第104話、盤上の超越者【楽園跡地】
【SIDE:神父ニャイ(本体)】
これは理解を超えた神々の遊び。
盤上の世界からは理解しにくい、外来種達の中でも更に特別な――上位存在の話。
盤上操作者でありながらもニャイ神父は澄まし顔。
対局相手を目の前にし堂々と不正――盤上へと自らの分霊を送り込み、自らで相手の駒を破壊していく。
この遊戯は既にルールが変更されている。盤上世界そのものと、その盤上に巣食うネズミとの対局へと盤面がすり替わっているのだ。
盤上の中から観測する場合の彼らは、超越者たる神々。
理解が届かない領域の中で、敵対者として向かい合っていた。
神樹の下。
盤上遊戯へと改造された哀れな人間と、その飼い猫たる願いを叶える魔道具の前。ニャイ神父の本体が、目の前の《支配者たる集合神霊》――かつて楽園に住んでいた非道なる神々、その死した神霊の集合体でもあるヌートリアを眺め、不敵に微笑する。
神父の顔と身体はいつのまにか、闇へと溶け――それは一匹の大きな白ネコとなっていた。
玉座に鎮座する、神々しい猫。
その顔は少々太々しい。
チェシャ猫のモデルになったとされる、ブリティッシュショートヘアに似ているだろうか。
ネコとネズミの対局。
彼らもまた、盤上外の上位存在。
かつてまだ楽園と呼ばれる上位存在の棲家が健在だった頃も、こうして、神々が盤上遊戯を利用し代理戦争を起こしていたのだろう。
魔力が、激しく飛び交っている。
それは対局中の雑談。神々の言葉による攻撃。
ネコ神父が肉球で駒をプニっと動かし言う。
『キミさあ。どうせ直接戦ったらワタシには敵わないんだし、もう逃げられないんだから。諦めたらどうかな? 悪いようにはしないよ? ちゃんとワタシと、ワタシの友達の力で二度と還れぬ《主神たる黒魔狼結界》の中で、永久に、石にしてあげることができる。本来、存在そのものを消去されることになる大罪神のキミたちでも、永遠の存在になれる――いい話だろう?』
邪悪な獣毛を輝かせニヤニヤニヤニヤ、ヌートリアが言う。
『笑止。僕が負けると決まっているわけではないだろう? それに。気に入らないのなら、直接僕を破壊したらどうかな? あの日、主を失った衝動で我を失い、復興しかけていた楽園のみならず――文字通り、本当に世界全てを破壊したあの日のように、なぁ?』
ヌートリアの細める瞳は、ギヒヒヒっとしたゲスの微笑である。
ネコ神父は瞳を細め――魔性ともいえるほどの赤い瞳を輝かせる。
『それができるのなら苦労はしないよ。キミがこの子から盗んだ願いの力、あの日に帰りたいと叫び続けた慟哭まで消し去ってしまう。ワタシはね、手加減ってものが苦手なんだ――キミもよく知るあの方と同じでね。知っているだろう?』
『あの子……、ああ、我が子よ。輝かしきロゴスよ。全てを導く希望の光よ――』
声が、変貌していた。
神々の霊の集合体であるヌートリアレギオンが、揺らいでいたのだ。
『ああ、憎い。我は汝が憎いぞ――悍ましき魔猫の王よ。我からあの子の心を奪った、忌々しき三獣神。悍ましきケモノ神の中で最も膨らんだ、巨鯨の如き魔性。比類なき無限の魔力の塊。逃げ果せた楽園の神々を狩り続けた終焉ノ獣めが――』
様々な神霊が混じったレギオン、その怨霊たちがネズミという形となって魂の中で吠えている。
ネコ神父の返答は、猫髯を揺らす程度の小さな苦笑。
『奪ったんじゃない。キミがあの方の心を裏切ったのだろう?』
『我らはただ再び楽園を取り戻し、支配者として全ての人間、全ての命、全ての魂を管理したいだけであるのに。なぜ貴様らはそれを邪魔する。何故、我らを認めない』
『それは再び神々が全てを支配し、命と心を弄ぶ世界の黎明期にさかのぼるだけ。世界にとっては退化に等しい――まあ心を暴走させ魔性と化したキミに言っても通じないだろうけどね』
『神が世界を支配する、それのどこが悪いというのだ』
『支配自体が悪いわけじゃない、けれどキミたちが悪趣味で下劣で、人の魂や命を大切にできない哀れなる神々だからだよ。ただ――そうだね。キミがこうして再生していたことは好都合。この盤上遊戯は相手がいないと発動しない。ゲームが始まらないからね――滅んだ楽園の神々を吸い込み吸収したキミが戻ってきた事は、ワタシにとっては幸運だ』
ネコ神父がヴェルザとは別の場所で駒を動かす。
またひとつ、ネズミの駒が砕かれ消える。
『ぬかせ――自らが滅ぼしておいて、よくもぬけぬけと』
『そうだね。ワタシはかつて過ちを犯した――本当の意味で、全てのものを破壊してしまった。大魔王とさえ呼ばれるほどに憎悪を膨らませた、多くの異世界からも畏れられた。けれど、それとこれとは話は別。キミの責任と、ワタシの問題はまったく別の話だ。実際、ワタシは一度滅ぼされた。人々と魔族、そして心を入れ替えた一部の楽園の神々とその信徒たちの力に――負けた。でもやはり、それはそれ、これはこれさ。キミを諫め、滅ぼす事との因果関係はない。そうだね?』
ネコ神父は続けて丸い口を蠢かす。
『ワタシはね。キミが犯した悪行の数々も、これから犯す過ちも、盤上世界に本物の命として生きる彼らを弄んだキミの蛮行も、全てを知っている。到底看過できない。見逃すつもりもない。ここで、滅ぼすよ』
『大邪神が、いまさら善を気取るか?』
『善も悪も所詮は観測者によって移ろうものさ。それに、邪神からも侮蔑されるキミが――よほどだという事だろう』
対戦相手を邪神と断定するヌートリア、その言葉にネコ神父からの否定はない。分類上は、ネコの邪神なのだろう。
ヌートリアが大ネズミの駒を動かし、魔族の駒を攻撃。
ネコ神父の手駒――魔族の駒は迷宮に巣食い始めたネズミの駒に反撃する。
『はい、ここもワタシの勝ちだ』
『せいぜい余裕ぶっているがいい、悍ましき魔猫、狂える破壊神よ――我らは貴様が滅ぼした世界、全てを喰らいしネズミの王。たとえこの身、醜きネズミと窶したとしても、かつて楽園で全てを支配していた栄光に翳りなし。楽園を再興し、貴様を喰らい、そして人間どもを再び支配するその日がくるまで、我は止まらぬ』
ネズミの王は、赤い瞳を更に真っ赤に染めあげ。
内にため込んでいる、万を超える神霊たちの荒魂を揺らす。
黄色い歯をギジジジジっと打ち鳴らし、醜き血にまみれたケモノの手を上げたのだ。
『そして蘇った楽園で、再び我が妻、我が子と――またあの日のように暮らす。やり直すのだ! あの子の栄光を、あの子の威光を俗物どもに示し、今度こそ正しく導くとしよう!』
ネズミの瞳は望郷に揺らいでいた。
あの日、あの時に戻りたい。
それは奇しくも、全てを奪われた魔猫イエスタデイと同じ願い。
魔猫から全てを奪ったものでありながら、同じ夢を見ている。
それがネコ神父の鼻梁にはわずかな憐憫として映ったのだろう。
神父は悲しそうな顔で、一時も主人のそばから離れない《魔猫の置物》をみて言った。
『どうして、その苦しみを、同じ苦しみをこの子に与えた。どうして、理解ができない。キミがこの子から奪った願いの力を返せば、全てが丸く収まる……ワタシも振り上げた肉球をおろす機会を作れる。なのに、キミたちは』
『この役立たずめがっ。なぜ負けるっ。つまらない人生から脱出したい、異世界に転生したいというから拾ってやったというのにっ。どいつもこいつも……っ』
言葉への返事はない。
ヌートリアは鼠汚染させた駒を更に動かす。
勝者となるため、自らの魔力を浸透させ奪った駒で盤上を揺らす。
ヌートリアはそのうち、これでは勝てないと悟ったのだろう。
自らの魂、すなわち死した楽園の神の魂を口の中から吐きだし――新たなボスヌートリア駒を作成、なりふり構わず盤上世界に配置し始める。
堂々たる不正であるが、これは神々の遊戯。もとより、不正などし放題。
『ヌハハハハハハ! これならどうだ、この女神はおぬしの駒とて破壊できまい?』
『我が主は、まだキミたちを見捨て切れていないというのに――』
ネコ神父も会話による説得は無駄と判断したのだろう。
肉球で駒を淡々と動かした。
神々の遊戯。
再び始まった願望を掴むための、殺し合い。
ネコ神父がダイスを振るう。
ヌートリアもダイスを振るう。
玉座に鎮座する魔猫の王は、もこもこに膨らませた獣毛を揺らす。
勝利を掴みに、肉球を操る。
ニャイ神父自身も、勝利者の願いを叶えるという性質をもつこの”盤上遊戯”を必要としていた。
現実とは違う盤上世界、一種の夢世界ともいえる特殊な世界だからこそ、魔術法則を捻じ曲げ――叶えられる願いもある。だからこうして、盤上を喰らいつくそうとしている《神々の亡霊》と対局を開始したのだ。
ヌートリアに汚染される盤上世界を助けるため、そして同時に自分の願いを叶えるため――。
魔猫の置物、イエスタデイ=ワンス=モアは寝たふりをして、そんな彼らの対局を眺めていた。
ネコの姿をした神と、ネズミの姿をした神。
どちらもそれぞれの種族の王。
どちらもイエスタデイにとっては外来種。
主を穢した憎い外の世界の者ども。
それでも遊戯が始まってしまった以上、勝者の願いを叶えなくてはならない。
神々の願いを叶えることなどもうごめんだ。
しかし、魔猫の王は盤上世界に生きる本物の魂に同情的だ。この世界を狙うヌートリアの敵であるというのならば、敵の敵。味方と言えなくもない。
されど断言は危険だ。
かつて魔猫イエスタデイは信じた果てに、ネズミに裏切られたのだから。
魔猫イエスタデイはまだ彼らの様子を探ることにした
魔猫の置物には、今はもう心強い仲間がいる。
友がいる。
だから――動くのはいつでもできる。
盤上遊戯の上。まるで全ての記憶を記録し成長するかのように見事な神樹が、ネコのしっぽのような花を咲かせ――ザワザワっと揺れている。
その太い枝にぶら下がり、パンダの神霊がじぃぃぃぃぃぃ。
大樹の上では、手足の短い魔猫がイビキをかきながらも、いつでも神の首を刈れるように――釣り糸を垂らしている。
そして、寝たふりをする魔猫の置物。
盤上の中で成長し続けた四星獣は、神々の対局を睨み続けていた。




