第171話、最終決戦―再戦、神たるケモノが吠える時―【静謐の祭壇】
【SIDE:イエスタデイ=ワンス=モア】
いつもの悪夢の中。終わらぬ闇の中を揺蕩っていると、声が聞こえてきた。
友の声だった。
静謐の空間。瞳を開けるとそこにはナマズの頭がある。
『ムルジル大王か……』
『イエスタデイよ、おそらく次の襲撃こそが最後の戦いとなろう。本当に、良いのか? 余はおぬしの答えと結論に従う。従うが、心情としては――反対だ』
『ということは――ふふ、そうか。あやつら、我を倒す術と手段、戦力を整う事ができたのだな』
イエスタデイ=ワンス=モアは鎌首を擡げ、ケモノの瞳を赤く輝かせる。
ムルジル大王が短い手でモキュっとナマズ帽子を外し。
中途半端に折れた耳を覗かせ口を開く。
『余は汝の救いの手に最大級の感謝の念をいだいておる。この……人に不要と蔑まれた耳、余の恥辱に満ちたコンプレックスを自然に隠す術を授けてくれたおぬしに、とても、感謝しておるのだ。余は心からの友と思っておる。過去も今も、これからも――未来永劫においてその理だけはけして変わらぬ』
『そうか、それはありがたい言葉であるな』
『もうあの頃の、陽気でおだやかなおぬしには戻れぬのか? 余と出会ったあの頃のような、おぬしには……。余との旅や遊びだけではない。人間たちを駒と認識し介入し、冒険者殺しダインらの狼藉を窘め――時に人間を気まぐれに癒し、その恵みの対価としてグルメを奉納される。あれも、おぬしにとっては大事な日々。思い出――穏やかな日々であったのだろう?』
盤上遊戯の思い出が静謐の中に浮かび上がってくる。
帽子をかぶり直し、大王は丸い猫の口を蠢かす。
『今からでも人間や魔族達と話し合い、この世界を存続させることとて可能な筈。イエスタデイよ、友よ――余はおぬしを失いたくないのだ』
あの日に帰りたいと願う魔猫が二匹。
未来を司る大王が、あの日に帰れないかと過去に問う。
しかしイエスタデイは絶望と望郷を吼えるケモノとなった姿で、首を横に振る。
『もはや我にも我は止められん』
『感情の暴走。魔性化……か』
『クローディアを経由して伝えよ、児戯は終わりだ。次は容赦せん――我は我自らで硬化した主の魂を解き放つ、状態異常回復の儀式を終わらせる。此度の戦いが最後と心せよとな』
決意は固い。
そう悟ったのだろう。
大王が言う。
『もし人々が滅びることとなっても、その先がある――冥界神は既に我らの世界の命を気に入っている。モノのついでだ、余も冥府へと同行し我らの子らを見守ろうて。故にだ、おぬしが手塩にかけて育てた命たちとて、手心を加える必要はない。それに、もはやこの盤上遊戯も長く続いた世界。いずれ終わりもこよう。それが早いか遅いか、それだけの差に過ぎぬ。余もまた、ナウナウとネコヤナギと共にこの戦いの行く末、世界の顛末を眺めることとしよう』
『苦労を掛けるな、友よ』
『創造主への反逆。余もその結末が見たい。それだけの話だ、それだけのな――』
静謐の中にムルジル大王の記憶も浮かんでくる。
大王は創造主たるブリーダーを恨んでいた。
怨嗟していた、嫌悪していた。
良き育て屋もいるのだろう、自らが作り出した命を愛するブリーダーも中には存在するのだろう。だが、大王の創造主はそうではなかった。
『始まるそうだ――余はどのような結末を迎えようとも汝の味方だ、友よ……』
ムルジル大王の気配が消えていく。
同時に、扉が開かれた。
悪夢へと向かい降る階段の下、硬化した主人と自分の肉体の前で、黒い靄に身を包むイエスタデイ=ワンス=モアは立ち上がる。
全ての準備は整ったのだろう。
偵察用の不老不死能力者ではなく、そこには全員が揃っていた。
目線の先には、今を生きる命たちがいるのだ。
人間に魔族に獣神。
他にも様々な種族がいる。
想定の範囲内であるが――想定の範囲外の者達もそこにいた。
どうしたことか、魔猫まで相手側についている。
神たるイエスタデイが問う。
『我が眷属らよ。汝らが何故そちらにいる』
魔猫達は言う。
『聞くがいいニャ。我が主よ、全ての猫の王。全ての命の神よ』
『ニャーたちはヴェルザで五百年以上もの時を過ごしたニャ』
『もはや盤上遊戯は我らの巣ニャ』
『レイニザード帝国も我らにとって過ごしやすいパラダイスニャ』
『魔王領とやらも、この戦いの後に我らが占拠してよいと、魔王は言ったニャ』
魔猫達が神たるイエスタデイを見上げて言う。
『それに――』
『我らが主人よ。あなたの本当の望みはどちらなのか』
『あの日に帰るか、あるいは今を生きるか、未来に命をつなぐか――』
『ニャー達にも判断できにゃいニャ』
『故にこそ、我等は動くことができなかったニャ。なれど』
魔猫達が言う。
『ヴェルザの街の者達は、あの日の約束を守っていたニャ』
『我ら魔猫を恒久的に崇めるという、あの日の約束を』
『我らは共に過ごしたニャ』
『我らは人間を群れと認めるニャ』
『神よ、あにゃたが駒達に情を抱いたように、我等もまた、こいつりゃを少し、気に入ったのニャ』
祈祷用の玉串を装備し、魔猫達がグルメでべちょべちょになった口を開き。
キリリと魔猫の王を睨む。
今を生きる命を気に入った――そのような理由も多少はあるだろうが。結局は賄賂で買収されたのだと、見て分かる。
しかしイエスタデイ=ワンス=モアは訝しみ――。
『そのまま外の世界に出られる汝ら魔猫が、かつてのゲームの勝利者たちが、あるいはネコとしての魂に戻った転生者たちが、輪廻の輪から外れた上位存在たる最高種族ネコが――なにゆえそのような面倒なことをする。おまえたちは魔猫。面倒なことを嫌い、ダラダラとしたその日暮らしを是とし、契約など知らんとそっぽを向く。それが我ら魔猫の性質。それがなにゆえ、なにゆえ――本気となって駒達につく』
イエスタデイ=ワンス=モアには理解ができなかった。
魔猫が本気で主人に歯向かう理由。
それはヴェルザの街で過ごした日々だけでは足りない。
たとえ――かつて羊飼いであった主が、神に命じられて育てていた”羊の魂の果てにある存在”、特殊個体《饕餮ヒツジ》が生み出したグルメだけでも覆らない筈。
魔猫は強く賢い。
だからこそ、主神イエスタデイ=ワンス=モアの本当の力とて、その片鱗を理解している筈。
ならば、なにゆえ。
悩むイエスタデイ=ワンス=モアの耳が揺れる。
かつて五百年よりももっと前、千年の時を遡った時代に出会った少女。
幼女教皇マギが言う。
「今のぬしには分からぬのか? 神よ、なぜ、魔猫達が妾らに協力してくれる気になったのか」
『マギよ……我の戯れがその命を狂わせてしまった、永遠なる孤独を知るモノよ。いったい、なにをした。なにが魔猫達を味方につける因となった』
「決まっておろう、あの日と同じじゃ――」
マギはヴェルザの街の騒動を思い出しているのだろう。
自らが育てた王の暴走と、その顛末。
魔猫をよく知る、この世界でもっとも長く生き、魔猫と過ごした人間が言う。
「ヒーラー魔猫に土下座せよ――妾はそう、皆に命じたのじゃ」
『土下座だと? ふざけておるのか?』
「ふざけてなどおらぬ。開幕土下座……魔猫達の心を動かすには、これしかなかったのじゃ。心からの救いを願い、救済を求め、土下座し頼む事。この世界が大好きだから、まだ失いたくないと……そう願った、それだけじゃ。妾は知っておる――魔猫はこう見えて紳士じゃからな、よもや幼女に土下座されて断る狭量なる者は、おるまい?」
もはや理解はできない。
かつての自分ならば、愉快に笑ったのだろうか。
してやられたと褒めたのだろうか。
だが。
もはや分からなかった。
共に笑った日々が、かすれていた。
眷属たる魔猫達が見上げていた。
かつてのあの日の主人に戻って欲しいと。
命を救いあげていた、愉快な魔猫イエスタデイに戻って欲しいと。
『そうか、魔猫達よ――汝らが自分の意志でそちらについたのならばそれもいい』
「神よ……妾らは――」
『もはや問答は要らぬ――言葉で我は止められぬ! さあ、我を止めてみよ! 命ある者達よ、我はイエスタデイ。イエスタデイ=ワンス=モア! 四星獣の長にして、汝ら全ての駒の創造主! 永遠の悪夢を見続けるケモノ。望郷と絶望、そして憎悪の魔性なり!』
赤い瞳が、絶望と憎悪の色で歪んでいく。
もはや躊躇はしない。
児戯は終わり――。
この場で決着をつける。
神たる魔猫は駒達への決別を告げるべく、開幕本気の一撃を放っていた。
咆哮による全属性を含んだ不可避の魔力が、戦場フィールド全範囲を攻撃。
其れは――ただの啼き声ではなく、攻撃だった。
神の本気の一撃が――人間たちの半分を吹き飛ばしていた。
その筈だったのだが。
煙の中で――命の多くが輝いている。
その中でも最たる輝きを持つ魂、英雄アキレスが口から血を噴き出しながら吠えていた。
「おっと、させねえぜ!」
『ダメージの肩代わりか、小癪な真似を――』
多くの命が生きている。
主神イエスタデイ=ワンス=モアの目線の先に、何かが見えた。
光だ――。
煌々とした光が、なぜかフィールドを照らしている。
本来なら戦いが始まると同時に閉まる筈の扉が、開いたままになっているのだろう。
人間たちは扉をあえて固定したまま、閉じないように魔術を使っている。
『我が咆哮の範囲をそらすため、フィールドを拡張させたか――』
静謐の祭壇に届く光の奥では――人間と魔族の共同部隊。
魔族と人間の僧侶と魔術師が、大規模な防御儀式を展開している。
その後ろには聖歌隊や吟遊詩人、踊り子などが補助効果のある舞踊を披露し続ける。
全員が全員、終焉スキル保持者の生み出した装備をしている。
補助要員の補助効果を大幅に引き上げているのだろう。
それが倍々ゲームとなって、最前線の静謐の祭壇に立っている者たちの耐久度を上げている。
しかしいくらダメージを減らしても、神の本気の一撃は防げない。
簡単に人は死ぬ。
それを覆すのは、英雄の耐久力――なんらかのスキルで、全て不老不死たるアキレスがダメージを肩代わりしている。
だが本来ならそれも問題なのだ。
広範囲にいる仲間のダメージを肩代わりするのは無謀。
即死級の攻撃となる。
だが。
『うんにゃら、ぶにゃぶにゃ、ぶにゃにゃ、んーにゃ!』
『治れ~、治れ~♪』
『我らが未来のグルメのため、英雄を癒すのニャ~♪』
ふわふわな尻尾が揺れている。
もふもふなダンスが、奇跡の力で空間を満たしている。
魔猫達の回復の祈祷が、全ての傷を瞬時に治療しているのだ。
『ムルジル大王の心配も、あながち的外れではなかったという事だな。ぶぶぶぶ、ぶにゃはははははは! 我を滅してみよ! 命ある者達よ!』
本気で戦っていい。
そう気づいた神たる魔猫は、魔法陣を展開する。
最後の戦いは始まった。
イエスタデイ=ワンス=モアは悟っていた。
今を生きる命たちは、まだ多くの策を残している――と。




