二つの銃声
染み一つない真紅の絨毯。幾度となく人々の血を吸い、己が赤さを保ち続けてきた。
しかし、六道の企みによりその一部は消滅。これを機に、次は耐火性の絨毯に取って代わられるかもしれない。
そうだとすれば、彼らが人の血を吸うのも今日で最後。自身が彼らの最後の晩餐となることは、光栄なのか不幸なのか。
ある種の感慨を抱きながら絨毯をゆっくりと踏みしめていき、明はとある部屋――大広間の前で立ち止まった。
目を閉じ、軽く深呼吸を行う。
脳の隅々まで酸素が行き渡っていくのを感じながら、これからの動きをシミュレートする。
ここが一番の勝負所。もし失敗すれば死ぬだけでは済まず、当然二度と神楽耶の顔を見ることもできない。死への恐れは正直あまりないが、もう二度と彼女の顔を拝めないというのは、少しばかり惜しい。
必ず成功させる。それ以外の結末はあり得ない。だが……成功する確率は非常に低い。
六道の言葉通り四大財閥のトップがこのゲームを観戦しているのだとすれば、こちらの策などとっくに見抜かれている恐れがある。明が戦いを挑もうとしている相手は、スペルなどなくとも人知を超える化物たち。
彼らの来歴は日本人なら幼稚園児でも知っている。そしてそのスペックの高さ、いや異常さも、魂に刻み込まれるレベルで聞かされてきた。
金光、如月、天上院。そのトップは皆天上の存在であるが、中でも八雲財閥のトップであるあの男は、到底同じ人間だとは思えない。万が一にもあの男がこのゲームを観戦していたら、明の思惑などゲーム開始と同時にばれているはず。もしかしたらそれ以前に、誰がこのゲームに参加するか、どんなスペルが渡されるか聞いた時点でゲームの行く末を見通していたかもしれない。
考えれば考える程、失敗する未来しか見えてこない。それでも、ここまで来たらやらないという選択肢はない。
今度は大きく深呼吸を行い、脳に多量の酸素を回す。
クリアになった思考で最後にシミュレートをもう一度行い、明は扉を開けた。
だだっ広い大広間では、純白の円卓と振り子時計が初日と変わらぬ姿を誇っていた。その中にあって、唯一の異分子である真っ黒な修道服を着た一人の男。
初めて会った時と変わらぬ異様な雰囲気を身に纏い、狐面の如き細い目で来訪者を歓迎する。
彼のことをラスボスだと考えたのは、図らずも間違いではなかった。
そのことにどこか笑いがこみ上げてきそうになるが、状況が状況ゆえ必死に堪える。
明は部屋の中に歩みを進めると、鬼道院に声をかけた。
「無事また会えて何よりだ。それに服が返り血に染まっている様子もない。俺の銃を複製したものは使わず、約束通り神楽耶を殺さないでいてくれたと考えてよさそうだな」
鬼道院は修道服の中から明が持っているのと全く同じ銃を取り出した。そこに血がついていないことを示すため、手元で銃をくるりと回転させる。それから口元に笑みをたたえ、小さく頷いた。
「ええ、殺していませんよ。できるだけ穏やかに問いかけたのが功を奏したのか、決死の反撃をされることもありませんでしたから。確認事項について問いかけた後は、静かに部屋の中で待ってもらうようお願いしました」
殺していない。その言葉に安堵すると同時に、明は気になっていたことを尋ねた。
「……それで、あいつの本性はお前が推理した通りのものだったのか」
鬼道院は躊躇うことなく、あっさり肯定する。
「はい、残念ながら。彼女は運営と結託しルールの改変を行い、あなたを殺害しようと目論んでいました。彼女自身の口からしっかりと聞きましたので、間違いありません。それに策がばれていたことを知った後は、今までとはまるで違う表情に変わりましたからね。なんでも大学では演劇サークルに所属しており、演技をして人を騙すのは得意とのことでした」
「そうか……」
予想していたとはいえ、それなりにショックは受ける。自身がまんまと騙されていたこともそうだが、こちらを殺す気でいたということは、共に戦う中で築いてきた信頼や好意も欺瞞だったということ。
久しぶりに紡がれた絆があっさりと消失したことに、失望せずにはいられなかった。
陰鬱な雰囲気がより強まった明。
そんな彼を哀れんだ目で見ていた鬼道院は、優しい声で囁いた。
「東郷さん。やはり神楽耶さんを殺して今回のゲームを終わらせませんか? ここに来るまでにこれだけ時間がかかったということは、東郷さんの予想通り秋華さんは生きていたのですよね。そしてあなたも、当然彼女を殺してはいない。
秋華さんは、主催者への復讐にも賛同してくれたでしょう? 神楽耶さんを殺し、私と東郷さん、秋華さんで今後の計画を進めていく。それでよいではありませんか。
私は、あなたのことを殺したくはないのです」
言葉一つ一つに宿る威圧感はいつも通りではあるが、今はそこに慈愛の念も強く込められている。
一般人であれば無条件で頷いてしまいそうなその声に、しかし明は首を振った。
「悪いが、俺の中に神楽耶を殺すという選択肢は存在しない。一度約束を交わした以上、あいつの本性がどうあれ必ず助ける。そもそも神楽耶が生き残れるなら俺自身は死んでもいいと思っていたからな。お前の提案は、受けられない」
真剣な表情で、二人はしばらくの間じっと見つめ合う。
彼らの瞳には一切の揺らぎが見られない。
どんなに言葉を尽くそうとも、相手の意思を曲げることができないのは明白だった。
先に視線を逸らしたのは鬼道院。首元の数珠をなでながら、大きく溜息を吐いた。
「本当に、残念です。友達にはなれずとも、あなたとは良きパートナーとなれたと思うのに」
明は鼻を鳴らして、鬼道院の言葉を一蹴する。
「随分余裕だな。言っておくが俺のスペルは即死スペルだ。殺し合いになればお前に勝ち目はないぞ」
「それはこちらのセリフです。あなたこそ私がどんなスペルを持っているかご存知でしょう?」
「『記憶改竄』のスペルのことか? 悪いがそのスペルは俺には効かないぞ。記憶が書き換えられた際、再び元の記憶を上書きするよう既にスペルを唱えてあるからな。まあこれがハッタリだと思うなら、唱えてくれて構わない」
「信じますよ。あなたならそれくらいの準備はしていると思ってましたから。でも、私が持つ全てのスペルに対応はできないでしょう?」
「……『記憶改竄』、『死体操作』以外にもスペルがあると? そういえば俺の銃を複製したスペルは秋華から聞いたと言っていたな。あいつから他にも何かスペルを聞いていたのか? まあだとしても問題はない。どっちにしろ俺のスペルの方が先に発動するだろうからな」
「そうですね。スペルが発動してしまえば、私の方が早く死ぬかもしれません」
数珠から手を放し、おもむろに持っていた銃を明に向ける。
あまりに自然な動きだったため、明は束の間呆然とその動きを眺めていた。しかしその状況を察するとすぐ、苦笑しながら自身も懐から銃を抜き、教祖に向けた。
「銃口を向けたならすぐに撃てばいいものを。わざわざ待っていてくれるのは、教祖様の慈悲ってやつか」
「それを言うなら東郷さんも、無駄話などせずスペルを唱えて殺せばよかったでしょう。秋華さんが生きていた以上、あなたが私を殺すことは確定事項だったはずですから」
「まあ、それもそうだな。俺も教祖様に負けず劣らず甘々ってことなんだろう」
かははと乾いた笑い声を上げ――明は甘さなど一切感じさせない冷淡な視線を鬼道院に向けた。
背筋が凍りつくような冷たい視線。しかし鬼道院は動じない。余裕のある笑みを浮かべながら、一歩一歩距離を詰めてきた。
明も鬼道院に動きを合わせ、歩を進めていく。
およそ五メートル。
二人は相手の頭にしっかりと銃口を定め――同時に絶叫した。
「自殺宣告!」
「屍体操作!」
絶叫と同時に、引き金が引かれ銃弾が飛んでいく。
叫ぶと同時に横に跳んでいたため、お互い間一髪のところで銃弾が外れる。
体勢を立て直す間も惜しみ、それぞれ再度銃を向け直す。だが、鬼道院の体に突如異変が起こった。
手が勝手に動き、東郷に向けようとしたはずの銃が自身を狙い始める。なぜ、と考えるまでもない。東郷が唱えた自殺宣告の効果により、銃で自殺しようと体が勝手に動いているのだ。
初撃を避け、勝利を確信した東郷は動きを止める。スペルの効果により鬼道院が自殺するまであと数秒なのは分かりきっており、動かずとも決着がつくのは明白だった。
しかし、東郷は動きを止めたことをすぐに後悔することになる。鬼道院のゆったりとした修道服の中から、黒光りする新たな銃と、その引き金に指をかけた青白い手が、ぼたりと床に落ちたのである。青白い手は、銃口を真っ直ぐに東郷へと向けている。
そして、次の瞬間。
二つの銃声が同時に響き渡った。




