第133話、英雄たちの娘【焼き鳥屋の店主宅】
【SIDE:ヒーラー魔猫少女】
ここは海亀ダイナック自身が生成した、甲羅の上の居住区域。
焼き鳥屋店主の家。
英雄の両親の元から家出をした魔猫の少女は、咳き込む幼女のベッドの上にいた。
一見すると寝床を探すネコの姿にみえるが、幼女の布団を寝床として奪おうとしているわけではない。ヒーラーとしてやってきた魔猫は真剣そのものだった。ふわふわな毛並みの色は、窓から入ってくる太陽の光を吸収し純白である。
毛布の上で念じ、診察のための鑑定の魔眼を発動しているのだ。
病に臥せる幼女の母親に目線を移し。
丸い口をふんわりとを上下させる。
『お父さんの話だと、それほど重症じゃないって話だったけれど……これじゃあ治らないわね』
「え!? ……と、おっしゃいますと?」
『これ、たぶん風邪じゃなくて呪いの一種ね。たとえばだけど、宝箱の開錠に失敗した時の罠にかかったとか、そういう類の印象なんだけど――ねえ、娘さんってダンジョンとかに潜ったり……は、する歳じゃないか。それともヴェルザの街ではもう成人判定だったりするのかしら?』
幼女の母親は心配そうに眉を顰め。
「い、いえ。十五歳からがダンジョンに潜れる年齢ですが……」
『なるほどね――』
どうみてもこの子の歳は五歳前後。
終焉皇帝ザカール陛下と英雄アキレスがダンジョン塔を攻略する前、魔物に圧されていたレイニザード帝国とて五歳の子どもをダンジョンで戦わせたりなどしない。
実際、魔猫の少女もアキレスの娘として戦いに参加したのは十歳の頃だった。
――まあ、それでも当時は相当驚かれたんですけど……って、あたしのことはどうでもいいのよ!
魔猫の少女はうにゃうにゃっと考える。
呪いによって発生した疫病か。あるいは、新種の病気か。亀の上の島という事で、大陸の時とは違う状態異常が発生しているのか。それとも外来種からの攻撃か。
それとも、ヌートリアの口から吐き出されたという神の駒の……。
――神の呪いだったら厄介ね。最近あったのは……魔王領での戦い。魔王城が襲われていたって話だけど……あれって、お父さんとお母さんは何か知っているのかしら。もしその件が関係しているのなら……。でもなあ、今は会いたくないし……。
考える魔猫の少女は、やはりうにゃうにゃっと頭を悩ませるが。
その瞳が幼女のある変化に気が付き、じぃぃぃぃぃぃ。
この病に臥せる少女は明らかに目線をそらしていた、それも、お母さんに気付かれてしまったらどうしよう? 怒られるのではないか、そんな、幼女特有のどきどきした顔である。
『なーるほどねえ、悪いのだけれどお母さん。ちょっと席を外して貰えるかしら?』
「それは構いませんが……」
『心配しないで、ちゃんと治してあげるわ。料金ももう貰っているしね、治療魔術を使うんだけど――範囲内に別の個体、つまりあなたがいると術の集中が乱れちゃうのよ。安心して、これでもあたし人間だった頃もそれなりに優秀なヒーラーだったから、腕は保証するわよ?』
自分で言い切って、えっへんと胸を張る魔猫。
耳としっぽも、ピンと偉そうに立っている。
ヴェルザの街の住人である母親は、ヒーラー魔猫が頼りになると知っているのだろう。
その言葉を信じ、母親はお湯を沸かしてきますと娘の頭を撫でてキッチンへと移動する。母親の気配がちゃんと去ったことを確認すると、魔猫は悪戯ネコの顔をして。
『さてと、お嬢ちゃん。あなた、あたしに何か言いたいことがあるんじゃないかしら?』
病に伏せる幼女の、ぷっくらと膨らんだ口が言う。
「……ごめんなさい、ネコさん。あのね、あたし……ね」
『分かってるわよ。内緒でダンジョンに入ったのね』
「うん……」
『でも変ね。ここって亀島ダイナックでしょう? まだできたばかりの領域ですし……ダンジョンがあるだなんて話、聞いたことがないのだけれど』
んーっと考える魔猫に、頬を熱で赤くする幼女が言う。
「あのね、ネコさんたちが夕方になるとね、みんな、あそこにいくの……あたしね、そのネコさんたちについていって……カメさんの甲羅のあいだにある、穴にはいってね――」
『ふーん、そう。猫達が……』
「あたし、死んじゃうの?」
『バカねえ、このあたしがいるんですから死なないわよ。あなたにかかっている呪いもちゃーんと治してみせるから、たまにしか失敗しないし、安心して?』
魔猫がウキウキ顔で幼女の顔を覗き込んでいる。
未知のダンジョン情報に、未知の呪い。
それは魔猫となった少女の好奇心を満たすには、十分な情報だったのだろう。
「え。あの、たまに失敗って……?」
『あぁ、誤解を招く表現だったわね、絶対じゃないって事よ。そう、たまに失敗したこともあったってだけ。けれど安心して? お嬢ちゃんの呪い程度なら問題なく治せるから』
かつてダンジョンで失敗した経験を思い出した魔猫の少女は苦い顔。
魔猫の少女は思い出す。
それはレイニザード帝国に聳え立っていたダンジョン塔の最終階層。当時人間だった頃の少女が、十五歳にして初めて経験した失敗の記憶。
あの時、神に誓って願った希望の影響で、彼女は今こうして魔猫となっている。
あの最後の戦いで――。
全滅する同胞たちを眺め、英雄の娘は四星獣に願ったのだ。
何を犠牲にしてもいい。残りのあたしの人生、全部を持って行って構わない。だからどうかあたしに、みんなを治す力を、お父さんとお母さん、それに皆を癒す力を、あたしに頂戴……っ。
――と。
不老不死であるはずの父アキレスの負傷。
ダンジョン遠征の装備修理士として同行していた母、ガイア=ルル=ガイアの致命傷。
限界を超えて支援バフを発動させ続けた終焉皇帝ザカール八世の、魔力枯渇による戦闘継続不能状態。
両親の制止を振り切り、少女は神に願った。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアはその願いを聞き入れた。
それが純粋な願い。
心の底からの、自分ではない誰かのための希望だったからだろう。
それは善性。良きカルマ。
イエスタデイ=ワンス=モアが最も是とする、感情だった。
だから奇跡は起こった。
旧人類は勝利した。
ダンジョン塔完全踏破を達成した。死者はほとんど出なかった。
それは最終決戦にて、自らの身を回復を最も得意とする種族、ヒーラー魔猫へと転化させた英雄の娘の、自己犠牲のおかげであったと知っている者は少ない。
勝利の宴は盛大だった。
けれど、一つの家族は複雑だった。
父アキレスはどうして……と、悔しそうに唇を噛んでいた。
母ガイアは、あなたを連れてきてしまって……ごめんなさいと、泣き崩れた。
それでも魔猫となった少女に後悔はなかった。彼女は一番大事な人たちを守ることができたからである。そしてなにより、戦線が崩れたのは、不老不死であるはずの父が負傷したことで動揺した少女が招いた、軽率な行動のせいだった。
つまり、少女は自分のせいでこうなったのだと自覚していた。
けれど、不思議なことに魔猫となった少女は自分の事を覚えていた。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアや四星獣ナウナウの手によって姿を変えられたものは、前の種族だったころの記憶をほとんど失ってしまう。いわば転生に近い形で姿を変えるのだが――少女だけは違った。
今でもはっきりと、皆を覚えている。
そもそもだ。
少女には不思議な能力があった。
なぜか、何度も生まれ変わった輪廻の記憶が残っているのである。
今が何度目の転生だったのか、それは分からない。
分からないほどに、繰り返しているのだ。
なぜ自分だけが他人と違うのか。
それは英雄の娘だから? それは終焉スキル保持者の娘だから?
終焉スキルは遺伝する。だから、その影響?
答えは分からない。
けれど、魔猫になった少女はこう思っていた。
ああ、やっと。
あの英雄たちの娘という重い楔から、解放されたのだと。
少女は両親が大好きだ。
愛しているといってもいい。
けれど、その大きな名にいつも押しつぶされそうになっていたことも、事実だった。
だから――。
――あたしはこのまま、魔猫のままでいたい。
――英雄アキレスの娘に、終焉スキル保持者ガイア=ルル=ガイアの娘に戻るのは……嫌。
それに――。
なぜか知らないが、誰かと会わないといけない。そんな衝動と焦燥が、魔猫となった少女の胸を伝っていたのである。
少女は昔から、変わった夢を見ていた。ここではないどこか。遠い世界、遠い昔。別の場所で、ネコとして生きていた白昼夢を見ることがあった。
瞳を瞑ると、いつもあの白い猫の顔が浮かぶのだ。
あの時死んだ自分の頬を舐め、肉球を舐め、温めていた、あの日の白い猫を――。
あれはいったい、誰なのか。
この記憶はなんなのか。
分からない。
繰り返す盤上遊戯の世界。四星獣達が永遠にダイスを転がし続けた、遊戯の中。少女は何度も生まれ変わった。その度に、少女は前世を思い出す。そして、その果てに――あの白い猫の顔が思い浮かぶのだ。
路地裏で絶望に鳴く、白い猫。
何度生まれ変わっても、いつも必ず思い出すあの路地裏の光景。
あの子はいつも泣いていた。
動かぬネコに寄り添い、どうか動いてくださいと温め続けた頼りない猫の顔がどうしても――。忘れられない。
もう泣かないでと、その顔を撫でてあげたかったのだ。伸ばした手は、少女の腕だった。けれど今は違う。
今はあの白い猫と同じ、魔猫となっている。
何度も発生する盤上遊戯の中で、彼女が魔猫へとなれたのは今回が初。
会いたいと、魂の奥が叫んでいるのだ。
この機会を逃したくなどない。
だからだろうか。やはり、もう一度あの言葉が浮かんでくる。
ねえ、あなた。お願いだからもう――泣かないで。
と。
だから少女は家出をした。
あの魔猫を探していた。
それに。
少女は思う。
――ぶっちゃけ、お父さんって過保護だし、疲れるしうざい。
と、少女は年相応な反抗期としての一面も持っているので、話が余計にややこしくなってくる。
まさか父が本当に四星獣ムルジル=ガダンガダン大王を見つけて、願いを叶える権利を勝ち取ってくるとは思っていなかったが――本当にできてしまった父だからこそ、娘にとってはその名がどうしても、重いのだ。
だから。だから。だから。
『はぁ……あたしって、言い訳ばかりね……。でも、夢の中に出てくるあの白い魔猫に会いたいっていっても、信じて貰えないだろうしなあ』
「ネコさん? どうしたの? おなか、いたいの?」
幼女に心配されている。
しかも呪いによって、弱っている患者にだ。ヒーラー失格ね、と思いつつ魔猫はにっこりとした笑みを作る。
誰かを癒したいと願う気持ちは、本物だった。
『あはははは! ごめんなさい、考え事に夢中になってただけ。大丈夫よ! それじゃあ始めるわ――!』
焦げパン色のグラデーションが栄える耳と黒足袋の足を輝かせ。
スゥっと瞳を細めていた。
あまり硬いレンガを歩いていない、やわらかい膨らみの肉球も輝き。
淡い光が幼女の寝室を照らし出す。
それはヒーラー魔猫の回復魔術――。
膨大で、比類ないほどの魔力の渦が発生し、周囲に十個の円、十重に連なる魔法陣が形成される。世界が揺れる、風が吹く、ぶわぶわっと揺れる獣毛の先。
焦げパン色のグラデーションが魔猫の腕で輝いている。
『あなたに希望の光を――《聖光猫治療》』
亀島から伸びる光の柱が、雲を貫くほどの速度で飛び立ち、虚空に消えた。
それは回復魔術発動の波動。
そう、魔猫となった少女は最上級の回復の力を有していたのである。
よほど、魂が魔猫として相性が良かったのか。
幼女の呪いが解けていく。
元からヒーラー職だった彼女はヒーラー魔猫となり、ますます癒しの力を増している。
せっかく回復の力も伸びているんだし、戻るのなんてもったいないじゃない?
と、魔猫の少女は両親の心配を知りつつも、家を出たのだ。
幼女の頬が紅葉のように赤く染まる。
熱ではなく、幼い子供の健康的な頬である。
幼女はキラキラキラと瞳を輝かせ、焦げパン色のグラデーションの先。
ぷにぷにな肉球を撫でて、にっこり。
「ありがとう、ネコさん! ねえ、ネコさんのおなまえは! おなまえはなんていうの!」
『そうねえ。まあいいわ! 特別に教えてあげる』
魔猫はびしっとポーズを取り。
首筋のラインが綺麗に見える角度を計算して、ふふん!
『あたしの名はラヴィッシュ。世界最強の魔猫になる天才ヒーラーだって覚えておくといいわ!』
ちょっと偉そうな名乗りを上げたのだった。
天才ヒーラー魔猫の出現は、亀島ダイナック大陸に瞬く間に広がった。




