第125話、群れ集う邪悪なケモノ【崩壊する魔王城】
【SIDE:拷問拳闘家ロロナ】
様子をうかがう魔族幹部ロロナが眺める戦場で――。
対峙するのは神と魔族とヌートリア。
鎧に身を包む暗黒騎士リーダー・ストライプは鎧の隙間から、思い出の残滓を零しながら言う。
ワタシはアナタたちの敵ですか。
と。
崩壊する思い出の城に包まれながら魔族を眺めていた。
バチン……。
燃える魔王城の幹の空洞から、酸素が破裂する音が響く。
魔族側からの返答はない。理由は単純だ。この状況が理解できないのだろう。
けれど噓も方便。ここで誰かが味方だと言えばいい。
それでおそらく、このリーダー・ストライプの行動は制御できる。後に、実際にその正体が暴かれたとしても今ここで受け入れれば――大きな戦力も手に入る。旅鼠にもひとつの着地点ができるだろう。
しかし――ロロナの予想通り、現実は甘くなどない。
いつだって暗くてジメジメしている。一度滅びかけ、心を切り替えている人間ならば違うだろうが、魔族はまだ精神的に成長できていない。
それを敵も理解しているのだろう。恐怖を運ぶ神。ネズミと魔族の遺骸を棍棒とする、正気を失ってしまうほどの狂神がグジョリ――。黒い毒液を犬歯の隙間から垂れ流し、魔王城の床を剥がしながら。
動きだす。
『我を前にし、戦いの歌を前にし、余所見とは――気に入らぬな!』
血肉の塊が蠢く棍棒。
狂神の歪な剛腕を振るうその先は――様子をうかがっている魔族達。
狂神が振りまく恐怖という名の状態異常で固まる、戦場の役立たず達である。
すかさずリーダー・ストライプが手を翳し、鎧の隙間から赤い瞳を輝かせる。
その手に確認できるのは、魔術の発動。
”群れて、集いて、我らは進む――。”と、漆黒鎧の中から反響する詠唱が、燃え揺れる魔王城に響き渡る。魔王城そのものに語り掛け、何かを引き出そうとしているとロロナは戦況を分析する。
漆黒の騎士となった甲冑が、まるで魔王陛下のような赤い魔力を纏い始め――。
そして――魔王城を揺らす。
『思い出の中に、我らがいる。ああ、同胞よ、神さえも喰らえ――集団召喚魔術:《群れ集いし肉食の宴》』
それは一種の召喚魔術だったのだろう。
燃える魔王城の隙間。思い出の中からソレは無数にやってきた。邪悪な獣毛を身に纏う黒い獣が顕現していたのだ。
その顔の中心には二つの赤い眼光。
ネズミである。
おそらく魔王城に溜められている思い出を、力あるネズミという形で顕現させたのだろう。
狂神が狼の眉を大きくしかめる。
『愚かなり、よもやネズミ如きで、北壁の神たるこのスコルに勝てるとでも!?』
『驕るナ、神ヨ。神とて所詮は駒の一つ。この盤上世界ニ引き込まれた今ハ、ただ神という属性を手に入レタ、一介の駒にしか過ぎナイのでは?』
『――神を愚弄するか、彷徨える記憶の残滓よ』
もはやリーダー・ストライプは答えず、十字架を彷彿とさせる姿で両手を広げ。
『繰り返し、繰り返し、魔王城に眠る思い出に告げる。同胞よ、神さえも喰らえ――《群れ集いし肉食の宴》』
黒い狂神に、黒いネズミの群れが迫りくる。
その標的は、腕。
いびつに膨れ曲がった神の腕に、ザザザッザッザッザとネズミの群れが這い上がる。
狂神が握る鈍器を破壊しようとしているのだ。
この恐怖の対象がある限り、魔族達は正気度を失い、恐怖する。恐怖が信仰となって、敵対者たる巨神の力となってしまう。怯えた魔族はこの場で、不要。むしろ、結果的には敵側の信奉者となってしまう。
恐怖の象徴を破壊するということは、相手の魔導書を破壊する妨害行為に近いだろうか。
『ええぃ……鬱陶しい! 我は神であるぞ!』
『違ウ。ただの駒』
『ヌートリアの分際で! もはや――許さぬ、許さぬぞ!』
神が激昂する。ネズミとの戦いに慣れていないのだろう。
ネズミの数は無限に近い。魔王城への思い出が無限に近いからだろう。小さなネズミを狂神の破壊力で狙うも、彼らは腕にまとわりついて噛みついている。肉を喰らい、血を齧る。腕に纏わりつくケモノへの攻撃は全て自分へと帰ってくる。
強すぎる神は自らの力の制御が苦手。
それこそが神の弱点でもあるとリーダー・ストライプは知っていた。
だから、リーダー・ストライプはネズミを無数に飛ばし続ける。
死骸によって生み出された棍棒が、次々とネズミに喰われていく。群れ集い、死骸に齧りつくネズミの姿がイメージさせるのは、醜悪な悪役。ネズミの尾が、ネラネラと揺れ動く。牙が、骨を砕く音がする。
しかし。
その光景は凄惨にして、悪い意味で人目を引く。
ネズミ召喚の魔術を使ったせいだろう。正体隠しの鎧が少しずつ暴かれていく。リーダー・ストライプの獣毛が、鎧の隙間から覗き始めているのだ。
誰かが、言った。
「あれは……ネズミ? おい、こいつ……っ」
「あ、あぁ……」
「この暗黒騎士。外来種、ヌートリアだ――」
魔族たちの中から、悲鳴が漏れる。
あの暗黒騎士の鎧の中で蠢くヌートリアを感じ取ったのだろう。
外来種、ヌートリア。それは魔族にとっての敵。
ニヤりと、黒き狂神スコルは嘲り嗤う。
『聞くが良い! 魔族ヨ! 今を蠢く人類ヨ!』
神の宣告が、強制的に全員の耳と心に機能する。それは状態異常となって魔族達の心を蝕む。
いびつな神は、両手を広げ――。
《神の扇動》、高位存在が自分よりも格の低い相手を言葉巧みに洗脳する、話術スキルを発動させていた。
ダイス判定が発生する。
天上世界で、ムスーっと顔を尖らせた太々しいネコが尻尾をビタンビタン。不機嫌そうに音が鳴るほど尾を揺らし――玉座の上で六面ダイスを二個振るうが――対するネズミは余裕の表情で、ニヤニヤニヤ。口角を釣り上げて十面ダイスを五つ振るっている。
コロコロコロとダイスは転がる。
ネコとネズミはにらみ合う。
レベルの差。彼らの耐性値と神の攻撃をダイスに置き換えると、実際にこうなってしまうのだろう。
ネコは二つのダイスの合計値で、ネズミ側の五個のダイスの合計値を上回らなければ回避に失敗。
結果は見えている。
更にムスーっとしたネコの神の前。ネズミの神が、顎肘をついて笑っている。
回避は失敗。
腐っても狂っても神。
その威光が、魔族の心の掌握に成功し魅了状態へと移行させていた。
『さあ耳を傾けヨ――! 我が新たなる信徒たちヨ! 汝らの不安の種は正しき思考である。ここにいる黒き騎士、その中身は――ヌートリア。汝らの敵である!』
「敵って――待ちなさい!」
『ネズミを使っていることがその証拠。このヌートリアは一体、何を企んでおるのか。卑しき心がないのならば、正体など隠す必要などない。どうであるか、魔族達よ――我は思うのだ。おまえたちは騙されているのではないか? となぁ』
ロングスカートの女魔族が話を妨害しようとするが、神の言葉を遮ることには失敗している。神の言葉を遮るスキルを所持していないからだろう。
精神汚染が広がっていく。
「そ、そうだ――」
「なんで、こんなバケモノが……ねえ、なんで!? わたしたちを騙そうと仕組んでたってことじゃないの!?」
恐怖に支配されていた魔族達が、自分を守ってくれる暗黒騎士を罵倒し始める。
明らかに味方として行動しているネズミを敵視し始めている。
これは魔族たちが狂神の狂気に飲み込まれているせい。
今の彼らならば心ではそう思っても、けして口には出さなかっただろう。さすがに助けられていることは判断できる筈だ。けれど邪気に中てられ、口にしてしまった。敵ですか? と縋るように藁を掴んでいたリーダー・ストライプの耳にも、それは届いてしまっただろう。
もはやリーダー・ストライプは諦めたのだろう。
自らの身体も、無数のネズミの姿へと変貌させていく。
ザザザザザザザザザザザザザザ。
ザザザザザザザザザザザザザザ。
ザザザザザザザザザザザザザザ。
湧き続けるネズミとなって、神に食らいついていた。
空洞となった漆黒の鎧から、膨大な魔力を孕んだネズミの濁流が溢れ出す。鎧を源流としたネズミの滝が、狂神スコルを襲う。この魔王城を守るため、魔族を守るために文字通り自らを削って戦っているのだ。
醜いネズミと、かつての同胞に蔑まれ恐怖されても。
ネズミの濁流は、鳴いていた。
ただただ、ネズミの声を上げていた。
もはやどこにも帰れないと、悟ったのだろう。
様子を眺めていたロロナも思った。
これで終わりね、と。
魔族を眺めて、続けてこうも思っていた。
小さいころ、誰も助けてくれなかった彼らを見て――思っていたのだ。
どうして?
と。
――まあ神のスキルを喰らったなら仕方ないけどさあ。きっと、スキルがなくたって、結果は同じだったわよね……。魔族はなにも、変わっていない。これからも、ずっと……。
もし魅了を受けていなかったとしても彼らは、果たして鎧の中身がヌートリアだと知って、それでも彼を認められるのだろうかと。
ロロナは幼い頃から魔族という存在を疑っていた。
弱い種族として生まれたからこそ、疑っていた。
一握りの強者になるための努力という名の階段を上り、他者を蹴落とすことでしか生きていけなかった彼女は、迷っていた。それは人間という存在を知ってしまったせいだろう。
泥の中を掻き分け、汚れた死骸すらも喰らって生きた少女にとって、人間という存在がとても明るく、輝かしい生き物に見えたのだ。
もしここに北の英雄殿、アキレスがいたのなら。
ヌートリアの、敵かという問いかけへの答えは決まっている。
味方だと受け入れるに決まっているだろう、そう断言していただろう。
ロロナはさらに考える。共に行動している仲間と呼べる人間たちの行動も、考える。
スピカ=コーラルスターならばきっと、難しいでしょうねと答えを濁すも、彼女自身は受け入れるだろう。
戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャなら質問される前に、逃げていただろう。そして受け入れてくれる人間を早急に用意し、語り掛けていたはずだ。
神父ニャイは……あれの正体は今、天上世界でネズミ相手に盤上勝負をしている魔猫だ。例外であるか。
ともあれだ。
ロロナはどこかで期待をしていた。
今の魔族なら、ある程度の広い心があるのではないかと。弱肉強食だけではない、そう、例えばビスス=アビススのような善性や騎士道精神が芽生えていてもいいのではないかと。
狂神のスキルを打ち払い、言い返せるほどの強い心を持っているのではないかと。
そう思っていたのだ。
けれど違った。
魔族は何も変わっていなかった。
「なんにも変わっちゃ……いないのね」
低級食人鬼としてバカにされ続けた子供が必死の努力で勝ち取った、今の地位。ロロナは誰よりも光に憧れていた。間違ったことを間違っていると言ってくれる誰かを求めていた。
魔族達が、どちらを攻撃するかを語り出す。
恐怖に囚われているとはいえ、どうしようもない連中だとロロナは幼い少女の顔で同胞たちを眺めていた。
――あたし、なにやってるんだろ……。
リーダー・ストライプが否定された。
今まで通り、魔族は腐っていただけ。それだけの筈なのに。
ロロナはまるで自分自身が否定されたような、そんな感覚に陥り、自嘲したのだ。
だから、ロロナは決断した。
彼女も彼らを助けない。それが心からの決断なら猫の神も許してくれるだろう。彼らは寛容だ。本当に、心の底から願ったのなら……受け入れてくれる。
この盤面は敗北で終わるだろう、けれどそれでいいと思ったのだ。後で先生の妹だけを回収して、リーダー・ストライプが殺されて安らいでくれれば……その方がきっと、自分は正しい選択をしたのだと胸を張って言える。
そう思った。
その時だった。
狂神に怯え、魅了され、自分たちを助けてくれている暗黒騎士にも怯える魔族たちの中。
その女性は動いていた。
ロングスカートが、揺れる。
髪も揺れる。
女はまっすぐ、暗黒騎士を眺めていた。しかし、すぐに罵倒していた魔族達を振り返り。
角をメキメキっと軋ませ――。
女魔族ミリー、彼女ははっきりとこう言った。
「ああ、もうあんたたちは! うだうだと! 助けて貰ってるんだから、バカなことを言うんじゃないわよ! 頭どうかしてるんじゃないの!? それ以上喚いて面倒かけるなら、その口に爆薬ねじ込んで敵に投げつけるわよ?」
続いて。
困惑するリーダー・ストライプに目をやり、女魔族ミリーは言う。
「あたしはミリー。これでも魔王軍の一人よ。あなたがヌートリアだったとしても、問題ないわ。助けてくれるなら、協力しましょう! 身内の名を使うことはしたくなかったけど――いいわ、はっきりと言います。我が姉、四天王の暴れ馬。大好きなお姉ちゃん、猛将マイアの名において、誓うわ。少なくともあたしだけはあなたの敵じゃあない。味方でいてあげると誓うわよ!」
と。
ロロナは眼を見開いた。
それが心からの言葉だと、そう理解していたから驚いたのだ。
燃えた魔王城の天井が、砕け。
光が闇を照らしていた。
ネズミの邪悪な毛を、明るい太陽が陽光色に染め上げていたのだ。
リーダー・ストライプの方はもっと心を揺らしていただろう。
健康になったミリーの顔を見て。
ネズミ達はザワついた。
『君は――あぁ、そうか……』
甲冑から漏れるネズミ、その中で一際大きな縦じまを持つヌートリア。ネズミの海の核となっているそのネズミが、太陽の日差しの中で、気丈に味方だと訴えた魔族の女性に目をやった。
赤い瞳が、その懐かしい顔を眺めている。
ネズミの口が、誰にも聞こえぬような小さな声を二つ、漏らしていた。
きっと誰にも聞こえていない。
いや、魔王城には聞こえていただろうか。
けれど、諜報に長け、耳も鋭いロロナにも聞こえていた。魔王城が感じ取っている、ネズミ達の鳴き声が届いていた。
ミリー……。
今でも君を、愛している……と。
白い縦じまのヌートリアは確かに、そう言って夢を掴むように甲冑を軋ませたのだ。
空となっている甲冑の手が伸び。
止まった。
勘の鋭いロロナには見えていた。
その空洞となった鎧の心が、見えていた。
もう一度。
会えただけでいい。それだけでいい……と。
伸ばした手を止めたのだ。
愛しているのだろう。
ネズミへと身を堕とした今でも。
だからこそ、醜いネズミとなった姿でその正体を晒したくはなかったのだろう。
リーダー・ストライプ。
かつて魔族だったヌートリアの旅鼠、ヌートリア君主の職業に就く特殊個体は敵を睨んだ。
狂神スコル。
唄を歌い続け、魔力と魔術と光を吸い続ける恐るべき神。
狼の耳の毛、一本一本が鋼鉄の剣のように尖っている。
瞳そのものが宝石のようにキラキラキラと輝いている。
誰の目から見ても、狂える神だとわかる恐ろしい存在である。
しばらくして、旅鼠は恐るべき敵を睨み、魔族達を信じて。
言った。
『時間を稼せゲ――』
ロロナも、神を滅ぼすべく――。
影の中を動き、暗躍した。




