第012話、魔猫の足跡【SIDE:剣士イザール】
【SIDE:剣士イザール ▽エリア:ヴェルザの関所】
焼け焦げ、ぼろぼろになり、凹んだ地。
かつて城壁があった関所。
魔猫イエスタデイと人類との戦場となったエリア。
戦場に残る魔力にピリピリと肌を焦がしながら――、一人の男が立っていた。
ダンジョン籠りで伸びた前髪に、武骨な指をガシガシと通し。
頬の傷をなぞりながら剣士イザールは考え込んでいたのだ。
――すげえなこりゃ。鉄球を投げつける魔術……司祭が悪魔祓いに見立て並べたピンを倒す儀式、ボーリングを攻撃魔術に転化させたものってところか。
そして男は考えた。
もし、自分と戦闘になったとしたら。
――。
戦い慣れた男の直感が、筋肉の鎧ともいえる背筋の隆起を、ぶるりと震わせていた。
上級冒険者の脳内。
スキルによる疑似戦闘シミュレーションの中で、魔猫に敗北していたのである。
ただの残り香相手に、である。
何度やっても、勝てる気配はない。
――……次元が、違う。
汗が、大地を濡らしていた。
どんなバケモノだと。
周囲の魔力の残り香を振り切るように、皮袋から水を飲み。
一息の後。
イザールが関所の跡、簡易テントに向かい問う。
「おい、そこのヒヨッコと衛兵ども。メザイアと猫がここをボコボコにして隣町に向かったってのは、マジってことでいいんだな?」
「は、はい!」
「たしかにヤツらがここを破壊。卑怯にも遠距離攻撃にて我らを薙ぎ倒し、制止を振り切り逃走しましたであります!」
答えたのはメザイアたちに難癖をつけ返り討ちに遭い、負傷した衛兵。
そして、魔猫に財布を奪われ無一文になったせいで、関所の再建の仕事をこなす冒険者たち。
先日の――。
この崩れた関所跡で二人に喧嘩を売り、返り討ちにあった冒険者一行である。
早まったことをした衛兵と冒険者たちは、したり顔である。
やつらを一時的に足止めした。
善戦した、けれど負けてしまったが生き抜いた。
そう思っているのだろう。
疫病を治療する唯一の道、魔猫イエスタデイとの関係改善をより一層難しくした者達でもあるので、イザールからの心証は最悪。
けれども上級冒険者で、最も天に近い剣聖に声をかけられ、彼らは上機嫌。
その口が空気を読まずに、蠢き続ける。
「わ、わたしたちの仇を討ってくれるんですか!」
「さすがはおれたちのイザールさん!」
「あの悪魔もこれで終わりってことか!」
「ざまあみろ!」
腕を組んで、呆れた吐息で前髪を揺らすイザールに気付かず。
彼らは好き勝手に騒ぐが。
しばらくして、イザールから漂う苛立ちの空気を察して、互いに顔を見合わせる。
「ど、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねえ。この馬鹿どもが」
武闘家職の冒険者が、首の後ろに両手を当て。
垢抜け切れていない声で言う。
「あれ? なんか怒ってます? だ、だって負けたって仕方ないじゃないっすか、あいつらいきなり反撃してきて!」
「ほぅ……反撃って事は、てめえらから襲ったって事だな」
「そりゃそうっすよ! あいつらのせいで俺たちの街は疫病で汚染。冒険者殺しの疑いがあるくせにここから出ていこうっていうんですから、こりゃあ絞めてやらねえといけねえってもんじゃないっすか!」
「冒険者のてめえらはまだ分かるが……衛兵ども、公平でなくてはならないお前たちが、なぜ彼らを襲った」
空気が。
変わっていた。
強い眼光が、崩れた関所に輝いている。
「そ、それは――街のために……で、でも! あいつらから襲ってきたんですよ!?」
「ログを見せな」
それは歴戦の、死線を潜り抜けた者の低い声。
もし周囲の空気や気の流れを感じ取れる、熟練の冒険者ならば、イザールから漂う冷気に腰を抜かせてしまっていただろう。
それほどの鋭い声だった。
「もう一度いう、ログを見せろ」
衛兵たちが決まり悪そうに兜で目線を逸らし。
「あの、その……」
「メザイアがお前を殺そうとしたってか? それとも魔猫の方か? 言え、こっちはガキの使いじゃねえんだ。ロリババア……大司祭マギ様の使いで来てるんだっつっただろ? お前たちに対する上位命令権を保有している。これは命令だ」
「……」
まずいと思ったのだろう。
衛兵が、関所のログを破壊しようと動いた。
――。
その時。
光も動いた。
刹那の間の後。
しゅぅぅぅうううううううぅっぅぅん。
音が遅れてやってくる。
それはツバメが空を駆ける際になる、極わずかな音と似ていた。
ログにはおそらく。
”天翔ける燕の如く”と呼ばれる、広範囲に音速の剣撃を飛ばす――剣士職の上位スキルが記録されている事だろう。
ここにいる者のレベルでは、見ることさえできなかったはずだ。
ログを保存する記録クリスタル。その台座に手を掛けようとしていた衛兵の鎧が、粉々に砕け散っていた。
手甲も割れている。
その奥さえも――割れていた。
骨が砕けたのだろう、皮膚がタコの足のように下がっていく。
それらの動作が一瞬で行われていた。
時間が常人でも感じられる速度に戻った。
直後。
悲鳴が、響き渡った。
「があぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ! うで、うで……おれの、ひ、ひぎぃいぃぃぃぃいぃ!」
「な、なにをなさるのです!」
衛兵に続き、冒険者が言う。
「な、なんなんすか……」
「だめ、動かないで! 彼は本気よ」
少しだけ、冒険者の方が賢かったようである。
動かない彼らを、ぞっとするほどに恐ろしい視線が襲う。
鋭い眼光だけが、ギラギラと蠢く中――。
イザールの口が動く。
「なあ、おまえたち。これ以上、オレを怒らせるな――これでも人を殺すのは嫌いなんだ。弱い者いじめも嫌いだ。ログがなくなっちまったら、オレはおまえたちを一人一人拘束して、拷問しなきゃならなくなる。なあ? 言っている意味は、分かるな?」
ログを破壊しようとしたもう一人の衛兵が、ガタガタと肩を揺らし。
腰を抜かして。
地に落ちる。
「ひっ……!」
上級冒険者の、しかも剣聖とまで称される剣士の本気の怒気が、竜のオーラとなって周囲を包む。
イザールの体躯を駆け巡るのは魔力。
周囲の床にスキルの波動が展開される。
「素直に話せ。簡単な話だ。ログと同じなら殺さない。違うなら、殺す――このスキルの範囲から逃げようとしても自動で殺す。それだけだ。これはオレの暴走ではない、許可もある。恨んでくれるなよ、これもおまえたちの言う、街のためなんだからな」
口調自体は軽かった、けれど殺意を滲んだ声だった。
動いたら死ぬ。
ごくりと喉を鳴らし、冒険者たちがなんとか口を開いた。
それに続き、衛兵たちも語りだす。
聞いたイザールは、ログを確認し関所の人間を一瞥する。
ただし、ごみを見る目で――。
しかし、命までは取らなかった。
話を聞き終えた男が淡々という。
「そうか――ヒヨッコ冒険者どもは降格を覚悟しておけ。衛兵のおまえたちには……まあ、追って沙汰があるだろう。それまではここで待機し、あの二人を追う者に真実を伝えろ。これ以上、オレを失望させるな、いいな?」
真実とはいっても、魔猫の正体までは語っていない。
彼らが無実である可能性が高いということ。
そしてヴェルザの街の疫病を治すことが可能な、唯一の存在だろうと。
そう伝えたのだ。
衛兵が言う。
「あの、疫病を治す……かもしれない、存在だったというのは」
冷たき気配を纏う男は言った。
「ああ、本当だよ。てめえらがここでちゃんとあいつらの話を聞き。公平に判断し、願い出て引き留めていたら。もし、彼らを信じていたら。攻撃しなければ――会話の流れ次第じゃあ、救われたんだよ、あの街は。言いたかねえが――今日死んだかもしれねえ、ヴェルザの街の誰かは生きていたかもしれねえな」
衛兵と冒険者は今更ながらに自らの蛮行に気付いたのだろう。
しかし、既に遅かった。
彼らはヴェルザの街を守る術を自らの手で壊し。
剣士イザールからの信頼も失っていた。
◇
更に壊れた関所を抜け。
事実を確認した剣士イザールは隣町を目指し、山道を進んだ。
ログを確認した剣聖は思う。
鉄球の攻撃で粉砕された彼らを治した、あの魔術。
いやスキルか、どちらだ。それも分からない、けれどあれは未知の回復技術だった。
どちらにしても、もしこの世界に蘇生魔術があるのなら――。
おそらく、あの魔猫の足跡を追う事こそが最も近い道だ――と。
孤独なる山道を進む剣士は確信した。
彼が魔女の帽子をかぶった冒険者達と出逢ったのは、半日ほど山を登った時の事だった。
思わぬ遭遇。
魔猫を中心に起こる出会いが、また一つ始まろうとしていた。




