第121話、幕間 ―盤上の揺らぎ―【対局楽園】
【SIDE:対局者大魔王ケトス】
巨大な神樹の下の盤上世界。
ネズミの駒がくるくる回る。
どちらに着地するか、ぐるぐるぐるぐる回っている。
共に玉座につく異世界の神。
盤上遊戯の操作者。
対局を続けるネコとネズミはにらみ合う。
白き魔猫、大魔王ケトスが相手を揺する作戦に出る。
楽園で起こった悲劇を口にしたのだ。
『キミはいささか駒を雑に扱いすぎるね。それじゃあ誰もついてこない、あの日、遠からずキミがきっかけとなった兄神の死で、弟神――我が主が絶望の果て、全てを諦め絶念に至ってしまったように。神の魔性化によって滅んでしまった楽園のように。かつて楽園を支配していた神の一翼である筈のキミは、あの日からまったく……変わっていないようだ』
邪悪なヌートリアへと堕ちた楽園の神が言う。
『だから、僕はやり直そうとしているんじゃないか』
口調が少し違っている。
さきほどまで対局していた、冷静さを欠いていたネズミとは違う。このヌートリアには滅んだ楽園の神が多く詰まっている。おそらく、遠き青き星にて、外来種として駆除され続けたヌートリアという器の集合体に、古き楽園の神々が憑依しているのだ。
今表層に出ているヌートリアレギオンは、非常に狡猾そうな魂を持っていた。
憤怒していたヌートリアレギオンとは違い、このヌートリアは静かな口調で駒を握り――。
スゥゥ……。
大天使を束ねる長老のような怜悧ささえ滲ませて、モゾっと鼠族の口を開く。
『おっと……こちらから裏切り者がでたようだね。しかもとても強力な存在だ。イケニエをたっぷりと吸った、仲間を喰らったヌートリアの変異種。特殊個体。この世界では何と言ったかな? まあレアモンスターでいいか』
『随分と余裕じゃないか』
『そう見えるかい? 余裕などないさ。ああ、でも。そうだね。けれど、窮鼠猫を嚙む。勝負というのは負けると分かってからが面白いとは思わないかい? 大魔王ケトス、君は勝利を確信している、事実、どうあがいても君が勝つだろう――しかし、本当にそうなるかな? ねえ、どう思うかな?』
赤い魔力で獣毛を膨らませる巨大鼠。
神々の詰まった風船のように膨らんだヌートリアの、ネラネラとした髯と尾が揺れる。
駒と駒とがぶつかり合う。
盤上を眺め、肉球を翳し――。
▽ネコとネズミはダイスを振る。
戦いの判定は――。
ネズミ側の優勢。
大魔王ケトスの眉が跳ねる。
『……ワタシの負け?』
『おや、僕の勝ちだね』
魔王城を襲うヌートリア軍が、魔族の駒を汚染していく。それはすぐに四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの力によって浄化されるが……。再び魔力を使い自らの世界を守る魔猫イエスタデイ。盤上遊戯を見守る置物、願いを叶える魔道具となっているイエスタデイの身体が少し、縮んでしまう。
初めての大きな劣勢。そして魔猫イエスタデイ、願いを叶える魔道具の変容。二つの事例を判断しているのだろう。
スゥっと瞳を細めた大魔王ケトスは淡々と分析する。
――魔猫イエスタデイ。彼はこの世界を愛している。それはこの世界が愛する主人が作り替えられた存在だから。それ故に、かなりの無茶をしているのだろう。眠った振りが、本当の睡魔へと変わっている。しかし、これは……。この子はわざと自らの身を削っている、願いを叶える力を使い続けているようにみえる。それが分からない。自らの願いを叶える、つまり在りし日へと盤上遊戯世界を戻す……ご主人様へと戻すために溜め続けている力を、放出している。
なぜ……。
もう一度大魔王ケトスは四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの本体である、世界に寄り添い眠る魔猫の置物を見る。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは眠り続けている。
明らかにその口数が減っているのは、気になる。
考える大魔王ケトスに、猫の置物は物言わず、ただ瞳を僅かに開いた。
魔猫イエスタデイ。
イエスタデイ=ワンス=モア。
あの日を望み続けるその瞳が、言っていた。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの魔力声が、大魔王ケトスの耳をこっそりと揺らしたのだ。
我は理解した上で、全て把握した上で選び続けている。選択し続けている。余計な詮索は不要。邪魔をしないで貰いたい。それよりも、異界の大いなる魔猫よ。遊戯に集中するがよい。このヌートリア、なにやら様子がおかしい。さきほどまでなら楽勝と言えただろうが……。なにやら……――。……。すまぬ。眠くなってきた、我は……あの日に、ずっと……ずっと……。
大魔王のネコ耳を揺らしていた声が、途切れる。
眠ることで世界を汚染から防ぎ、全ての駒を蘇生させ続ける膨大な魔力を蓄えているのだろう。
そんなやり取りの中、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの警告通り――。
ダイスはまた、ネズミの優勢。
目の前のヌートリアレギオンが言う。
『これはついている。どうやら君の手駒、魔族というのは協調性に欠けているという弱点を持った種族のようだ。犠牲者を出さないように勝とうとしているようだけれど、それは少し甘いのではないだろうか――おっと、悪いね。どうやらこの盤面でようやく少し逆転できそうだ』
表情を変えたネズミの握る駒が、今までとは違う動きを見せていた。
魔王城の防衛を崩され、駒が数十体と失われる中。
詰問するように、大魔王ケトスが頬毛を膨らませた口を開く。
『キミ、誰だい?』
『なにをいっているんだい? 僕はルーラーレギオン。ヌートリアレギオン。なんとでも好きに呼ぶといいだろうさ、そうだろ……? 僕はただ妄執に囚われた神々の残滓。そう言ったのは君じゃなかったかな?』
『嘘だね。明らかに中身に変化がある。その変貌は異常だ。腐っても神、なにか隠し玉があるということかな』
あえて言葉に出し、反応を引き出し――。
大魔王ケトスは考える。
多くの異世界、多くの魔導書。多くの神話、魔導理論を知る者。世界最高峰の魔術師ネコであり、使えぬ魔術はほぼないと言っていい神の猫は、答えを導き出す。
大魔王ケトスは赤い瞳で盤上世界に発生している神の駒、神の集合体たるヌートリアの腹から吐き出された盤上世界の異物たちに目をやった。
壊れた神の駒だ。そこに何かがある。
これらの駒は、かつて楽園で神と呼ばれた存在。駒となった神々はヌートリアの体内から解き放たれ、盤上世界で次々と暴れている。
それは手駒を増やすためだけの苦肉の策だと大魔王は思っていた。
けれど、違ったようだ。
大魔王の赤い瞳に、盤上世界で実際に起こっている戦いが映りだす。
赤い瞳に、戦いの景色が反射している。
その戦いを、ヌートリアレギオンは冷静な眼で眺めている。そこに、さきほどみせた荒ぶる気配はない。
駒と駒とがぶつかり合う。
またダイス判定が発生する。
▽神猫と神鼠はダイスを振った。
楽園の神の駒が、盤上世界を襲う。
神との戦いだ。
普通ならば盤上世界が負ける。しかし――そうはならない。
判定は、ネコ側の勝利。
先ほどとは逆だ。
この遊戯の世界は、多くの魔術世界の中でも強者が多い世界に分類されるだろう。楽園が管理していた、或いは、楽園崩壊後に誕生したさまざまな外世界と比べても遜色ない強さを持っている。いや、平均を大きく上回った高レベルな世界となっている。
それはゲームが基盤となっているからであり。
また、四星獣達が世界を何度も繰り返し駒達のレベルを上げていたからだろう。
故に、かつて神と崇められた古き神。今、ヌートリアレギオンが使っている神の駒が相手であっても、勝つことができている。
今も勝利が確定した。
盤上世界の駒が、神の駒を破壊しにかかる。
それは山羊角を持つ英雄魔物が神に拾われ進化した獣神。
四星獣ナウナウの配下の獣神、山羊悪魔パノケノスが圧倒的な力をみせたのだ。輝きを放つ神をステーキに変えて喰らっている。盤上世界にとっての敵、神の駒がひとつ滅ぼされた。
しかし、そこに仕掛けがあった。
ヌートリアレギオンの体内から吐き出された神の駒が破壊される度に、明らかな変化が起こっている。目の前のヌートリアレギオンの神格は浄化され、魔力が聖なる楽園の神へと戻っているのだ。
からくりを把握した大魔王ケトスが、半目となって呟く。
『なるほど――その変容の理由は理解した。狂神の駒を吐きだした影響か』
『はて、何のことだろうか』
『とぼけても無駄だよ。既に仕掛けは読めた――キミ、わざと不要な神の駒を、かつて同胞とされた仲間を破壊させているね』
ネコの指摘に、ネズミはおだやかに、けれど邪悪に――口の端を釣り上げる。
ぞっとするほどの静かな声音で。
巨大なネズミの影が、揺れ。声が、誰もいない楽園に響き渡る。
『バレているのなら、仕方ないね。そうだね、たしかに僕は要らない神を消している。彼らは僕の体内に入り込んでいた邪魔な神だ。そうだね、理性が薄かったり、荒魂になっていたり、そもそもが実力不足で魂全体の平均値を下げている神だったり。だって、邪魔だろう? 僕の足を引っ張るのなら、要らないさ』
『狂える神を排除することによって、群れ全体の質を上げる。全体のために個を切り捨てる、か。ネズミの分際で、生意気じゃないか。いや、ネズミだからこその集団行動と言えるのかな』
邪悪だったヌートリアに、聖なる属性が戻り始めているのだ。
もっとも聖なる属性と言っても、それはあくまでも属性のみ。その精神性や、神格がまともになったわけではない。むしろ神は聖なる存在故に、独善的で邪悪なのだから。聖なる属性を取り戻していくという事は、より無機質で、機械的で、俗物たちに情け容赦のない制裁を加え介入する、残酷な神へと戻るという事でもある。
大魔王ケトスが頭を働かせる中。
揺れる樹々の下。
大魔王の心を読んだかのように、存外に狡賢い顏でネズミが牙を覗かせる。
『勘違いされては困る。邪魔だから群れから追い出した。それだけの話だ。ああ、でも安心して欲しい。彼らは自ら進んで手駒になっているのだから、負けて消えるのは本望だろうさ』
しかし、神の駒が暴れていることは事実。
倒さなければ被害がでる。
しかし倒してしまえば、ヌートリアレギオンは加速度的な勢いで理知的になっていく。
様子を樹の上から眺めていたナマズ猫が言う。
『何を企む、異界の神よ』
『君はムルジル=ガダンガダン大王か』
『気安く呼ぶでない、外来種の王よ。余は汝を好かぬ、目的のために手段を選ばぬその邪悪な魂も、世界を穢す身勝手さも――余が最も侮蔑し、憎悪をする存在にほかならぬ』
ムルジル=ガダンガダン大王の珍しい敵意。
小さな手足に魔力を揺らめかせるその様子に、四星獣ナウナウも異聞禁書ネコヤナギもわずかに声を失っていた。
一触即発。しかし、対局を途中で止めることはできない。ムルジル大王は、この場でヌートリアレギオンを滅ぼすことはできない。
それを知っているのだろう、ネズミは静かな口調で語りかける。
『ああ、君はとても可哀そうだね。人間に哀願されるため、より愛らしく見えるようにと負荷がかけ続けられた哀れなネコの集合体。金のためだけに作られ、常に苦痛を味わい、狭い箱の中だけの人生を過ごし、折れた耳が戻ってしまった故に、あっさりと殺されたネコ達の怨念の集合体。金のため。金のため。金のため。君はとても苦しんだ。故に、世界そのものを憎悪する高級猫。哀れで悲しいムルジル大王』
大魔王ケトスも知っていた。
それはおそらく、悪徳ブリーダーの犠牲となったネコの怨念。
それが、ムルジル=ガダンガダン大王。
大王が言う。
『知った口を。余の悲しみ、余のつらさ。余の憎悪は余だけの感情。他者に安く語られたくはないものだな、それ以上汚いネズミの口を蠢かすのなら、金を払うがいい。この世は金。世界も金。余はその全てを肯定しよう。余は、余の存在の在り方を肯定しよう。金さえあればそれでいい、世界はそう作られたのだからな。さあ、払え。代価は貴様の醜い魂でよかろう――』
これは契約魔術。
ムルジル=ガダンガダン大王の仕掛けた罠。もし、見合った代価を用意せずムルジル=ガダンガダン大王の過去を語ろうとすれば、契約不履行となりその存在が消滅する。
だからヌートリアレギオンも話題を変える。
『どうかな、君? 君は見込みがある。カルマ値も邪悪に傾く才能があるとみえる。今からでもネズミ側につかないかい? まだ勝負は分からないし……それにだ。四星獣イエスタデイ=ワンス=モアを思うのならば、僕の味方をした方がいいかもしれないよ』
『確かに、イエスタデイを思うのならば――その選択も悪くはない。悪くはない――が。余の友はそれを望まぬだろう。余は友の心と選択を優先する』
『構わないさ。今はね、僕はいつまでも待っているよ。君たちの心が変わることをね』
ヌートリアレギオンは明らかに四星獣を意識し、何かを訴えている。
大魔王ケトスは玉座の上でモフモフな尻尾を揺らした。
その飄々としたチェシャ猫スマイルの裏で、輝く王冠と紅蓮のマントで表情を散らすが――心はわずかに動いていたのだ。
――四星獣達はワタシも把握していない何かを知っている。口数が減っている魔猫イエスタデイ、彼に発生している異常を……。
それが分からない。
ぎしりと魔猫の玉座が揺れる。
大魔王がその大きなモフ毛を靡かせ、座る姿勢を整えたのだ。
もし四星獣がヌートリアレギオンについたら、話が変わってきてしまう。
大魔王ケトスが場のイニシアティブを奪うように、誰しもが耳を傾けてしまうような王者の声を上げる。
『さて、おしゃべりはここまでだ。次のゲームが始まる。準備したまえ』
『そのようだな。はて、次の盤面は――ほぅ! 魔王城か!』
ヌートリアレギオンも盤面に目を移す。
僕と自称する冷静で。
狡猾そうで。
穏やかで。そしてなにより残酷そうなヌートリアレギオンが言う。
『ここには役者が揃っているね――独りぼっちのヌートリア。かつて魔族であったモノ。そして、ああ、偶然に運命を動かす魔族の駒もある。名をミリーと言ったか。変異種たるリーダー・ストライプが、かつて愛した魔族の女。さて、この駒はどちらのモノになるか、育てたネズミを手元に戻す手段はたくさんある。さあ、ゲームの続きをしよう。お節介な大魔王ケトス。僕は勝つために手段を選ぶつもりはない。このリーダー・ストライプは僕の元へと帰ってくる、きっとね』
言って、ヌートリアレギオンはニヤニヤニヤニヤ。
邪悪な一手を動かした。
舞台は再び、盤上世界に戻る。
魔王城は、神の駒により半壊していた。




