第164話、アドミニストレータ ―魂の管理者―【転移空間】
【SIDE:魔兄レイヴァン】
四星獣と外なる神の戦い。
かつて神を信じたために苦しんだ友のため、常に強くあり続けたパンダと外来種の前。
少女は突然顕現した。
そこにいたのは銀の髪と赤い靴が特徴的な美少女。
ふわりとした印象だが、その内なる魔力は絶大。
魔王アルバートン=アル=カイトスを幼くし、悪戯そうな女の子にしたような――いや、彼の人離れした造形美の元となっただろう神がそこに在ったのだ。
神喰らいを目論むパンダを瞳で牽制しながらも、冥界神レイヴァンは唇で少女に告げていた。
『その気配、その魔力――この世界の管理者。たしか……異聞禁書ネコヤナギ、だったか』
『あら、あらららら、困ったのよ、酷いのよ。そうよ。ちょっと残念だわ。いいえ、とっても残念だわ。せっかく名乗り上げも考えてきたのに……あたしから名乗るつもりだったのに、分かっちゃったのかしら?』
困ったと言いながらも、少女神はくすりと笑んでいる。
神秘的な美少女の微笑にあるのは、やはり悪戯少女の顔。
余裕の色が見え隠れしているのだ。
『お嬢ちゃんからはこの外道パンダとは別ベクトルの強者の香りがしやがる。それも、ルールや法則を書き換え自分に優位な状況を生み出し強制する――相手の権能を封印しながらの戦い方を得意とする、アホほどに厄介な権能の香りがな。で、この盤上遊戯の中で、ルールを押し付けてくる神性といえば管理者しかいねえだろうからな』
『ふふふふ、あなたのことは大魔王ケトスから聞いているわ。怖い顔をした冥府の貴公子、レイヴァン=ルーン=クリストフ。善でも悪でもない黎明の神々の一柱。けれど、その性質はそれなりにお節介でお人好し、あの猫が言っていた通りなのね』
大魔王ケトスの名を出した瞬間に、冥界神レイヴァンは眉を僅かに跳ね上げていた。
その動揺を覗き込んだ少女は、慇懃なしぐさでスカートの裾をつまんで。
『初めまして、ではないのかもしれないのね。でも、あたし達の世界では初めまして冥界神様。あたしはネコヤナギ。異聞禁書ネコヤナギ。どうかよろしくして下さいまし。なーんて、どうかしら? ちょっとは様になっていたかしら?』
挨拶が終わった途端。くすすすすっと、ネコヤナギは口元におっとりと拳をあてていた。
が――。
猫のしっぽのような魔猫の花たちの輪唱はない。
冥界神が少女の背後に目をやった。
そこには無数の植物が、ざぁぁぁぁぁぁぁぁっと音を鳴らしている。
ネコヤナギの背後に浮かぶ神樹の魂である。
注目すべきは、世界を覆うほどに巨大な神樹の枝にあるだろう。
この世界の記録を吸って無数に枝分かれした樹木には、びっしりと、ソレがいた。ウニャウニャ。にやにや。ソレがチェシャ猫のように暗闇の中で嗤っているのだ。
ナウナウが言う。
『ネコヤナギ~、油断しちゃだめだよ~。君の眷属の同時詠唱でも~、たぶん~、致命傷にはならないからね~』
『ちょっとナウナウ……こっちの手の内をあっさりバラさないで欲しいのだけれど?』
『ごめんね~、でもぉ、もう先にバレているなら~、バレていることを~、君に教えておいた方がいいでしょう~?』
ナウナウの指摘の通り、ネコヤナギの眷属たちは全員が輪唱の代わりに詠唱をしていた。
植物魔猫達が絵本を片手に魔術をチャージしていたのだ。
もし交渉が決裂したときのための備え、といったところか。
全てを見ていた冥界神は片眉を下げ。
『これは管理者殿。ご丁寧なあいさつをどうも――許可なく貴殿らの領域に立ち入ったことは謝罪しよう。ま、悪いとはこれっぽっちも思ってねえがな』
『悪いとは思って欲しいのだけれど。まあいいわ。あなたに文句があって来たのだけれど、聞いてくれるかしら?』
『ああ、構わねえよ』
キシシシシっと強面で微笑し、男神は煙草を探そうと指を伸ばすが――その手は途中で止まっていた。
理由は単純。
相手が少女の姿の神なので、タバコの煙を気にしているのだ。
『あら、紳士なのね』
『そりゃあ女には優しく、男には激しくが俺様のモットーだからなぁ?』
『あなた、ちょっと失礼なのよ? あたしはもう大人なのよ? ……っと、まあいいわ。あなたのペースに持っていかれるのも気に障るし、率直に言うわ。あたしたちの世界にはあたしたちの世界のルールがある、転生の輪に戻った魂を持って帰ることをあたしは許可しない。それに、天と地をあれほどに揺らして……盤上世界を壊そうというのなら、あたしも管理者として看過できなくなると思って欲しいの』
ネコヤナギは世界を愛している。
その心が伝わってくるほどに、声は少しきつめであったが。
『魂の件は要相談だが。あのなぁ、天と地をぶっ壊しかけたのは俺じゃねえぞ?』
『俺じゃないってそんなウソを……』
そこで世界を管理する神は、ふと思ったのだろう。
ナウナウに目線を向けると、パンダはエヘヘヘヘ~っと口を半開きにして、可愛いのポーズ。
魅了の魔力で誤魔化す気満々の顔である。
『いえ、ごめんなさい。だいたいの事情は把握出来ちゃったわ……ナウナウ、あなた、あたしに言わなくちゃいけないことがあるんじゃないかしら? ……って!? ちょっとあなた、なにをやっているのよ!』
『えぇ~? なにって~、君がきてくれたから~。冥界の神を捕まえて~、食べる準備をしようとしてるだけだよ~?』
七輪を召喚し、団扇で炭火を起こし始めているパンダに頭を抱える少女。
その唇から重い息が零れていた。
『あぁぁぁぁ、もう……。どうしていつもあなたってそうなのかしら』
『えへへへ~、そんなに褒められると照れるな~』
『褒めていないのだけれど?』
えへへへへっと頭の後ろをモフモフな前脚ででへへへ~♪
ポリポリと掻くナウナウはまったく悪びれない。
『本当にやめてちょうだい、あと、隙を見てその神を齧ろうとしないでちょうだい』
『えぇぇぇ、どうして~?』
『この冥界神を本格的にどうにかしちゃったら、外の世界と全面戦争になるわ。この神、こんなふざけておちゃらけている神だけど……本物の冥界神なのよ。あたしも魂を運んだイエスタデイの記録を把握しているから、間違いないわ。その翼の裏には無数の命が眠っているのよ。それらを食べてしまったら――悪しき神だけじゃなくて、善なる神もくるでしょうから――さすがに対処できなくなるわ』
ナウナウがじぃぃぃぃぃぃっと男神の翼の裏から繋がる亜空間を見て。
跳躍による超高速接近。
蝗の群れが、ざわざわっとなっている闇の中に顔を突っ込みながら言う。
『えぇ~? でも~、この数の神を食べたら~、僕ももっと、もっと強くなるよ~? そうしたら~、どんな外来種が来ても負けないよ~?』
『世界は広いわ。あなただって大魔王ケトスを見たでしょう?』
『だから~、僕ももっともぉぉぉぉぉっと~、強くならないといけないんじゃないかな~? 貯めに貯めたお金を~、自分の力に変換すれば~、その一瞬だけでも~、大魔王ケトスに匹敵できるほどの力を持っている~ムルジル大王みたいにだよ~』
ネコヤナギが言う。
『もしかしてあなた、ムルジル大王に嫉妬しているの?』
『だって、僕よりも強かったし』
『もう……、あなたって子は……。大王は大王で制限付きの能力でしょう? 時を忘れるほどの年月の中で貯めた財を使った、ほんとうに一時だけの最強の力。瞬間最大風力が負けただけじゃないのよ……ナウナウったら、本当に、あなたって……アレよね?』
言われたナウナウは、でへへへへ。
『褒めていないって言ってるでしょう~! って、あなたの語尾が移っちゃったじゃない!』
とにかく、と言葉を区切り。
異聞禁書ネコヤナギは神を喰らおうとする四星獣ナウナウに告げる。
『あなたのあの子を守りたいっていう気持ちは痛いほどに分かるわ。あなたが今まで、どれほどにこの世界を守っていたかも……ちゃんと知ったわ。ありがとうって、そう思っているわ。けれど、あたしが言いたいのは一つなのよ。敵を無暗に作ったら逆効果になることもあるかもでしょう?』
『……。まあ、君がそこまで言うなら……』
『それに、もし食べるにしても交渉が決裂した後でいいんじゃないかしら?』
言って、ネコヤナギは悪戯ネコの顔で、振り返り。
うふふふふふ。
管理者としての強制力を押し付ける魔術を無数に詠唱させながら、静かに美しく微笑んでいた。
『というわけで、外なる神様。もし交渉が決裂したら、あたしも全力であなたを捕らえる方針に切り替えるからよろしくお願いするわね? もし、戦いになったら――あまりあたしを甘く見ないで欲しいのよ。外ならばともかく、盤上遊戯の中に在る限りは――あたしはとても厄介な敵だと思うのよ』
『女ってのは、少女でも怖えってのは本当だな、こりゃ』
やり取りを観察していたレイヴァン神は、周囲をじっと眺めていた。
もし交渉があらぬ方向で決裂したら。
この少女は世界を守るために、ありとあらゆる手段を用いて外来種に対処するだろう――そう理解していたのだ。
『それで、嬢ちゃんの要求はなんだ』
『暗黒騎士クローディアの魂、あの子を連れ帰るのを少し待って欲しいだけよ』
『できねえ相談……と言いてえが、俺も盤上世界と本格的に事を構える気はねえ。なにしろこの世界には、大魔王ケトスの想い猫がいやがる。最悪なケースを想定すると、俺はあの大魔王と敵対することになるからな。それは勘弁だ』
『あら? でも、大魔王ケトスの飼い主があなたの弟さんで。弟さんはあなたのことが大好きだって、そう逸話魔導書で読んだのだけれど』
『ああん? ちっ……こっちの事情に結構詳しいのかよ』
決まりの悪そうな顔で唇を尖らせ、レイヴァン神は続ける。
『その答えは簡単だ。大魔王ケトスは猫。あくまでも慕っているのは俺の弟であって、その家族は尊敬の対象になっていねえからな。猫は個人をみる。あいにくとあの魔猫は俺の存在が消えさえしなければ、問題ないと思っていやがる。マジでぼろっぼろにやられて、どれほど弱体化されても気にしねえだろうからな。むしろ、飼い主への手土産ができたって、弱った俺様の首を銜えて喜びながら主人の許へ帰還するだろうさ』
『あ、あなたもなかなか大変そうね……』
『分かってくれるか、お嬢ちゃん』
苦労人属性があるのか、二人は妙に変なところで共感しているが。
『しかし、あの娘の魂の今後については聞かせて貰うぞ。具体的にどうするつもりなんだ。このままだとどれほどに転生しても、おそらくは――』
『不幸になる、そういいたいのね。その心も、慈悲も理解しているわ。けれど、少し、こちらの世界の事についても信じて貰えないかしら?』
『悪いが嬢ちゃん。信じるにはそれなりの展望ってやつが必要だろう? 具体的に、教えてもらいてえんだが?』
異聞禁書ネコヤナギは、地母神たる顔で――すぅっと胸元に細い指をあてる。
『あたしはあの子達を信じているわ。きっと、大丈夫なのよ』
『おいおい、具体性なしかよ』
『あら、あなた神様なのにおかしなことを言うのね? あたしはあの子達から――可愛い我が子達から学んだわ。神が余計なことをしない方が良い事もある。時には我が子を信じることが大切だって。だって、あんなに強く優しく生きているんですもの――きっと、大丈夫だってそうあたしの心が言っているのよ。あたしはあの子達を信じるわ』
冥界神は世界を支える少女の微笑みを見た。
その笑みと言葉に嘘はない。
『……しゃあねえな。だがもし、うまくいきそうにねえなら』
『その時は分かったわ。連れて帰って、眠らせてあげて――』
異聞禁書ネコヤナギと魔兄レイヴァン。
手段は違えど、共に魂を思う心だけは同じだった。
二柱の間で契約が交わされる。
異なる世界の管理者が互いの慈愛を認めていた。
その裏で。
いまだに翼の裏の亜空間に顔を突っ込み、えい、やあっとパンダの腕を伸ばすナウナウが言う。
『えへへへ~、仕方ないな~、じゃあ今は食べるのを我慢しておくね~』
今じゃなくてずっとよ……、と神秘的な美少女が容姿に似合わぬ苦労を滲ませる中。
同じく苦労人のレイヴァン神は、この鬼畜パンダ……どうしようもねえな……。
と、共に強く肩を落としたのだった。
交渉は成立、戦いは中断された――。
三柱は彼らに目線を移す。
ナウナウの衝撃によって帰還した、甲羅の隙間のダンジョンに移っていたのだ。
アルバートン=アル=カイトスの掌の中には、あの哀れな暗黒騎士の魂があった。
彼らの物語が再開する。




