第113話、Dの血族―ダイナックが鳴いた日―【特殊空間】
【SIDE:冒険者殺しダイン】
王の落胤たる男。冒険者殺しダインは小さなころからその背中を眺めて育ってきた。
いや。
ずっと眺めていたい背中だった。
――痛い、すべてが……痛い。
小さなころのダインが見える。
そこはいつもいた娼館の片隅ではなく、生まれて初めて入ることができた綺麗な部屋。まるで皇子を囲うような温かい場所。父はそこで、やせ細り、震え怯えるダインの頭を撫でていた。
すまなかった。と。
こんなに苦しい思いをしていたのなら、もっと早くに連れ出してやるべきだった。と。威厳に満ちた男、国を治める特殊職業ロードの職にある貫禄ある男が、傷だらけの少年を抱きしめている。暖かい手が、冷たく細い少年ダインの背を抱き寄せている。
――おや、じ……。オレは、俺は、おれは……ぼくは……。
あの時のダインはこう思ったのだ。
甘えても、いいのだろうか。と。
全ては遠き過去の思い出。それは過ぎ去った日々。王族として認知してくれる以外、なんでも願いを叶えてくれる父アントニウス王との最初の思い出。
――あぁ……そうだ。嬉しかったんだ。愛されていたことが。とても、うれしくて……試していたんだ、どれだけ困らせて大丈夫なのか。それでも親父は、どれだけ……オレがやらかしても、許してくれた。庇ってくれた、嬉しかったんだ。だが、それが……だんだん、オレを……。
狂わせた。
ダインは愛に飢えていた。
だから養子となった子が、義理の親に対してどれだけの我がままをしても許されるのか試すように。王の落胤ダインは父たる王を試した。それははじめ、本当にただの愛を求めた行為だった。
けれど――。
――オレも親父も、いったい……いつから狂ってしまったのだろうか。
ダインは疲れ切った顔で、過去を見た。
あれからどれだけの時が経ったのだろう。
百年。二百年。いや、あるいはそれ以上――。
これほどの年月が流れても父は自分を庇っている。ダインの中にあった傷だらけの少年が、その大きな背中を眺めていた。そして、その少年をどこか遠くで、今のダインが眺めている。
そして更に。
ダインには不思議な実感があった。
今のダインの背中を眺めている、未来の自分の気配を感じていたのだ。
未来の自分に眺められている気配を感じながら、ダインは現実世界の父を見る。
自らの前で腕を広げ、永遠に彷徨う存在となってもなお自分を守るその背中を見て、快楽で人を殺し続けてきた男ダインは考える。
不死殺しの力を持った英雄が、わずかな憐憫を浮かべ――駆ける姿が見えている。とてもゆっくりに見える。この空間は時が、乱れているのだろうか。しかし、終わらせてくれるためにこの英雄が攻撃を仕掛けてきているのだとは理解できた。
――めちゃくちゃ強そうなヤツじゃねえか。これが、今の冒険者か。
ダインは死に続け、こけた頬を緩めていた。くぼんだ目のしわに、笑みが浮かぶ。
理解したのだ。
――ようやく、終わることができる。
と。
遥か昔の事。ダインはいったい、何人の無辜なる人間を嬲り殺しにしただろうか。いったい、何度だれかの家族を泣かせたのだろうか。そして、何度、それを握りつぶしてきたのだろうか。
殺され、殺され、殺され。
ダインは永遠ともいえる時の中で、迷宮を逃げ続けた。まるであの日、自らが弱者を嬲り殺しにしてきたことと同じように――男は何度も殺された。自分がしてきたことの残虐性はもはや死ぬほど味わった。地獄に落ちるべきだと知っていた。もう、この世界に未練はない。
いや。
未練は二つあった。
叶うならば、いままで殺してきた魂たちに謝罪を――、そんな感情さえある。
そしてもう一つ、目の前で愚かな自分を今でも守ろうとしている父も、休ませてやりたい。父にも終わりを。自らと同じ死を。自分の我がままのために狂ってしまった父だけは、もう、主犯であった自分とは違い、さすがに許されただろう――と子は思っていた。
だから、父に終わりを――。
そう、心から願っていたのだ。
それにしても、ここはどこなのかとダインは思う。
不思議な空間だった。
まるで、時が止まっているような――。
『ブワハハハハハハ! その通りであるぞ、愚かしくも残酷な殺戮者ダインよ!』
「その声は、てめえは……誰だ」
『ほう、余をてめえとは感心せぬが、まあよい! 余のこの麗しき玉体、篤とみるがよい!』
言って、闇の底から渦が発生する。
それはまるで魔力の渦潮。
闇の先端から、ネコの髯のようなヒゲをもつ魚、ナマズの顔が浮かんできて――その次に、王者の貫禄を持つ魔猫の顔が浮かんできた。それは冒険者殺しダインを滅ぼした四星獣イエスタデイ=ワンス=モアに少し似ているか。けれど、あの魔猫ではない。
渋く偉そうな、けれど威厳に満ちた声が響く。
『ここはおぬしという経験値魔物と、そのドロップアイテムに設定された余という存在。その特殊な関係により作られた、一時のみの対話空間。強き後悔を抱きし者のみが操れる時魔術、その狭間。さあ、余の姿を見せてやろう』
ソレは、とぅっと渦から、ばしゃん!
まるで打ち上げられた魚のように大ジャンプし、小さな手足で着地。闇の渦が、黄金で作られた大きな船へと変貌していく。
金銀財宝、様々な財が乗せられた宝船の上。ナマズの帽子をかぶった手足の短い愛らしい猫が、にょこっと仁王立ちになり。
ブニャハハハハハ!
もこもこの獣毛を、モココココココ!
もう一度、口を大きく開けて――ブワハハハハハ!
『余の名は、ムルジル。ムルジル=ガダンガダン大王! 四星獣の一柱にして、未来を司る麗しきネコ。飽くなき人の欲望、金稼ぎのために遺伝子を歪められたケモノ。金のために病を固定された、手足短き神性。このプリティな手足も、垂れた耳も全てが余の憎悪の証。故に、余は金さえあれば――全てが良いと考えておるのだが、うみゅ? どうしたというのだ、この余が名乗り上げをしてやっておるというのに! もっと驚かぬか!? きさま! 人間の分際で生意気ではあるまいか?』
「そ、それはなんつーか。すまねえな」
肉球を輝かせ、煌びやかな装飾品に囲まれた宝船の上。縫いぐるみのナマズのような頭装備を被った、手足の短い猫が偉そうにしていた。
ダインはすでに疲れ切っていた。
謎のネコの登場に、ますます疲れがたまるのを感じていた。
だが、殺戮者だった男の表情には嘲りも侮蔑もない。
まるで聖人のような顔で、ダインは四星獣ムルジル=ガダンガダン大王のドヤ顔を眺めていた。
罰を受け続けたその魂は浄化されているのだろう。無精ひげをジャリっと筋張った指でなぞり……。
「それで、未来を司る四星獣さまが、もう消えるオレにいったい」
『うむ! 心して拝聴せよ、実はのう、余は汝と取引をしようと思うてな!』
「取引……だと」
『これを見るがよい』
未来を司る四星獣ムルジル=ガダンガダン大王は、謎の頭装備ナマズヘッドの瞳から、ペカァァァっと魔術映像を映し出す。そこには、巨大なネズミに汚染され、疫病で死に絶える世界の様子が流れている。
「こりゃあ、いったい――」
『おぬしが永遠に死なぬ存在となってから五百と数十年。今、この盤上世界は未曾有の危機に陥っておる。外からの侵入者、このヌートリアどもに世界が汚染され始めておるのだ。これはその先を読んだ、未来を司る余の権能。地震予知の効果で、起こりうる未来の中から最悪な結果を映像としたものである!』
「未来視……未来を見る、力、か」
『うむ、まあとはいっても魔術の一種であるがな。余は時間軸に接続しこの敏感な髯により察知――将来に起こりうる魔力振動、すなわち大きな災害を魔力による”地震”とわざと誤認することで把握、将来の災害をこのヒゲで察する能力をもっておるのだ。どうであるか? のう? 実に凄かろう? 褒めてもよいのだぞ? さあ、もそっと褒めよ。ささっと褒めよ、ガーハッハッハハハ! 大王様は素晴らしいと崇め奉るがよい!』
ん? ん? と、ドヤ顔をするナマズの頭装備と共に、大王はガハハハハ!
口周りの獣毛をモフモフもこもこさせる猫を見て、浄化された男は未来の映像に目線を映し言う。
「あいつらは、いったい……でかいネズミの化け物と戦ってるのは、魔物……じゃねえよな」
『奴らは魔族。おぬしがそうなってから、およそ五十年……ぐらい後であっただろうか。正確には忘れたが、ともあれだ! 人間の八割を滅ぼし、新しき人類へと昇格した種族。魔物から生まれた知恵ある人類どもよ』
「人間の八割が滅びた!? なんだ、今の世界には、とんでもねえ奴らが、でていやがるんだな……」
声を枯らす程に驚く男に、魔猫は言う。
『他人事のように言いおって――』
「いや、文字通り他人事だろう……オレはずっと、コレだったんだからな」
『そうか、おぬしは何も知らぬのか。人間の八割を滅ぼす因となった存在の職業は魔王。肩書も役職も魔王。魔族の王となった、魔族の始まりとなった若者がおるのだ。人々から利用され、虐げられたかつて人間だったモノがいる――その者の名は、アルバートン=アル=カイトス。今もヤツは魔王を名乗っておるがな、奴は――おぬしの血族。直系だ』
「オレ……の?」
言葉が、再び枯れている。
たしか玄孫に当たる筈だと、目線だけを上に向けて計算していた大王を見て。
「ありえねえ……。いや、ありえない。だって、オレは」
『婚姻などせずとも、おぬしは――他者を辱めておったであろう。おぬしが王の落胤だったように、おぬしも落胤を産まれさせていた。因果とは皮肉なモノだな。もっとも嫌悪した父の蛮行と、おぬしは同じ道をたどった。その因果が巡り廻り……おぬしの血族は泥の中を生き続けた。神の恩寵を得ておったが、奴は次第に人を信じられなくなり……やがて人の身を捨てた。人であることを諦めたのだ。そして、自らと自らの仲間を守るためだけに行動していたら、かつて人類と呼ばれた人間の八割を滅ぼしていた。自衛のために、かつて自分も属していた種族を崩壊させた哀れな子供がいた。それがおぬしの血族であった。ただそれだけの話よ』
他人事のような神猫の言葉に、ダインは濃いシワを刻んだ鼻梁を手で覆う。
その口からは絞り出すような、低く小さな声が溢れていた。
「そんな……オレに、子供が……。しかも、その子孫が、人間の八割を……」
永遠の罰を受け、男は変わっていた。
変わる前だったら、おそらく”オレの子供がやるじゃねえか”と豪胆に、無責任に笑っていたのだろう。けれど、今は違う。その変貌を眺める神猫は、瞳をツゥッと細めて言う。
『うむ、だがそれが生き物というものだ。海に生きる魚とて、滅びる種族はいる。それと同じ、人間という種も魔族という種もただ生き抜くために頑張っていただけの話。そこに上下関係はなく、優先度もない。ただ盤上遊戯のルールに則った、自然の淘汰ともいえようて――』
深い感慨を滲ませた声音の後、ガハハハハハ!
大王は金銀財宝のクッションの上で、神としての威厳のない猫の声をあげる。
『まあ、それも仕方なき事! ルール上、魔族は魔物の一種。賭けは余の勝ちと言えるであろうがな! 余にとっては、さほど重大なことではない! それに、魔族どもが自らの力と権利で獲得した勝利であるからして? 四星獣たる我らはそれはそれで問題ないと判断しておる。ともあれだ。まあ、事情が複雑でな。今は人間とも一時的に協力しておるが――』
四星獣ムルジル=ガダンガダン大王は少し考え。
『魔族の存在はどうでも良い。余が求むのはこの世界の存続のみ。だからおぬしよ、このまま消えるぐらいならば――世界のためにその魂を余に捧げよ。世界に捧げよ、余は汝に贖罪のチャンスを与えてやろうと言うておるのだ。どうだ、分かるであろう?』
「なにをさせるつもりなんだ」
『知れた事よ。おぬしの魂、そしておぬしを守ろうと徘徊する狂王アントニウスの魂を余が召し上げ――余の手駒とする。たとえその性根が腐っておっても、たとえその身が穢れていても――王族の魂というものは最上級の贄。触媒となる。おぬしが世界への贖罪を真に望むのなら、世界はおそらく、たぶんきっと救われるであろうて』
存外に軽い口調のナマズの猫を睨み。
眉をしかめて、ダインが言う。
「絶対じゃねえのか」
『この世に絶対など絶対にない。矛盾しておる言葉であるがな――たとえばだ、どんな願いをも叶える能力者同士、我ら四星獣が、それぞれ異なる結果を願った場合を想定すれば――分かるであろう? 全てはダイスの流れのまま。未来も常に変動し続ける――だからこそ、遊戯は面白いのであろう! さあ、どうする、ダインよ。王の落胤よ。旧人類の嫌われ者よ。深い泥の中、誰かに愛されたいと願った、哀れなる少年”だった”者よ。穢れし罪人の魂よ。余と共に、世界を救いたくはないか? どうせ消えるのならば、その血塗られた手を、余に預けてみぬか?』
魔猫は短き手を、スゥっと伸ばしていた。
金銀財宝に囲まれた、宝船の上。ナマズの頭装備をした四星獣は、瞳を周囲の宝石色に輝かせる。
『余は魂の色で差別などせぬ。ただ稀少であるか、ただ価値があるか。利用できるか、高価になるか。それだけしか問わぬ。短き手足のみに価値があったように。垂れた耳のみに価値があったように――余はそのように作られ、そのように育てられ、そして殺されたのだからな。さあ、余と共に――終わらぬ船出を、永久に――』
このナマズ猫は本当に四星獣なのだろう。
その魔力は、本物だった。
ならばおそらく、本当に――贖罪を――。
ダインは野太い首をごくりと鳴らし。
その短き手に、腕を伸ばした。
かつてダインだった男の腕は、世界を覆うほどに大きなウミガメの手になっていた。
そしてウミガメを守るように、包むように……大きな甲羅の魂が、その背に装備されていく。
王と王の子。
二つの魂は、四星獣ムルジル=ガダンガダン大王によって合成され――新たな拠点、新たなエリア、意志あり生きる巨大世界海亀の背を大地とする新大陸になった――と。
ネコヤナギのログには、そう刻まれている。
◇
目覚めたムルジル=ガダンガダン大王は、皆に新大陸の情報を提供した。
そこはヌートリア汚染を受けていない、唯一の地域。盤上世界で唯一、安全な場所と言える空間だった。
各国の王が集い、作戦室を移し始める。
そんな時――。
大陸は、背に乗った一人の魔族に目をやったという。
どこか翳のある銀髪の美しい青年だった。
悲しみを背負い続ける、魔族の王だった。
大陸となっているウミガメ。
ダイナックと名付けられたその島が鳴いたのは、生涯を通し――ただ一度。
その魔族の王の顔を見た時だけだったと、語り継がれている。
ウミガメがなんと言ったのか、なんと鳴いたのか。
魔族の王以外は、誰も知らない。
魔王の腰に装備された血塗られた短剣。
彼が片時も離さず装備する愛刀、切り裂きジェーン――その刀身が。
まるで涙するかのように、海の輝きを反射していた。




