一方通行の共犯者
扉を軽く叩いてみる。
反応はない。
もう一度叩いてみる。
やはり反応はない。
ドアノブを掴んで捻ってみるも、当然鍵がかかっており開く気配はない。
鬼道院は小さく溜息をつくと、手に持っていた鍵を、鍵穴に差し込んだ。
カチリ
抵抗なく鍵は回る。
ドアノブを掴み、扉を開く――直前に不安が脳内をよぎり、首元の数珠にそっと手を伸ばした。
ふと思えば、自身の意思で他のプレイヤーと対峙しようとするのはこれが初めてのこと。今更ながら、微かな恐怖が心の中でざわめき始めた。
数珠を強く握りしめ、鬼道院は静かに恐怖を鎮めようとする。
――大丈夫。彼女との対決で私が殺されることは、万に一つもあり得ない。それに、もし殺されても、過程が少し変わるだけの話。不安がることなど、何もない。
頭の中で何度かそう言い聞かせると、徐々に心が穏やかになっていくのを感じた。
――これならもう、大丈夫。
覚悟を決め、扉を開ける。そして滑るように部屋の奥まで歩いていくと、中を見回した。
予想していたことだが、人の姿はない。ノックされたことで警戒心を抱き、彼女はどこかに隠れてしまったようだ。
血命館の客室にはそこまで隠れられる場所がないため、探すこと自体は難しくない。しかしここで下手に刺激して、捨て身の行動をとられても困る。
まずは彼女の警戒心を解こうと、鬼道院は穏やかな声音で呼びかけた。
「神楽耶さん。この部屋にいらっしゃるのでしょう? 東郷さんからあなたがこの部屋にいると聞き、少しばかりお話をしに参りました。特に敵対する意思はありませんので、姿を見せていただけないでしょうか」
しばらく反応を待つも、何も物音は聞こえず、神楽耶が出てくる気配はない。
まだ警戒されているのか、それとも既にこの部屋にはいないのか。
もし後者だったら今の状況はひどく間抜けなものだなと思いつつ、鬼道院は再度呼びかけを行った。
「神楽耶さん。繰り返しますが、私はあなたと敵対するつもりはありません。すでにゲームは終幕へのカウントダウンを始めています。先ほど私と東郷さんで力を合わせ、六道さんを冷凍室に閉じ込めました。後は彼がお亡くなりになれば、その時点で生き残りである私と神楽耶さん、そして東郷さんがゲームの勝者となります。ですから私にはあなたを害す理由がありません。本当に、ちょっとしたお話をしたいだけなのです。どうか出てきてもらえないでしょうか」
誠意を込めた申し出にも、完全な沈黙が返ってくる。
これはやや危険ではあるが、一つ一つ隠れられそうな場所を探すしかなさそうだ。そう考え小さく嘆息していると、不意にクローゼットからコツンと、何かがぶつかる音が聞こえてきた。
鬼道院は視線をクローゼットに移し、目を細めてじっと眺める。静寂がしばらく続くも、程なくしてクローゼットがゆっくりと開き、中から緊張した面持ちの神楽耶が姿を現した。
彼女は両手を後ろに回し、警戒した表情で鬼道院を見つめてくる。
鬼道院もしっかりと彼女の目を見つめ返す。そして、相変わらず人形じみた綺麗な女性だなと、内心で感嘆した。こんな場所でなければ、いや、こんな場所だからこそ。彼女の魅力に心奪われてしまうのも、容易に納得できる美しさだった。
鬼道院は敵意がないことを示すために手のひらを見せながら、笑顔で声をかけた。
「ああ、そこにいたのですね。無事でいてくれたようで何よりです」
「……お陰様で。それで、聞きたいことって何ですか?」
鬼道院の雰囲気に気圧されているのか、スペルを唱えられる様子がないと分かっても、神楽耶の表情は硬いまま。近づいて来ようとはせず、一定の距離を保っていた。
普段なら距離を取られるのは地味に心が痛むのだが、今は鬼道院にとっても悪いことではない。
敢えてその距離を詰めたりはせず、にこりと微笑みかけた。
「東郷さんではなく私が来て、がっかりされましたか?」
「それは……当然です。だって鬼道院さんが来たってことは――」
「そうでしょうね。相手が東郷さんでなく私であっては、隠し持っているナイフで刺し殺すこともできませんからね」
穏やかな、しかし圧倒的な威圧感と共に放たれた言葉に、神楽耶はピクリと肩を震わせた。
お互いに相手の顔を見つめ合ったまま、しばらくの間無言の時が流れる。
沈黙に堪えきれず、口火を切ったのは神楽耶だった。
「……突然、何を言い出すんですか? 私が東郷さんを殺す? 仰っている意味が分かりません」
「そのままの意味ですよ。あなたは今手に隠し持っているナイフで、東郷さんを殺そうと考えていたのでしょう。ですがここに来たのは東郷さんではなく私だった。ですからがっかりしているのではと思いまして」
「だから、言ってる意味が分かりません。確かに私は今、ナイフを持っています。でもそれは護身用であって、東郷さんを殺すためではありません」
神楽耶は後ろに回していた手を、鬼道院に見えるよう横に下した。言葉通り、彼女の右手にはナイフが握られていた。
そのナイフにつと視線を落としつつ、鬼道院は疑問を投げかける。
「さて、このゲームでは暴力が禁止されています。ですからナイフを持つことは自衛行動たり得ないと考えますが?」
「確かにルールでは禁止されていますね。でも、残りの人数が四人の時なら、こうした凶器だって役には立つはずです。もし一撃で相手を殺すことができたなら、その時点でゲームは終了して、ルール違反によるペナルティが起きない可能性が高いですから」
「ほう。神楽耶さんはナイフを使って、一撃で人を殺す自信があるのですか。それは凄いですね。私にはとても真似できません」
「……可能かどうかは知りません。そう言った理由だから、抑止力ぐらいにはなるだろうって話です」
「ああ、そうでしたか。早とちりをしてしまい申し訳ありません。ですが、東郷さんを殺そうとしていた件に関しては事実ですから、認めてくださいますよね」
微笑みを崩さないまま、鬼道院はしつこく同じ問いを投げかける。神楽耶は苛立たし気に眉を顰めると、小さく首を振った。
「……何度も言いますけど、言ってる意味が分かりません。どうして私が東郷さんを殺さないといけないんですか。私のために命懸けで戦ってくれている彼を殺す理由なんて、一つもありません。それとも鬼道院さんには、私が東郷さんを殺す理由に心当たりでもあるんですか?」
鬼道院は笑顔のまま、目を微かに細めて頷いた。
「ええ、ありますよ。あなたはこの館に集められる理由のある、紛れもない悪人だからです。元から東郷さんを利用するだけ利用したら、殺そうと考えていた。それゆえ、残り人数が四人となった今、彼を殺してゲームをクリアしようと考えた。何か間違っている点があるでしょうか?」
「……間違いしかなくて、言い返すのも馬鹿らしいです。大体もしそれが事実で、私があなたの言うような悪人だったなら、とっくに宮城さんのスペルで死んでいるんじゃないですか? 忘れているようなので言いますけど、私は正義の使者からしっかりと無罪判定を貰っているんですよ」
神楽耶は険しい目をして鬼道院を睨み付ける。だが教祖は、そんな彼女に対して穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆったりと反論してみせた。
「勿論、宮城さんがあなたのことを善人だと判断したことも、あの場であなたが殺人に対し潔癖な面を見せたことも覚えていますよ。ですから神楽耶さん。確かにあなたには罰せられるような罪はなく、殺人を犯すことを悪だとも考えているのでしょう。
しかし、あなたは悪事を起こしたことがないだけで善人ではなく、殺人に対して一切の抵抗などないのでしょう? それどころかむしろ、殺人を犯してみたくてたまらないとすら考えている」
「何を根拠にそんなことを――」
「私の記憶が正しければ、あなたは架城さんから女性間での幸福の奪い合いに付いて同意を求められたとき、こう答えていました」
神楽耶の言葉を遮り、鬼道院は粛々と語りを進めていく。
「『私の友人に、架城さんと同じ罪を犯せる者はいない』と。私はこの言葉を聞いたとき、とても不思議に思ったのです。なぜあなたは、『私の友人に』と言い、『私は』とは言わなかったのかと」
「……よく、そんなことを覚えてますね」
「ええ。教祖として、ああいったお話しには興味があったものですから。それで、なぜあなたは、あなた自身を含めずに、架城さんの問いに答えたのでしょうか?」
「……言葉の綾じゃないですか。そもそも私は、自分がなんて言ったかなんてもう覚えていませんし」
「では今ここで、私が『虚言既死』を唱えましょう。その上で、『私には架城さんと同じ罪を犯すことはできない』。そう宣言していただいても宜しいでしょうか? もしあなたが私の言うような悪人でないのなら、まさか嫌とは言いませんよね」
口調は穏やかなままではあるが、神楽耶の逃げ道を一つずつしっかりと潰していく。
こと今回だけは、鬼道院は意識的に自身の性質を利用していた。彼女の本質が自身の予想通りであった場合、ゲームクリア後に自身と東郷とで行おうとしている件の障害になる可能性がある。そのため、多少のリスクを冒してでも、彼女という人間の真実を明らかにしておく必要があった。
そして尋問をする際には、鬼道院が生まれ持つ性質は非常に効果的に働く。神楽耶としては、こちらが実際どこまで確信をもってこの問答を行っているのか分からず、対応に困っているはずである。そこにこの威圧感を持って迫れば、彼女から言い訳を奪い、真実を語らせるには十分な効果があると思われた。
神楽耶は平静を保つように一度深呼吸をすると、『虚言既死』を唱えられるのを嫌ってか話題を無理やり変えてきた。
「……百歩譲って私がそんなやばい人だったとして、どうやって東郷さんを殺すっていうんですか。もしかして鬼道院さん、私と東郷さんがどうやって仲間になったのか知らないのですね。私は彼とチームを組むにあたって――」
「自身のスペルを無駄打ちしたのでしょう。そしてその後は東郷さんと常に行動を共にすることで、新たなスペルを得る機会も零にした」
「東郷さん、そこまで話したのですね……。少し裏切られた気分です」
神楽耶は苦々しげな表情を浮かべ、怒ったように呟く。
鬼道院は小さく首を横に振ると、「おや、それは違いますよ」と否定した。
「あなた方のこの不平等な関係については、二日目に昼食を共にした後、藤城さんが気づいて教えてくれたのです。どうしてあなたと東郷さんがチームを組めたのか考えたら、すぐ思いついたと仰っていましたよ」
「二日目の時点で、藤城なんかに……。でも、それを知っているなら私に東郷さんを殺すことができないのも分かってもらえますよね。それとも私が陰で誰かからスペルを教えてもらっていたとでも言いますか」
自信ありげな薄笑いを浮かべ、神楽耶はそう尋ねてくる。
鬼道院は緩やかに首を振ると、あっさり否定の言葉を吐いた。
「そんなことは言いませんよ。あなたは東郷さんに裏切りを疑われないよう、徹底して他のプレイヤーとの接触は避けていたはずです。それに東郷さんも目ざとい人ですからね。あなたに不審な動きがあれば、すぐに気付いて問い詰めていたことでしょう」
「だったら私には東郷さんを殺すことなんて無理――」
「ですが一人だけ――いえ、一つだけ。あなたには東郷さんにばれることなく、会話を行える相手がいました。浴室という限定された場所で、しかも一方的に話を聞いてもらうだけの相手だったでしょうけどね」
「くっ……」
明確に、神楽耶の顔が屈辱に歪む。もはや動揺を抑えきることができなくなり、これまで保ってきた善人としての仮面に、修復不能な亀裂が入っていた。
鬼道院はそんな彼女の姿を見て、自身の考えが杞憂でなかったことを、ようやく確信した。そして鷹揚に手を広げ、自身から発生する威圧感を前面に出しながら、彼女が隠してきた仲間の名を告げた。
「あなたは、監視カメラを通じて運営とコンタクトを取っていた。スペルを使うことで東郷さんとチームになれたのだから、自身が彼の不意を打ち、傷つけ殺すことはルール違反にならないはずだ。そう語り続け、殺害の許可をもらっていた。間違いありませんよね?」




