第073話、魔王アルバートン=アル=カイトスの苦悩:後編【魔王城】
本来なら誰もが跪く謁見の間にて、おどけた魔猫と猛将マイアを睨みつけるのは――四人の魔族。
四天王と呼ばれ、魔王軍では最強戦力とされる幹部である。
ただその四天王の肩書も、盤上遊戯のシステムに過ぎないのだと、この中で魔王アルバートン=アル=カイトスと魔猫だけは理解していただろう。
緊張に汗を滴らせる猛将マイアの足元。
血気盛んな四人の大物魔族が今にも攻撃を仕掛けてきそうな状況で――魔猫は小さく息を吐いた。
『アルバートンよ。会話をスムーズに進めさせるためだ、少々ならば構わぬな?』
『お手柔らかにお願いします。彼らも大事な部下なのですから』
承諾と受け取ったのだろう。
魔猫は周囲を見渡し。
『力量差すら読めぬ愚か者どもよ――しばし静かにせよ』
告げたその直後。
世界から一瞬にして、気配と色とが消えていた。
ただ告げただけで、世界をきしませていたのだ。
魔術ですらないソレは、《魔力圧力》。
ただ抑えていた魔力を、少し解放しただけだったのだろう。
それでも影響は甚大。魔王を除く全員を、地べたを這う虫のように床に縫い付けている。
濃厚な魔力の海の中。
魔猫は言った。
『さて――少しは理解できたようだな。この程度の差すら見えぬからこそ、そなたらは小童。汝らの主人である魔王が、急ぎ戦力を増そうと苦悩しておるということだ――未熟者どもめ』
徐々にプレッシャーが解かれていく。
空間に色と気配が戻っていく。
気配が消えているように感じたのは、魔猫の圧倒的すぎる存在感のせい、他の存在が矮小と見えてしまったことが原因だったのだろう。
魔王と魔猫のみが、元に戻っていく世界の中で平然としていた。
静謐なる空間で魔猫は語りだす。
『四天王とは特殊駒の名称。それは魔王と同じく、世界に存在する数が限られた職業の一つ。外来種から世界を守るため……そんな名目で世界管理者ネコヤナギが新たに魔王に下賜した、最大四席までの特殊役職。特殊な駒を使用し個性を得た魔族の名称といったところか。実際、おぬしたちに鑑定魔術を発動させれば固有職業を習得したモノ達だと把握できるからのう』
『あなたは何でもお見通しなのですね――』
『この世界については誰よりも詳しいからな。このような特殊駒が誕生した盤上も何度かあったと、そう記憶しておる』
『この創世魔導書の内容は――事実であるという事ですか』
本当にあった事なのか。
その問いかけに魔猫は頷いていた。
『それも、はるか遠い過去の話よ。もはやいつであったのか、その時すら忘れるほどのな』
『ではやはりあなたこそが、この世界そのものの……』
『おぬし以外にそれを理解できる日がくるとは思えぬがな。外の世界や創生に関わる事象を理解するには、新人類は未熟過ぎる。かつて命なき駒であった汝らに課せられた、枷ともいえるであろう。その辺りも含め、汝らが成長し自立することを我は望んでおるが……この有り様ではな。個としての強さならば話は別だが、集団となったのならばだ――はっきりと言って、魔物であった五百年前よりおぬしらは退化しておるぞ』
退化と言われ。
『不甲斐なくは思っているのです。百年前、部下に紛れ込んでいた外からの侵入者に気付かず――真樹の森への勝手な侵攻を許してしまったほどに、統制も取れておりません。魔王という職業自体に向いていないのやもしれませぬ』
魔王は四天王に目をやる
冷静な男。魔導を操る爺。色香を放つ女性。武芸を極めし武人。
有事の際に頼りになるが――強いが故に、人の話を聞かない問題児たちでもある。これもまた魔王の悩みの種の一つ。魔王アルバートン=アル=カイトスはこの百年、外からの侵略者の対応で疲弊している。その中で彼らの存在は負担ともなっているのだ。
魔猫はそんな疲れを滲ませる魔王の顔を見て、まるで親のような顔で告げていた。
『苦労せし者アルバートンよ――我も多少の戯れなら構わぬ。外部からの侵入者が出現した状態であるにもかかわらず、未熟なヒヨッコどもが側近とは。魔王の苦労も一入だろうて。そなたの胃痛に免じて、此度のみは部下の蛮行を許そう』
『お心遣いに感謝を――感謝ついでにご提案があるのですが……よろしいですか』
『言うてみよ』
『我が臣下たちにあなたの素性を語っても?』
魔王が頭を下げていた。
それは衝撃となって謁見の間を動揺させる。誰かが言葉を口にする前に、魔猫が言う。
『構わぬが――こやつらには”種族技能:図書館”に”種族技能:考古学”が足りん。比較的、そういった技能スキルが高いそこのアヌビス族の青年ビスス=アビススに試したが無理であった。どう語ろうとて、今の魔族では理解できんだろうて』
『いえ、一つだけ技能が足らずとも分かる言葉が――ありましょう』
好きにするが良い。
そう言いたげな顔で魔猫はネコの鼻先を、ツンと揺らした。
臣下たちを荘厳な瞳で一瞥し、魔王は告げる。
『聞くがいい――我が臣下、我を崇めし魔の者達よ。もはや理解できたと思うがこのお方は、魔王たる我よりも上位の存在。その名を魔猫イエスタデイ様という。けして無礼は許されぬ。何しろこの方は――我をこの世界に作り出した存在。父上なのだからな』
父上!? と、この場でなければ、誰もが突っ込んでいただろう。
妙な静寂が、生まれる。
新人類も人類と同じく、本当に驚くと言葉が出ない存在なのだろう。
もっとも魔猫にとってもその父上発言は、寝耳に水な発言らしく。慌てて首のモフモフを、ぶぶにゃ!? っと振り返り、眉間に皺を寄せているが。
構わず。
『我の父は一人である、なれど――もし、この世界に誕生させる存在を父と呼ぶのなら、この方も我の父。生まれることなく死ぬはずだった我を、魔力の繭で包み……多くの恩寵をもってこの地に誕生させてくださった御方なのだ。そしてこの方こそが、この世界全ての存在に命を吹き込んだ、父。父たる四星獣と言える存在であろう』
技能がなくとも理解ができる言葉、それこそが父。
四星獣の単語にも覚えがある者がいるようで、あの伝説の……と、額に汗を浮かべている。
無言のざわめき。動揺する魔力波動が発生する中。
魔王の特殊な解釈に、魔猫が苦笑に言葉を乗せていた。
『我が父、のう。殊勝な態度であるが――心が伴っておらんな。アルバートンよ、そなたの父はただ一人。あの御者の男であろうて』
『認知はしてくださらぬと?』
『戯れを言いおって――おぬしが本気でそれを求めるのなら考えなくもないが、そなたの心は決まっておろう。我は過去を顧みる者。同じく過去を眺めつづける者の心を知ることなど、容易い――そなたは、本当にあの御者の男を愛しておったからな。今もなお、汝の心にあるのは孤独。あの者だけが本当の家族なのであるか――』
誰かを思い出しているのだろう。
遠いあの日を見る顔で――。誰かの背中を見る表情で……アルバートン=アル=カイトス。
魔王となり果てた少年は無垢なる顔で言った。
『僕には、愛や友情と言った感情が、結局分からないままでしたから』
寂しそうな微笑だった。
しんと、謁見の間に静寂が走る。
魔猫も白き獣毛の先端をぶるりと膨らませていた。
それは、魔王としてではなく、一人の元人間としての声。
僕、という言葉に深い諦めが滲んでいたのだ。覇者たる魔王の声なのに。その声だけは酷く幼い、まるで十五の少年のような声と口調に思えたのは……おそらく、聞いた者の気のせいではなかっただろう。
魔猫は小さくかぶりを振る。
『哀れな。五百年の時を経ても、いまだにその心を知らぬ――か』
そのまま猫は魔族を見渡し。
『新人類に欠けている感情――その因こそがおぬしであったのだな、アルバートンよ。身内以外の他者を思いやる心を知らぬこと……それこそが魔族となった新人類が抱えた欠点、心の成長を欠いている原因の一つ。やはり全ては我らが与えし恩寵、呪いがきっかけか。強すぎる恩寵がおぬしから人間性を奪ってしまったのだろうて。汝にはすまぬことをした、アルバートン。我らが生み出せし最強にして孤独なる遊戯駒よ』
『それでも、感謝しております。この世界に誕生させてくださったことを――疲れもしますし、悩みもしますが――悪い事ばかりではないのですから』
冷たき美貌帝……。
魔王が、今まで一度も出したことのない声、表情で、ソレと会話をつづけている。
誰もが初めて見る姿であったのだろう。
魔王の声には明らかな親しみがあった。
おそらく魔族達は今、はじめて知ったのだ。皆が確信したのだろう。
魔王という存在、個人の人格を今初めて目の当たりにしているのである。
唯一、本音で語れる存在もこの魔猫だけなのだと。
もっとも、そんな魔猫に無礼を働いていた四天王と。
そして、無礼を働いたことがある様子の猛将マイアの顔は、汗でジトジトとなっているが。
『マイアよ、隠していて済まなかった。一応、最初に語ったのだが、おぬしは理解できていないようであったからな』
「こ、こちらこそ――知らぬことだったとはいえ……その、い、妹の命ばかりはどうか、お許し願えないかと」
『……。魔王の父という肩書は、なかなかどうして大きい効果がありそうであるな。安心せよ、そういった仕返しなど考えてはおらん。まあ外部からの侵入者と接触した可能性のあるその妹とは、一度会う必要があるがな。後で案内せよ』
頭を下げる猛将から目を戻し。
『さて――話を戻すぞアルバートンよ。そなたが我を呼んだ理由も理解できた。本来ならば過度な干渉を避けるべきであろうが、助言ぐらいはしてやろう。まず前提としてだが、我ではおぬしら魔王軍を直接的に助けてやることはできぬ』
『父上……と、仰いますと』
魔王として、父の子だとアピールするアルバートンをジト目で見つつ。
魔猫は敢えてその呼び方には触れず。
『我は良きカルマを持つ者の願いを叶える事に特化しておるからな。あまりにもカルマ値がかけ離れた者の願いを叶える際には、より多くの対価が必要となる。そして残念ながらそなたら新人類たる魔族は、どちらかといえば悪しきカルマが目立っておる。我ではそなたらの願いを叶える前に、対価として、此度の遊戯そのものを代償とし喰らいつくしてしまうだろうて』
それは本末転倒だった。願いの代価に世界を使ってしまうのだから。
賢きアヌビス族の生徒。ビスス=アビススには理解できるようで、肌に汗を浮かべ始めている。それが世界の滅びに繋がると把握しているようだった。
他の者はやはり理解できていない。
『悪しきカルマを持つ者達よ。そなたらが望みを叶えたいのならば、我のように眠っておる筈の四星獣。ナマズ猫ムルジル=ガダンガダン大王を探せ』
『ムルジル大王……を、ですか。父上』
『うむ――ヤツは対価となる金さえあれば、それがどれほどに悪しき者の願いであったとしてもかなえる性質があるからな。そしてヤツの性質も悪しきカルマと近しい。まああくまでもステータス情報においてではあるがな。比較的、悪にも寛容なるあのナマズ猫ならば、元が魔物である汝らの味方もしてくれるだろうて。あと、見捨てたりなどはせぬから、その父上はそろそろ止めよ』
魔王は言質を取ったと言わんばかりの顔をして。
『承知いたしました。しかし、参りましたね、ムルジル=ガダンガダン大王ですか。唯一面識がないので……どういう方なのか、知らないのです。ナウナウ様ではダメなのですか?』
『ヤツは良くも悪くも中立。善でも悪でも構わずどちらの願いも気まぐれで叶える性質があるが……おぬし、幼いころにヤツの弟子であっただろう? ならばその自由気まま過ぎる性質を理解しておる筈。正直、どう転がるか分からんからな。金さえ払えばリスクが極めて低いムルジル大王こそが、汝ら新人類に最適なのだ』
ムルジル大王を探せ。
それが新人類に与えられた、魔猫からの助言であった。
◇
数日後。
自宅で療養していた冒険者のミリーは、来客の気配を察し慌てて着替えを開始した。
病気だから同情されたくない、だから少しだけ厚着の服を着こんで玄関に向かう。
来ていたのは……姉のマイアだった。
「って、お姉ちゃんか。急いで損したじゃない」
「いや、そのすまんな――至急におまえと会う必要ができてしまったもので。入っても構わぬか?」
「そりゃあ、いいけど。なぁに、どうしたのよ……いつもみたいにズカズカ入ってくれば良かったんじゃないの?」
言いながらも出迎えたミリーは、動いた拍子にこみあげてくる咳をかみ殺し。
その視線の端に、ふわふわな猫魔獣を捉えていた。
「あれ? 使い魔を飼ったのね。カワイイネコちゃんじゃない。うふふふふ。あなたお名前は?」
『ふむ、娘よ。名を聞くときはまずは自らが名乗る、それがマナーというものぞ?』
ミリーは、うわぁ……こりゃお姉ちゃんの使い魔だわ。とジト目を作りつつ。
「ごめんなさいね、あたしはミリー。いい年してまだ結婚できていないお姉ちゃんの妹よ。それでお姉ちゃん、今日はいったいどうしたのよ? 来るならくるって先に言ってくれないと困るんだけど……」
「それがその、なんだ。驚かないで聞いてほしいのだが」
「なによ」
ついに結婚相手でも見つけたのか。いや、そういう気配ではない。
ミリーは言葉を待つ。
「少々、事件に巻き込まれてな。それに少しお前が関係している。だが、とりあえず事情を説明する前に、この方への失礼な言動は避けてくれ」
「どういうこと……?」
「言いにくいというか、信じてもらいにくいのだが、この方はイエスタデイ=ワンス=モア様と言ってな、魔王陛下の父君なのだ」
姉の顔は真剣そのもの。
対する魔猫は勝手にズカズカと上がり込んで、既に客用のクッキーの箱を開錠し、ご機嫌で召し上がっている。
机の上に手を置き足を伸ばす姿は、泥棒猫そのものなのだが。
魔猫はニャハっと家主を振り返り、偉そうに言う。
『魔王のパパであるぞ?』
「は……? え、いや、マジなの!?」
姉を振り向くと、心底疲れた顔であの姉が頷いている。
事実、ということだろう。
動揺という簡易状態異常の回避判定ダイスロールが開始され――失敗。
▽冒険者ミリーは混乱した。




