朝食
一通り話し合いが済んだ後、東郷と別れた鬼道院はⅤ号室を出て本館へと向かっていた。時刻はすでに八時を過ぎていたので、大広間に行き朝食をとろうと考えたのだ。
別館は依然として静けさに包まれたまま。話し声はどこからも聞こえず、この館には自分しかいないのではないかという錯覚さえ覚えてしまいそうになる。まあ、勿論そんなことあるわけないのだが。
自分がこの館に一人だけ取り残されたという妄想を膨らませつつ、別館を抜け連絡通路へ足を踏み入れる。連絡通路にも人はおらず、本館への道を遮るものは何もない。
ガラスから透けて見える外の景色に目をやりながら、鬼道院はしずしずと足を進めた。館内の凄惨で陰鬱な世界とは違い、外は生命力に満ち溢れた木々や小鳥が暖かな光に包まれた清涼な世界が広がっている。
早くこの地獄から脱出したい。
そんな思いから通路の真ん中で立ち止まり、目を閉じ手を合わせ、天に祈りを捧げる。すぐに祈るのはやめ、歩みを再開。
温室の前を通り過ぎたところで、不意に肩へと手が伸びてきた。
「おはようございますよ、教祖様。お互い無事に二日目を迎えらえて、涙が出るほど嬉しいぜ」
「おはようございます、藤城さん。自分だけでなく、私の身も案じてくれたこと、心より有難く思いますよ」
誰もいなかったはずの連絡通路にて、唐突に現れた藤城孝志。
突然声をかけられ内心ではかなり驚いていたものの、それが外面に現れるようなことはない。元々リアクションが薄い方であるのに加え、教祖としてやっていくために不意の出来事にも動揺しないよう鈍くなる訓練も積んできた。
こんなスキル、それこそ教祖をやっているとき以外に有効な場面などないと思っていたが、こうしたデスゲームでも役に立つのだということを鬼道院は発見した。――まあ、できれば一生発見したくなかったことではあったが。
気に入っているのか、藤城は昨日同様紫のタキシードを着込み、ニタニタとした下卑た笑みを浮かべ横に並んできた。そして鬼道院の肩を何度も叩きながら、嬉しそうに語りかけてくる。
「やっぱりあんたは別格だな。これが東郷って野郎なら、一瞬固まった後挨拶なんかせずに睨み付けてくるだろうに。教祖様は驚きもせず気軽に挨拶まで返してきやがった。あれだろ。通路の途中で祈りを捧げてたのも俺に対するアピールだったんだろ。温室からこそこそ他のプレイヤーの動向を探ってないで、私と一緒に動きませんか、ってな」
勿論そんなアピールをしたつもりはない。そもそも藤城が温室にいることなど全く気付いていなかった。
鬼道院はにっこりほほ笑むと、「それは深読みのし過ぎですよ。私はそこまで大した人物ではありません」と事実を述べたが、「謙遜しなさんなよ教祖様」と信じてはもらえなかった。
藤城はなれなれしく鬼道院の首に腕を回すと、上機嫌に話し出す。
「で、本館に向かってるってことは、やっぱり飯食いに行くんだろ。なら俺もご一緒しても構わねえよなぁ。昨日お預けされた答えも聞いておきてえしよ」
「そうですね。私としても藤城さんとはもっと深く話したいと考えていましたから、是非ご一緒していただきたいです」
「よっしゃ。じゃあ厨房行って適応に料理とって来たら、談話室で作戦会議と行こうじゃねえか。教祖様の加護がありゃ、このゲームを攻略するなんて容易いだろうからな」
余程良いことがあったのか、藤城は鼻歌交じりに率先して大広間に向かっていく。本当に鬼道院の加護を信じているのか、他のプレイヤーから襲撃される恐れなどないかの如き警戒心のなさ。
あまりに堂々と歩く藤城に疑問を抱き、鬼道院は大広間までの道程をずっとそのことを考えながら歩いていた。
「あまり無理はなさらない方がいいですよ。昨日はほとんど寝ていないのでしょう。少し仮眠をとってからお話しした方がよいのではありませんか」
結局大広間に着くまでに答えは出ず、厨房で適当に食事をとり、談話室でいざ話をするという段になってようやく一つの答えが浮かび上がった。
藤城は一瞬何を言われたのか分からずに呆然としていたが、意味を理解すると笑みを深め、大きく頷いて見せた。
「やっぱり教祖様には敵わねえな。仕事がら二、三日寝てなくても普段と同じように振る舞える自信はあったんだけどよ。なんでほとんど寝てないってわかったんだ?」
厨房から持ってきたぬるい緑茶をすすりながら、鬼道院は言う。
「藤城さん。あなたは自分を軽薄な人物に見えるよう振る舞っていますが、その実とても警戒心が高く先を見通す明晰な頭脳の持ち主であることは、少し会話をすれば伝わってきます。そんなあなたが、誰が待ち受けているか分からない敵地を警戒心なく進むはずがない。あるとすれば、それは本館に人が誰もいないことを知っていた場合のみ。おそらく、昨晩はずっと通路を見張っていたのでしょう? 何か有益な情報は得られましたか」
「くくく、こうもばれてると逆に面白いな。やっぱあんたは敵に回さない方が得策だろうし、ここは一つ、俺から先に面白い情報を提供しようかね」
単に行動を見抜かれただけでなく、自身の実力を認めてもらえたからか。藤城の機嫌は益々よくなり、口も軽くなっていく。
この調子でどんどん語らせようと、鬼道院が興味深げに身を乗り出して見せる。
すると藤城は耳元に顔を近づけ、驚くべき情報を囁いた。
「この館には、俺ら十三人のプレイヤー以外に、まだ参加者がいるかもしれないぜ」




