いえ――外見は幼女であっても、もう少し威厳のある方だと聞いておりましたので――、そのすんません。イメージしていた方とだいぶ違うかな……と」
正直に話す使者の青年に幼女は気を良くし。
ふふんと頬をペコペコに輝かせ、ネコのような愛嬌ある笑みを浮かべていた。
「まあ”ぷらいべいと”じゃからな! それよりもレイニザード帝国とやらの使者殿が、なぜ妾の事を知っておるのじゃ。話を聞く限り――そなたたちは国交を断っていた北砦、魔王アルバートン=アル=カイトスが育った地とされる貴族国家の末裔なのであろう? あまり妾との接点はなかったはずじゃが」
「暗黒騎士クローディアという名に覚えは――」
告げられた名に、教皇の大きな瞳が一瞬揺らぐ。
「そうか、魔境ズムニの代表だったあの者か。ならば、分からなくもない。あやつめ……まだ健在であったか」
「驚きました。本当にご存じだったのですね」
「まあ、およそ五百五十年前に会うておるからな……して、何用かと問う前にじゃ」
さて――と。少し演技じみた声を漏らし。
幼女は空気を切り替えていた。それは、千年以上生き、成長し続けた高レベルの存在としての空気。その瞳と全身に並々ならぬ魔力を浮かべ、統治者としての顔と声で。
幼女教皇マギがぷっくらと唇を上下させていたのだ。
「使者殿、おぬし――どうやってこの地に侵入した」
ヴェルザの街の結界は強力。
ここは、のんびりと暮らしたいと願う魔猫と共に作り上げた楽園、魔族とて壊せぬ結界の中。そもそも侵入できていることがおかしい。
幼女の身体から放たれる威圧感と魔力は本物だった。だから使者もごくりと息を呑んでいる。
しかし――臆せず言葉は飛んできた。
「実はこちらの街にも十八年前ごろから、魔猫の方々が住み始めておりまして――。時折に、遊びに来るのですよ――白くてふわふわで、ドヤ顔をした食いしん坊な猫が」
「――……。なるほど、あの方に願いこの地へと転移をしてきたというわけか」
「はい、あなたによろしくともお願いされております」
不器用に微笑みながら言って、青年はアイテム保管空間から手紙を取り出し教皇の前に差し出す。
その差出人の名は、四星獣イエスタデイ=ワンス=モア。
「……ジャムを零してもそのまま、べちゃべちゃに垂らしたままで手紙をよこす所を見ると、本物じゃな……」
「ええ、はい……やっぱり、そちらでもそんな感じだったんっすね。あの方」
「確かにこの手紙は受け取った。礼を言うぞ。妾はそなたを歓迎しよう、後で身分証も発行させておく。受け取って行かれるがよかろうて」
「ご配慮、ありがとうございます」
「それにしても、いったい……本当に何の用なのじゃ? 五百年以上も音沙汰がなかった筈であるのに、わざわざ使者まで使って妾に連絡を取るとは」
手紙を読めば書いてあるのか、視線を落とすもやはりジャムでベタベタ。
ぬーん……とジト目の幼女に、使者の青年が言う。
「その手紙の内容は知らないですが。ここに来た理由なら……よろしいでしょうか?」
「鷲鼻男が気になっておるか。問題ない、こやつは妾に代々仕えてくれておる一族。側仕えの家系の者じゃ、聞かせても吹聴などせぬし信頼しておる。聞かせて貰えるかのう」
「幼女教皇マギ様。千年以上を生き、人間種として最も上位のレベルにあるあなたは、異世界からの侵入者、外来種に狙われております――」
語る使者の顔に嘘はない。
本来なら盤上や駒に干渉することを是としない四星獣が、わざわざ力を貸し転移させたのだ。真実なのだろうと判断したマギが言う。
「なるほど……もう少し詳しく聞かせて貰えるかな。えーと、使者殿、そなたの名は?」
「っと、すんません。実はこういう偉い人に会って話すのに慣れていなくて、忘れていました」
「だから微妙に敬語が崩れるのじゃな。じゃが構わん! 妾は格式ばったそーいうのは嫌いじゃ!」
儀式、礼節くそくらえ! なっはっは! と、無い胸を張って笑う教皇に、御付きの鷲鼻聖職者が頬をヒクつかせる横。
気苦労が絶えなそうな側仕えに構わず、使者の青年のほうも、そーっすよね! と、なはははは!
教皇の私室に、和やかな笑い声が響く。
「オレの名はアキレス。母国では駿足のアキレスと呼ばれております。我が君、ザカール八世からはあなたと交流を深めて欲しいと仰せつかっておりますので、どうか、よろしくお願いいたします」
空気は穏やかだ、しかし幼女は察していた。
この男も、曰くつき。なにか訳ありの存在じゃな――と。
ともあれ。
青年と幼女は握手を交わし、プライベートな会談を開始。
使者アキレスは告げる。世界情勢や、かつて北砦と呼ばれていた場所がどうなっているのか。そして、外来種の存在を。
彼女からの質問に答え、説明したのだ。




