第139話、盤上遊戯の秘密、その2【謁見の間】
【SIDE:神々と生きる駒達】
世界を喰らい、その地に秘められし魂と同化した楽園の神聖父クリストフ。
そして彼の降臨後に突如顕現したのは、神秘的な美少女。
その正体は盤上世界を管理する四星獣が一柱、人々を目の前にし微笑みを絶やさぬ彼女もまた……神。
異聞禁書と呼ばれる、神樹でありこの世界の記録を綴る生きた魔導書ネコヤナギであった。
少女は比類なき魔力を内に抱いたまま、にっこり。
『ふふふ、ひれ伏せとは言わないわ。けれど、それ相応の態度でいて頂戴ね?』
人々は騒然とする。
当然だ。位の違う神が同時に二体降臨しているのだから――。ただし、騒然とはいっても受け取り方は多くある。実際、彼らは違った。ヴェルザの街の衛兵たちが集合し、ヒソヒソヒソ。
慌ててお茶菓子をどうするか、ここはお神酒をだすべきかあるいは甘い砂糖菓子にするべきか。
いやそれよりも……と緊急相談する後ろ――、相変わらずヴェルザの連中は余裕があるなぁ……と他の町の衛兵たちも落ち着きを取り戻し始めている。
ネコヤナギの元に配置されていくティーセットを眺めてだろう。
狂神を吐き出し、その上で世界を喰らった影響でまともな神性を取り戻した聖父クリストフ。彼の根は真面目なのだろう。
そんな彼らを眺めて、ぼそり……。
『ヴェルザの人間たちは……なんというか、その……マイペースだね』
言われたマギがきょとんと頬の赤みを揺らす。
「妾らがか? まあ魔猫と共に五百年以上も過ごしておれば、多少の心の余裕も生まれようて――」
『そうか、あの子達の眷属が……そうだね。猫を見ていると心が落ち着く、その気持ちは理解ができるよ』
「うーむ……巨大なネズミであるそなたに言われると、なんとも違和感が浮かぶが――まあよい。せっかくならば茶菓子を食うてみよ。ヴェルザはおぬしの愛猫イエスタデイ様がお救いになられたネコの街、献上するグルメもたくさんあるでな」
マギの言葉に、聖父はヌートリアの顔でじっと茶菓子を眺め。
水搔きの目立つ足で、ペタペタペタ。
神への供物であるリンゴのタルトケーキを、むしゃりと頬張り――じっと考え。むしゃむしゃむしゃ! 憑依されている大元、ヌートリアの肉体が食の喜びに目覚めたのだろう。
長い尾を揺らしモシャモシャとグルメを齧りながら、しかし理知的な顔をしたまま――聖父が言う。
『なるほど、たしかに美味しい……ふむ、こういうところもあの子がこの世界を気に入った理由……なのだろうね』
齧歯類の食欲を眺めて苦笑するネコヤナギが、眉を下げて。
『そうでしょうね。あたしと違って他の四星獣達もたくさん食べるから、そう言った部分でも興味を引かれた可能性は十分にあるわ……って、あなた、それ大丈夫なのかしら。魂がふたつ隠れだしているように見えるのだけれど……』
『うぬぅ? 何を言うておる? 我の魂が隠れだしかけておるだと!?』
『我って……。うわぁ、あなた――食事をした影響でヌートリア成分が増してきてるのね……聖父とあの子のご主人様の魂が、ちょっと沈んじゃってるじゃない……』
構わず、どてんと捧げものの前で座り込んで巨大なネズミは、にひぃ!
うましうまし!
グルメうまし! と、ブドウを皮ごと食べてヌートリアレギオンは満足そうにげぷり♪
『なぁに、かまわぬ! 我はここでグルメとやらを味わっておるからな、そちらで勝手に話を進めておくが良かろうて!』
『ちょっと聖父、大丈夫なの? ちゃんと聞こえてる? なにかとっても残念な齧歯類にしか見えなくなっているのだけれど……。まさかこのまま完全なヌートリアにならないわよね? あなたがいないと、イエスタデイが遠慮しなくなってしまう可能性もけっこうあるし、困るのだけれど……?』
『ぐわっはっはははは! 案ずるな神樹の娘よ! 我の中には、聖父もあの男も眠っておる! 今は肉体の支配権を返せと大慌てで魂を駆けのぼっているが、我のポンポンが満たされるまで待っておれと蹴落としてやっているだけの話。んむ、あとは分かるな?』
ようするに、グルメを満足するまで食べたら支配権を返してやる。
そう言っているのだろう。
これだから獣がベースとなっている存在は、すぐにこういう残念な行動をとるのだからと……とネコヤナギは呆れつつも、駒達を見渡し。
『と――とにかく! 情緒が不安定に見えるかもしれないけれど、レギオンとはそういうものなのよ。な、なによその顔は! こんな残念なヌートリアでもその力は本物なのよ! あなたたちならよく知っているのでしょう? あたしと今のこのネズミさんが協力関係にあるってことは、理解して貰えたかしら?』
憑依元であるヌートリアと、聖父クリストフの魂、そして魔猫イエスタデイの主人の魂。
三つの魂が、この齧歯類の身体を共有している。
それを理解しただろう三皇は目線を合わせ、代表してマギが言う。
「ふむ。まあ理解はできた。信用していいともな――というか、その我とか言い出してグルメを貪る今の形態が、ある意味で一番欲に忠実……言うならば、ただの神に憑依されたヌートリアなのじゃろう?」
『まあそうね』
ネコヤナギは細く白い指を口元にあて、目線だけを上に向け。
『弟神の復讐によって楽園の滅んだ神々が亡霊と化し、流れて、流れて、流れて……そして最終的にあたしの故郷ともいえる場所、地球……まあ魔術用語では”遠き青き星”とされるそうだけれど。あの地へとたどり着いた、そして外来種として駆除されているこの子に憑依した――というのが始まりみたいですし――』
「この姿の方が、制御しやすく都合がいいともいえるが――ともあれじゃ、承知した。しかし、そこな齧歯類の言葉が本当であるのならば……それ故にちぃと……困ったことになってしまった。やはりあの方は、この世界を滅ぼしになる……そう、お決めになられたのじゃな……」
『そうね……実際に眷属である魔猫を集めて既に動き出しているのは本当よ――あなたたちもその奇怪な行動は把握しているのでしょう?』
ネコヤナギは出されたお神酒に持参したハチミツを流し入れ。
銀髪をふわりと揺らし、ズズズズ。
『イエスタデイはもう自我と理性を放棄した、ただ願いを叶えるための魔道具へとその魂も思考も切り替えてしまっている。あの日に帰るため、願いを叶えるために障害となる感情をあえて切り捨ててしまったのよ、こういうのを初志貫徹というのかしら?』
「そうか……それは、妾としては少し寂しい話じゃて」
漏れていた息は、時の長さを感じさせる幼女の憂いである。しかし落ちるため息を掬い上げるように、四星獣の少女はふふふふっと笑みを作る。
慈愛を感じさせる声音で、凛と告げたのだ。
『あら、嘆くことばかりじゃないわ。だってあの子はちゃんと布石を用意していた――長い時の中で、あの子はずっと前からあなたたちにチャンスを与えていたんですもの』
「と、おっしゃいますと?」
『北部の人間は知らないかもしれないけれど、あの子は本来なら世界を元に戻すために溜めている力を、どんどん、わざと放出していたのよ。あなたたち、盤上遊戯の駒の願いを叶えるという形でね――。まずあの子はこの世界のために、自らの弱体化を図ったってことよ。ちゃんと記録を辿れば、その形跡がいくつも出てくると思うけれど――』
銀髪少女が、ぎゅっと思い出を辿りながら。
『それはたぶん全部、あの子のやさしさね。あの日の思い出のせいね。あの子はいまだに後悔しているの、自分のご主人様を守れなかったことを……嘆いているのよ。かつての草原、かつての世界。自分のご主人様を守り切れなかった弱い自分と、弱いあなたたちを重ねたのでしょうね。だから、魔猫イエスタデイの願いを叶える駒として誕生したあなたたちに、同情していたのよ』
神を宿すヌートリアレギオンが一瞬、揺らぐ。
荒魂としての側面が、魂をねらねらと揺らしだしたのだ。
イエスタデイの主としての声が、その口から零れていた。
『あの日、あの子は必死に僕を守ろうとしてくれた。僕もあの子を守ろうと神々に抵抗した、けれど……僕は所詮、神の作り出した人形で奴隷。あの子を守ってあげることができなかった。神の嘲りと道具を見下すあの目は今でも忘れないよ。ああ、そうだ……あの子を魔道具へと改造した神々が今でも憎いとを思っている。まあ、そんな神々も滅び、その残滓と同化している僕が言うのも変な話だとは思っているけれどね』
まともな言葉を漏らしつつ、すぐにまた本体ともいえるヌートリアに意識を乗っ取られたのだろう。
どでんと水掻きの足を前に出し、ムッシャムッシャとヌートリアは食事を再開する。
ジト目を向けつつ、ネコヤナギは言った。
『だから、あの子は自分の力の根源ともいえる願いの力を使い続けた――本当なら自分のために溜めないといけないのに、肉球を伸ばし続けたのよ。一番顕著なのは、悪人の願いであっても叶えていたことね。それが悪人が見せた一瞬の煌めき、一瞬の善性であっても――純粋で良き願いであるのならと……手を差し伸べたことね。本来ならそんなことをしたら、善性をスタンスにしていたあの子は大幅に弱体化してしまう。あの子は本来、良き魂をもつ者の、良き心の願いを叶えることに特化しているんですもの』
イエスタデイの物語を再現しているのか。
いくつもの魔導書、童話書、逸話を書物として顕現させながらネコヤナギが眉を下げる。
『あの子は悪人でも、その瞬間の願いさえ綺麗ならば――救ったわ。わざと自らの力を弱めるために、悪しきカルマを持つ者の願いを叶えて……無駄に力を使い、少しでも自らの力を弱めようと動いていた、あたしたちにも内緒でね。ねえ、マギちゃんにアルバートン。あの子が盤上遊戯で叶え続けていた願いと、伸ばし続けた肉球の物語は伝承としても伝わっているのでしょう?』
と、告げる言葉に魔王と幼女が同意する。
頷く王たちを横目に、少女は淡々と語る。
『あの子はね? イエスタデイはね? 自らを弱体化させながらこの世界で賽を振り続けて、同時にあなたたち人間を育てていた。ずっと、成長を促していた。神であり上位存在でもあり、そして身勝手な願いを叶えようとする自分に対抗できるように、人類に強くなって欲しかったのよ。マギちゃんなら千年間、人間として生きていたのだから少しは思い当たることもあるんじゃないかしら?』
「イエスタデイ様は……妾がまだ不老不死になる前も、ダンジョン塔を歩いておられた。あれは……人間がダンジョン攻略を諦めないように、飽きないように、挫折しないように、様々なレアアイテムを宝箱として設置していた……と、そういうことじゃろうか」
パチパチパチと胸の前で小さな拍手を作り、にっこり。
『正解よ。そもそもドググ=ラググが生成した劣化エリクシール、あれの元になった真なるエリクシールを作ったのも、イエスタデイ。あの子が人間強化の一環として用意した仕掛けの一つ。きっと調べれば、記録を辿れば他に多くの仕掛けが見つかるんじゃないかしら? あの子はあたしたちにもそれを伝えていなかったけれど……たぶん、色々と裏で工作していたんでしょうね。ログからは表面上の情報しか読み取れないけれど、あの子の事ですもの――楽しみながらあなたたちの成長を見守っていたんじゃないかしら』
ネコヤナギの言葉に、護衛の誰か。
おそらく北部の人間……先ほどの口髭を揺らす熟練の騎士が言う。
「大変申し訳ないが、ひとつよろしいか?」
『なにかしら』
「聞かせてはいただけぬか、四星獣ネコヤナギよ」
『なにを?』
神に会ったら聞きたいことがあった。
そんな顔で、熟練の騎士はぎっと神を睨みつけていた。
「我等人間の八割が滅び、魔族に人類という立場を奪われた――あの一連の地獄。追いやられ、攻め立てられ、魔物に怯え生きたあの生活も全て、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの企みだったというのであろうか。あれは我らを鍛えるための、イエスタデイ様のご意向だったというのか! 成長させるためとはいえ、それは――あまりにも……っ」
「た、たわけもの! 神の御前で何たる無礼を」
それは神への反逆か。
協力をしてくれる神への無礼にマギが立ち上がった、その直後。マギを制止したのは、他ならぬ異聞禁書ネコヤナギ本人だった。
『いいのよマギちゃん。神へ自分の意見を告げる、それってとっても素敵なことよ? 少なくとも、あの子にとってはうれしい事なのだと思うわ。イエスタデイが促した成長の成果と言えるでしょう? だから許します、あなたの言葉も無礼も許します』
それでも気まぐれなネコヤナギがなにをしだすか。
魔王アルバートンは、少し困り顔をして見せるが……銀髪少女は魔王に目線を送り。
『心配しないで、本当よ? 気に入らないけれど、気に入ったわ――北部の騎士さん。他の人もいいわよ、いいわよ? 構わないわよ? この機会に疑問があるのなら答えてあげる。そもそもあたしはこの世界の管理者なんですもの、あなたたちといっぱい、お話をしたいわ。聞きたいわ、知りたいわ』
彼女自身は気づいていないかもしれないが。
いま、こうして神であるネコヤナギが駒の声を聞こうとしていること自体が、成長でもあった。神もこの世界を通じて、大きく成長している。それを察しているのは、不老不死に近い魔王とマギのみ。
彼らはかつて人間でありながら、眺め続けた。
ずっと、ずっと……この世界を。
それはこの地に生まれた彼らの長い物語。統治者として眺め続けた物語。本当の意味で永遠に近い時を生きている神には並べぬが、それでも、人の身では十分なほどに、人間の良いところも悪いところも彼らは眺めていたのだ。
三皇が、もし限度を超えた無礼があるなら即座に止めると目線で会話をしたその後。
臣下の誰かが言った。
「神よ、なぜ――なぜあなたは人間をお救いにならなかったのですか! なぜ、魔族などという新しき人類をお選びになられた。我等は、我等はあなたがたに見捨てられたのか!?」
「我らは先祖の嘆きを、物語で知りました」
「あなたに刻まれた記録で知りました。あまりにも、あまりにも……悲しい死でありました」
人間たちの声が、神に向かい叫んでいた。
「なにゆえ、あなたは――我らを切り捨てた!」
それは――。
敵意とも悪意とも違う、嘆きに近い声だった。
北砦で、明日をも知らぬ日々を必死で生きたレイニザード帝国の人間の叫びだった。
皇帝直属の護衛である彼らの職業は、神への信仰を力の一部とする聖騎士なのだろう。
だからこそ、神への疑問や疑念が浮かんでいるのだろう。思わずにはいられないのだろう。
実際、神々が人間の滅亡に近い状態を放置していたのは事実なのだから。
『そうね、そこからなのね』
それも知らないの? 分からないの? そう言ったのは、ネコヤナギの周囲に咲く花々だった。
四星獣ネコヤナギは神たる声で威光に満ちた瞳を細める。
『勘違いはしないで欲しいわ。そして始めに言っておくわ』
神の言葉が、疑問を叫ぶ者たちの顔をまっすぐに眺めていた。
『旧人類から新人類への移行。その流れはイエスタデイが企んだことではないわ。だって、当時のあの子は眠っていたんですもの。もちろん、あたしの独断でもない。あたしはただ見守っていただけ――あれは、あなたたち自身の問題であり、そして自らが招いた一つの物語の終わりだった。それだけの話よ』
「意味が、わかりません」
『そう? あれはあなたたちの先祖の暴走のせい、当時人類と呼ばれていたあなたたちの驕りが返ってきただけの結末、避けられない帰結だったと思うのだけれど……』
創造主ともいえる存在に食って掛かる。
それは確かに成長だった。けれど、そこには危うさもある。三皇は緊張しながらも、流れを見守っている。そして盤上世界を愛するようになったネコヤナギも、見守っていた。
人間も魔族も、そして四星獣も成長していたのだ。
『そうね、ごめんなさいね。あたしはあなたたちの心について、正直まだ分からないの。だってあたしは樹ですから……あなたたちをずっと眺めているから、どういう時に泣いて、どういう時に喜んで。そういう事は知識として知ってはいるのよ? 本当よ? でも――何を嘆いているのか知ってはいても、本当の意味では理解していないのでしょうね』
だってあたしは樹ですから、と。
赤い瞳の少女は銀髪の下で、悲しい笑みを浮かべていた。
『もどかしいわね、とても、難しいわね。だから、いいわ、もう少し詳しく語ってあげる――あたしからも、あなたたちに歩み寄るわ』
少女神は言葉と共に、顔を上げていた。
皆が、その神秘的な表情に心と目を奪われていた。
心を知らぬ筈の神樹が見せた笑みは、慈愛で満ちていたのだ。
愛でいっぱいだったのだ。
分からないから、対話を持って互いを知りたい。
そんな、いままでにはない神の反応だった。それも心の成長と言えるのか。一番この場で驚いていたのは……おそらく、魔王アルバートン=アル=カイトスだっただろう。
神との対話はまだ始まったばかりだった。




