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原初へ

 音が、消えていた。


 万魔殿も、ノースヘヴンも、レイヤー構造すらも、

 すべてが音を発する理由を失っていた。


 世界は、巻き戻されている。


 だがそれは、逆再生ではない。

 破壊されたものが戻るのでも、

 救われなかったものが蘇るのでもない。


 ただ。

 世界が「始まる前」に近づいていく。



 レイヤー14。


 そこには、何もない。

 光も闇も、時間も、距離も、

 意味を持たない。


 だが、セーラは在った。


 形を持たず、

 声も持たず、

 名前すら、もう不要になりかけている。


 それでも、

 彼女は「理解している」。


(……これ以上、続けさせたら)

(世界は、壊れたまま固定される)


 救済を重ねるほど、

 修正を加えるほど、

 世界は神を前提にした構造に堕ちていく。


 それは、生きているとは言えない。


(だから……)


 セーラは、選んだ。


 すべてが、もう一度“最初”へ戻る必要があった。


「……ごめんね」


 誰に向けた言葉でもない。

 それでも確かに、謝罪だった。


 裁かない。

 救わない。

 敵も、味方も、区別しない。


 すべてを、始まる前へ返す。


 それが、

 彼女が最後に行う唯一の介入であった。



 現実世界。


 空が、白くなる。


 だが誰も「異変」と認識できない。

 恐怖も、混乱も、生じない。


 なぜなら、

 恐怖を抱くための因果そのものが、

 静かにほどかれていくからだ。


 都市は消えない。

 人も消えない。


 ただ、

 次の瞬間が来ない。


 時間が、

 未来へ向かって失われていく。



 万魔殿。


 ルシフェルは、崩れた玉座の前に立っていた。


 血に濡れ、

 翼は裂け、

 その姿はもはや王ではない。


 だが、彼は理解していた。


「……見事だ」


 声は、かすれている。


「世界を、終わらせることでしか、

 世界を救えない段階まで、

 導いたか……」


 彼は、笑った。


 敗北ではない。

 否定でもない。


 これは、選択だ。


「ならば、次は……」

「条件が揃った“別の世界”で、会おう」


 その言葉が終わる前に、

 ルシフェルの輪郭は崩れ始めた。


 肉体ではない。

 魂でもない。


 情報としての存在が、

 世界の基盤から切り離されていく。


 彼は、抵抗しない。


 最後まで、

 王のままであった。



 世界は、静かに沈む。


 魔法は、

 科学は、

 神話は、


 すべて「まだ存在しない可能性」へ還元される。


 剣を振るう理由も、

 祈る理由も、

 殺し合う理由も、


 まだ、ない。



 原初。


 そこには、

 何もない大地と、

 空と、

 風だけがあった。


 名前も、

 物語も、

 意味もない。


 だが、


 確かに、世界は続いている。


 誰にも観測されず、

 誰にも管理されず、

 それでも、回っている。



 レイヤー14。


 セーラは、

 最後に一度だけ、

 世界を見た。


(……これで、いい)


 感情は、もう薄い。

 後悔も、達成感もない。


 ただ、

 確信だけが残っていた。


 世界は、神なしでも成立する。


 その事実を残せたことだけが、

 彼女の存在理由であった。


 セーラは、

 ゆっくりと、

 “在る”ことをやめていった。



 世界は、始まった。


 最初から。


 何も知らないままに……。


お読みいただきありがとうございました。

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