第142話、盤上遊戯の秘密、その結末【謁見の間】
【SIDE:神々と生きる者達】
歴史の中で埋もれてしまった記憶。駒達の本当の目的。
真実を語ったのは――盤上世界を支え続けた四星獣。
イエスタデイ=ワンス=モアと共に、この世界を最古から管理してきた異聞禁書ネコヤナギだった。
駒と世界への愛を覚えた地母神。
この世界の生物と共に成長した少女は、雪の結晶のような魔力を浮かべにっこり。
キラキラキラと見る者を和ませる、優しい笑みを浮かべている。
『けれど、そうね。もう忘れてしまったのなら、それでもいいと思うの。そもそもあなたたちの先祖の話。彼らの子として、普通の人間として生まれてきた存在も多いわ。もちろん、死んだ後に輪廻の輪を回っている者も多いけれど。もう彼らにとっても忘れてしまった記録なんですから――』
小さな胸に、細い指をあてて――。
女神と化した少女は信託を下す。言葉を失う子どもたちを導くように。
『あなたたちは今を生きている。それは誇らしい事と言ったでしょう? さあ、前を向いて歩きなさい。外の世界に出るだけがもうあなたたちの目的ではないのでしょう? あたしがこの世界を愛してしまったように、あなたたち駒を愛してしまったように――ただの手段でしかなかった盤上遊戯を、この世界を故郷と思う子もいるのでしょう?』
「ネコヤナギ様……は、妾らをお救い下さるのですか?」
幼女教皇マギの言葉に、神はやはり隠せぬ慈悲で微笑み。
『あなたたちがそれを望むのなら。この世界の終わりを食い止めたいと願うならば、あたしはあなたたちに手を差し伸べるわ。いつかイエスタデイがあなたたちにそうしたように――。行き場もなく泣いていたあたしを、あの子が拾ってくれたように。あたしは幹を揺らしましょう、葉を揺らしましょう、花を揺らしましょう。あたしは四星獣。誰かの願いを叶えるための獣神、さあ――生きたいのならば、願いなさい。それが心からの願いなら、純粋な願いならば……あたしはその心に応えるでしょう』
神ネコヤナギが、今を生きる彼らの在り方を肯定している。
その事実はやはり大きいのか、真実を知った彼らの顔には希望の光が宿り始めていた。
魔王アルバートン=アル=カイトスが、ネコヤナギに似た色の薄い美貌を上げる。
『このままでは世界が終わる。始まりの約束通りとはいえ――それはあまりにも寂しい結末です。僕たちが生き残るには、動くしかないのでしょうね』
『ええ、そうよ。まあこのまま、状態異常を解除されて泡沫の夢と消えてしまう盤上遊戯……この世界の終焉に付き合うって願いがあるのなら、それもあたしは否定しないわ。それが本当の望みなら……それでもいいのよ? 疲れてしまったのなら、それでも。全ての事象はいつかは終わってしまう。この世界に疲れてしまった……、いいえ、あたしたちの悪戯と人間たちの悪意によって生き方を狂わされてしまった、悲しくて優しい子。魔王……アルバートン。ねえ、教えて。あたしは知りたいわ? とっても知りたいわ。今のあなたはどう思っているの? あなたは、どうしたいのかしら?』
どうしたいのかしら? どうしたいのかしら?
ネコのしっぽを揺らす花々が、輪唱する中。
『僕は失敗ばかりをしていました。あの日、誰かを守るために動き……姫を守るために動き……、全てが裏目に回ってしまった。正直、あまりいい思い出がないのです。この世界には。とても、寂しく悲しい事ばかりの世界でしたから。僕にとってはいつまでも、父以外の存在が……掠れて見えている。僕を慕ってくれている、皆にはとても悪いことだとは思っているけれど。どうしても……けれど』
自らの民である魔族。
そしてかつて袂を分かった人間たちを眺め魔王が言う。
『僕たちはまだ終わるわけにはいかない。そうでしょう? 僕はあなたたちが思っているより完璧な存在じゃない。流れるままに生きてきた、心の弱い王と言えるでしょう。けれど――終わりを望んではいない。多くの苦難を経験した父が、それでも強く生きたように。僕に温もりを教えてくれたように……父の愛したこの世界を、僕は失いたくないと感じています。この感情がいつか本物になり、いつかの先、僕もこの世界を愛せる日がくるかもしれないですから――』
アルバートン=アル=カイトス。
あの日の少年の顔で、魔王は言った。
『どうか――この弱い僕に、力を貸してくださいますか』
魔族達は頷いている。
人間たちも頷いている。
今は協力しないといけないと、誰しもが理解をしている。
人間の中で、魔族とも付き合いのある英雄の末裔スピカ=コーラルスターが言う。
「それで……、具体的にはどう動くのでしょうか?」
「そうじゃのう……。儀式を行っている場所はおぬしのおかげで特定できている、イエスタデイ様に召し上げられた魔猫、つまり過去を司る四星獣の眷属が集まり、主にかけられた盤上遊戯化の状態異常を治しているのもほぼ確定じゃろう。直接乗り込んで、魔猫を説得するか――あるいは、イエスタデイ様を説得するか……どちらにしても、ある程度はこちらの戦力も必要じゃろうな」
終焉皇帝ザカール八世も、同意するように言葉を挟み。
「魔猫の強さは異常ですからね……何の策もなしに突入しても、遊ばれて返り討ちに遭う事は間違いないでしょう。魔族の方々はあまり魔猫について詳しくないかもしれませんが、そうですね……とりあえず魔猫一匹が、魔王軍の幹部クラスの力を持つ存在と思っていただければ良いかもしれません」
実際に幹部と思われる骨魔術師が、どくろの顔をがしゃりと蠢かす。
『終焉皇帝殿よ、それはいささか魔猫を買いかぶり過ぎではあるまいか? いや、貴殿らを信じておらぬわけではない。疑っているわけではない。そして、我等の実力を過信する気はありませぬが……もし仰る言葉がまことならば――勝機はない。それではあまりにも無謀な戦いになるとしか』
終焉皇帝の護衛が言う。
「いや、骨の老公よ――ザカール陛下のお言葉は正しい。騎士たる我が弱音を吐くのは気が引けるが……魔猫とはそれほどの存在であると、魔猫と共に暮らし始めた我らは知っております。けして、侮ってよい存在ではないのであります。そうですね、魔族の方なら真樹の森の、タンポポを守る神をご存じでありましょう?」
『たしかに、かつて我らの軍はあの魔猫一匹に、全滅した……そう伝えられてはおる。如何とも、信じがたき事ではあるが、史実であるとは……』
口髭の熟練騎士の言葉を受け、骨の魔術師も、うーむと唸るが納得顔。
話し合いの空気は、そう悪くないものとなっている。
人間と魔族の協力を眺めた四星獣ネコヤナギは、うふふふふっと微笑し。
『たしかにあの子も、あの子の眷属も強いわ。けれど、そもそも今はこの世界そのものが急激に成長している。たぶん、イエスタデイがこの最終決戦に向けて、あなたたちでも戦いになるように調整していたのではないかしら。何度も繰り返した盤上遊戯の中ではトップクラス、あきらかに平均レベルがあがっているわ。忘れないで、あの子はあなたたちに自分を止めさせるつもりでずっと、ずっと、動いていたのだから』
神の助言は民に響く。
しかし、現実的な問題は強者こそ理解している。三皇は自らと部下の戦力を計算して結果が見えているのだろう。
「なれど、のう? 止めるというても……」
「現実問題――現状の我々がイエスタデイ様に勝てるとは思えませんね。卑屈で後ろ向きな考えではなく、前向きな考えとしてです。タイムリミットがある以上、これより大幅な戦力増加は望めない。なにか手を打たなくてはならないのは事実ですので」
終焉皇帝ザカール八世の言葉に、少女はふふふっと笑みを浮かべ。
『あなたたちには多くの選択肢があるわ。一つはこの世界で生活する、生きとし生ける者の中から可能な限りの人数を連れてダンジョン塔を攻略する事。まだヴェルザのダンジョン塔は残されているから……あの塔の最上階をクリアすればいい。ただし、全員を連れて行くとなると物理的に不可能だから……限られた人数が外の世界に転生することになるわ。これを異界神話では、ノアの箱舟というのかしら? 命を選ばなくてはならない、それでも全滅は避けられる』
マギと終焉皇帝が目線をあわせ、考え込み。
「ようはクリア時に最終フロアにいればいいのじゃろ? まあ、空間圧縮の魔術などで多くの民を収納はできるじゃろうが……」
「事情を説明したとしても、三地域の民全員を説得し連れていくとなると少々難しいでしょうね。不可能とは言いませんが……」
魔王が続けて冷静な声音で、怜悧な唇を動かす。
『そもそも転生する権利を勝ち取るという事は、今を生きる彼らの人生はそこで終わるのです。それは彼らに死ねと言っているに近い……最終手段としては候補に残しておくべきでしょうが、僕としてはこの世界を維持するために、父上……イエスタデイ様を止める方向で考えたいですね』
そのままアルバートン少年の視線で、グルメを貪り太っていくヌートリアに視線を移し。
『今はこうして、その……なんか情けない齧歯類になっていますが、この神鼠の中にはたしかにあの方の愛する主人もいるのです。イエスタデイ様を止めようと今、動いているのです。こうしてこの世界で巡り会えているわけですから、あの方を説得するチャンスもあるのでは? 僕はそう思っています』
「そうですね。どちらにしても、一度お会いしたい。ネコヤナギ様に質問なのですが、他の四星獣の方々のお力を貸していただくことはできないのですか?」
終焉皇帝の言葉に、ネコヤナギは考え。
『たぶんナウナウは味方をしてくれると思うわ……実際、いま天上世界では暴走しかけているあの子の本体、願いを叶える魔道具である猫の置物の力を押さえて、結界を張っているのもナウナウですもの』
「ナウナウ様が、ですか?」
『ええ、そうよ。あの子はね? 一生の見世物であることを選んだ終焉皇帝さんの事を気に入っているのよ。それに、もっと大きな理由はきっと、自らで集めたコレクション達ね』
ネコヤナギはナウナウの記録を宿す大きな魔導書を顕現させ。
ふふふふふ。
気まぐれなパンダの行動記録を追いながら、赤い靴をキラキラキラと振ってみせる。
『四星獣ナウナウに召し上げられた人間と魔物はいっぱいいるわ。あの子は自分がされた仕打ちの仕返しに、この世界で命を捕獲して、並べていた。自分だけの動物園を作って、ずっと眺めていたのよ。いつしかあの子も……コレクションを愛でるようになったわ。自分の竹林に動物を住まわせて、まあ、ほとんど自分の世話係にしていたけれど……それでも、あの子と獣神たちはいい関係を築いていた。あの子の本音は知らないわ、でもきっと、この世界が好きなはずよ。だってナウナウは本当に楽しそうに、気に入ったものを全て召し上げてこの世界で遊んでいたんですもの――』
神としての威厳に満ちた言葉を区切り。
一瞬、うぅぅぅ……っと、恨みがましい顏をして少女は続ける。
『ま……まあ、世界管理者のあたしとしては結構大変だったのだけれどね? 本当に、大変だったのよ? ほんとうに……ほんとうに。あの子ったら、すぐにルール違反をするし、なにをするか分からないし……本当に、ほんとぉぉうに問題児なんですもの……っ』
ネコヤナギが珍しく感情を表にだし頬をヒクつかせている。
そのことから、よほどあの巨大熊猫は面倒ばかりを起こしていたと推察できたのだろう。三皇を中心に、乾いた苦笑が漏れている。
ぷくっと頬を膨らませたネコヤナギは、ふぅ……と息を吐き。
『ともあれ、あの子はおそらくこっちの味方。ようするに、ナウナウはこの世界をまだ終わらせたくない側の四星獣。あたしもそう。けれど……ムルジル=ガダンガダン大王は違うわ』
銀髪少女の赤い瞳が、すぅっとシリアスに輝きだす。
『では、あの方は……』
『ええ、おそらくはイエスタデイにつくわ。あの子が暴走していると分かっていても、あの子の本当の目的が自分を止めて貰う事だと理解していても。それでも……ムルジル大王はイエスタデイに味方をする。だから敵は二柱と思って貰ってもいいわね』
重い沈黙が流れる。
『しょうがないでしょう? だって、本体の元が猫柳……つまり樹であるあたしと、自由に憧れて感情を暴走させた巨大熊猫のナウナウと違って、大王はナマズの神性を得ているとはいっても種族は魔猫。分類するならイエスタデイの眷属に該当するわ。この世界の魔猫は全てイエスタデイに従うようにルールが定められているから、強制ルールに抵抗もできないし、たぶん抵抗する気もない筈』
「抵抗する気もない……とは?」
『ムルジル大王は、不当に殺された魔猫の怨念から生み出された荒ぶる御霊。この世界を愛してしまったナウナウとあたしと違って、あの子だけは……この世界に対して強い思い入れはない筈ですもの……』
魔王アルバートン=アル=カイトスが考え。
『それは――困りましたが現実の問題として考えましょう。この海亀の島、ダイナックは大丈夫なのでしょうか? このダイナックは、その……僕の先祖がムルジル=ガダンガダン大王の力でこうなった存在。いわば大王の眷属ですよね?』
『そこは問題ないわ。ダイナックはあなたの力になりたい、人間たちに贖罪をしたい……そう願っているから裏切ったりなどはしない。ムルジル=ガダンガダン大王もそれを了承していると思うわ。問題は……あの子が支配している他の海の魔物と神獣、そして……殺戮令嬢の方ね』
面識のあるザカール八世は寂しそうに眉を顰め。
「暗黒騎士クローディアですか。彼女は……やはり」
『彼女の心は、ずっと――救われていないままですもの』
告げるネコヤナギの言葉に、彼女を知る魔王もまた。
僅かに眉を顰めていた。
暗黒騎士クローディアの存在は、もはや多くの者が知っている。北部でも、魔王領でも、そしてヴェルザの街でもその噂は流れてきている。
空気を打ち破ったのは、やはりこういう状況を掻き乱すマギ。
「だぁあああああああああぁぁぁ! 頭が痛くなってきたのじゃ! なんとかならぬのか! こう、ずばっと解決するような妙案が!」
『ふふふふふ、じゃあそろそろ解決策を教えてあげるわ』
と、銀髪少女は悪戯ネコの顔で美麗にスマイル。
最初からなにか案があったのだろう。
それでも皆に考えさせる、協力させる、そういう意図があったのだろうが。
『誰か忘れているんじゃない?』
「誰かじゃと?」
『ええ、この世界に入り込んでいたのはこの外来種ヌートリアだけじゃない。この子以外の外来種が、ほら、神父ニャイとなってきていたでしょう?』
今も天上世界で盤上遊戯を続けている筈の、異世界の魔猫。
大魔王ケトス。
おお、と全員の士気が向上するのを確認した異聞禁書は――神たる声で続ける。
『神父の目的はこの世界で自分が探していた愛しい子を転生させること、あるいは、この世界で転生しているその子を見つけること。焦げパン色の手をした、彼が愛する魔猫の生まれ変わりを探す事にあるわ。きっと、イエスタデイよりも先にあの子を見つけて保護することができれば――異界の大魔王の力を借りられるはずだわ。そして、もしまだその子が存在していなくても問題ないの――なにしろ、彼はこの世界に賭けている。愛しい命の再生ができると考えている筈なのだわ。だから、彼にとってもこの盤上遊戯がなくなってしまっては困る筈なのよ』
ぶかぶかな袖で、顎に手を当てマギが言う。
「なるほどのう、あの方は大事なそのネコと再会するために――外の世界とは法則の異なる、この世界の性質を利用している、つまり……」
「その子が見つかるまでは、この世界を守り続けてくれる可能性が高い、ということでもありますね――」
皆が前向きになっているその時。
ふと、手を上げた少女がいる。
英雄アキレスほどではないが、観察眼に秀でたスピカ=コーラルスターである。
「あ、あの……少し気になることがあるのですが、よろしいですか?」
「おう、なんじゃスピカよ!」
「た、たぶんなんですけど……その、ネコヤナギ様は、神父が探している魔猫の魂はご存じなのですよね? 神父ニャイの本体の、その、大魔王猫とはお話になられているのでしょうし……」
頷く神の少女に、スピカはアイテム空間を漁り。
「あの、焦げパン色の手をした魔猫って……こんな感じの子じゃないですか?」
告げたスピカは記録を辿り、該当部分を表示する。
ネコヤナギが口元に手を当て、あらららら? と、声を弾ませた。
『あら、本当! たぶんこの子だわ! どうして知っているの? 既にこの世界にいるのなら、とても話は早いのよ。早いのよ! この子を保護して、大魔王にお願いするといいのだわ!』
興奮気味のネコヤナギの声に、スピカはビクっと肩を揺らし。
とてもいいにくそうな顔で、ぼそり。
「あ、あの……この子、たぶん……下手するといま、甲羅の隙間のダンジョンに向かっちゃってますよ?」
その少女こそが、ラヴィッシュ。
英雄アキレスの娘にして、転生を繰り返してもなお記憶を取り戻している少女。
あの子の行方はいま、いずこ――。
◇
ともあれ人々は動き出した。
その目的はこの世界を守ること――。
その優先順位の上位に、焦げパン色の足袋猫ラヴィッシュの捜索が追加され――人々は噂をする。
それは厳重な赤文字で書かれた、魔術文字のせいでもある。
絶対に、いっさいの傷をつけずに保護する事。
傷をつけたものは三皇から厳しい咎を受ける、悪意ある場合は死罪も覚悟されたし。
と、眼にしたものの脳に強制的に刻まれる、契約に近い魔術効果付きで張り紙がされたからだろう。
人々は魔猫を探す。
焦げパン色の、あの子を探す。
盤上世界を守るため。
三地域、各国のギルドにて大規模なラヴィッシュ捜索依頼が展開されたのだった。
世界の命運は、一匹の魔猫少女の焦げパン色にかかっていたのである。




