第050話、本当の平和、偽りの平和【国交なき北砦】
【SIDE:人類世界】
ステーキ肉が食べたいなぁと知恵を巡らせる、一匹の弱者。
名もなき悪魔が世界に大きな変化を与えている中。
街を追いだされた少年、アルバートン=アル=カイトスは平穏な日々に戻ろうとしていた。
故郷ともいえる北砦の森の奥。
小さいが温かい我が家に帰宅していたのだ。
「ただいま戻りました~! お父さん! あなたの可愛い息子が帰ってきましたよ~!」
色々と誤解はされてしまったが、魔物もいなくなった自由都市スクルザードは安全な場所となっていた。そもそも少年であり、部外者である彼が魔物を討伐する必要などなかった筈。
だから、戻ってきても特に問題もない。
出迎えた父――。
五十手前の御者の男は帰りの遅かった少年を出迎え、優しい笑顔と同時に苦い皺を鼻梁に刻んでいた。
「アル、やはり帰っていたのか――南の馬車道に巣食う飛竜が、脱兎のごとく逃げて行ったと聞いていたから、そろそろだとは思っていたが――おかえり」
「はい、ただいま戻りました!」
「っと――!」
父の顔を見た少年は満面の笑みで飛びついていた。
父の腕の中では、ウサギのようなふわふわな愛らしい少年が褒めて欲しそうに、上目遣い。
もう十五だが、まだ子供っぽいところがやはり残っていると父は思う。
「アル、気配を消したまま抱き着いてくるのは、そのなんだ、心臓に悪いからやめてくれって言ってるだろう……? 父さんはお前みたいに気配察知スキルを持っていないから。ビックリするんだよ」
「えーと、紛争地帯を通り過ぎる時に、大砲で撃たれた痛い思い出を思い出すから、でしたっけ?」
「口にするのはやめてくれ……、父さん、あの時は本当に死んだかと思ったからな――」
うげぇっとあの時の傷を思い出し、御者の男はげんなりとした顔を見せる。
「あはは……はは。すみません。気配遮断をするつもりはなかったんですけど、実はその、スクルザードでちょっと色々ありまして、しばらく潜伏状態を維持するのが癖になっていたみたいで」
「色々ってお前、またなにかやらかしたのか?」
御者の父は、心配そうに言う。
「んー、大したことじゃないんですがちょっと失敗しちゃいまして。都会って怖い所ですね」
「大したことないって、ちゃんと何があったのか説明しなさい」
「えーと……怒らないで聞いてくださいね?」
いい子で元気な少年、アルバートン=アル=カイトスは包み隠さずに父に説明する。
父の顔は青ざめ動揺しているが、落ち着いている。その理由は簡単だ。もう一度や二度ではないからである。
苦労を知る顔を手で覆い、親としての声が漏れる。
「お姫様暗殺疑惑って、おまえなあ――」
「でも誤解ですし」
「なら、どうしてもっと早く帰ってこなかったんだ。父さんと約束したよな? そういう、大きな事件に巻き込まれる前に帰ってきなさいって。確かに、街に魔物が転移してきていたのは脅威だが、それは街の衛兵がどうにかしてくれるだろう? 部外者のおまえが出て行っても、その、迷惑になるだろうっ」
父の顔は強張っていた。声にも説教の気配が乗っていた。けれど愛情にあふれていた。
心配だから、声が震えてしまう。
それが少年にも理解できていたのだろう。
「心配をかけてごめんなさい。けれど、言い訳をさせて下さい。一つ目神話巨人とか、僕じゃ無ければ勝てない敵もいましたし」
「だからって、おまえが犯罪者みたいに言われてまで、知らない街を助ける必要なんてないだろう。そりゃあ、人助けは良い事なんだろうがな、父さんは、お前が大事だよ。心配なんだ。力があるからってなにかをしないといけないわけじゃない。普通に生きればいいじゃないか」
「それでも、後悔するよりはいいかと思って――すみません。でも、ほら、こうして追い出されちゃいましたし。もう魔物は湧いていなかったですから、全部解決したんじゃないですか?」
御者の男は思う。
この子の行動理念はもう既に分かっていた。
それは――目の前で困っている人を見捨てられない、そして助けたいと思う願望。
この子はいつだってそうだったと、苦労を知る父は思う。
五歳で既に大人顔負けの魔力があった。六歳の頃には公国一の貴族、つまり王に等しい貴族の一人娘の病を回復魔術で治療してみせた。七歳の頃にはダンジョン塔中層のエリアボスを滅ぼし、八歳の頃には人類未踏とされていたダンジョン上層の攻略を開始していた。
ギルドに登録できるのは十五歳から、だから、それを知っている者はほとんどいない。
アルバートンと出逢った者は、特に、大物ほど我が子に呪いのような言葉を告げる。
君はきっと、とてつもない英雄になる――と。
全てが規格外だったのだ。
やはり、どうしても南に行ってみたいと願う息子の頼みを、ちゃんと親として断っておくべきだった。
父は事件に巻き込まれた息子を眺め、そう思っていた。
もう十五なのに過保護だとは分かっている。けれど――心配なのだ。
「怒っているわけじゃないんだ……」
「はい。お父さんは僕の事が心配で心配で。いつも胃を痛めているぐらいですからね!」
分かっているのなら、もう少し……。
そう言おうとした父の口と目が、止まる。見覚えのある装備が、目に映ったからだった。
「アル――その赤い短刀は、どうしたんだい」
「えーと、色々あって街のヒーラー魔猫の方から頂いたんです」
「どんなネコだったか、覚えているかい」
「ふわふわの白い毛布にココアを零したような模様の、なにか偉そうな魔猫の方でしたけど。お父さん? どうかしたんですか?」
その短刀は間違いなく、怪奇と呼ばれたスカーマン=ダイナックが装備していた短刀の一つ。
荷物を運ぶことを生業としている御者の男には見えていた。
呪われし短刀の名は”切り裂きジェーン”。
そして、それを渡した猫の正体も――彼には見当がついていた。
「いや、なんでもない。大丈夫だよ。少し、息が切れただけだ」
時はきた。
そう言いたげに、赤き短刀が輝きを放っている。
かつて少年の母親だった殺戮者が装備していた短刀を眺め、息子を愛し、案じる父は天に祈りを捧げていた。
どうか、息子を御守りください――と。
それは良きカルマを溜めた、善良なる人類の純粋なる願い。
そう、御者の男は十五年を正しく生きていた。誰に恥じることなく、まっとうに。
だからこそだろう。
良きカルマに満ちた祈りは、力ある願いとなる。もし人類からの願いを叶える性質のある神が存在するのなら、それはきっと、肉球の届く範囲にまで飛んだのだろう。
どこか遠くで、仕方ないのう……と、魔猫の鳴く声がした。
◇
時を同じくして、自由都市スクルザード。
邪魔者を次々と追放し平和となった地では、一つの騒動が起こり始めていた。
堕ちた騎士が集いし魔境ズムニ。その代表たる暗黒騎士、アルバートン少年と対峙し実力差を思い知ったクローディアは、とある考えに至っていた。
今のこの街はなにかが、おかしいと。
この瞬間だけ、クローディアは魔境ズムニの代表ではない。
鎧を外し、兜を外し。金に輝く長い髪を靡かせ――美麗なお嬢様顔を晒していたのだ。
あの暗黒騎士の姿からは想像できない、完璧なお嬢様がそこに存在したのである。仰々しい暗黒騎士の装備をしていると誤解するモノばかりであるが、彼女は立派な女性騎士。
そう、これはお忍びというやつだった。
まず彼女は魔道具屋に立ち寄った。
背の高い金髪の令嬢が、凛と告げる。
「すまないが、店主。回復薬ポーションを見たいのだが――」
「ああ、すみません。現在、品切れを起こしておりまして。あるにはあるのですが……かなりお高くなりますよ?」
「そうか。値段を確認させて貰っても?」
店主は困った顔で言う。
「――……とまあ、こんな値段となっておりまして」
「どういうことだ。確かに買えぬ値段ではないが……一流の剣に等しき価格ではないか」
「消耗品にこんな金を出す奇特な客はいない。ええ、そうでしょう。そうでしょう。だからウチも困っておりましてね」
「値段を下げればいいではないか」
「それが、これでもほぼ仕入れ値と同じなんですよ」
クローディアは考える。
前にも一度、回復薬の値段が吊り上がったことがあったと思い出していたのだ。
「誰かが独占し、値段でも吊り上げているのか?」
「いえ、そうではないのですよお嬢さん。少し、言いにくい事なのですが……」
「口外はせぬ」
「実は、いままではウィルドリアの街が大量に、安価で回復薬を卸してくれていたのですが――ほら、あの街の者は全員、凶悪犯を庇ったとかで、追放されてしまったでしょう? しばらくは在庫が残っていたので、前の値段で販売できていたのですが――今は供給がほぼ皆無」
「なるほどな。たしかに、ウィルドリアは天才で英雄のドググ=ラググが所属している地。彼らの技術が消えてしまったら、供給も滞る……か」
クローディアは考える。
「しかし、技術は開示されているだろう? 錬金術師ドググ=ラググは無欲ゆえ、十五年前に全てのレシピを明かし、その権利も放棄。全ギルドに配布したと聞く。同じものを作れば良いだけであろう」
「失礼ながらお嬢さんは何も分かっちゃいませんね。安価だったのはドググ=ラググの仲間や教え子たちが、怪我人を減らしてやりたいってんで、修行や鍛錬で作った回復薬を全部、原価に近い値で提供してくれていたからなんですよ。けれどウィルドリアの街は去ってしまった。そもそもあの技術は高度な錬金術師でないと扱えない、結構難しいレシピでしたからね。ほら、あっしも試してみたんですが――」
店主が指さす店の奥には、失敗した回復薬の山がある。
「なるほど。供給がほぼ途絶えてしまっているという事か――」
「まったく、上の連中は何を考えてるんでしょうかねえ。あのウィルドリアを切るなんて」
「ワタシも反対したのだがな、仕方あるまい」
そう、少年が宗教国家ペイガの姫を暗殺したのは事実。
それを、死体は偽物だと庇ったのだ。
排斥される理由としては十分だった。
「はははは、お嬢さんが反対したって、上の連中が決めたことだ。仕方ねえだろうよ」
「そうであったな」
「あっしらも、そろそろ本格的に店じまいにでもして、まともに商売ができるウィルドリアに向かおうかって、話し合ってましてね。お嬢さんも見切りをつけるのなら早い方がいいですよ? 商人の勘ですが、たぶん、もうこの街はダメでしょうな」
店主は不吉な言葉を残し、店の奥へと戻っていく。
金髪令嬢に扮するクローディアは、情報料代わりに一本だけ回復薬を購入し店を出た。
そのまま彼女は、平和な街を歩く。
次に向かったのは、回復を執り行っていた寺院だった。
クローディアは言う。
「廃業するだと!?」
「え、ええ。あまり大きな声では言えないのですが……ウチらも街を撤退するつもりなんですわ」
寺院の糸目な女性僧侶が、後片付けをしながら答えているのだが。
クローディアは怪訝な顔をするばかり。
「不躾な質問で申し訳ないが、なにかあったのか?」
「まあ、気にせんとってください。よくあることでしょうしなあ」
僧侶はにっこりと笑顔だが、一見さんに話す義理はないとの態度がはっきりと覗いている。
クローディアは僧侶に金を握らせる。
すると態度を変えて、僧侶はにっこりと本物の笑顔で言う。
「まあ! こりゃあ催促したみたいで、ほんに、すんまへんなあ」
「なにがあったのか、聞かせて貰って構わぬな?」
「ええ、ええ。実は、ウチの寺院は僧侶のみんなで治療をしていたってことになってましたが、ほら、治療って魔力をだいぶ使いはりますやろ? だから、ちゃんとした治療となると、せいぜいが僧侶一人に患者が二人程度なんですわあ。でも、今まではほら、街に棲みついているヒーラー魔猫様がいっぱいゴロゴロしてはりましたやろ? あん方たちに頭を下げて、ちゃんとグルメを提供して、治してください、お願いしますぅ! って、治療代行をお願いしてたんですわあ」
話が見えてきたクローディアが、眉間にシワを寄せ。
「なるほど、ヒーラー魔猫は幼女教皇マギと共にヴェルザの街へ帰ってしまった。だから、まともに商売が続けられなくなったと」
「そういうことやんなあ。ウチらも一応僧侶ですから? 表立っては言えまへんが、ほんに上の方々は何を考えておりますやら。ヴェルザの街の幼女教皇様いうたら、ちょろババで有名ですのに。本当に困っていたら、絶対に助けてくだはりますし、なによりもヒーラー魔猫に懐かれとったでしょう? それなのに、ちゃんと話も聞かずに追い出してまうなんて……」
目の前の金髪令嬢が、共同出資者の代表の一人とは思っていないのだろう。
僧侶は歯に衣着せぬ言葉で、語っていた。
クローディアは店を眺め言う。
「それで、店じまいの支度をしているようだが――お前たちはどこに行くつもりなのだ?」
「決まってはりますやん。ヴェルザの街ですよ、ヴェルザの街。ウチら自分らの修行不足を痛感したんで、あの地のヒーラー魔猫様に土下座して、回復魔術を教えてもらおうと思うてるんですよ。お嬢さんも、早く見切りをつけた方がよろしいと思いますよ? 商人系僧侶の勘なんですけどね? この街、もうあかんですわ」
損得勘定が得意な商売人が、泥船から去るように街を離れていく。
冒険者としての経験もあるクローディアはこの時、ようやく気が付いた。
この街から、回復手段が絶たれつつあるという事に。
もしそれが、悪意ある何者かの計略だったとしたら。
普段兜に身を包む暗黒騎士は、ぞっと背筋を震わせる。
街は一見すると穏やかだが、やはり何かがおかしかった。
少年が何度も目撃されていた市場周辺。
街を彩るその門から、執事服の羊悪魔が顕現し、そしてすぐに消えたと情報が入ったのは――彼女が共同大使館に帰還した時の事だった。
偽りの平和の中、低級モブ悪魔は着実にステーキ肉を噛み噛み、はふはふ。
弱者としての戦い方で、街を侵食し始めていた。




