第080話、馬車道。真樹の森と共に――。【首都への馬車道】
【SIDE:ボサボサ少女ガイア】
何かに憑りつかれたように全ての服を直したあの日から、一カ月が過ぎている。
あの日を境にガイアの世界は一変していた。
死蔵されていた法衣。《朱雀羽の紅聖衣》をうっかりと修繕してしまった。その事実がとても大きかったのだ。
職人技能者としての見込みありとされた。だからガイアは再び首都へと召喚されるのだ。
これはその再出発の日。
孤児院の中で目つきの悪い少女は、子どもたちに囲まれていた。
子どもたちの服はピカピカに輝いている、それら全てがガイアが生み出した布装備。低級装備”村人の服”である。ただし――その特殊効果として、幸運に対して大幅な上昇補正効果が付与されているが。
何も知らずに、子ども達が言う。
「ねえ、マジでいっちまうのかよ、姉ちゃん」
「ねえねえ! ガイアおねえちゃんに、馬車が迎えに来てるんだって!」
「まさかガイア姉ちゃんにそんな才能があったなんてなあ」
まとわりついてくる元気な子供たちをあしらいつつも、ボサボサガイアは眉を下げる。
「違うわよ。あんた達も知ってるでしょ。全部、この魔猫ちゃんのおかげ――あたしの力じゃないわ」
言って、ボサボサの髪を面倒そうに掻いてガイアは重い息を吐く。
そう――あの日以来、真樹の森から紛れ込んできた魔猫が力を貸してくれている。ずっと寄り添って、励ましてくれている。まるで、あの日死んでしまったカチュアのように。
ガイアはこの機織りの力を、魔猫による力だと信じ込んでいた。
けれどその魔猫の姿がどこにも見えない。子どもたちは思っていた、きっと、お姉ちゃんは少し疲れてしまっているのだと。
子どもながらに空気を呼んだ彼らは、顔を見合わせて。
代表して声を上げたのは弟分、例の生意気な少年である。
「そ、そうだよな。あのガイア姉ちゃんがそんな変な能力に開花するなんて。なんかの勘違いだよな」
「そ、ありえないってこと。勅命だから辞令には従うけど、素直に話して――全然使えないじゃないか。はあ、邪魔だ邪魔だ、こんなやつ村へ送り返せ! って、たぶんすぐに帰ってくるから。心配するんじゃないわよ?」
「は? 心配ってなんだよ」
「そりゃあこのあたしが孤児院を出ていったらみんな心配するでしょう? でも、すぐに帰ってくるって事よ!」
「いや、また出戻ってくる方が心配するんじゃねえか……特に神父様とかはさあ」
子どもたちは頷く。
ガイアはうっと大げさに後ずさっていた。
そのまま皆としばらく談笑し――。
出迎えがやってきたと聞き、ガイアは裁縫道具を手にし、振り返る。
子ども達を心配させないような、最高の笑顔を見せていたのだ。
「んじゃ、すぐ行ってたぶんすぐ帰ってくるから。留守番よろしく頼むわよ」
「分かってるよ」
少年は鼻を指で啜って、姉貴分のガイアを見送るべく一緒に孤児院の外に出る。
少年と少女は扉を開け――そして、その表情をこわばらせた。
首都を防衛している聖騎士隊が列となって、馬車までの長い道を作っていたのである。困惑する村人がなにごとかと遠巻きに眺める中。ガイア本人も裁縫道具をぎゅっと抱き。
「な、なんなんですか? これ!?」
「ガイア=ルル=ガイア様ですね」
「護衛の方……ですよね、ガイア様って。あの、せっかく来てもらったところを悪いんですけど。あたしは――」
「とりあえず、馬車の中へ――お話はそちらで」
有無を言わさず連れられてしまう。
自分ではなく、全ては魔猫の力なのだと伝えたいのだが――そんなガイアを心配するかのように、森の中からあの黒猫がやってきて、一緒に馬車に乗り込み始める。不思議と、誰も魔猫が勝手に馬車に乗り込んでいるのに気にしようとしていない。
村人たちもそうだった、ガイア以外の瞳には魔猫が見えていないのだ。
◇
揺れる馬車の中。ガイアは思う。
なんか大変なことになってるわねえ……と。
馬車はまるで国賓を迎えるような、皇帝の威厳を示すような豪華な作りとなっていた。とても才覚に目覚めたばかりの新人職人を出迎えるような馬車ではない。
なにがどうなっているのか、困惑するガイアは目つきの悪い瞳を、借りられてきた猫のようにギンギンにさせるが。ぶるぶると肩を髪ごと猫のように揺らす彼女は、同席する存在に目をやっていた。
見覚えのある甲冑だったのだ。
「あなたは……たしか!」
「久しいな、およそ一月ぶりか」
経験値遠征の時の上司だった女性暗黒騎士である。聖騎士や聖職者が多いレイニザード帝国では珍しい黒鎧の騎士なので、かなり目立っていたのだが。暗黒騎士は困惑するガイアに言う。
「生産職はプライドの高いものが多い。自身の腕に誇りを持っているからな――ゆえに、しばらくわたしが君の護衛となる。新人の君を快く思わない職人もいるだろう、その牽制の意味も含んでいると解釈してくれ」
「あ、あのその事なんですけど」
ガイアは事情を説明した。
あの時は夢中で服の修繕を行っていたから、なにをしたのか自分でも覚えていないこと。友人が死んだこと。その友人に似た不思議な魔猫が、力を貸してくれた事。あの法衣が直っていたのは、偶然。あるいは最初から、装備できないほどの破損状態ではなかったのではないか。
ようするに、おそらく勘違いではないか――と。
「というわけで……あの魔猫が力を貸してくれているんだと思うんです。だから、その……あたしの力じゃないわけで。たぶん、首都に戻ってもお役に立てるかどうか……」
「仮に魔猫が力を貸しているのだとしたら、共にいるのだから問題ないのではないか」
「共にって、見えているんですか?」
「なにがだ?」
「だから、魔猫をです……この子、あたし以外の目には見えないみたいで」
言って、少女が両手を広げると他の人間には見えない黒猫が嬉しそうに胸の中に飛び込んでくる。
衝撃も、温もりも、吐息も。全てが本物だ。
けれど、他の人には見えない。その筈なのに――暗黒騎士は甲冑兜の下で反響音を鳴らしながらも、明らかに魔猫の背を眺めていた。
「そうか――他の者には見えない、か。その魔猫は四星獣と呼ばれる大いなる存在の眷属だろう。おそらく生前、あるいは死の直後に神と契約したのだろうな」
「四星獣? 神様……ですか?」
「ああ、現存する魔猫はかつて別の命だった者達だとされているからな。その魔猫もそうなのだろう。何かを願い、その代わりにそうなった。願いの対価、大きな願いを叶えて貰う代償に死後の輪廻を捨て――遊戯駒としての枠を外れた存在となった者。それこそが魔猫だ」
ガイアは思う。
何を言っているのか全然分からないわ、と。けれど構わず暗黒騎士は、甲冑の隙間から声を漏らし続ける。
「魔猫の姿こそが、四星獣イエスタデイ様に召し上げられた証。かの神は魔猫を世界に増やすことにより、本来叶えるべき自分のための力を、長い時をかけ……蓄え続けているそうだからな」
「は、はぁ……」
「しかし。新たな魔猫が誕生しているとなると……あの方は、既に目覚めていらっしゃるという事か――」
なにやら考え込んでしまう暗黒騎士に、ガイアは困惑するばかり。
既に馬車は進んでいる。慣れない揺れに戸惑いながらも、おずおずと伺うように言う。
「あの、契約っていうのは……」
「……。まあ、わたしの口から語ることではないだろう。君と魔猫の問題だ。わたしはそこに口は出さないし、君が仕事を果たしてくれるのなら何も問いはしない」
肝心なことが何もわからなかった。
しかし、ガイアは困っていた。
それは理解できない暗黒騎士の魔猫論ではなく、自分の事。
首都について、職人たちの現場でしばらく働くとなったとして。どうせまた役立たずだと追い返される。そんな近未来がすでに想像できているからだ。それなのに、まるで貴族を迎えるような聖騎士達と豪華な馬車。はっきりと言って、勘弁して欲しいと思っていたのだ。
暗黒騎士が少女の心を読んだような口調で言う。
「不安そうだな」
「当たり前じゃないですか――ほとんど自分でも覚えていない半分眠っているような状態で、手が動いて、勝手に修繕したり、服を作ったりするんですよ? たしかに、その時にできる服はウチの子どもたちに評判ですけど、同じことが安定して、あっちでもできるとは思えないですし」
「スキルの効果ならば安定して発動できるはずだ」
「で、でも、これはこの魔猫が一緒に居てくれるからであって、あたしは――」
「ならばずっと共にいればいい」
暗黒騎士は戦士としての声で淡々と言う。
「君自身が職人系スキルを覚醒させたのか、あるいはその魔猫が君の力となって覚醒しているのか。国にとっては同じ。結果的に良装備が生み出せるのならば、どちらでも構わないのだ。ようは結果を出せばいい。出せなかったとしても君の能力を誤解したこちらが悪いのだ。君が責任を感じる必要はない」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものだ」
憮然と言いながら、暗黒騎士は馬車の外を見る。
魔界と化した南の大陸と北大陸を分断する広大な森。真樹の森を眺めているのだろう。甲冑で顔を隠しているので、その表情は見えない――けれど。
甲冑がわずかな音を立てていた。そしてガイアは耳が良い。だから気づいて口にしていた。
「この辺りをご存じなんですか?」
「ん? ああ……かつて住んでいたことがあるからな」
「あれ? あなたみたいな優秀な騎士がこの辺の村から排出されたって話、最近では聞いたことないんですけど……って、ごめんなさい。あたし、女性の方に失礼なことを言っちゃいましたね。今のはどうか、忘れて下さい」
「最近では、か。ふふ。気にする必要はない。たしかにわたしはそれなりに高齢だからな」
声に怒気はない。本当に、ただ淡々とした声だった。
この地域になにか深い思い出があるのだろうか。
暗黒騎士は鬱蒼とした森、そのどこか奥の方……まるで特定の場所を見るように、目線を残し続けている。
「この辺りの村は、まだ名がないままなのだな」
「なんでも五百年とちょっと前くらい、でしたか――人間がまだ人類と呼ばれていた時代のご令嬢がやらかしたっていうんで、貴族の領地がお取潰しになったそうなんですよ。それで領地の名も没収されて、次の領主が決まる決まらないって時期に魔王が降臨して、今に至るまで名もないまま……って話らしいですよ」
「殺戮令嬢の物語だな」
「そう! そんな感じの忌み名でしたね。なんでも恋人を殺された仇討ちだったって話じゃないですか、なーんかあたし、令嬢の方に同情しちゃうんですよねえ……」
暗黒騎士は叱るような口調で言う。
「だが、彼女のせいで多くの無辜なるモノが惨殺された。一時の感情で民や身内がどうなるかも考えず、仇討ちをするなど……愚かな女だったのだろうよ」
「あなたはそう思うのかもしれませんが。あたしは違いますよ?」
少女は言う。
「だって、あたしだって……お父さんとお母さんを殺した魔物を許せませんから。もし、殺せる状況で目の前に仇がいたら――絶対動いちゃってると思うんですよね。たとえその後、その仇討ちのせいでどんな犠牲や不幸が起こるって分かっていても。止められないことだって……あると思うんです」
村を旅立つ少女は、真樹の森を眺めていった。
「きっと、それほどに愛していたんでしょうね。殺戮令嬢は……その人の事を。この話……悲しいお話だけど、ロマンチックで。まだあたしが知らないような、全てを失ってもいいと思えるほどに……尊い恋をしたご令嬢の、悲恋って側面もあると思うんです。……って、どうしたんです? 甲冑ごしに口を押えて……馬車に酔っちゃいました?」
「いや。そういう考え方をする若者もいるのだと、驚いただけだ」
暗黒騎士はなぜか黙り込んでしまう。
狭い空間なので、多少気まずくなってくる。
「あの、そういえば、名前をうかがっていなかったのですが。しばらく護衛してくださるというのでしたら、呼びにくいですし、聞いてもいいですか?」
場をもたせる少女の問いに、やはり暗黒騎士は淡々とした口調で応じていた。
「そうだったな、すまないガイア嬢。わたしの名はクローディア。どう呼んでくれても構わないが――様で呼ぶのは遠慮してくれ、こそばゆいからな」
「暗黒騎士のクローディア……さん?」
ガイアの眉がピンと跳ねる。昔に読んだ歴史書で、似たような名が刻まれていたと思いだしたからだった。
それは魔境ズムニの代表とされた騎士の名。
まさか、そんな人が生き残っている筈がない。だからガイアはただの偶然だと思った。
暗黒騎士は兜を外し、長い髪を覗かせ――その下から凛々しく気丈な美貌を解放する。
「まあ、よくある名だろうさ。この長い盤上遊戯、多くの人が生まれ死んだ歴史の中で、似たような名前があったとしても――不思議ではないだろう?」
言って暗黒騎士クローディアは、ふっと微笑する。
ガイアは思った。
まるでお姫様みたいな嫋やかな微笑だと。
こんなに綺麗な顔なら、隠さない方が皆の士気も上がるだろうに――と。
けれどそれは言葉にしなかった。
騎士が兜を脱ぎ、素顔を見せてくれた。その紳士さに反する行為だと思ったからである。
少女は黒猫の背を撫でる。黒猫は、ずっと一緒に居るからとばかりにゴロゴロゴロと喉を鳴らす。嬉しそうに瞳を閉じる猫の横顔に目をやり――同類を見る顔で、クローディアがふと言葉を漏らす。
「その魔猫は神に一体、何を願ったのだろうな」
「さあ……」
願いと引き換えに魔猫と化す。
ありえない話だとガイアは思っているが。暗黒騎士クローディアはその話を信じているのだろう。だから考えて……答えを出す。
この魔猫が姿を現してから、森の鳴き声……人に知られず泣ける場所を求めたカチュアの父親の、咽び泣く声は届かなくなった。
聞こえなくなった。
あの両親は残された妹を大事にし、前を向いて歩いている。
だから――。
少女は言葉を口にする。
「でも優しい子だったから。きっとお父さんとお母さんに、もう泣かないでくださいって――そうお願いしたんじゃないかしら」
願いを叶える神がいるなんて信じられない。けれどもし実在し、その神とあの子が出逢ったのなら。残された家族のために願ったのではないか。
馬車の窓。陽射しが魔猫と少女の頬を照らす中――。
ガイアはそう思ったのだ。
首都への道を、馬車が進む――。




