第138話、盤上遊戯の秘密、その1【謁見の間】
【SIDE:盤上世界の三皇】
永遠に続くと思われた盤上世界。
四星獣が賽を振り続けたゲームの終焉。
それは四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの願いが叶うときの弊害。
二者択一の問題。
遊戯の舞台へと変えられた主人を、元の人間に戻す事により発生する避けようもない終わり。主人の存在そのものが世界へと作り替えられているのだから、それを元に戻したとしたら……。
幼女教皇マギは状況を理解し、ぐぬぬっと息を呑む。
「どうにかならぬのか! 四星獣たちも、神なのじゃろう!? おぬしとて、話を聞く限りは楽園の神。同じ技術で、たとえば新しく世界を作り……だ……し――」
マギの声がかすれていく。
そう、それは次の犠牲者を作るという事でもある。だから言葉を飲み込んだ。幼女はぷにっとこぶしを握る。唇もむぎゅっと嚙み締める。そんな千年を生きる彼女の苦悩を眺め――。
ネズミへと身を窶す聖父クリストフは言う。
『仮に外の世界の人間を捕獲し、新たな盤上世界を作り出したとして――それは新たな悲劇を生むだけ。僕のように猫を愛する者と、僕のような主人を愛してくれる猫。二つの魂をイケニエに用意しなくてはならない。勝者の願いを叶え、愛する世界を見守り続ける猫の置物と……世界そのものとなった人間。無限に繰り返す終わらぬ遊戯を維持するためにね』
ヌートリアレギオンは天井を見上げた。
まるであの日の草原を見るような顔で。
『僕とイエスタデイ。僕たちはあの楽園の奴隷、神が作り出した人形の中でもっとも互いに互いを愛していた存在だった。だから選ばれた。それが盤上遊戯を創生したときの魔術発動条件だったのだろう。それにだ、ここからが重要なのだが――いいかい。いま仮にだ、同じ魔術を発動したとしても……おそらく、失敗する。その魔術は成功しないだろうね』
人道的な側面や倫理を別として、魔術そのものがレジストされるだろう。
と、ヌートリアレギオン聖父クリストフが皆を見渡す。
三皇の中でもっとも状況を冷静に分析しているのは――終焉皇帝ザカール八世か。彼は会議場となった謁見の間を見渡し、他に意見する者がいないとみると、行動を開始していた。
皇帝としての非道な側面を隠さず口を開いたのだ。
「それはつまり、この世界を守るために外の世界に攻め込み対象者を確保しても、無駄。ということですか?」
『如何にも』
肯定を受け。
終焉皇帝ザカール八世が、ぞっとするほどの無表情で告げる。
「本当にそうなのでしょうか。いまの盤上遊戯では魔導技術も発展している。長い歴史の中で蓄積された三国の技術が、集結している。可能性は無限にある。神よ、聖父よ。あなたがたの知らない技術も生まれようとしているかもしれない。可能ならば……、外の世界の誰かを使い試してみてもいいのではと――思わずにはいられない」
それは善でも悪でもないスタンスの王が見せた、剥き出しの悪意。
世界を守るための淡々とした決意だったのだろう。
「ザカールよ……っ。そなた! なにをいっておる!」
「千年幼女よ、勘違いしてはならぬ。既に我らは攻め込まれているのだ、こちらはその反撃という大義名分がある。やられたことをやり返しているにすぎぬ」
「じゃが――っ」
「――事実! 改心、あるいは状況がそうさせているのだろうが――目の前の聖父はこうして対話をしているが、つい先日までは我らの臣下を殺しヌートリア化させていたのだ。我は忘れぬ、ヌートリア化によって尊厳を奪われ、心を奪われ、泣くことさえもできずに我等と敵対した彼の者らの絶望を」
ザカールが魔力聖痕を敵意の色に輝かせ。
スゥっと鋭く冷たい王者の顔を見せる。
「わたしは忘れぬ、彼らの無念を――外部の者達が我らに攻撃してきた、それも一方的な攻撃である。それでもわたしは戦った、我らは戦った、我が部下たちは命を削り国を守ってくれた。命を捨ててでも民草を守るために魂を燃やした彼らの意思を、わたしは無下にしたくはない。優しいだけでは民は守れぬ。厳しいだけでは民は守れぬ。我ら三皇にはこの地を守る義務がある、この地で生きる民を守る責務がある。時には非情にならねば、世界は守れぬ」
空気が、凍てついている。
しかし世界がこのまま消える。そんな終焉が近づいているのなら、対処しなければならないのも現実。非情で非道であるが終焉皇帝ザカール八世の言葉は、建設的な話ではあった。
皆は、彼が憎まれ役を買って出ているとは薄々感じているのだろう。
魔王アルバートン=アル=カイトスが、アルバートン少年の声音で言う。
『もし可能ならば、ザカールさんの考えも……考慮すべきでしょう。ただ、聖父は不可能だと断言されている。根拠を伺っても?』
ネズミの神は頷き。
魔術式と呼ばれる、外の世界の魔術法則で図説を展開してみせる。
天井には青い未知の数式が広がっている。やはりここでも図書館と考古学による判定が入り、理解できている者は最上位に位置する存在に限られていた。
『言っただろう。世界を作りしあの魔術は、その世界でもっとも互いに愛し合っている存在、主従が必要になると。互いの愛、すなわち心を世界創生の力に変換しているのだろう――だから術を発動したときに強制的に選ばれるのは、その世界でもっとも主人を愛するネコと、もっともネコを愛するその主人。そこが一番の問題だろうね』
「どういうことじゃ? 妾には……その、試す気はないが、ここからでもその非道な魔術が発動可能であるように読み取れるのじゃが……」
それは人道的な問題を一時的に取り除いた、あくまでもできるできないの話。
ネズミは魔術式を歪なネズミな指でなぞり――そこに刻まれた文字を赤く光らせる。
そこには二つの名が刻まれている。
『今、この魔術を発動した場合――盤上遊戯創生魔術の対象者になるだろう存在。彼らは、強大すぎる。特に、その飼い猫の方は――危険すぎるんだ。君たちはニャイ神父と、その正体を知っているだろう?』
「まあ……全てではないにしても、逸話は耳にしたが……」
外の世界から入り込んできた大魔王猫。
最強に近い、魂の器も魔力のレベルも数段上の次元違いの存在。
逸話魔導書グリモワールを眺めて聖父は瞳を閉じ。
告げた。
『その大魔王ケトスを一度滅ぼした存在こそが、盤上世界創生魔術の対象に選ばれるだろう飼い猫といったら……少しは理解して貰えるかな』
「な……っ」
絶対的な強者だとされていた存在を、滅ぼした存在。
神父ニャイを知るスピカ=コーラルスターも、息を呑んで状況を見守っている。
『大魔王を滅ぼした世界最強の魔猫。かの魔猫は大魔帝と名乗っているそうだが、彼は主人をとても愛している。そして主人も彼を溺愛している。もし仮に、この世界の誰かが彼の主人を対象に魔術発動をしたら敵対行動とみなされ、この世界はその瞬間に終わるだろう』
「瞬間じゃと!? た、たしかに強い猫神なのじゃろうが――少々、大げさすぎるのではあるまいか?」
マギの言葉に、聖父クリストフは首を横に振る。
そして、神としての力であくまでもそういう可能性の未来もあると、そうなった場合の映像を再現してみせたのだろう。
そこには、全てが無に帰した後の盤上世界と、その上で冷徹な赤い瞳を尖らせる、邪悪な黒い塊が蠢く姿が見えていた。
宇宙そのものが魔猫となったようなソレが、じぃぃぃぃぃぃ。あくまでもシミュレーション映像にもかかわらず、ギロリと背筋が凍るほどの悍ましい眼光で――この世界を睨みつけていた。
映像の中の、黒々とした闇の塊が、蠢き唸る。
――あの方への狼藉を我は許さぬ、けして――ゆめゆめ忘れるでないぞ、遊戯駒から派生した脆弱なる命どもよ。
と。
くははははははは!
高らかな哄笑だけを残し、映像がブツっと途切れてしまう。魔術によって可能性の未来を映しただけ。それだけなのに、あの魔猫は理解した上で盤上世界を睨んでいたのだ。
全員が言葉を失う中。
聖父クリストフは理解して貰えただろうとばかりに鼻先のネズミ髯を動かし。
『というわけだよ――見ての通りだ。神と言えど所詮は個である僕たちが宇宙には勝てぬように、アレにはけして届かない。大魔帝は主人への攻撃に関しては、一切の慈悲をかけない恐ろしい存在だとされている。四星獣といえど、おそらくは防ぎきれないだろう。だから、この案は絶対に使えない――』
話を聞き、ザカールは僅かに安堵したような表情を一瞬見せる。
「ならば、他の手段を考えねばならないですね……」
「ふん、外道な手段を使う事を誰よりも忌み嫌うくせに、一番に提案するとは。おぬしも難儀な性格じゃて。して、聖父とやら。何か他の解決策はあると思ってよいのか?」
聖父クリストフはもう一つの可能性を提示するように話を続ける。
『少し話を戻そう――ただの駒だった筈の君達を愛してしまったイエスタデイは迷ったのだろうね。そして悩んだのだろう。僕と自分を非道にも魔道具に改造した神々と同じ、神だからと言って非道な行いをしていいのか? 自由に生き、自由に動くようになった駒だった君たちの人生という名の物語を眺め、考え続けてたのだろう』
『ええ、そうね。あの子はそういう子。だからあの子はあなた達にチャンスを与えたのよ』
与えたのよ、与えたのよ。
と。
謁見の間の天井から輪唱するのは、異聞禁書ネコヤナギの分霊たる少女だった。
再び、別の神の降臨が開始される。
周囲の目が注目する中。
銀髪赤目の誰の目から見ても神秘的な美少女が、こつんと赤い靴の音を鳴らし降りてきたのだ。
『あたしも話に参加させて貰うわよ? 招待状はないけれど、構わないわよね?』
魔王アルバートン=アル=カイトスが、見慣れた少女に目線をやり抱いたのは――安堵。
穏やかな笑みを浮かべて言葉を零す。
『ご無事だったのですね』
『そりゃあね、だってあたしはこの盤上世界の横、楽園に聳え立つ一本の神樹ですもの。もしあたしが滅んでいるのなら、あなたたちだって一緒に滅んでいるもの。あたしたちが生み出した世界最強の駒。この盤上遊戯で初めて発生した唯一の駒”魔王”なんですから、少し考えたら分かるでしょう?』
『それでも、やはり心配はしていましたよ』
まるで家族に向けるような心配を受けて、赤くなった頬を誤魔化すようにネコヤナギは目線をそらし。
『と、とにかく! もしあたしが滅んだとしたら、あなたたちの今までの記録が逸話魔導書として保存はされるでしょうけれど……ゲームは終わり。あたしが無事ならば、まだ世界は無事って事よ。よかったわね、あなたたち』
「ネコヤナギ様。そ、それで、イエスタデイ様が妾らにチャンスを与えたとは……いったいどういう事なのじゃ」
『もう、マギちゃんはせっかちなんだから。まあ、いいわ、他の人も知りたがっているでしょうし教えてあげる。けれどその前に、初めましての人もいるでしょうから自己紹介をするわね?』
こほんと咳ばらいをし、彼女はふわっと宙を浮かび――玉座の上空付近から金赤絨毯の上に赤い靴で着地。
愛らしいリトルレディの仕草でスカートの裾をすっと摘まみ。
慇懃に礼をしてみせ――。
『初めまして、人類と旧人類のみなさん。あたしたちの遊戯の駒だったあなたたちに挨拶するわ。あたしは記録を司る四星獣。異聞禁書ネコヤナギ。種族は植物獣神。あなたたちが記録と呼ぶ存在。あなたたちの全てを記録する、生きた魔導書よ。もっとも、今は地母神としての神性も得ているけれど――まあ、あなたたちを庇護する存在だと思ってくれていいわ』
挨拶をしてみせた彼女はそのまま聖父クリストフに目をやり。
『敵だった彼だけの言葉じゃあ信用も信頼もできないでしょう? 罠の可能性もあると思われちゃうでしょう? だからそうじゃないわ、一応、それは今だけは本当に味方だから――って言いに緊急顕現してあげたの。ふふふふ、どう? あたしって結構気が利くでしょう? 感謝してくれても構わないわ』
褒めてもいいのよ?
褒めてもいいのよ?
むしろ、いっぱい褒めなさい?
と、魔猫の花を咲かせる少女は生きる駒達に目線を戻し。
優しい笑みを浮かべていた。
しかし新たな神の降臨を受け、安堵と同時に人々は悟っていた。
この終焉は真実。
事態は本当に、深刻な状況なのだろう――と。




