運命のつがいと言いますが
恋愛作品にありがちなイベント全部引きこもって回避するタイプのヒロインがいます。
――かつて、この世界を創った女神様は願いました。
この世界が愛で満ち溢れますように、と。
それ故に、この世界には運命の相手――運命のつがいが存在するのだとか。
そんな神話がある世界に、ラナリーアは転生した。
運命の相手だと気付くのには個人差がある。
それ故に、片方が運命だと言ってももう片方がそれを感じられない、なんて事もあった。
最初の頃は運命だと信じていても、時が経つにつれやはり運命ではなかった、となる者たちもいる。
そうした運命ではなかった相手の事を、偽りのつがい、といつしか呼ぶ者たちも現れた。
そしてラナリーアの両親は。
その偽りのつがいであった。
ラナリーアが前世の記憶を思い出した時、既に母は亡くなった後だった。
母は人族で、父は竜人族。短命種である人族と、長命種である竜人族。いずれ別れが訪れるのはわかりきった事だった。
偽りのつがいとの間に産まれた子であるラナリーアではあるけれど、ラナリーアの兄たちもまた母親が異なれど偽りのつがいであったので、彼女の立場が低いとかそういう事はなかった。
そうはいっても、ラナリーアは末の姫として扱われていたので、前世の記憶を思い出してからというものどうにも居心地の悪さを感じていた。
前世、一般家庭で生まれ育った事を思い出してからは、お姫様扱いがなんとも居た堪れなかったのである。
家族仲が悪いわけではないのはありがたいが、可愛い妹とお姫様扱いにはどうにも慣れなかった。
前世では兄弟がいなかったので、妹扱いも慣れなかったがそこに更にお姫様扱いである。勝手に居心地の悪さを感じているのは否定しない。
そんな中、人族の国とラナリーアが暮らしている国とが同盟を組む形となり、友好の証としてラナリーアは人族の国へ嫁ぐことが決まった。
運命の相手が見つかる事は素敵な事だけれど、必ずしも見つかるわけではない。運命かも、と思ってもやはり違うとなる事だってよくある話で。
運命の相手ではないと思うが……とラナリーアの父には申し訳なさそうに言われてしまったが、ラナリーアとしては特に否やはなかった。王族として生まれた以上、そういう事もあると理解していたからだ。
前世の事を思い出してからというもの、特に運命のつがいとやらに憧れを抱く事もなかったし、まぁそういう事もあるよね、という気持ちでラナリーアは人族の国へ嫁いだのである。
人族の国との友好の証として、と言うもののラナリーアの結婚相手は人族ではなかった。
人族の国で長く仕えていた魔族の青年であった。
アルスラ、と名乗った彼にも運命の相手でなくて申し訳ないが、と言われてしまったが。
「大丈夫です、たかが運命ですので」
両親もそもそも運命の相手ではなかったし、前世の事を思い出してからというものそういった運命の相手に憧れを持つでもなかったので。
ラナリーアはそんな風に返していた。
母親が人間とはいえラナリーアは長命種の竜人として生まれているので、婚姻を結ぶ相手が人間であったなら間違いなく夫が先立つ。ラナリーアが殺されるような事でもない限りは。
相手が同じ長命種であるのなら、確実に伴侶が先立つという可能性は低くなる。
それでなくとも。
前世の記憶を思い出してから過ごした今までの間に、ラナリーアは運命のつがいというものに関して一つの可能性を見出していたのもあって、政略結婚であっても特に気にする必要はなかった、というのもある。
相手にとっても運命ではない相手との結婚。
相手の方が年上というのもあって、そういうものを今更期待したりしていない、というだけかもしれないけれど、それと同じ感覚をこちらに強要したわけではない。アルスラはわざわざラナリーア相手に運命の相手ではない事を申し訳ないが、とまで言うような相手だ。それが建前で本心はラナリーアに対して何も思っていなかったとしても、それでも表向き気遣いをしてくれたというところから考えて、そこまで悪い人でもないのだろうと思っている。
アルスラはかつてこの国に救われたらしく、それによって彼はこの国に仕える事となったのだとか。
そうして公爵の位を得たからこそ、ラナリーアとの結婚が調った。彼がいなければ他にラナリーアと結婚できそうな相手は身分が合わず、身分で選ぶとなると短命種である人族との結婚になっていたかもしれない。
そうなった場合は色々と面倒な事になりそうだったので、そういう意味ではこの結婚はマシな方と言えた。
ただ、ラナリーアが嫁いだ時、王宮で少々ごたついていたらしく夫となったアルスラは簡易的な式だけをやった後は早々に城へ足を運んで、屋敷にはほとんど戻ってこなかった。
これも場合によっては、花嫁を放置していると受け取られ使用人に侮られたりする可能性もあるのだが、しかしアルスラは事前に使用人たちにしっかりと言い聞かせていたらしく、ラナリーアが軽んじられるような事はなかった。外出する時は必ず供をつけるように、とラナリーアも言われてはいたけれど、しかし自国の城の書斎にあった本とはまた種類が異なる書物がたっぷりあったアルスラの屋敷で、ラナリーアは外出をする事もないまま読書に耽っていた。
ごたついているらしい、というのはラナリーアも察していたので、空気を読んだとも言える。
民の間に混乱が起きるような内容ではなかったが、アルスラの使用人たちから話を聞けば、どうやらお家騒動が起きたらしくそのせいで城は今とても忙しい状況に陥っているのだとか。
身も蓋もなく言えば、先王は政略結婚後に運命のつがいと出会ってしまい、運命の相手を側妃として城に迎えた。王は決して正妃を蔑ろにするつもりもなかったし、側妃も愛する人と結ばれた以上を望む事はなかったが、しかし正妃はいずれ自分の立場が危うくなると考えたらしく、裏で色々とやらかしていたらしい。
それが発覚したのは、側妃が命がけで我が子を守った結果であり、その時点で王の怒りに触れた事で。
正妃は夫に命を奪われる結果となってしまった。それだけではない、本来ならば次の王になるはずだった正妃の子たちもまた、王によって始末されたのである。その後退位し――というのは表向きの話で実際は既に死んでいる――、今の王は側妃の遺した息子である。
彼自身、玉座も王冠も何一つとして望んでいなかったというのに、正妃やその息子である腹違いの王子たちが色々と勘繰ってやらかしてくれたせいで、王妃たちが阻止しようとした未来が訪れてしまったのだ。
王位継承権が限りなく低い状態であったので、今の王は王としての教育などほとんど受けていなかった。
それもあって、アルスラが支える事になったのである。もし先王が生きていれば王としての心得など教わる事ができたかもしれないが、彼はこの一件に片を付ける際命を落とした。先王の頃からどころか先々……と遡る程に長い年月仕えているアルスラが先王の代わりとなるのは、そういう意味では避けられない事だったのかもしれない。
そういうわけで、市井にそこまでの影響は出ていなかったが、しかし城の中では色々と大変な状況であった。
ラナリーアは前世の記憶から、こういう時って更に余計ないざこざが発生するものって相場が決まってるから絶対にお外に出ない、と決めて引きこもったのである。
その結果、屋敷の使用人たちとの仲もそこそこ良好になり、ある程度の事が落ち着いてようやくアルスラが屋敷に戻ってきた時にはラナリーアこそがこの屋敷の女主人とばかりに馴染んでいた。まぁ実際アルスラと結婚した以上、女主人で何も間違っちゃいないのだが。
ようやく少しは落ち着いた、となったのは、ラナリーアがこの国にやって来て二年が過ぎたころだった。
本来ならば、政略結婚で愛のないもの。しかも初夜もなく二年放置、とくれば白い結婚からの離縁が起きてもおかしくはないが、しかし状況が状況であるとわかっていたためにそういった不満をラナリーアが抱く事もない。むしろ実家で若干居た堪れない雰囲気だったのと比べるとこちらはのびのびと過ごす事ができたのもあって、離縁の文字が脳裏をよぎる事すらなかったくらいだ。
使用人たちは良くしてくれるし、そこにアルスラが戻ってきたところで自分の扱いが変わるわけでもない。
それもあって、ラナリーアはアルスラが戻ってきたとしても特に何が変わるでもなく相変わらずのびのびと過ごしていた。
「そういえば、きみはこの結婚をする際に運命のつがいではない事に関して、たかが運命と言い切ったね。
それは今でもそうなのかな?」
なのである日、アルスラからそんな風に言われて、最初何を言われたのかラナリーアはよくわかっていなかった。
数秒考えて、あぁそう言えば結婚当初そんな事言ったな、と思い出す。
「えぇ、はい。だって運命は絶対のものではありませんもの」
そう言い切ったラナリーアに、アルスラは何かを言いたそうな、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
それというのも、城で忙しくしていた時にアルスラに自分こそが貴方の運命だと言った相手が出たからだ。
王族が数名死んだので、彼らについていたお付きの者たちの配置が換わる事になった。その結果、今まで顔を合わせる事がなかった侍女の一人がアルスラにそんな事を言い放ったのである。
だがしかし、アルスラは運命だとは思わなかった。
そうでなくとも、こういったものを感知する能力は人族よりもそれ以外の種族の方が優れている。なのでアルスラが違うと思っている以上、彼女はそう言い張っているだけとしか思えなかった。
もし本当にそうであったとしてもだ。
ただでさえ忙しい時に忙しい事を増やすような相手だ。
故にアルスラはその侍女の言葉を信用できなかった。そうでなくとも既にアルスラは結婚しているのだ。今更運命と出会ったところで、妻となったラナリーアを放り出して運命と結ばれようとは思ってすらいなかった。仮に運命と結ばれようと思ったとしても、ラナリーアとの結婚は国に関わるもの。彼女が蔑ろにされるような事は決してあってはならない。アルスラはそれすらわからないような愚か者ではない。
アルスラの見た目は人族からすると相当整っていると見えるらしく、結婚前から秋波を送られる事が多々あった。そういった者たちを上手く躱していったのに、ここに来て今まで関わる事がなかった相手が出てきた事でなくなったと思ったものが復活したに過ぎない。
運命のつがいだと言ってアルスラの周囲をうろつく侍女の事を煩わしいと感じ、どうにかしようと思ったもののハッキリとした罪を犯したわけでもないうちからは、何もできなかった。アルスラに付きまとうために仕事を疎かにしているだとかであれば、ある程度の処分を下せたかもしれないが仕事はきちんとしていたのでそれもできない。彼女は彼女の自由な時間の範囲でアルスラに付きまとっていたのだ。
だがしかし、我慢の限界というものは誰にでも訪れる。
アルスラとて内心では鬱陶しいなと思っていたが、しかしそれを上回る優先事項が存在していて、しかもそのせいで忙しいとなれば周囲を飛び回る羽虫など後回しである。
先に限界が訪れたのは、侍女であった。
一向に自分を運命と認識してくれないアルスラ。
既に彼は結婚してしまったともいうし、もしかしたらそちらに義理立てしているのかもしれない。
では、邪魔な女が消えてしまえば……?
焦れた果てに、侍女の思考はどうやらそのようになってしまったらしかった。
常識的に考えればむしろそんな事をすれば余計にアルスラから嫌われるとわかるはずなのに、恋というよりも妄執と化してしまった結果、侍女はそんな事すら想像できなかった。
アルスラは忙しくて中々自由に出歩く事もままならなかったが、しかし侍女は違う。
アルスラ程忙しいわけでもなく、きちんと休日だって存在していた。
今までは休日でもあれこれ理由をつけてアルスラの周囲にいたけれど、侍女はまず邪魔者を排除しようという結論に至った事で、休日はアルスラの周囲ではなく彼の屋敷の周辺でなんとかして彼の妻になったという相手を見つけ、そうして始末しようと目論んでいたのである。
アルスラの屋敷にラナリーアがたった一人で過ごしていたのであれば、もしかしたら侍女の目論見は成功したかもしれない。
けれど、屋敷にはアルスラが信用して雇っている使用人たちがいる。
そんな使用人たちが易々と不審者の侵入を許すはずもなければ、そもそもラナリーアは完全に引きこもっていた。
そうでなくとも。
もし侍女が仮に侵入に成功したとして、ナイフあたりでラナリーアを傷つけようと目論んだとしても。
竜人族でもあるラナリーアが簡単に傷つく事はなかっただろう。
人間以上に頑丈な種族であるが故に生半可な武器では傷をつけるどころか、逆に武器の方がダメになっていたかもしれない。
アルスラの存在によって正常な思考能力や判断力が欠落しつつあった侍女は、アルスラの結婚相手が竜人族である、という事を果たして知っていたのかすら疑わしい。
もし理解できていたのなら、ナイフ一本でどうにかできるなどとは思わなかっただろう。
屋敷の周辺をうろつく侍女の動きに不審なものを感じ取った使用人たちが、最終的には侍女を捕まえて情報を吐かせた。結果としてそれは城にいるアルスラに報告されて、そうしてそこでようやくアルスラは自称運命のつがいを処分する口実ができたのである。
「もしきみが、彼女と遭遇して自分こそが運命のつがいだ、なんて言われていたとして。
政略という点からお互いに愛もない以上、身を引く、と言い出す可能性もあったよな、とは事件が解決して後になってから思った事なんだけど。
もしそうなっていたら、果たしてきみはどうしただろうか?」
ラナリーアが屋敷の中で読書を筆頭に他にも色々と自由に過ごしている間、どうやら夫となった相手は相当大変な状況だったらしい、と知って。
それなのに自分は毎日をエンジョイしていたのだと思うと少しだけ罪悪に駆られるような……気は特にしなかった。したような気もするけれどそんなものは一瞬だった。
「どうもしないのではないでしょうか。
だって、既に結婚して妻は周囲が何と言おうとも私なのだから。
勿論、貴方から改まって話し合いをしようと言われて、その運命を自称した人と結ばれたい、というのであればまぁ、離縁した後のこちらの生活のあれこれとか、譲歩できるところまで話し合ったとは思いますけれど」
ラナリーアは仮に離縁するとなったとしても、正直国に帰るつもりがない。
家族仲が悪いわけではないけれど、なんというかお互いがお互いに微妙に気を使い合うような状況だったのだ。末の姫であったからこそラナリーアに関しては兄たちが良くしてくれていたけれど、正直とても居た堪れない。
末っ子で自分一人だけ女の子だけど、兄たちとて偽りのつがいとの間にできた子、という事に変わりはないのだ。そういう意味では皆同じで、自分一人だけ気遣われるのもな……としか思えないわけで。
これで「なんか運命のつがいが見つかったので離縁する事になりました」なんて言って帰ってみろ。
友好の証が一転開戦の報せになってしまう。
そうなればどうなるか。
ラナリーアは嫌われているわけではないので、兄たちがうちの可愛い妹をよくも蔑ろにしてくれたな! とか言い出しかねない。
ちなみにそれは間違いなく建前で、本音としては日頃の鬱憤を晴らす丁度いい標的扱いだろう。
竜人族は強大な力を持っているが、それを気の向くままに使えば周囲は竜人族を害悪と見做して世界の敵とするかもしれない。
実際過去にそういった事件が起きかけていた事もあって、竜人族は基本的には平和主義を謳い率先して戦を仕掛けるような真似はしない、と周辺の国に通達はしている。
だがしかし、それは無抵抗で相手の攻撃を受け入れるという意味では決してないのだ。
ちょっと領土を広くしたいからそっちの国もらうね、とかそういう意味での戦は仕掛けないが、しかしそれ以外の理由での戦を仕掛けた事は過去に何度か存在している。
そうでなくとも、友好の証として嫁がせた姫を軽んじたとされれば戦をする理由としては充分……とか言い出しかねない。
そうなれば、人族が多いこの国は竜人族との戦いで多くの犠牲を出してしまう。
一応この国にも長命種である異種族が暮らしてはいるけれど、暴れる理由ができた兄たちを相手に――更に父までもが参戦した場合、生き残る事ができればマシな方だ。
なのでその場合、ラナリーアは国に帰るのではなく、どこか別の――もっと自由に過ごせる場所の提供だとかを望んだだろう。自分が原因で戦争が起きました……は正直前世の記憶を思い出した身としては流石に回避したい。自分の知らない遠くの国で戦争が起きました、くらいのニュースなら前世でもよくある話だったけれど、自分が原因で戦争が起きました、は他人事じゃないので。戦争の結末がどうあれ、最終的に自分が責任を取らされるのではないかと考えると、思い切り回避したい話である。
一応王族生まれではあるし、いずれ何かで責任を取るような事態が発生するかもしれないと考えても、流石に戦争はなぁ……と何度考えてもそうなってしまう。
アルスラとてこの国を滅ぼすような真似を望んでいるわけではないだろうし、もしその侍女が本当に運命のつがいで彼女と結ばれたい、と願ったとしても、愚かな選択はしないだろう。
アルスラとラナリーアが関わった時間はとても短いが、しかし使用人たちからアルスラの事を聞く機会だってあった。そして彼らの話と、出会った当初の事を思い返して、ラナリーアはアルスラを信用に値する存在だと思っている。
だからこそ、自称運命のつがいをアルスラが受け入れるとして、その場合ラナリーアはどうするのか? という質問の答えはきっと何度考えたところで、どうもしない、になるのだろう。
運命のつがいと出会った途端理性をかなぐり捨てるようなのもいるとはいえ、それだってずっと続くわけではない。国の事を考えるのであれば、アルスラが理性を失ったとしてもそう長い時間ではないだろうし、であればラナリーアの立場が悪くなるような事もないはずだ。
そういった考えをつらつらと述べれば、アルスラは「まぁ、そうなんだけどさ」となんとも言えない表情で頷いた。
「そもそもの話、彼女は運命ではない」
「でしょうねぇ」
「何故彼女が頑なに運命のつがいを自称したのかはわからないし、きみは運命のつがいをたかが、なんて言い捨てるし。
長く生きていてもわからない事は沢山あるものだね」
「その侍女とやらは単純に思い込みが激しいだけでしょう。
最初に貴方に恋をして、自分が運命だったらいいのに……なんて思っていたのがどんどんそれが真実だと思い込むようになって、最終的にそう宣言するに至っただけでは?
思い込みが激しい、以外だとそうですね……誰かにそそのかされた、なんて事もあるかもしれません。
とはいっても、明確に悪意でそそのかされたとかではなく、コイバナの途中でもしかして運命なんじゃないの~? なんて言われてそれを本気にしたとか」
そうでなくとも恋は盲目というのだ。
周囲がいくらそうではないと諭したとしても、本人がそうだと思い込んでそのまま突っ走る、なんて事は前世でもよくある話だった。
恋心なんてなくても、他者から恋だと指摘されてそこから意識するようになって……なんて展開だってあったりするのだから、その侍女が運命だと思い込んだ事に関しては彼女だけが悪いと言い切るのも難しい。ラナリーアは侍女の事を話で聞くだけで実際の事など知らないのだから。
周囲が焚きつけた可能性も、侍女の思い込みが激しく周囲が止めた可能性も、ラナリーアの中では同時に存在しているし、勿論それ以外の可能性だってあり得るのだ。
話を聞くに、どうやらその侍女とやらはアルスラがラナリーアと結婚してしまったからこそ、自分と結ばれる事はない、と思い込んだようではあった。では、邪魔なラナリーアを排除してしまえば……という考えに行きつくのも、ある意味で自然な事だ。
そもそもの話、それでラナリーアが消えたとして、彼女がアルスラと結ばれる可能性なんて最初から存在していないというのに。
アルスラもまた侍女を想っていたというのであればその可能性はゼロではなかったかもしれないが、最初からアルスラの中に侍女の存在はなかった。むしろ突然現れた面倒な女扱いである。
であれば、侍女がラナリーアを害するような事をしたところで、余計な面倒を増やしてくれるだけの邪魔者という認識になるのなんて明らかだというのに、侍女はそんな事を考え付きもしなかった。
アルスラの家に引きこもった状態で過ごしていて正解だったわ……と内心で思いながらも、もしこの屋敷にロクに書物もなく暇を潰すものも無かったならどうなっていた事か……と同時に考える。
もしラナリーアが外に出て、その侍女とやらと遭遇したとして。
(……あ、何も問題はなさそうだわ)
そもそも今の自分は竜人族。たかが人族の戦闘に長けたわけでもない女が傷をつけようとしたところで、精々蚯蚓腫れを作るのが精一杯だろう。
硫酸みたいな薬品ぶちまけられた場合だと、もうちょっと被害は出るかもしれないがそれでも。
人族であればそれはもう一大事な怪我になるようなものでも、竜人族からすれば数日で治ってしまうものなので。
何をどう考えたところで、侍女は敵に回そうとした相手が悪すぎたとしか言いようがない。
それにその侍女はもう処分されている。処分、という言葉をアルスラがどういう意味でラナリーアに告げたのかまでは深く聞くつもりはないけれど、単純に職を辞めさせて追い出した、では済まないだろう。
下手をすれば竜人の国との確執を作りかねないところだったのだから。
馬鹿な人ね……とラナリーアは思う。
何故ってそれは――
「私がたかが運命だ、と言った事を不思議だと言っていましたね。
ですが、事実その通りなのですもの」
――それは、ラナリーアが前世の記憶を思い出した時の事だ。
書庫の片隅にそっとしまい込まれていた、手記。
竜人たちの間で使われている文字ではなく、また人族の文字でもない、一体どこの文字なのかもわからないそれは、文字ではなく何かの記号ではないか、と思われていたし記号どころか絵なのかもしれない、とも書庫を管理する者たちは言っていた。誰も内容を理解できないそれは、本当だったらもっと早い段階で処理されていてもおかしくはなかったが、しかしその手記は何代か前の竜人族の姫が遺したものであったが故に軽率に処分もできずそのままにされていた。
もしかしたら、いつか内容がわかる日がくるかもしれないし、こないかもしれない。
そんな感じの代物。
けれどもラナリーアはそれを解読できてしまった。
何故ってそれは、前世の自分が住んでいた国で使われている文字だったから。
そこで悟ったのだ。
あぁ、自分以外にもこの世界に生まれ落ちた者がいたのだと。
その相手が既にいない事は悲しかったが、それでも同郷の者がいた、という事実はラナリーアにとってほんの少しだけ支えとなった。自分一人だけが異世界に生まれ落ちたわけではない、と。
もしかしたらいつか、自分と同じような転生者と遭遇する事があるかもしれない。
仮に出会えたところでお互いに転生者だと明かすかはさておき、もしかしたら、いつか。
いつか、かつての故郷の話ができる人が現れるかもしれない。
その程度の希望ができたけれど、とりあえずそれはさておいて。
自分より先に転生していた自分の先祖にあたる人には、どうやら特殊能力が存在していた。
それが、縁の糸が見える事。
暗い色は悪縁で明るい色は良縁。
そして赤い糸は、運命の相手なのだそうだ。
前世でも運命の赤い糸、という概念的な話はあったので手記を読んでも特に驚きはなかった。異世界転生した挙句人間以外の種族になった時点で、何が起きたところでそこまで驚く事ではない。
そしてその運命の赤い糸は――
割と軽率に切れたり結びついたりするらしい。
運命の赤い糸は絶対ではない。
赤い糸で結ばれた人を見ても、しかしその後くっつくかと思われた二人は何が原因かまでは知らなかったが、破局したらしく。その時には二人を繋げていた赤い糸はなくなっていたそうだ。
運命のつがいだとお互いに言っていた二人の間に赤い糸があったり、かと思えば数年後運命のつがいだと思ったけどやっぱり違ったかも、となった頃には赤い糸が消えていたり。
逆に運命だと思ってなかったがいつの間にか赤い糸が出現して、そこから運命のつがいだと気付いた挙句末永く暮らした、なんて人がいたり。
ラナリーアのご先祖様に該当する転生者は、長命種族として長い年月、そういった者たちを見続けた。
そうして気付いたことを記したのである。
運命のつがいである間は赤い糸がついている。
だがやっぱり違った、となって偽りのつがいだったとなった時には赤い糸は消えている。
逆に運命のつがいじゃないと思っていながらも、運命のつがいが見つかるとも限らないし……となってとりあえずでくっついたものの、なんだかんだ上手くいってるうちにお互いに愛が芽生えて……なんてところから気付けば運命のつがいになっていた、なんてケースがあった事も。
そういったいくつもの恋人や夫婦を見て、彼女が出した結論はこうだ。
運命のつがいであっても一生添い遂げるわけではない。
出会った時に運命を感じた場合でも、長く付き合っていくうちに運命だと認めた時でも、そこで運命のつがいとなったとしても、その後のお互いの関係の築き方次第では破局する場合があるし、運命じゃない相手だと思ってもその後運命に変わる事もある。
前世でも出会った当初ビビッときた、なんて運命のようなものを感じて結婚する人もいたけれど、それがずっと続くかと言われると……というのとこの世界の運命のつがいはきっと同じようなものなのだ、と。
一度結びついた悪縁の暗い色をした糸は中々切れなかったりするけれど、しかし運命の赤い糸は絶対に切れそうにないくらい太いものもあれば、ちょっとした事で切れてしまうような細いものの方が多い、というのも記されていた。
だがその事に、手記を残した彼女も、そしてそれを読んだラナリーアも、すとん、と腑に落ちたのだ。
いくら運命の相手だからといっても、自分の事を蔑ろにするような人であったならきっと、別れたいと思うだろうし、そうなれば運命なんてくそくらえである。その逆に、運命でなくとも自分の事を大切にしてくれる相手であれば、自分もまた相手を大切にしようとするだろうし、結果それが運命の相手になったとしても何もおかしくはない。
悪い縁の方が中々切れないのはよくある事なのでそれも別におかしな話ではない。
悪縁相手と縁を切ろうとしても、相手がこちらを利用しようと考えているのであればそう簡単に縁を切る事はできないし、犯罪絡みでなくとも悪縁の持ち主と縁を切る際、やり方を間違えればいつまでもしつこく付きまとわれる事もある。
実際に運命の赤い糸が切れるどころか、悪縁の糸に変化するケースも手記には少しだけ書かれていた。
運命の相手というのは、言ってみれば植物を育てるようなものだ。
種を植えて、芽が出てもきちんと世話をしなければ枯れてしまう。花が咲いて実がなるまで育てるように、運命の相手ともお互いの関係を築き上げなければならない。
ラナリーアは先祖の記した手記について、転生云々という部分は省いて、縁の糸に関しては不思議な力があったらしい、という風に説明した。
「……なるほど、それでたかが運命、と」
それを聞いてアルスラも一応納得はしたらしい。
その話が事実であるのなら、侍女が一方的にアルスラを運命のつがいだとのたまった事も、そしてアルスラが運命を感じなかった事も説明がつく。
「人族よりも他の長命種族たちが運命を感じやすい事についてまではどうしてなのかわかりません。単純に人族よりも感覚で生きてるとか、そういう理由かもしれません。
お互いの波長が合って、それでピンときた、なんていうのを上手に説明はできないのでそこはなんとも言えないのですが……」
でも、と続ける。
「でも、だからこそ。
私たちが運命のつがいでないとしても、お互いにいい関係を築こうとしていけばいつかは、運命のつがいとやらになるかもしれません。
ですから、今は運命のつがいじゃなくても。
私は何も問題がないと思っています」
もうすでに結婚して夫婦となってしまっているのだ。
であれば、お互いに歩み寄ってそれなりの関係を築く必要はどうしたって出てくる。
その延長線上で、いつか、もしかしたら、互いに運命である、と思う日がやってくるかもしれない。
勿論ラナリーアの父のように、最初は運命を感じても段々その気持ちが薄れてやっぱ運命じゃなかった、なんていう風にラナリーアとアルスラもなってしまう可能性はあるけれど。
ラナリーアの父と違って、ラナリーアとアルスラは最初の時点で運命を感じているわけではないので、偽りのつがいだなんて思う事がそもそもない。
「確かに、何も問題はないな」
「でしょう?」
アルスラがラナリーアの話を全て信じたかどうかは、ラナリーアにはわからない。
けれど、アルスラの表情も声も、決してラナリーアを嘲ったり軽んじたりしているようなものではなかったし、むしろ納得したとばかりに深く頷くのを見て。
ラナリーアは「ですから、気楽にまいりましょう」と告げた。
「それもそうだな。それでは、今後もよろしく頼むよ、我が妻よ」
「はい、よろしくお願いしますね、旦那様」
まるで劇の役者のようにちょっとだけ格好をつけて言ったアルスラに、ラナリーアもまた同じように返す。
そうして一瞬の後に。
二人は同時に笑ったのであった。
今すぐは無理でも、遠い未来で理想の夫婦と呼ばれる事になる二人のスタート地点である。
きちんと途中のイベントを書いてったらちゃんとした恋愛ジャンルで投稿できたんじゃないかなー、って思ったけど多分連載になるし書き終わりが見えない予感しかないので恋愛イベントを全部ぶった切りました。
いつか、ちゃんとした恋愛作品が書けたらいいなって思っています。
次回短編予告
魅了魔法が使える悪役令嬢に転生していた。
であれば、やるしかありませんわね。
次回 魅了魔法が使える悪役令嬢です。ヒロインさん対戦よろしくお願いいたしますね♪
軽率にネタバレするけど悪役令嬢が勝ちます。




