第128話、旅鼠編―エピローグ前編―
【SIDE:リーダー・ストライプ】
青い月が見守る夜の世界。月光を吸って輝く草原。
勝利を祝う城の裏。
旅鼠の赤い獣の瞳は一人で静かに、魔王城を眺めていた。
視線の先には魔力を吸って輝く魔王城。
かつて魔族だった旅鼠達にとっても思い出の地。
憧れの地。皆が愛する魔王陛下の御所。
それは魔族だった彼も同じ。
だから。
暗黒騎士の鎧の兜を外し、黒い渦、無数の小さなネズミとなった旅鼠は綺麗なお城を眺めていたのだ。
これが見納め。最後の景色。
旅鼠達は終わりを決めた。このまま真樹の森へと帰り、タンポポを愛する魔猫にお願いするつもりだったのだ。愛する者を思い出した旅鼠には分かっていた。愛することを知るあの魔猫ならば、愛する者のために消えたいと願う心を理解してくれると。
リーダー・ストライプは愛を思い出した。だからこそ、愛する者の前で醜いネズミの姿は晒したくないと、そう思った。
青い月の下。輝く魔王城を眺め。
ネズミ達がそれぞれに語りだす。
『ワタシたちはもう、よくやったと思うのデス――』
『ハイ、これでもう思い残すことはないでショウ』
『つらい日々デシタ。けれど、無駄ではなかった日々デシタ』
ヌートリアという器を共有するネズミ達の魂、かつて魔族だった者たちの心が鎧の中をよじ登る。
夜空を見上げているのだ。
カシャカシャカシャと、邪悪な爪が鎧を鳴らす。ゴミの中を漁るための鼻が、スンスンと揺れる。青い月を背景にする魔王城を眺めていると、言葉が次々と漏れてきた。
『ワタシたちは魔王城を守リマシタ』
『名も知られてイナイ、ただの魔族だったのならば、それはできませんデシタ』
『だから、ワタシたちがこうなってしまったコトニモ、意味はあったのデス』
それぞれのネズミの口が、それぞれに語り出す。
綺麗な夜の中。
赤い瞳が無数に輝きます。花を咲かせたように、輝きます。
『あの日。魔族達、カツテの同胞たちはワタシ達に剣や杖を向けまシタ』
『けれど今は違いマシタ』
『ハイ、カレらはネズミであると知っていながら』
『怯えていながらモ』
『笑ってくれマシタ。震えながらモ、ごめんなさいト。ありがとうト言ってくれマシタ』
蠢くネズミ達が輪唱する。
『ダカラ、ワタシたちがこうして堕ちた身で旅をしたことにも、意味はあったのデス』
『肯定シマス。だから、ワタシたちは満足デシタ』
『満足デシタ』
『ケレド、所詮はネズミ。いつかワタシたちの存在が彼らの邪魔になるデショウ。だから――ワタシたちの旅は終わらせなければなりマセン』
守り切った魔王城を眺め満足したのか。ネズミ達が、鎧の中に戻っていく。
黒い渦が、一つとなる。
ヌートリアの集合体。その核となっているリーダー・ストライプが甲冑を鳴らしながら言う。
『さあ、森に帰ロウ』
次々と声が漏れる。
『そして今度こそ――あのタンポポを守る魔猫、かつてカイルマイルと呼ばれた魔猫に願うとしよう。どうか、眠らせて下さいと』
『そこで我らの旅路も終わる』
『我らは無へと帰る』
『けれど、これでいいのです』
『ワタシたちが生きてきた意味は、確かに――ここにあったのだから』
そういって、ネズミの騎士たちは振り返った。魔族達の思い出――魔王城。
守られた同胞たちの心を支える城を眺めた。
その足が遠ざかる。
旅鼠は終わりを選ぶ。
踵を返す足が進む。
カツリカツリ、月光を吸った青い草原を甲冑の足が進む。
さきほど漏れていたネズミ達の声は、もはやネズミの声ではなかった。たどたどしくはなかった。
発音も発声もヌートリアの口なのに、流暢だった。
ヌートリアの白い縦じまも、青い月を反射してキラりと輝いていた。多くの仲間の死を看取り、かつて愛していた……いや、今も愛している女性を守れたリーダー・ストライプは満足だった。
蠢くネズミの集合体。
多くの記憶を鎧の中で膨らませた彼らの旅路は、終わりを迎えようとしている。
醜いネズミの手に抱えているのは、魔族達から受け取ったご馳走。
腕いっぱいの、グルメ。
功労者の一人として貰ったお土産を見て、リーダー・ストライプのネズミの口から微笑みが零れていた。勝手に溢れ出ていたのだ。
リーダー・ストライプは青い草原を歩いた。
冷たい草の感触が、足の裏を伝う。鎧が、消えかけている。
真樹の森の入り口には、出迎えだろうか。
タンポポ畑が咲いていた。
黄色い絨毯が終わりを選んだ旅鼠を見て、夜風でその花弁を揺らしている。
タンポポがあるのならば、そこには守り神たるあの魔猫も当然、存在している。
カイルマイル。
かつて人間社会を滅ぼす原因の一つとなった、三つの地域、その一つの群れリーダー。
タンポポが言う。
『本当に、いいのね?』
『ああ、最後に仲間と認められてよかった――と、ワタシは思うのです』
『仲間と認められたのなら、ずっと一緒に居られるんじゃないの?』
黒い獣毛の渦を揺らし、ネズミ達は首を横に振る。
『いいえ、今ではないいつか、ワタシは彼らの邪魔者となるでしょう。魔王城での戦いが思い出や歴史ではなく、過去の物語。逸話となったとき、伝説となったとき。魔族達はこの日の戦いを忘れてしまうでしょう。本当にあった共闘ではなく、物語として語るでしょう。その時、ワタシは彼らを愛していますが、彼らはワタシを愛してくれはしないでしょう。醜いネズミの手を疎ましく思うでしょう。魔族だったからこそ、分かります。けれどそれは彼らが悪いわけではないのです、まだ魔族は成長できていないだけなのです』
タンポポが、言う。
『そう……それがあなたが選んだ答えならば。この魔猫にお願いして、今度こそ……あなたを眠らせてあげることができるでしょう』
『はい』
『けれど、本当にいいのかしら。だって、あなたは再会……できたのでしょう?』
それがミリー。ロングスカートの魔族の事だと悟ったのか。
ネズミは笑った。
頬いっぱいに笑みを浮かべて、笑った。
その鼠の渦が、一人の男の姿かたちを作り出す。
そこには魔族が立っていた。
もはや名もなき、一般的な魔族の青年。
英雄でも悪人でもない、ごく普通の田舎からでてきた冒険者。
あの日、少女に助けられたもはや名も忘れてしまった、ネズミ達の核。
ネズミの群れリーダー、かつて魔族だった青年は優しい笑みを浮かべて言った。
『ワタシは、僕は、オレは……もう自分の呼び方すら忘れてしまいました。けれど、あの子の笑顔だけは忘れていなかった。このネズミの手があの子を困らせる日がくるかもしれない、あの子の子孫にあの子を重ね、ワタシは思い出してしまうかもしれません。いつか、時が過ぎて、ワタシは我慢ができなくなってしまうかもしれません。抱きしめたいと、この醜く軋んだ指で、爪を伸ばしてしまうかもしれマセン。それは嫌ナノデス。とても、嫌ナノデス』
と。
最後にたどたどしいネズミの言葉が漏れていた。
姿が、ネズミの渦。ヌートリア達の集合体へと戻っていた。
やはり安定していないのだろう。それは汚染されたままの駒。
どこまでいっても、この魂と器は既にヌートリアなのだろう。だからいつか、彼女を愛する心が暴走して、身勝手な行動をとってしまうかもしれない。それはとても、嫌だったのだろう。
決意が形となったのか。
魔力の鎧が、散っていく。
グルメを森へと運んで、消えていく。
暗黒騎士クローディアのもとへと、鎧が返還される。
鎧が消えた草原に残されたのはただの黒い渦。ネズミの群れだけが残された。
タンポポももはや何も言わなかった。
愛する者をいつか傷つけてしまうかもしれないから、消えることを選ぶ。
それを否定できなかったのだろう。
そして、それは彼にとっても最も悲しい事だと、愛と恋を知る太陽にも似た花は知っていた。
全てはあの日の思い出の中に。彼が出した答えもきっと前向きな答えだと、恋を知るタンポポは思ったのだろう。
タンポポに恋をする魔猫が、前に出る。
同類を憐れむ瞳で、魔猫がニャーと鳴く。
既に五百年、森を守り続ける神に近い魔猫。滅びぬヌートリアであっても、ネコという属性はネズミへの特効を持っている。だから――。
肯定するように、首を差し出すように――旅鼠達は頷いていた。
『恋を知る森の守り神ヨ。愛を抱き続ける恋人たちの神ヨ――どうか……我ら二、安らぎを』
群れネズミはみな、瞳を閉じ。
終わりを待った。
青い月が見守る中。
揺れる真樹の森の前。
世界を管理する者はその時――気まぐれを起こしたのだろうか。
黄色いタンポポ畑と、月光を吸った青い草原に風を起こした。
声が――。
草原を――走る。
「待って!」
青い月と、赤い瞳が眺める盤上世界。
大いなる樹が見守る世界。
やっと愛を怖がらなくなった、地母神が治める世界で――そこに奇跡が起こっていた。
振り返るとそこにはキミがいた。




