第029話、成れ果ての血肉【エリア不明】
※本話には一部、人によっては不快に思われる表現がございます。ご注意ください。
【SIDE:エリクシール強奪者】
悪路を進む馬車の中。
ガタリガタリと揺れる赤黒い模様の荷台。
盗撮用の水晶球を割られた女は、チィっと唇を噛み叫んでいた。
「はぁ、マジかよ! 阿呆みたいに高ぇ魔道具だったのに、壊れやがった!」
怒りをあらわにする女の名はダイナック。
通り名はスカーマン。女であるが、傷皮膚男。スカーマン=ダイナックを自称している、このウィルドリア大陸でそれなりに有名な女性だった。
名の由来は簡単だ、その皮膚が傷だらけだったのである。
凸凹に歪んだ身体部分の皮膚だけではなく、顔にまで消えることのない無数の刀傷の跡が飾っている。
だからスカーマン。
この女もまた。今回の騒動の関係者。
彼女はドググ=ラググが被害に遭った、あの船に乗っていた。
いや、首謀者であったと言っても過言ではないだろう。
馬車を操る御者に向かい、女は桐の箱の開錠を手探りで開始しながら言う。
「なあ、おっさん! あんた鍵開けスキルは持ってねえのか?」
「い、いえ……」
三十過ぎの、武骨そうな御者の声は風に流れ消えていく。
「ち、まあいいや。今はファッキン女王のダンジョン大規模遠征作戦で、人がたんまり集まってきてるって話だからなぁ。こんくらいの鍵を開けられる奴も、そのうち捕まるだろ。っつかだ。あーあ、あのバカな船員どもを扇動して、糞リザードマンを殺させてログを保存、あいつらのせいにしてお宝を回収、パンダ野郎を煽って全部海に消させて――オレ様の足はつかない。無罪放免、いいとこどり! の筈だったんだがなぁ……まさか”あの”ヴェルザの街のヒーラー魔猫がついてたなんて、オレ様もついてねえよなあ?」
スカーマン=ダイナックの言葉に反応はない。
「聞いてんのか!」
「わ、わたしですか!?」
「てめえしかいねえだろう、馬のおっさん……まさか、てめえ以外の”他の誰か”が見えてるってか?」
意味深に嗤うスカーマン。
その言葉の意味を知っている御者は、ごくりと喉を上下させていた。
おそらく他大陸からやってきたものだとしても、彼女、スカーマン=ダイナックとしばらく共にいれば、その本質がすぐに見えてくるだろう。
女が有名なのはその傷跡が目立つから。
ではない。
御者の怯え切った顔を見れば理由が分かる。
ガタガタと揺れる歯。血の色に染まった肌。馬を操る御者は涙と声を堪えながら、祈っている。
おそらく自分の身の安全だろう。
最後の一人となった彼が誰に、何を祈っているのか。それがスカーマン=ダイナックの興味を引いたのだろう。後ろで桐の箱を大量に抱えていた傷跡女が言う。
「おうおう、どうしたんだよ大将?」
一瞬で、女の体が馬を操る御者台に移っていた。
上級冒険者をも殺せる腕だと察せられる。
やはり腕まで傷跡だらけの女の指が、男の震える赤い腿に伸びる。
「ひぃ……っ、も、お願いです。もぅ、刺さないで……っ、刺さないでください」
「ぶはははははは! おまえ、面白いな! たりめえだろう! これ以上刺したらてめえは死んじまう。死んじまったら馬を操る奴隷がいなくなる。そりゃあ、おい。オレの損失だろう? 損だろう? だから、殺さねえよ。刺さねえよ。なあ、ふつうそれくらい分かるだろう? 頭をぶち抜かれたてめえの同僚とは違うんだ、もうちょっとしっかりしろよな、おい」
言った瞬間には、既に女は後ろの荷台に戻っていた。
転移魔術に近い程の俊足にみえた。
実際には”ハイエナの微笑”という短距離任意座標に移動できるスキルを使用していたのだが。レアなスキルなので、それを知る者はほとんどいない。
さきほどまですぐ耳元にいたのに、そんな疑問が御者を振り返らせたのだろう。
怯える御者の瞳にあったのは。
無数の躯。
スカーマン=ダイナックは御者に馬車を操らせ、殺したい人間を発見するたびに、殺して荷台に積んでいるのだ。
御者の体にも既に無数の短刀が刺さっている。
ただ、そこから流れる血は固まっていた。
それは相手に苦痛を与えると同時に失血死を避ける、外道の技。
そう、スカーマン=ダイナックの職業は冒険者殺し。
パニッシャー。
カルマがマイナスに振り切った、悪人であった。
「脳は刺してねえんだ。一緒に、あのトカゲと魔猫の殺し方をてめえも考えろよ! 目撃者を殺し損ねたなんて初めてなんだよ! なあ、聞いてんのか!?」
「は、はい! だから、痛いから、もう、刺さないでくれっ」
怯えの叫びにスカーマン=ダイナックは大笑い。
犠牲者たる御者はそんな悪魔に捕まった。
その時点で、もはや運命は決まっているだろう。
スカーマン=ダイナックに捕まったものは、さんざん振り回され、最後に無惨に刻まれ殺される。
傷皮膚男。
それこそが実在する、ウィルドリアの怪奇の一つである。
強奪者の旅は続く。
◇
男が捕まり二日目の夜。
まだ馬車の旅は終わっていない。
怯えながらも指示通りに馬を操る御者。彼が運んでいるのは、スカーマン=ダイナックが海に浮かんでいた船員を皆殺しにして奪ったという、桐の箱の群れ。
その中身こそが、問題の種。
今回の騒動の中心となるアイテム。
とある魔猫が生み出せし秘薬、エリクシール。
スカーマン=ダイナックは御者の頭を遠隔操作ナイフでペチペチ叩きながら上機嫌。
殺さぬナイフで拷問された男が、良い解決策を提案したからだった。
「いやあ、やっぱ一人じゃダメだな。それにしてもてめえも悪人の才能があるんじゃねえか、大将よ。ログを書き換えて蜥蜴と魔猫が船を沈めた犯人だってことにするたぁ。悪人のオレだって考えなかったぜ? てか、どこでログの書き換えなんてやべえ知識手に入れたんだ? ああ?」
「あ、あの……ど、同僚が、たまに、馬車のログを書き換えて……っ、に、荷物を、横流ししてたので」
「ああ、頭がふっとんでるこいつか。同僚の技を盗んでるたあ、やるじゃねえか!」
殺戮者の女は本当に上機嫌だった。
鬱血にも似た目の下のクマを虚ろに輝かせ、ぎひりと笑顔を作っている。
「あいつらが船に乗ってたのは事実だからなあ、そして生き残ったのも事実。そりゃあおかしいってなるから、こりゃ、簡単だな」
「く、国を、騙すのですか……っ」
「んな渋い顔すんなって! いやあ、おまえさん、凄いぜ? なんたって、もう二日もオレに殺されないでいるんだ。新記録ってわけじゃねえが、結構な長さだ。ったく、一人旅ってのは退屈なんだぜ? だからだ、てめえみたいな能無し人間を殺さず、生かして、一緒に連れて行ってやってるっていうのに。おう、そうだ。お近づきのしるしに、次の獲物は、おっさんに殺させてやろうか!」
「そ、そんなこと、言われましてもっ」
「おういいねえ、怯えた顔。最高だ。そこの木陰。いや、もう少し奥の森の手前でいい、止めな」
命令に従わないと、すぐに殺される。
いや、それ以上の目に遭わされる。
既に身に刺さった刃物で御者の男はそれを知っていた。
だから従い、男はスキルを使い馬を止める。
手綱に魔力が通される。
馬車が完全に止まったことを確認すると、スカーマン=ダイナックは御者を荷台へと引き寄せた。
桐の箱を叩きながら、殺戮者が言う。
「これの中身、知ってるか? エリクシールだってよ、エリクシール! あのなんでも治せる神の秘薬だ!」
「そ、そうなんですか……あの、それで、いったい」
「なんで連れ込んだのかって? そりゃあ殺すため――なわけねえだろう。おめえ、空気読めよな。空気をよぉ!」
女は刃物が無数に刺さった御者の身体に枝垂れかかる。
闇の中で、シルエットが重なっていた。
「なにを……っ」
「楽しませてくれたら後で痛くないように殺してやるさ。つまらなかったら、痛めつけて殺してやる。糞みたいなアレだったら、死ぬぎりぎりまで嬲って、穢して、四肢でも捥いで生かしたまま路上に晒しといてやるさ」
――だから、精々頑張りな。
震える男の腰を叩き言って、女は男の耳朶に生暖かい声をかけた。
そう。
スカーマン=ダイナックは狂っていた。
だが、狂っていながらも――その肢体には悍ましい程の、妙な色があった。
鮮やかなのだ。口に入れてはいけない毒蜜のような、甘ったるい暗澹とした魅力が滲んでいたのだ。
目が離せなかったのだろう。
狼狽する男の視線は殺戮者の傷跡を追い、そしてその位置に気が付いた。
全て、同じ位置を自分も刺されている。
「汚い身体だろう? だがな、これでも娼婦の母さんの更に娼婦だった母さんの、そのまた娼婦の母さんの種馬ってのが、王族だったらしいぜ? よく知らねえけどな。つまりだ、てめえはこんなところで王族様を味わえるってわけだ。生きててよかったな――おっさん」
王族の血のなれの果て。
たしかに、女には妙な魅力があった。
それは血の中に刻まれた支配者としてのカリスマだったのだろうか。
そんな女が、じっと自分を眺めている。
どうせ殺されるなら。
そんな恐怖が、男の理性を崩していた。
だから、死にかけだった男は、それでもごくりと唾を飲み込んだのだろう。
吐息が、狂人の肌に掛かる髪を揺らした。
「ほ、本当に、痛くないように、こ、殺してくれるんだな」
「ひゃはは! おっさんが変態で安心したぜ」
泥の中へと誘うように。
女が言う。
「最後ぐらい、楽しみな。約束だけは守ってやるさ」
ジジジジジ。
放置してある死体に、蠅が群がり始める。
森の近くだからだろう。
蛆を生みつけようと、その羽が揺れる。
亡骸の群れ。
乾いた瞳と桐の箱が並ぶ空間。
森の奥では、鬱蒼とした樹々が荒々しく揺れていた。
◇
あの船の生き残りだと名乗る御者の男。
身分もはっきりとしていた男から出されたログは、直ちに王宮へと運ばれた。
錬金術師のリザードマン、ドググ=ラググ。
及び、その連れの魔猫があの嵐の日、船員を惨殺したと指名手配されたのは、一週間後の出来事だった。




