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第127話、大いなる樹の下で【世界管理者の視点】


 【SIDE:異聞禁書ネコヤナギ】


 かつて多くの世界を支配していた楽園の神々。

 死したその神が駒となって襲ってきた――荒れた盤面。

 聖戦ともいえる死闘が終わり、再生した魔王城には酒とグルメと人々の笑い声が響いていました。


 かつての輝きを取り戻した魔王城は、既に異聞禁書ネコヤナギとの連結を再開しています。四星獣たる彼女は本来、世界に対して感情を傾けてはいけませんでした。けれど、もう、我慢ができなくなってしまいました。

 心を向けてしまうと、本当に愛してしまうと彼女は知っていたのです。

 だから、今までは目を瞑っていましたが――もう無理でした。見て見ぬふりなど、できなくなってしまいました。蜜の味を初めて知ったアゲハ蝶のように、ネコヤナギの樹は子どもたちを祝福します。


 母が我が子を愛するように。

 愛しい世界を抱きしめるように――。魔王城と繋がった世界管理者は生まれて初めて思いました、好いてもいいのね、と。皆の思い出となっている自分を愛することができるようになっていました。

 それは邪魔者として伐られた過去の自分をようやく、救ってあげることができた瞬間でもありました。


 四星獣ネコヤナギは世界を見渡します。

 いつも眺めていた景色なのに、とてもきれいに見えました。海のさざめき、身を揺らす森の声。月光を吸い輝く草原の青さ。全てが綺麗に見えるのです。愛する我が子のように見えるのです。

 少女は月に向かい言いました。


『あたしたちの世界が平和でありますように――なんて、あたしったら。どうしちゃったのかしらね。ううん、分かっているのよ? ただ今までが、怖かっただけ。けれど、今はもう――あなたたちを愛することを恐れないわ。怖がらないわ』


 世界を包むほどの銀髪少女の神影。その幼げな唇が、月に近づきます。

 異聞禁書ネコヤナギの祝福。

 心からの接吻による恩寵が、世界の防御力を高めます。


 盤上世界が月を通じてネコヤナギに言いました。


『やあ、こんにちは。かわいらしいお嬢さん。あの子は……僕のかわいいあの子は今、どうしているんだい?』


 と。

 それは盤上世界、イエスタデイのご主人様の言葉でした。

 ネコヤナギは青い月を反射し輝く髪を揺らし、振り返ります。


『イエスタデイのことかしら? なら……あたしが答えられることは少ないわ。もうあの子は選んだみたい。けれど、本当はずっとずっと昔に……五百年以上前にはもう既に、選んでいたのではないかしら』

『そうか――あの子は……決めたのか』

『うれしそうな声を出すのね。イエスタデイが聞いたら、どう思うのかしら』


 ネコヤナギは複雑そうな顔をしていました。

 友の選んだ決断が良いか悪いか、少女には判断できなかったのです。

 月が言います。


『世界を管理する神樹よ。神々が滅んだ楽園に咲く大いなる樹よ、君はどうするつもりだい』

『決まっているわ。あたしはイエスタデイ……あの子の決断を尊重する。あの子はずっと考えていたんですもの――考えた末の……答え。時間はいっぱいあったのよ? それこそ無限に近い時だったのよ? あたしたち四星獣、イエスタデイにナウナウにムルジル大王に、そしてあたし。四柱で何度も繰り返した盤上遊戯、その長い時間の果てに出した結論なんでしょうから。あたしはあの子に従うわ。でも……』


 異聞禁書ネコヤナギ自身も自覚をしていました。

 もうおそらく。愛していなかったころには戻れないと。

 盤上世界は世界管理者に愛され、ますます外来種との戦いを有利に進めるでしょう。それは四星獣の彼女が、本当に、心の底からの愛を世界に向け始めていたからです。


 人間や魔族の心が少しずつ変わり、成長しているように。

 神たる彼女の心も、成長したのでしょう。


『けれど……もし、あの子が心を変えてしまったら。今のあたしはあの子と敵対するかもしれないのかしら』


 少女の樹は、世界を見渡しました。

 おじいさんとおばあさんの大事な樹だった彼女は、自分自身をようやく大事と思えるようになった魔王城の視線で、自分の世界を眺めます。世界の樹々が揺れます。ネコヤナギの端末たちが、ザァァァァァァっと揺れます。

 ネコのしっぽのような花が、月光の青さを吸って輝いて――。

 愛する世界を眺めます。


『分からないわ、あたし、イエスタデイの心が分からないわ。どうして、あの子はあなたを愛しているのに……こんな決断をしたのかしら。ずっと、ずっと、それこそあたしたち四星獣にも気づかれないように布石を打ち続けていたのかしら。やっぱり……あの子がミリーというを助けたのは、あたしにこの世界を愛して欲しかったからなのかしら。あたしが世界を愛したら、もし自分が途中で暴走しても止めてくれると思って――』

『世界を支える大いなる樹よ、それは僕にも分からない』

『そう。あの子のご主人様なのに、それも分からないのね。盤上世界になってしまったから?』

『そうじゃないよ、大いなる樹よ。猫とはね、いつだって何をするか分からない、とても魅力的な存在なのだからね――そこがミステリアスで、とても愛らしいんだよ』


 盤上世界が微笑みます。

 それは地鳴りとなって、僅かに世界を揺らします。イエスタデイのご主人様はもうすっかり、盤上世界そのものになっているのです。


『あなたは――それでいいの?』

『僕は、あの子が大好きだからね。あの子が選んだのなら……それでいい、それでいいんだよ』


 喋りすぎたね、と盤上世界は寝息を立てます。

 樹々が揺れます。

 川のせせらぎはとても穏やかでした。


 盤上世界はかつて、悪しき神々によって作り替えられた人間。

 イエスタデイの誰よりも愛するご主人様。

 在りし日の姿は――ただの人間。


 だから。

 イエスタデイは揺れたのでしょう。

 永遠ともいえる盤上遊戯を繰り返し、この地で生きる本物の命たちを眺め――そのネコの瞳で、彼らの歩みを眺めたからでしょうか。初めはただの駒。自立し、自分で思考し、自分で歩き出しただけの――ただの動く駒だったはずなのに。

 願いを叶える力を溜めるための、道具だったはずなのに。

 ただの駒だったはずの彼らを、今のイエスタデイはどう思っているのでしょうか?


 黎明の時代。

 ふわふわな毛並みを膨らませ、愛する主人の世界の中。

 四星獣は盤上遊戯を繰り返しました。


 魔猫はただじっと、蠢く彼らを眺めていたのでしょう。時にはその手を伸ばし、ふわふわな手で触れて、ぷにぷにな肉球で駒を撫でてみたこともあったのでしょう。

 きっと、駒達の反応が新鮮で楽しくて。

 髯を膨らませたのでしょう。

 瞳を開き、輝かせたのでしょう。

 かつてのあの日、ご主人様と一緒に駆けた草原や川のにおいを、思い出したのではないでしょうか。


 ただの駒だった筈なのに。


 ネコヤナギにはイエスタデイの心が分かりません。いえ、少しだけわかっています。けれど、それを認めてしまうのはとても悲しい事だと思っていました。

 ――。

 ネコヤナギは一人、言葉を口にします。


『きっと、あの子は好きになってしまったんでしょうね……あたしと同じように、愛してしまったのでしょうね……。イエスタデイ。あの子は本当に、バカな子ね……バカで、融通が利かなくて……あたし、あの子には幸せになって欲しかったのに。でも……ごめんなさいね、ごめんなさいね――』


 あたしもこの世界を愛してしまったわ。

 と。

 ネコヤナギは世界の音を聞いていました。


 夜の中。青い月が世界を照らしています。


 世界を愛してしまった少女の耳に、本物の命を与えられた駒達の末裔。愛を育み、命と魔力、遺伝子をつないだ子孫達の声が届きます。

 人間と魔族。旧人類と人類は共に互いを讃えます。

 この共闘が、彼らの関係にも変化を与えることでしょう。世界はまた一つ、動き出しているのです。

 綺麗な光景でした。英雄譚の一ページのようでした。


 銀髪少女は、瞳を細めて愛おしそうに眺めます。

 それは地母神として覚醒した少女の、慈愛に満ちた微笑みでした。

 戦線に参加した人間も魔族も魔猫も、それぞれが肩を組む大宴会。平和な光景が広がっています。


 そんな中。

 少女の瞳に、女性の魔族とネズミの尾を揺らす暗黒騎士の姿が映りました。

 旅鼠と、旅鼠が探していたロングスカートの女性です。

 彼らの物語にも、一つの終着点が生まれるのだと神ではなくとも分かります。


 異聞禁書ネコヤナギ。

 世界を愛するようになった、管理者。愛することを思い出した、優しい神樹。

 大いなる樹となった銀髪少女は奇跡を紡ぎます。


『さあ、あなたたちはどうするのかしら――』


 くすりとネコヤナギは微笑みます。

 彼女は確かにようやく世界を愛することができました。

 それでも少女は悪戯です。猫のように、気まぐれです。それがネコヤナギの樹としての、彼女の本質です。


 奇跡は与えますが、最良かどうかは分かりません。

 選択肢を与えますが、それを選ぶのは自分ではなく――あくまでも我が子達。

 異聞禁書ネコヤナギは手を翳しました。


 旅鼠達の物語を開き、銀髪少女は青い月の下で彼らをじっと眺めます。



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― 新着の感想 ―
[良い点] だからあまり泣かせないでくださいってば。 [一言] 作者様の作品は、前作も前々作も”童話”なのではないかと。
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