第157話、第三関門―内通者―【最終ダンジョン】
【SIDE:暗黒騎士クローディア】
今を生きる命たちが四星獣ナウナウの眷属を連れて行動していた。
手に入れた神竜の素材。
世界を包むミドガルズオルムの分霊と新たな楽園の贄となるべく生まれたレヴィアタンの肉、すなわち神竜の肉をステーキにして調理をしていると推測される。
魔猫達が集い舞う砦の外。
ぽかぽかぽかとおいしい煙が上がっている。
じゅーじゅーじゅーと音も鳴っている。
魔猫が外を覗くとそこには、調理スキルで生み出されただろうステーキハウスが並んでいた。
砦の中の魔猫は上を向き、鼻をスンスンと蠢かす。
髯がブワっと膨らみ、その真ん丸な口から声が漏れる。
『んにゃ(なんだ)?』
『ニャニャニャ(ああ、あいつらがなにかやっている)』
『ぶにゃ、ぶにゃーにゃ(それにしても、いい香りである)』
魔猫達は顔を見合わせ。
とてとてとて♪
城壁に張り付いて、じぃぃぃぃぃぃいっと外の羊印のステーキハウスを眺めて、じゅるり。
どちらさまもご自由にお入り下さい。
そう魔猫でも読める魔術文字の看板が並んでいる。
どう考えても罠だった。
さすがに魔猫も愚かではない。魔猫達はそのステーキハウスを遠くから眺め、合唱するようにブニャハハハハハハ!
『ニャーニャ! うにゃにゃんにゃ(笑止! あれが罠のつもりらしい)』
『うにゃにゃ、うにゃ、ぶにゃーにゃ(明らかに、我等を誘っておる!)!』
『ウナナ、ウニャニャニャ、ぶなんなぶなんな、うにゃ(然り。あやつらは愚かなり、我等がそのような簡単な手で砦を明け渡すとでも?)』
『ニャニャニョ(なれど)』
我先にと魔猫達は城壁の隙間から全員同時に顔を突っ込み。
ふがふがふが。
『にゃーにゃ(ああ)』
『うにゃうにゃにゃ(良き香りである)』
ステーキハウスの扉が開く。
中ではモコモコな羊がニヒニヒ嗤いながら、じゅーじゅーじゅーじゅーと肉を焼いている。
錬金術師ドググ=ラググの銘が打たれた魔力鉄板の上では、肉汁が音を奏でて踊っている。
ネコ達の瞳孔も、ぶわぶわっと広がっていく。
ざわざわざわと毛玉の群れが色めき立っていた。
竜の脂は濃厚。その肉は分厚い。だからだろう――神樹の恵みであるリンゴのソースが肉の赤身に添えられている。神竜の肉をより一層柔らかくしているためだと、舌の肥えたネコ達は理解していた。
だから、よだれが出る。
邪道ともいえるフルーツソースも、あの分厚い肉を甘く柔らかく包み、その酸味が肉のうまみを引き立たせるのだと知っていた。
ネコたちは見た。
それは――神竜グルメ。
焼き終えたステーキを一切れ一切れ美味しそうに口にする羊の、なんと幸せそうで、意地の悪そうな顔だった。
ステーキハウスの中の羊が言う。
『やあ、魔猫の方々。わたくし――四星獣ナウナウ様が眷属、饕餮ヒツジと申します。おや? あなたがたはイエスタデイ=ワンス=モア様の眷属ではありませんか?』
羊は慇懃無礼な口調で問いかけ、そのまま邪悪に瞳を細める。
もこもこな腕の先はナイフとフォークを器用に操り、肉を切り分ける。
切り分けられた肉の断面は、まるで紅宝石のように輝いていた。
汁に絡まる肉粒が、バチりと鳴った。
肉にフォークがスゥっと通っていく――柔らかな身が銀の食器を受け入れていたのだ。そのまま羊は、あぁぁぁぁんと口を開け――待ち構えていた頬に、豊潤な脂が乗った肉が落ちていく。
『ああ、美味ですね~♪』
口の端から垂れた、濃厚で芳醇な肉汁を羊の舌が追い。
パクリ。
余分な脂を、逆に旨味に変えるリンゴソースを絡めて、更にパクリ。
はふはふ♪
美味でありまする~♪
羊の咀嚼音が迷宮いっぱいに広がっていた。
『どうです? 今から神竜ステーキの宴を行う予定なのですが、主は違えど同じ四星獣の眷属としてのよしみです。砦から出てきて、さあご一緒に、ささ、遠慮なく。肉の宴を楽しむというのはいかがですかな?』
見え透いた罠。
誰の目から見ても分かる、あのステーキハウスに入り肉を一口でも口にすれば契約は完了。この戦いからの離脱を強要されることは分かりきっていた。
引っかかるものなど、いない。
そう、そんな欲に忠実な魔猫など……。
……。
一匹の黒い魔猫がゴロゴロゴロと喉を鳴らして、砦の扉に肉球を掛ける。
慌てて誰かが言った。
『ニャニャニャ、ウニャ、ウニャーニャニャ(どれ、我が行って――あのステーキハウスが安全かどうか確かめてやろうではないか)』
『にゃにゃにゃ(いや、我が行こう)』
『うなうなうな、うなな~な(なにをいう、我が見てこよう)』
うにゃうにゃうにゃうにゃ相談する魔猫。
モフモフな戦力を見て、彼らをグルメで釣った砦の主は甲冑頭を悩ませていた。
暗黒騎士クローディアである。
『このふざけた空気は饕餮ヒツジか……厄介だな。あの羊が絡むと駒の強弱が関係なくなってしまう』
饕餮ヒツジはクローディアにも気づいているようで、もこもこな手を伸ばしアッカンベーっと挑発している。
間違いなく強さだけなら獣神最弱であるあの羊の挑発スキルにかかるほど、殺戮令嬢の耐性は低くないが。
クローディアは甲冑の隙間から、ふぅ……と硬い息を漏らしていた。
完全武装状態の殺戮令嬢の横。
赤い短刀が煌々と照る。
『へぇ……あの道化っぽい悪魔が噂の羊野郎か』
『あれは殺すなよ怪奇スカーマン。最弱故に狡猾な悪魔……アレは四星獣ナウナウのお抱えコックの一柱ともなっている。アレを殺せば、その瞬間がこちらの敗北。無邪気なる暴君ナウナウ様は黒い本性を隠さず、我等をそのまま握り潰すだろうからな』
『はは、うっかり範囲攻撃もできねえってことかい。それを理解した上で最前線にステーキハウスを設置、自らが前に出てるってんなら、とんだ外道じゃねえか』
クローディアはかつての戦争を思い出しているのだろうか。
甲冑の隙間を赤い輝きで揺らしていた。
『アレは外道であるが、その手腕は本物だ。事実、このわたしでも劣勢を覆せなかった北部レイニザード帝国をたった十数年で立て直した。アレの知恵のもと、本当にダンジョン攻略が達成されてしまうとは――さすがのわたしも度肝を抜かれたよ』
『はぁ?』
『どうした?』
『いやおめえ……このわたしでも……って、どんだけ自己評価が高いんだよ。てめえがこの盤上遊戯の中でどんなことをしてたのかは――まあ……だいたい把握してるが、おめえ……わりと行き当たりばったりなだけだろうが』
浮かぶ血に飢えた短刀、怪奇スカーマンに揶揄されるも殺戮令嬢は気にせず。
『見解の相違だな』
『ったく、長とか幹部とかになる戦士ってのはどうしてこう、脳筋気味なんだい? 魔術師や僧侶はまともな連中が多いって話だが』
『そういった戦いの管理職に辿り着けるものは、どこか精神が壊れている者が多いのかもしれんな』
あくまでも自分個人の話ではないと言いたげな殺戮令嬢。
その、ある意味で図太い精神を揶揄っても効果がないと思ったのか――。
『まあいい。どうするつもりだ?』
『このままでは……しかし、どうすることもできないかもしれぬ』
クローディアは冷静に考え。
今にもステーキハウスに吸い込まれそうな魔猫達の、浮足立った肉球と獣毛を確認。
『あの羊の館――ステーキハウスでは特上の《ドラゴンステーキ(神竜)》が次々と作られているのだろうな。そして代価はおそらく、契約。内容までは分からぬが、この戦いが終わるまでは中立を保て……そんなところだろうな』
『ん? 味方になれじゃねえのか?』
『魔猫は面倒くさがり屋だからな。完全に寝返れとなるとステーキと面倒をはかりにかけ、断る者もでるだろう。しかし……』
『中立を保てなら……なにもしなくていい。魔猫にとっては条件は悪くない。より説得の成功率が上がるってことかい』
怪奇と殺戮令嬢はステーキハウスに導かれかけている猫達を、じぃぃぃぃ。
ジト目で見て。
『なあ、なんでこんなふざけたやつらが最強戦力で最強種族なんだい……』
『わたしに聞かれてもな。ただ一説によると異世界人の信仰による力であると耳にしたことはある――ネコを崇拝し、毎日、魔術映像を移す箱の中のネコを拝み、肌身離さずその様子を信仰するために高度な魔導石板、機械の板を持つ種族がいるらしい。信仰とは心を集める儀式、心とは魔力の源。魔猫という種族は常に神として崇められている状態にあるわけだ』
『いや、オレはそういう強さの原理とか理屈が聞きたかったわけじゃねえんだが……』
それよりも、この状況をどう見るか。
空気を切り替える怪奇の気配を感じたのか、殺戮令嬢は淡々と答えていた。
『ともあれだ、今は中立でも……最終的には神竜を素材とした未知の味に負けて――相手側に寝返るだろうな』
なぜならこの盤上遊戯で過ごした魔猫達は知っている。
彼らの王にして神。この世界の命の父であり母。イエスタデイ=ワンス=モアは盤上世界を愛してしまった。最も愛しているのは主人である羊飼いであっても、同時に、この世界を……大好きになってしまった。
だから主は迷っている。
だからネコ達はどちらでもいい。
だから好きなように動くだけ。そこに統率はない。ただ欲のままに動くだけ。
彼らは自由気ままなモフモフ。
魔猫なのだから。
何者にも縛られず自由に生きる魔猫達の背を、甲冑の隙間から見て――あの日の思い出に捕らえられたままの令嬢は、遠い眼をして……告げていた。
『それに……なによりだ、こちらには内通者がいたようだな。猫達が誘導されている』
『内通者だぁ?』
『あそこで他の魔猫達をそそのかしている黒猫……ハチワレ模様にもみえる魔猫がいるだろう?』
甲冑の隙間の赤い眼光が示す先には、まだ魔猫になって二十年弱しか経っていない魔猫の姿が見える。
ハチワレネコは振り返ると、クローディアを見て――にゃーと鳴いた。
邪魔をしないで。
そう告げているように見える。
その内に秘められた魔力は、イエスタデイ=ワンス=モアから授かった恩寵の力。
願いの力。
彼らと一緒に居たい。
どうかもう、泣かないでください……と。
そう、神に願ったあの日にネコとなった彼女の名は――。
「カチュア、すまねえな――迷惑かけちまって」
砦の中に、英雄の声が響く。
魔猫達がステーキハウスに入るか否か、尻尾を揺らし真剣に会議をしていた隙に入り込んでいたのだろう。
カチュアと呼ばれた魔猫は、にゃーと鳴く。
嬉しそうに、幼馴染を見上げる顔で――うな~と鳴く。
まだ言葉を発さない魔猫カチュア。
生まれ変わる前は剣士だった、少女のままに戦死してしまった――。
ガイア=ルル=ガイアとアキレスの共通の友。
ずっと三人で――。
その願いが叶わず死んだ、けれど……魔猫として生まれ変わり、北部レイニザード帝国を救った魔猫。
ハチワレ黒ネコは、魔猫の言葉で告げていた。
――だって、あなた達と巡り会えたこの世界が終わってしまうのは、悲しいわ――。
と。
告げた魔猫の瞳の先には――。
男が一人、そこにいた。
足が速い田舎の青年アキレス。
隣町のガキ大将。
魔猫カチュアがまだ魔猫になる前の、かつてのあの日の思い出の友である。
魔猫カチュアの前に出て、彼は珍しく魔導書を発動させていた。
その書の魔力が絶大だったからだろう。
暗黒騎士クローディア以外もこの場に気付き、そのモフモフの首で振り返っていた。
その書から放たれていたのが、四星獣の波動だったからだろう。
「おっと、ネコども――ステーキハウスが気になるならこっちには手を出すんじゃねえぞ」
目の前で浮かべた魔導書の光を受け。
英雄はニヤリとほくそ笑む。
この世界の中で発動できる最強の魔導書の一冊、四星獣ナウナウの逸話魔導書。
《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》。
かつて終焉皇帝から授けられた最強の一冊から発生する閃光の中――。
蹴撃者アキレスは、濃淡の目立つ凛々しい顔を尖らせていた。
間違いなく、歴史に名を残す英雄である。
大成したかつての部下。
北部レイニザード帝国を救った英雄を見て、殺戮令嬢クローディアは微笑みとは遠い、けれど苦笑とも違う、疲れが滲んだ笑みを浮かべていた。
『魔猫を引き付けている間に単騎で忍び寄り、大将首を狙うか――悪くない作戦だ。だが……本当に一人で来るとは、まだ青いな英雄よ』
「一応聞いておくが、ここで止めにしねえか? こっちには羊の旦那もついた、もうどっちが勝つかなんて分かってるだろう?」
交渉である。
おそらく相手は無駄だと理解していると、クローディアも理解していた。
観察眼に優れているのはアキレスの能力の一つ。
『おまえも殺戮令嬢の逸話については知っているだろう?』
「ああ」
『外なる神が、彼を蘇らせてもいいと言ってきた。わたしは従った。それだけの話だ。それだけの……』
「おいおい、あんたらしくねえな。突然現れた異神なんて信じて本当にいいのか?」
交渉は続く。
『あの神の力は本物だった。わたしにはそれだけで十分だ』
「詐欺師だったらどうするつもりなんだ」
英雄の言葉に殺戮令嬢は魔導契約書を見せ。
告げる。
『契約は既に完了した――これは魔術による儀式契約。必ず履行される契約だ』
「そうか……」
『何を犠牲にしてでも助けたい者がいる、たとえ他者の安寧を崩したとしても叶えたい願いがある。イエスタデイ=ワンス=モア様も同じだ。正直言うとな、迷っていたよ。けれど……本心は裏切れない。きっと、あの方も同じなのだろう。わたしはこの世界よりも、あの男を選んだ。それが答えだ』
「なら仕方ねえな」
空気が、変わる。
暗黒騎士クローディアの手に、神器が握られる。
英雄も、戦闘を意識した姿勢に移り変わっていた。
赤い魔力で揺れる甲冑。
揺れる大地。
行き場を失い、心を揺らし彷徨い続けた殺戮令嬢。
暗黒騎士の前では英雄の髪が、荒れ狂い始める魔力に揺れ靡いていた。
「あんたには世話になった。まだ駆け出しだったオレに戦いを教えてくれたのは、間違いなくあんただ。本当に……世話になっちまったよ。ああ、恩人つってもいいな。けど、この世界と天秤にかけるとなると話は別だ。ここにはオレの愛する者が多くいる、オレを愛する奴らもいっぱいな」
ヘラヘラと微笑しながら、アキレスは魔猫カチュアに結界を張る。
大事な友を守るため。
大事な命を守るため。
英雄は袂を分かった敵を睨みつけていた。
「だからこそ、たとえあんたでも――この世界を終わらせるつもりなら容赦しねえ」
そこにはいつもの飄々とした様子は皆無。
あんたを止める。
英雄が本物の殺意を滲ませた影響だろう、周囲には膨大な規模の魔法陣が浮かび始めていた。
「ここで眠らせてやるよ――殺戮令嬢」
殺戮令嬢は纏った暗黒騎士の鎧を、煌々と闇の魔力で照らし。
覚悟を決めた顔で、吠え返していた。
『自惚れるな、貴様如きに負けるほど――わたしの覚悟は甘くはない!』
戦いが始まった。




