再構築
オルド塔の跡地、かつて魔術文明の象徴だったその中心で、事件は静かに幕を開けた。
最初はわずかに空気が薄くなったような違和感だけであった。世界全体の情報密度が、外側から押し広げられるように、じわじわと変化していた。
四方の歪み穴から光柱が伸び、塔跡の中心で絡み合った。光は白でも青でも黒でも赤でもなく、どの色とも言い難い、光というよりも、世界そのものの骨組みが、目に見える形で浮かび上がっているようであった。
交差点に、ひとつの小さな揺らぎが生まれる。一ドットの狂い。それは見る者すべての本能に誤った感覚を刷り込む。存在してはならない、世界の裂け目。
ノイズは音もなく膨張した。地面が割れるわけでも、空気が震えるわけでもない。世界の層が、紙をめくるように入れ替わる。
「何だ……!?」
万魔殿に座するルシフェルは息を飲む。
胸の奥で、理性が揺さぶられる感覚、破滅的な力が目の前で蠢いていた。
そして、世界が一瞬、完全に止まった。
風が止み、炎が揺れず、空中の魔素の粒子も凍る。心臓の鼓動すら、耳元で響いているのが妙に大きく感じられた。
〈更新開始〉
声でもあり音でもある命令が、地上の全ての生命に同時に届く。
ノイズが裂け、黒い糸のようなデータが夥しく噴き出す。
一本一本が、神話の核心を形作るコード。文化、宗教、宇宙観までも圧縮した世界観の塊。
世界の皮膚が硬質に、異質に、神聖なものへと変貌していく。
東方の海では、翠竜王が倒れた海面に、波が曼荼羅のごとく光り輝き始める。
海そのものが回転し、円盤状に再構築される。その中心から、巨大な腕がせり上がった。青黒い肌に四本の腕、肩口にはうねる触手の文字、胸には複眼が蠢く。神話が融合し一つの種族として形を成していた。
北の氷原では、地表がざらりと動く。雪の下から現れたのは、多関節の錯視ボディ。角度によって竜にも狼にもクラゲにも見える。
ルシフェルが持つ端末の解析AIが悲鳴のように叫ぶ。
「形態確定不能……! 観測者の認知を利用して一時的に形を成しています!」
南の森では、木々が黒く染まり、枝葉が呪符に変わる。一本の大樹の幹が裂け、内側から八つの影が飛び出した。
八つの首の生き物はそれぞれ、一つは龍、二つ目は巨大な白蛇、三つ目は狼、四つ目は触手、五つ目は獅子、六つ目、七つ目、八つ目と、頭が異なる神話のアルゴリズムで構築されていた。
叫び声が響くたび、森がオロチの形に最適化される。
西の都市では、地平線が歪む。
地面の砂粒ひとつずつが金色の階層データへ置換される。そこから立ち上がる巨影。
ヨトゥンの骨格、アヌビスの頭、ギリシャ巨神の筋肉。胸には青白い魔術式が刻まれ、手には千の歴史を焼き込んだ槍を握る。
自律防衛システムの弾丸はそれに命中するたびに吸収され、形を変え、肉塊に変貌する。
「西方、巨神型敵性体、確認個体数、41!」
倒すたびに砂丘が崩れ、新たな巨神が生まれる。砂漠そのものが神を生み出す炉となった。
そしてオルド塔跡地、世界の中心。
主穴は膨張し続け、形を定めようとしては黒い欠片となり、再構築される。そこから現れたのは、世界の物語すべてを混ぜた創造の腕。指の本数は五本ではなく、六本、十二本、一本、ゼロ本、無限……観測するたびに変わる。
腕が大地を撫でるたび、世界の表層が異なる神話に塗り替えられる。
空の色は三秒ごとに変わり、地表の密度が揺れ、気温が跳ね、重力が乱れる。世界が一つの物語として存在することを拒み始めていた。
箱庭電子地図で遠隔解析を続けるルシフェルの視界も、ノイズで揺れる。
心臓が早鐘を打ち、鼓動が頭に響く。
「……これが開発者の目的か……総リセットではなく、再構築……」
中空に冷酷な更新ログが走る。
《ワールドアップデート:進行度 31%》
「もう、止められぬ」
ルシフェルはしばしの屈辱に歯を食いしばる。胸の奥から沸き上がる怒りと焦燥が、室内の空間を軋ませた。魔力が四方に噴き出し、金属質の響きとともに万魔殿の空気を震わせていた。
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