感謝
一井の頭部が存在していた空間から、驚くほど大量の血が噴き出る。目の前に立っていた宮城にその血が降りかかり、彼の体はあっという間に真紅に染め上げられた。
血の噴水は時間にしてみれば数秒のこと。しかし、もう二度と忘れることのできないほどの鮮烈な記憶を、この場にいる全員に刻み付けた。
予期していなかった事態に、誰もが口を開けず立ち尽くす。
すると、「大脳爆発」と唱えたのと同じ声が、再び広間に響き渡った。
「全く、くだらないな。なぜ誰一人としてキラースペルを唱えて一井を殺そうとしなかった。あの男にこのまま好き勝手させておけば完全に主導権を握られていたことは予想できただろうに、何もせずただ黙ったままとはな。特に宮城。お前は俺に死ぬほど感謝することだ。俺がスペルを唱えるのがあと少し遅ければ、お前は確実に死んでいたんだからな」
低めの尖ったような声で、橋爪が言う。
誰もが見ている前で、それも堂々と自分のキラースペルを唱えたにもかかわらず、その姿は泰然としたまま。
まじかで血を浴び、戦う姿勢のまま固まっていた宮城は、険しい顔で橋爪を見つめ返した。
「それはどういう意味だ。それに貴様、こんな大勢の前で死の呪文を唱えるなどどういうつもりだ。こんなに早く呪文を唱え、しかもほかの悪人どもにそのことをばらすなど自殺行為も同然だぞ」
「ふざけた格好している割に、多少はこのゲームのことを理解しているみたいだな。まあどうでもいいが。それで、聞きたいことはその二つだけか。なら答えは簡単だ。俺がキラースペルを唱えなければお前は一井を殴ってルール違反により処刑されてただろ。だから助けたって言ったんだ。それから俺がわざわざキラースペルを唱えた理由は、この場にいる雑魚どもにキラースペルを知られても特に問題がないと思ったからだ。一井にビビッて何もできないでいるような奴より、躊躇うことなく主導権を取りに行った一井の方がはるかに厄介だったしな」
嘲るような笑みを浮かべ橋爪は鼻を鳴らす。そして話は終わったとばかりに、厨房に向かって歩き始めた。
彼の言葉に納得できなかったのか、その後ろ姿に視線を送りながら宮城が言う。
「なぜ俺がルール違反で処刑される。まず間違いなく一井が告げていた『規則無視』というキラースペルは嘘だったはず。キラースペルという超常的な力が本物である以上、この力を解明するための実験としての側面があることは明白。ならばこのゲームでしか有効にならないような力を俺たちに与えるなんて無駄なことをするわけがない。つまり奴の言っていたことは嘘で、それと同時にこのゲームにおける暴力禁止というルールもまた嘘だったということになる。そもそも本当に暴力禁止ならば、東郷という男が処刑されていないことにも矛盾するのだから。つまり俺が一井に反撃したとしても、殺されることなんてなかった」
頭のいかれた変質者の如き見た目に反し、宮城はかなり論理的な思考の持ち主であるらしい。厨房へと向かっていた橋爪も動きを止め、興味深そうに彼を見返した。だが、依然橋爪の表情には嘲るような笑みが浮かんでいる。
彼もまた、その程度の考えには辿り着いていたようだ。
「筋肉の塊みたいなくせに、やけに小難しいことを考えてるんだな。まあ小学生レベルの結論なのは残念だが」
明らかに馬鹿にした言葉に、宮城の表情がより険しくなる。
「小学生レベル、だと」
「ああ、小学生レベルだ。お前は自分にとって都合のいいところばかりに目を向け、真実を捻じ曲げて解釈している。今回の話では、ざっと二つの大事な点を無視しているな」
眉間にしわを寄せたまま腕を組み、宮城は見逃していた点を考える。今も一井の血が全身から滴っているため、その姿は非常に猟奇的だ。
すると、橋爪は宮城が答えを出すよりも先に明へと視線を向け、意地悪く話し出した。
「まず東郷が殺されなかった理由だが、それはここでの殺人ゲームが『見世物』としても機能してるからに他ならない。ナイフを相手の頬すれすれに投げつける。確かに暴力行為とも取れるが、この程度のことでいちいちルール違反として処刑していたらゲームが盛り上がらないだろ。だからそいつは処刑されなかった。たったそれだけのことだ」
「くそ! これだから悪人が決めたルールは信用ならない! ルールとは決して破ってはいけないもの。そこに例外を作りだしたらその役割を全うできないというのに」
「別段このゲームにルールが存在する意味を考えれば不思議ではないと思うがな。わざわざ暴力禁止なんてルールを付けたのはただの殺し合いじゃなくキラースペルを使った殺し合いが見たいから。要するにゲーム参加者である俺たちでなく、観客側、主催者側が少しでも長く楽しむためにルールが存在しているってことだ。だからルールに違反していそうなことでも、それが観客側に受ける行為なら当然黙認されるというわけだな」
橋爪は軽く鼻を鳴らすと明から視線を外し、今度は一井の死体へと目を向けた。
「それから一井が暴力をふるっても殺されなかった理由だが、流石にこれは東郷の時とはわけが違う。あの佐久間への攻撃が暴力として認識されないなら、いくら何でもルールに暴力禁止を付け足した意味がなくなるしな。だから一井が処刑されなかった理由は、他にある」
「まさか一井の言っていた『規則無視』が本当だったなどとは言うまいな」
「ふん。そんなこと言うはずがないだろ。お前が言っていた通り、そんなキラースペル誰にとっても益はない。いいか、お前の見過ごした――いや、聞き過ごした二点目は、『キラースペルを使用したことによって可能となった殺人ならセーフ』という喜多嶋の発言だ。お前も全く頭の周らない屑ではないみたいだし、ここまで言えばもう理解できただろ」
血だらけのまま宮城は顎に手を当て、ぶつぶつと何かを呟き始める。
それから数秒後。顎から返り血を垂らしている宮城の顔が、一井の死体――ではなく、その死体の隣に落ちている斧へと向いた。
宮城のその動きから、自身の意図が伝わったと感じたらしい。橋爪は少しばかり機嫌よさげに眉を上げると、「ようやく分かったか」と優越感に満ちた声を発した。
「佐久間が気絶する前に言いかけていたことだが、一井については暴力をふるえたこと以外にもう一つ奇妙な点があった。それはあいつが持っていた無駄にでかい大ぶりの斧だ。この建物を見回った奴なら分かるだろうが、ここに斧を含めた殺傷能力の高い武器なんて置かれていない。せいぜい厨房にあった包丁やナイフくらいのものだ。もちろん一井が真っ先に凶器になりそうなものを確保しておいたという線を考える奴もいるだろうが、それも違う。俺はシアタールームを出た後すぐさま全部屋を周ったが、そんなものは置かれていなかったからな。
これらのことから、一井は本来館にあるはずのない斧をどこからか持ってきて、それを使って野田と佐久間を殺したことになる――ああ、まだ佐久間は死んでないか。ともかく、この斧の問題と、一井が暴力をふるえたという二つの疑問をまとめると、一つの答えが見えてくる。
それは、一井のキラースペルが『武器を召喚・創造する』類の能力であり、斧での攻撃は『キラースペルを使用したことによって可能となった殺人』に該当していたからルール違反にならなかった、ということだ」
どや顔でそう結論付けると、橋爪は宮城だけでなく広間中の全員の顔を見回した。
橋爪としては面白くないだろうが、この結論に思い当っているものはすでに複数いた。明もその一人であり、彼の発言に対して驚きなど覚えず冷めた目で淡々と成り行きを見守っていた。
そもそもポーカーフェイスな者が多いため、表情を変えているものはごくわずか。橋爪はつまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らすと、宮城へと視線を戻した。
「どうだ。これでお前の疑問には答えてやったし、もう十分だろ。曲がりなりにもお前が正義の使者を名乗るのなら、せいぜい俺への恩は忘れないことだな。適当に数人道連れにして、早々に死んでくれるとありがた――」
「大脳爆発」
またしても、死の呪文が大広間に響き渡った。
この死の呪文を聞くのは、今日だけで一体何度目のことか。
橋爪の言葉を遮るようにして、大広間では三度目の「大脳爆発」が唱えられた。
もはやこれもスペルの作用ではないかと思えるほど、広間は物音一つ聞こえない静寂に包まれる。
だが、一度目のとき同様どれだけ待っても何も起こらない。
しばらくすると、橋爪が眉間にしわを寄せて、今しがたキラースペルを唱えた人物へと顔を向けた。
その人物――架城奈々子は真っ向から橋爪を見返しつつ、うんざりした様子で口を開いた。
「やっぱり、何も起こらないわね。随分とカッコつけて一井のキラースペルについて語ってたけど、あんたのキラースペルも嘘っぱちじゃない。宮城に付き合ってグダグダと話さずにさっさと部屋に引きこもった方がよかったでしょう」
両腕を組み、蔑みに似た光を宿した瞳。
彼女の言葉に反論しようと橋爪が口を開こうとするも、架城は聞く耳持たず一方的に話を続けた。
「まあ一人はいると思ってたわ。こうして全員が集まったところで堂々とキラースペルを唱える奴。ゲーム序盤であればチームを組んでいる確率はかなり低いから、全員の前でキラースペルを唱えることで自分を無能力者としてアピールできる。無能力であることを示せれば、そんないつでも殺せる人物をわざわざ狙ったりはしなくなるから、何もせずともゲーム終盤まで生き残れる。多少のリスクは伴うけど、それなりにやる価値はある戦法ね。
ただ、あんたの場合大事なところでひよったから効果が半減したわね。私みたいにキラースペルを試し打ちする輩が出るのを恐れて、本当のキラースペルを隠してダミーのキラースペルを唱えるなんて。やるんだったらダミーのキラースペルなんか用意せず、本当のキラースペルを唱えてさっさと退場すればよかったでしょうに。そうすれば私が試し打ちする相手はあんたじゃなく別の誰かだったうえに、阿鼻叫喚の殺戮パーティーすら起きたかもしれない。それを有能アピールしたいがために、ダミーのキラースペルを唱えて長々と居座るなんて、本当に愚かね。
でもまあ、あなたのおかげで気になってたことがほとんど解決できたわ。一応礼を言っとくわね。
ビビッて小細工してくれて、どうも有難う」




