第二十話
ルーカスと卓也をラバドーラのヘッドロックから開放したデフォルトは、改めて「おかしいですね……」とつぶやいた。
「デフォルト、宇宙なんておかしいことだらけだよ」
卓也は痛む首元をマッサージしながら言った。今まで散々おかしなことが巻き起こってきたので、今回のこともそう気にすることはないと思っていた。
「カレーの缶詰が食べられていたんですよ。心当たりはありませんか?」
「カレーだって!?」
卓也はデフォルトに詰め寄ると、触手を強く握りしめた。
「あと、やきとりの缶詰も」
「やきとりだって!? どっちも地球に帰ったら食べたいと思っていた料理だよ。まさかレストで食べられるとは!」
「あの……だから……缶詰が食べられてしまっていたのです。なのでお出しすることが出来ないのですよ……。ちなみに空になった缶は、なぜかお二人の部屋にありました」
「ルーカス!」と卓也は睨みつけたが、全く同じくルーカスは「卓也!!」と睨みつけていた。
「ルーカス……君はそういうやつだよ。いつだって自分のことばっかり優先して……。隠れて一人で食べるカレーはさぞ美味しかっただろうね」
「なにを言っている。美味しいものを独り占めにするのは、いつも君の方だ。頭のネジが外れたあっぱらぱーな女からの差し入れ、頭のネジを締めすぎてあっぱらぱーになった女からの差し入れ。私は忘れていないぞ。バレンタインにもらったチョコレートを、私に一口もよこさなかったことを」
「あれはルーカスが食べないって言ったんだろ。なにが入ってるかわからないって。方舟の贈り物はちゃんと検査がされてるっていうのにさ」
ルーカスと卓也はお互いに責め合っているが、罪のなすりつけ合いをしているわけではない。
それもそのはず。どちらにも身に覚えがないからだ。そもそも二人は隠し戸の存在を知らないので、食べるどころか缶詰を見付けることさえ不可能なのだ。
売り言葉に買い言葉で口論が止むことはなく、卓也はデフォルトの触手を引っ張って部屋を出ていった。
「絶対にルーカスが犯人だって証拠を見つけてやるから!」
「聞いたかね? 卓也は証拠を隠滅する気だぞ。我々も急がなければ。逆に証拠を見つけて、突きつけてやるんだ」
ルーカスはラバドーラの手を掴んで引っ張ったが、ラバドーラは動こうとしなかった。
腕を引きちぎる勢いで全体重をかけてもラバドーラはびくともせず、ルーカスは「なにをしている!」と叫んだ。
「なにもしないのよ。なんで私が手伝わないといけないわけ? 一人じゃなんにも出来ないの?」
いつの間にかアイの姿を投影していたラバドーラは、これ見よがしに不快な表情を浮かべてルーカスを睨みつけた。
いつものルーカスならば、アイの姿のラバドーラには反発するのだが、今日に限ってはなんとしてでも仲間に引き入れようとしていた。それは向こうにはデフォルトがいるからだ。デフォルトに対抗するにはラバドーラしかないので、味方につけて卓也の悪事を暴こうとしているのだ。
「いいかね? これは言わば頭脳戦だ。あの色情狂とタコランパが作り上げるアリバイを崩さなければならない。私一人でやってもいいが、それだと余り物の君はこの宇宙船一のバカということになってしまう。これは私の慈悲だ。参加させてやる。手伝いたまえ」
「別にかまいやしないわよ」
「そうかね。ならば、そこで座ってただ時間を潰していればいい。博物館の倉庫にしまわれた、配線剥き出しの時代遅れのロボットのようにな」
ルーカスは鼻で笑ってバカにすると、ゆっくりと足音を響かせて部屋を出て行った。
最初は安い挑発になど乗らないと余裕でいたラバドーラだが、ルーカスの足音が一つ響くたびに、頭に穴の合わないネジを巻かれているかのようにどんどん不快になっていた。
そして完全にルーカスの足音が聞こえなくなると、えも言われぬ敗北感が湧き上がってきた。
ラバドーラは部屋を飛び出しルーカスの下まで駆けつけると、思い切り背中を叩いてから「しょうがないから付き合ってあげるわよ」と隣を歩き出した。
背中の激痛に蹲ったルーカスは「……手伝うのは建前で、本音は私を陥れようとしているのではないかね……」と声を怒りに振るわせた。
「あの暴言をそれでチャラにしてあげるんだから、むしろ感謝しなさいよ。それで、見当はついてるの? 忘れてただけで、本当は自分が食べていたなんて言ったら、バカって看板を溶接して宇宙空間にほっぽりだすわよ」
「まったく……私がそんなにバカだと思うのかね?」
「思うから、先に忠告してるのよ。それもわからないくらいバカなの?」
「すぐにその言葉を取り消すことになるぞ。なぜなら私は天才だからだ。ただ騒ぐだけの猿とは違うのだよ。卓也が嘘をついている。その証拠に目星はもう既についている」
そう言ってルーカスがラバドーラを連れてきたのは自室だった。
デフォルトからここに空き缶が捨てられていたと聞いて、きっとここに証拠があるに違いないと決めつけたのだ。
その短絡的思考にラバドーラは呆れ顔で、自慢気なルーカスの顔を見ていた。
「本当……天才ね。誰も思いつかないわ。証拠が転がっていた場所に、証拠が転がっているなんて。デフォルトに言えば、証拠の空き缶ももらえると思うわよ」
「だから君はポンコツだというのだ。いいかね? やきとりのタレやカレーのルーというのは、服につくと取れないものなのだ。つまり……卓也の服にはどちらか、もしくは両方の汚れがついているということだ」
ルーカスはタンスを開けると、パレードの紙吹雪でもまくように、盛大に衣類を床へと投げ捨てた。そのすべてが卓也の服で、証拠はここに埋もれていると勢いよく指を差した。
「本当……大したものよ。デフォルトが毎日洗濯してる衣類の中から、シミがついてるものを探すなんて普通考えないもの」
「……いいかね、口を動かすのなら赤ん坊にもできる。せめて手くらい動かしたまえ」
ルーカスは適当に衣類を分けると、半分をラバドーラに押し付けた。
「私はなにをやっているんだか……」
ラバドーラは自分から熱くなって勝手に振り回されたことに、今更後悔していた。
「やっぱりだ……。見たまえ、これはカレーのシミだ」
ルーカスは卓也のシャツを広げて見せつけた。
そのシャツのシミは、もうシミ抜きも出来ないほど古いものだった。
「分析するまでもない。何年前のカレーのシミを探すつもりだ……」
「ならば……これはどうだ? ――これは? ――これなら間違いないだろう」
「どれも数年前からついてるシミだ。……まともな服は持っていないのか?」
ルーカスとラバドーラが協力している頃。卓也とデフォルトも協力して証拠を探し、缶詰がなくなったという食料棚を調べていた。
「こんな棚があったの全然知らなかったよ」
「過去の方舟にいた時に、勝手に改造したものですから。レストが大きければ、もっと色々なものを乗せられたんですけどね」
「エッチなデータとか入れといてくれればよかったのに」
「これは食料棚ですよ」
「オカズなんだから間違ってないと思うけど?」
「間違いだらけです……。いいですか? 話を戻しますよ。昼食時まで確かにここに缶詰があったんです」
「デフォルト……だから僕じゃないって」
卓也は身体検査をすればとでも言いたげに、無防備に両手を上げて言った。
「いえ、疑っていませんよ。卓也さんのことも、ルーカス様のことも。時系列を考えれば不可能なことですから。なのでおかしいと言ったんです。レストにいるのは四人。そのうち一人は食事を必要としないラバドーラさん。ルーカス様と卓也さんは自分と一緒にいましたし、その後すぐにラバドーラさんのところに行ったので、缶詰を取って食べる時間なんてないはずです」
「まぁ……デフォルトを疑う必要もないし、他に誰か食べた人がいるってことになるよね。でも、ルーカスが食べた可能性もまだ否定できないよ」
卓也はデフォルトが缶詰の通し番号を見間違えて、勘違いしていた可能性もあると言ったが、デフォルトはそれはありえないと確信していた。なぜなら、見間違えていたとしたら、チェックリストになんらかの不備が見つかるはずだからだ。
ずぼらな二人とは違い、毎日デフォルトはまめにチェックをするので、見間違えることはない。だからこそ、人一倍今回のことを不審に思っているのだ。
それでもデフォルトは念の為にと、卓也の目でも確かめてもらうために、倉庫の保存食すべての確認作業を始めた。
結果は不備なし。やきとりとカレーの缶詰だけが行方不明になっている。
「ラバドーラが取ったんじゃないの? 最近は倉庫に籠もって、なんか色々作ってるじゃん。それで、缶が必要になったとか」
「それはありえません。缶はお二人の部屋に捨てられていたのですから。中身だけがなくなるとしたら、誰かが空腹を満たしたということになります」
「それじゃあ、もう一人誰かが存在するってことになるよ。言っとくけど……僕怖い話は嫌いだよ」
「一応他の生命体がいないか確かめてみますか?」
卓也とデフォルトは操縦室に行き、レストの中を熱探知でスキャンした。
一つ、二つ、三つと反応が出たところで、スキャンが終了したと表示される。
卓也は「大変だ! 一つ足りないよ!!」とデフォルトに抱きついた。
「落ち着いてください。ラバドーラさんはアンドロイドなので検知されないんですよ。ラバドーラさんを検知するまで範囲を広げたら、あちこちの機械も反応して真っ赤になりますよ」
「でも不安だからやって……。ここには嫌なことから目を背けるのに顔を埋めるおっぱいもないんだぞ。幽霊がいないって証明するまでやって」
「自分は幽霊というものは地球の文献でしか知らないのですが……機械に検知されるものなんですか?」
「されるよ。まさか……心霊写真とか心霊動画を知らないの?」
「存じ上げません。おそらく地球独特の文化だと思いますよ」
デフォルトは無駄だと思いつつも、卓也を安心させるために検知する熱の幅を広げた。
すると、スリープモードのタブレット端末の熱まで認識して、モニターは真っ赤になった。
「画面が血だらけだ!!」
卓也が叫ぶと、デフォルトは「卓也さん……」と呆れた。
「ふざけただけだよ。ふざけたってことは安心したってこと。ほら、これが僕だろ、これがデフォルト。ルーカスとラバドーラは部屋にいるみたいだね」卓也はモニターを指差して一つずつ確認していくと最後に手を止めた。「じゃあ……これは……誰?」
またふざけているのかと思ったデフォルトだが、卓也の顔が真っ青になっているのを見ると、慌ててモニターを確認した。
すると、そこには四人以外の赤い点が、レストの中を動き回っているのが映し出されていたのだ。
「なにかいますね……」
「まさか……本当に幽霊? 僕本当にダメなんだよ……美人な幽霊って見たことないから……免疫がないんだ」
「移動速度から考えて、小型の宇宙生物の可能性が高いと思いますが」
「なんだ。じゃあ、とっ捕まえて燃料にしちゃおうよ。もし、可愛かったらそれを出しに女の子と仲良くなろう。出来れば猫か犬みたいのがいいな。二匹ともナンパの道具にピッタリ。赤ちゃんを出しに使うのもいいけど、入手先が大変だからね」
「元気になったならいいですが……ルーカス様に誤解を解くためにも、捕獲しに行きませんか? ちょうどドッキング室にいるようですし、追い込む手間が省けますよ」
「そうだね。捕まえて、勝利宣言して悔しがらせてやろう」
卓也が駆け出していったので、デフォルトも続いた。
走りながらデフォルトは、タブレット端末を見て「まだいますよ」と侵入者の位置を確認していた。
「よしきた!」とドッキング室に入った卓也は「さぁ、猫でも犬でも袋のネズミだよ」と周囲を見渡した。
「いませんね……。たしかにここにいるはずなのですが」
「デフォルト……集中するんだ。機械を捨てて気配を感じるんだ。それがカンフーマスターへの道だよ」
意味はわからないが、とりあえず「はぁ……」とデフォルトは返事をした。
「ほら、そこだ!」と卓也は「アチョー!」と気合を入れて、棚の影へと飛び込んだのだが、すぐに叫び声を上げて気絶してしまった。
「卓也さん!?」とデフォルトは慌てて駆け寄った。
そして、影にうごめくものの正体を見て、卓也のように悲鳴を上げてデフォルトも気絶してしまった。




