第161話、――強敵――【真樹の森】
【SIDE:魔兄レイヴァン】
哀れなる殺戮令嬢が寄り添った地域。
愛する者の墓となった真樹の森にて――異界の冥界神たる伊達男、魔兄レイヴァンが腕を伸ばし拾い上げたのは……死を望む命。
世界に疲れて彷徨っていた令嬢。
暗黒騎士クローディアの魂だった。
もうやり切ったと、心も魂も閉ざしている哀れなる命をあるべき場所へと連れ戻す。
それがレイヴァンの今回の顕現の目的でもあった。
本当ならこの異神はただ見守っているだけの筈だった。下手に手を出して大魔王ケトスに観測され、あまつさえ計画の邪魔をされていると誤解されてしまったら面倒だった。
しかし、彼は大魔王が見ていると知っていても、動いていた。
レイヴァン神は善神というわけではない。
実際に一度、世界そのものを崩壊させうる規模の騒動を起こした前科持ち。大魔王ケトスと同じく、かつては世界そのものと敵対していた神なのである。
世界を愛していたわけではないのだ。
もっとも、激しい戦いは終わり――和解。
既に、世界をどうこうするつもりなどなく、荒ぶる神の側面である荒魂を鎮め本来の冥界神としての性質に戻っている。
今もなおレイヴァン神はその戦いの余波を受け、休息中。
深い眠りについている……筈だったのだ。
実際、レイヴァン神の本体は、休眠状態にある。百年の眠りについている。
これはその眠りが、きっかけだった。
深い眠りの中。
荒魂を鎮めた冥界神は、羊飼いの男の夢世界ともいえる盤上遊戯――その終わらぬ遊戯の中で揺らぐ魂を観測してしまったのだ。
レイヴァン神が観測した女性は、本当に疲れ切っていた。
なにをしても裏目に出る、不器用で心優しい令嬢――。
それこそが亡霊令嬢。
彷徨い続けるクローディア――世界を愛することができなくなってしまった神の眷属。
自業自得かもしれない。その行動が大きな波乱を生み続けたのかもしれない。けれど、彼女自身はそれほど悪いことはしていなかったと、観測した世界を眺めたレイヴァン神は感じていた。
内罰的なところも、真面目なところも健気だと感じていた。
それでも運命のダイスは彼女の行動によって、大きく揺らいだ。
彼女は世界がこうなってしまったことを悔やんでいた。
人間の驕りが招いたとはいえ八割の命が散ったのだから、仕方がないだろう。
自分にも責任があると感じているのだろう。
だから、神の眷属となったまま、ムルジル=ガダンガダン大王に力を借りたままに世界を放浪し続けたのだろう。
彼女が盤上世界を愛せなくなったのは、いつの頃だろうか。
世界を愛さないといけない……などという決まりはない。
ほぼ全ての命と魂が自分たちの住まう世界を祝福し、愛しい大地として認識していても……それは全員ではない。強制されるものではない。ましてや、世界そのものに疲れた命が一人もいない方が不自然な世界といえるだろう。
かつて存在した神々の楽園が目指していた人間への支配は、その不自然を強制するものであった。
ともあれレイヴァン神は思った。
殺戮令嬢を眺め、その心を感じていた。
彼女とて、かつては世界を愛していたのだろう。
まだ何も知らずに、貴族の令嬢として過ごしていたあの日々だけには――本当の幸せがあったのだ。
けれどだ、人の感情は変わる。
結果として世界に何度も裏切られたとしたら。
例えば正義を貫いた恋人が殺されたら。
例えばその復讐に走った罪で、一族が殺されたとしたら。
例えばその罪滅ぼしの行動が、結果として人類のほとんどを滅ぼしてしまうことになってしまったら。
例えば大切な他人の息子を預かるという約束を、結果として裏切ってしまったとしたら。
例えば転生した恋人が、気づいたときには既に他人と幸せに暮らしていたとしたら。
世界を愛せなくなってしまった魂とて、確かに存在するのだと冥界神は知っていた。
いくつもの死者。
いくつもの人生という冒険、そしてその終わりを眺めていた死の神だからこそ分かる、侘しさがあった。
暗黒騎士クローディア。
その踏み外してばかりの人生をレイヴァン神は観測し、そしてもう終わらせてやろうと思ったとしても不思議ではないだろう。
レイヴァン神は善神ではない、けれど悪神でもない。
だから。
見てしまったのだから仕方がない。彼は動いていた。
その両翼を蠢かし、眷属たるイナゴと金色鼠を引き連れこの盤上世界へと入り込んだのだ。
◇
外なる神。
死を知る男神は、目の前の英雄とその手にする書から顕現しようとしている熊猫神の気配を睨み。
ふっ――と穏やかに、けれど黒い微笑を浮かべていた。
『哀れなる魂に安寧を――責任を果たし続けた魂に終焉を。こいつの魂はこの冥界神、レイヴァン=ルーン=クリストフが回収させてもらう。疲れを知らずに眠り続けられる、常闇の世界へ――もう、何も感じなくていい安らぎの地へ淑女を――それが俺の愛だ』
告げた瞬間、周囲にイナゴの気配が溢れ出す。
魔猫イエスタデイがネコの眷属を使うように、このイナゴがレイヴァン神の眷属なのだろう。
ざわめく空気を目の前にして、この世界の英雄アキレスはギリっと奥歯を嚙み締める。
良い表情だった。
戦士の表情だ。
「レイヴァン神さんよ。てめえがてめえの理屈で慈悲から手を差し向けたことは、理解した。納得はしてねえが、その行動の理由も一応は分からなくもねえ。疲れ彷徨った魂への心からの慈愛。世界を愛せなくなった魂を救うための終わりを授ける、その力。死者を愛し、癒し、全てを受け入れるその心に――悪意はねえんだろうさ」
『だろ? だからさっさとその書をしまいな』
「お断りだ――」
英雄は、それを受け入れない。
やろうとしていることは分かっている。
四星獣の召喚である。
「オレは、世界がそこまで腐っちゃいねえって知っている」
『眩しいな――おまえさんは』
「いつか、そいつだって――もう一度、世界を愛せる日が来るかもしれねえだろう!」
『それは心強き者だけが吐ける言葉だ。綺麗ごとは時に人を傷つける――自分の強さを他人に押し付けるのは、感心しねえな』
問答は無用と悟ったのだろう。
英雄は女の魂を取り戻そうと、闘志を燃やし始める。
その魔力を眺めて、神は微笑する。
『おいおい、全面戦争でも望んでいるのか? この竹林は少々危険な香りがしやがる、てめえは人の子だからこっちも本気は出さねえが――相手が神なら話は別だ。こっちも身を守らなくちゃならねえしな?』
だが――。
英雄アキレスは、叫んでいた。
「それでも、このまま二度と転生できねえなんてのは――違うだろう!」
四星獣の力を宿す魔導書。
《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》が輝きだす――!
モコモコモコっと、周囲がパンダの獣毛で包まれた――。
次の瞬間。
それはほのぼのと顕現した。
『えへへへ~。僕~、登場~♪』
ふわふわした声は、のんびりとした獣の唸り。
掌になんとか乗せられるサイズだった魔導書が、更に肥大して膨らみ。その開いたページの中からモコモコっとした白黒ケモノが、にょこっと顔を出し。
やぁ……! と、丸い耳と鼻をフガフガさせて両手をぶんぶん!
魔導書から這い出てきた巨大熊猫、その正体は――。
現在を司る四星獣。
アキレスが神に向かい願っていた。
「ナウナウさんよ、悪いが――隙を作ってくれ。オレはどうしてもあの人の魂を持って行かせちゃならねえ、そんな気がしてるんだ」
『いいよ~! 君は僕のお気に入りのおもちゃの一つだし~♪ もうひとつ貸しができるもんね~♪ じゃあ君は、僕が作った隙をみつけて~、彼女の魂を盤上遊戯に引き戻してね~♪』
「おもちゃって……まあ、いいけどよ。普通、本人を目の前にして言うか?」
悪意がないからこそ、怖い存在。
それがナウナウでもある。
『コソコソと後ろで玩具扱いするよりも~、いいと僕は思うけどな~』
素直が一番なのです、と。
モフモフな胸を張るパンダはえっへん♪
契約が結ばれる中。
既にレイヴァン神は闇の中に消えようとしていた。
『あれ~? 逃げられるなんて思ってないよね~?』
ナウナウの瞳は、敵を追っていた。
その先にいるのは――鑑定の光を赤い瞳に宿すレイヴァン神。
異界の神もこの世界の四大神の強大さに気付いているのだろう、タバコの煙で強固な結界を張りながら――既に距離を取り始めていたのだ。
しかし、ナウナウは巨体に似合わぬ俊敏さで、地面をどーんと叩き煙による結界を破壊し返す。
『どーん!』
発生するけたたましい爆音と、それに比例する魔力の渦が周囲を襲う。
アキレスは瞬時に衝撃を避け、隠匿結界を自らに張り姿を隠す。
その目的はただ一つ、隙をついて暗黒騎士クローディアの魂を取り戻す――。
冥界神が露骨に嫌そうな顔で、パンダの嗤っていない瞳を見て。
『見た目だけは可愛いパンダ、おまえさんが四星獣ナウナウ……ってやつか。ち……っ、よりによって四星獣の中で一番面倒そうなヤツを呼びやがって――』
その巨獣が顕現した瞬間から既に戦いは始まっている。
会話の最中も徐々に行われていた侵食。真樹の森の《森林フィールド》を《竹林フィールド》に上書きする現象。得意フィールドを相手にも押し付ける領域の奪い合いが、加速度的に進行し始めていたのだ。
魔兄レイヴァンは強面の眉間に、濃いシワを刻み――指を鳴らす。
『我、悪食の魔性レイヴァン=ルーン=クリストフが命じる。地形よ、我様に従え』
それは仄暗い水の底へと続く道。
領域の上書きをしかけられた真樹の森が、冥界へと落ちていく。
領域の上書きを阻止しようとしているのだが。
ナウナウがきょろきょろっと周囲を見渡し、にへぇ……っと嗤い。
クマに似た鋭い口をフガフガさせる。
『えへへへ~、無駄だよ~。ここは盤上世界。僕たちの領域だからね~♪』
『さて、どうだろうな。盤上遊戯は死者たちが転生を望むために励む世界。つまりは冥界とも近しい世界――ってことだ。その意味は、分かるだろう? ここは俺の得意フィールドでもあるわけだ……って、人の話聞けっての!』
『冥界の神だかなんだか知らないけど~、僕はね~、僕のやりたいようにやるだけだよ~♪』
この世界を心から楽しみ遊びに耽り、この世界を継続させたいナウナウ。
誰よりも遊びが大好きで、誰よりも自分が大好きなナウナウ。
腹も心も黒いナウナウには、冥界神の言葉も理論も通じないのだろう。
領域の上書き妨害を無視して、巨大な前脚に抱えた袋から粉を取り出し、バッサバッサと振りまき始める。
『枯れ地に竹を生やしましょう~♪ ええーい、やあ、えへへへ~♪』
まかれた粉が冥界としての属性を消し去り――ザワザワザワ!
仄暗い水の世界に落ちかけていた森林が浮上し、真樹の森が再び竹林フィールドに上書きされていた。
竹林の隙間からは、巨大なネズミ達が姿を現し始めている。
『出番だよ~♪』
今を最も大事とする獣神の言葉に反応したのは、ヌートリア災害の被害者たち。
ヌートリア汚染を受けて行き場を失っていた駒達である。
既に彼らはナウナウの眷属となっているのだろう。周囲を竹林へと変えるべく、ヌートリア達が一斉に魔法陣を展開していた。
レイヴァン神が迎撃しようと翼を広げ、腕を伸ばすが。
その手が止まる。
彼らは暴走していた聖父クリストフの被害者。その魂に罪はない。故に、攻撃ができない。
その一瞬のスキを突き。
巨体に似合わぬ俊敏な動きで、ナウナウがレイヴァン神に接近。
咢を開き、神の魂を喰らいつくそうと雄々しき牙を突き立てようとしていた。
レイヴァン神はイナゴの群れに乗り、回避に成功していたが。
さきほどいた空間には、無が広がっていた。
神殺しの属性を乗せた、次元ごと相手を喰らう性質を持つ”噛みつき攻撃”を仕掛けられていたと気づいた男神は、くわっと犬歯を向けて唸っていた。
『おいこら、てめえ! この糞パンダ! いきなり魂喰いをしかけてくるヤツがあるか!』
『あれ? 避けられた~? おかしいなあ、本気で食い殺すつもりだったのに……なんでだろう~。まあいいや~、もう一回、っと!』
大きなパンダの手が、クイクイっと次元を辿りよせるように蠢く。
するとその途端。
離れた場所に逃げていたレイヴァン神の身が、瞬時に強制転移をさせられていた。
パンダの鋭い牙が、今度こそレイヴァン神の頭をがぶり。
むっしゃむっしゃと嚙み締めて、その蠢く口がペッと何かを吐き捨てる。
『あれ~? 擬態か~? 君、けっこう強いんだね。いまのも本気で食べるつもりで、引き寄せたのにな~』
パンダの口から吐き捨てられたのは、ただの魔力の塊。
相手の攻撃を察したレイヴァン神が、自らと同じ見た目の抜け殻を引き寄せさせ――相手の攻撃を見極めるために食わせたのだろう。
地面をゴロゴロと転がるナウナウが、えへへへへへ~っと嗤いながら。
『そこだね~!』
ゆったりとした言葉とは裏腹に、空間を歪ませるほどの手刀でゴォォォォ!
竹林の登場で生まれた、竹林の影に向かって放っていた。
影から再び顕現しなおした飄々とした男は余裕の笑み、肩を竦めてみせていた。
手刀によって生まれた衝撃波は無効化。
レイヴァン神の翼の裏へと吸収されていたのだ。
『強制的に”今へ”と引き寄せる力――相手を自分の指定した場所へ強制転移させる権能か。ナウナウ……動物園の中で死んだ、見世物とされた恨みを抱く魔性。過去への情景を捨てられず、終わらぬ悪夢を見続けるイエスタデイ=ワンス=モアの同胞。盤上世界の中で何度も遊戯を繰り返し、戯れの中で自らの憎悪と怨嗟、そして嫉妬を慰める巨獣』
『えへへ~、そうだよ~。ナウナウだよ~♪』
神同士の戦い。
その余波は大きく、世界はまた一つ大きく揺らいだ。




