第119話、旅鼠達の袋小路【真樹の森】
【SIDE:リーダー・ストライプ】
旅鼠とネコの冒険は続く。
真樹の森は魔猫の森。
樹々の隙間から、無数の赤い瞳が眺めている。
魔猫だ。
ネコの聖域となっていた真樹の森にネズミが入っても許されたのは、この森の守護神となっている、タンポポに恋する魔猫の許可があったからだろう。
森の奥へと道を照らす光の筋を辿ると、そこには古くて大きな樹があった。
その根元に殺戮令嬢と呼ばれた彼女がいる。
ザワザワとその葉を揺らす大樹の根元には魔力が輝いていた。
まるで墓標のような石が、積まれているのだ。
いや、大樹そのものが誰かの墓のようにもみえる。
甲冑鎧の女がネズミとネコ、奇妙な組み合わせに気付き言う。
『その気配、カイルマイル……いや、森の守り神か、どうした』
カイルマイルと呼ばれた魔猫は、一瞬だけキョトンと顔を横に倒すが、どうでもいいとばかりに――すぐに毛繕いを開始してしまう。
リーダー・ストライプは甲冑姿の女に、じっと目線を向けた。
漆黒の鎧を身に纏う、甲冑姿の、人ならざる人の姿をした存在。
彼女が暗黒騎士クローディアだろう。
歴史に名を遺す、旧人類が滅びる因の一つとなった人間の女性。
令嬢と守り神が話し合っている。
彼らは昔、なにやら多少の因縁があったのだろう。
もっとも、クローディアだけが一方的に覚えているだけ、そんな空気がある。四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは記憶や思い出、過去を代価に願いを叶える時があるという。人を魔猫に変えたそのとき、かつて人間だった存在は全ての過去を捨てて転生する。
それが今、この世界を徘徊している魔猫の正体。
そんな説もあったと、リーダー・ストライプは二人を眺めていたが。
リーダー・ストライプは考える。
そんな話を、いつ頭に刻んだのだろうと。
それはおそらく、喰らった仲間の誰かの記憶。誰かの知識。安らかにドサリと倒れ満足げに動かなくなった、ヌートリアの誰かの記憶か。
リーダー・ストライプは考える。
今こうして、自我を持っている自分は誰なのだろう?
と。
個にして全。全にして個。集合体だったヌートリアの群れは今、一となった。こうして自分だけが残っていた。彼ら全ての記憶と経験を喰らった、だから、彼らの全てを知っている。その彼らとは自分の事になるのか、それとも他人の事になるのか。それが分からない。
けれどリーダー・ストライプは考えた。
ミリー。
少女趣味のキミ。
この名だけは自分だけの思い出だと。
赤い魔力を身に纏う暗黒騎士は、甲冑の中からやはり赤い瞳を輝かせ――道案内の守り神から目線をリーダー・ストライプに移す。
さすがにこの世界にとっての外敵、外来種たるヌートリアが本当に訪ねてきたとは信じられなかったのだろう。
しかし、様子をうかがう暗黒騎士に守り神たるタンポポ好きの魔猫はニャーと鳴く。
敵意はない。
そう言っているような気がした。
しばしの間の後。
暗黒騎士は兜に声を反響させた。
『理解した――いや、構わぬ。まあ、お前が言うのならばそうなのだろうな。さて、待たせてすまぬな――貴公がわたしに会いたいという変わり者のヌートリアか……相当にレベルの高い特殊個体、あのズル賢いが結果だけは残す饕餮ヒツジと同じく稀に生まれる変異種のようだが……』
リーダー・ストライプは自分が話しかけられたのだと気づき、少しうれしくなった。
初めてまともに話を聞いてくれる人間に出会えたからだ。
もっとも、純粋な人間ではないとその並々ならぬ魔力から理解もできているが。それでも、嬉しかったのだ。
軋んだ邪悪な腕を上げ、醜いネズミの手で事情を説明しようと両手を広げるが。
暗黒騎士は淡々とかぶりを振る。
『いや、いい。心を少し開いて貰えばあとはこちらで勝手に読む――』
頭に手を乗せた暗黒騎士クローディアが、甲冑の中で息を吐く。
魔力によって作られた甲冑だったのか、その容貌を隠していた鋼が魔力の霧となって消えていく。
兜の下にはかつて歴史の中にいたとされる旧人類の貴族、少し凛々しいが、いわゆる儚げな令嬢と呼ばれるに値するほど美麗な女性の顔がそこにあった。
続いて、少しだけ優しい声音が魔力となってリーダー・ストライプの獣毛を揺らしていた。
『そうか――貴公も死に場所を探して徘徊しているのか』
『アア、あなたもそうナノカ』
ネズミと淑女は共に目線を交わした。
共に行き場をなくした者同士、魂で共鳴する部分があったのだろう。
『結論から言おう。残念ながらわたしではお前を消滅させることはできないであろう』
『ナゼ』
『貴公は……いや、貴殿はここに来る途中、無数の魂を喰らったであろう?』
『ああ、クッた。仲間がオワリを望むから。喰った。その魂を、汚染された駒を、喰らった。みんな、みんな、天へと帰っていった。まるで塔を上るように、天上へと帰ってイッタ。あそこには白き猫がイタ。タヌキのような顔をした猫が、肉球を広げて受け止めていた――ワタシもそこにカエリタイ。世界ハとても暗くて冷たい。けれどアソコはチガウ。とても暖かそうナノです。ワタシはあそこにカエリタイのです』
たどたどしいネズミの言葉に、令嬢が瞳を細める。
『それこそが四星獣イエスタデイ=ワンス=モア様。この世界を支え、眺め続けていらっしゃる偉大なる御方。おそらく、汚染され死んだ哀れなネズミの魂を早く転生させようと、力をお使いになられているのだろう……自らの願いを叶えるための力を、また誰かのために……』
『ナゼ、わたしはあそこにいけない? アナタはムルジル=ガダンガダン大王の眷属と聞いた。そしてトテモツヨイ存在だと、ワカります。ワタシを消してくれませんか? どうか、眠らせてクレマセンカ? もう疲れたのです。ワタシはもう疲れたのデス』
疲れ果てた旅鼠を見て、やはり令嬢は首を横に振る。
『貴殿は喰らいすぎた。どれほどの魂を喰らったのかは知らぬが、その力は既にわたしを超えている』
『アリエマセン。ワタシは弱い』
『おそらく……貴殿は全ての群れを喰らったのだろう? それも、多くの魔族を倒して得た経験により成長し続けたヌートリアの群れ、レギオンをひとつ、丸ごとに喰らったのだろう? それも相手に望まれる形で、乞われて魂を喰らった。ヌートリア汚染から解き放つため……浄化を願い、仲間を喰らい。終わらせてやったのだろう?』
上官騎士の顔でクローディアは言う。
『ただ喰らっただけではそうはならない。多少の経験値が入るだけ。しかし……彼らは違った。貴殿の仲間たちは自らを差し出した。安らぎのため、休むため。終わるため、心の底から喰われたいと願ったのだろう。それはすなわち、供物。経験値譲渡、イケニエの儀式だ。貴殿は知らぬ内に無数の儀式を行っていたことになる。人の身が一生をかけてでも届かないほどの経験値が詰まったヌートリアの群れを、すべて喰らったのだ――神には届かなくとも、神の眷属を超えることになったとしても不思議ではない』
まったく信じようとしない。
いや、信じたくないという顔のヌートリアの揺れる髯を見て、クローディアは憐憫を浮かべ。
シュゥッゥゥゥン!
首を刎ねる神器の釣り竿を本気で放っていた。
神の眷属による、神が授けた武器の一撃は――ただヌートリアの獣毛に弾かれただけだった。
それが旅鼠の今の強さ。
それは同時に、この殺戮令嬢では滅びを与えることはできないという証でもある。
『今のは、わたしの全力だ。自分で言うのも気が引けるが……これでも五百年以上を徘徊する神の眷属。償いに多くの命を救った魂、善行を積み続けた善神の一柱であると、自負もある。多くの神の恩寵を修得している。ゆえにこそ、今のは……大陸さえ抉るほどの威力だったと保証しよう――だが、結果は見ての通りだ。滅ぼしてやるどころか、傷一つ……作ってやることができなかった。わたしにはお前を終わらせてやることはできぬのだ……すまぬ』
呆けた顔でリーダー・ストライプは言う。
『デハ、ワタシのおわりはどこにある? どこにありますか? 終わりたいのです、ワタシはもうこの世界に疲れたのデス。世界に疲れシ同胞ヨ、どうか、お願いです。教えてくれマセンカ?』
『すまぬ……』
『ああ、ワタシはなぜ、ココニいる。ワタシはどうして、ココにいるのですか?』
かつて魔族だった者の――ネズミの口から、悲痛な声が漏れる。
『友に忘れラレ、ワタシはトテモ悲しいノデス。同胞たちはワタシに剣を、槍を、杖を向けツヅケルでしょう。この醜いワタシを嫌悪し、ドコマデも攻撃するデショウ。ならば、ワタシを化け物へとカエタ、あのカミの元に戻ル? アリエマセン、ワタシはソレは嫌ナノデス。ネズミたちは、ワタシを裏切り者と、誹るデショウ。狙いツヅケルでしょう。ワタシにはもう、ナニモありません。ナニも残っていません。では、ワタシは――ワタシは』
かつて魔族だった男は言う。
『ナンノために、今を生きているのデショウか』
森の中のネコ達も、守り神たる魔猫も。
そして暗黒騎士クローディアも、独りぼっちのヌートリアの抑揚のない叫びを聞いていた。
真樹の森に辿り着いた彼らもまた――。
その答えを知らないのだろう。
ここは行き場を失った者たちの森。
生きる理由を失った者たちの森。
ネコとネズミ、そして令嬢の冒険は続く。
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