軋む夜の都市
西方文明都市は夜に沈みながらも、どこか生きていた。
地下の大規模研究層では、忘れ去られた旧世代の科学群が、まだ人類を守るために稼働していた。電脳の光が街路を走り、頭上にはホログラムの天井が薄く影を落とす。
だが、その静寂は長く続かなかった。
"侵入シグネチャー検知。第七防壁、起動"
街全体に響く無機質な声。次の瞬間、空が裂け、そこから二つの巨影が街道へと崩れ落ちた。
身長十メートル近い、黒い甲殻の巨人。地鳴りとも悲鳴ともつかぬ音を上げながら、街の中心へ向かう。
街の地面が突然盛り上がり、アトラス・フォールトの自律防衛システムが応戦する。
道路が立ち上がり、金属の壁となって巨人の脚を絡め取る。塔の側面からは無人迎撃砲台がせり出し、弾道ミサイルを放つ。
しかし、巨人はそれを踏み砕き、砲台を潰し、なお歩みを止めない。
« 爆裂獄炎弾ッッ!! »
街一帯が白く染まった。
パトラの無詠唱呪文に巨人二体は悲鳴をあげる間もなく爆裂し、その肉片は街の高層データタワーへと散っていった。
自立防衛システムは即座に防壁を再構築し、爆風を吸収するように街を覆う。
「マリア……?」
振り返ったセーラの目の前で、マリアの紅い瞳が血に濁った深紅へと変わっていた。牙が伸び、腕に黒い紋様が走る。
「……たす、け……て……っ」
マリアは地面に膝をつき、爪でアスファルトを削りながら呻いた。
アトラス・フォールトの街灯が明滅する。防衛システムが異常を感知し、周囲を隔離するためであった。
「七割くらいまで変質してる! 急げばまだ……!」
カイが叫ぶ。
そこに、何処からかふわりと足音。
薄紫の髪を揺らし、ヒュプノスが近づく。
「可哀想に。痛いのは嫌だろう? ……少し眠ろう」
ヒュプノスが指でトンとマリアに触れると、その身体から黒い霧が抜け、ぐったりと倒れた。
「っ……マリアを……!」
「殺してはいない。むしろ休ませただけだ。吸血衝動が暴れる前に、彼女を戦場に適した状態にしておきたくてね」
セーラは拳を握りしめた。だが、動けない。四枚の羽根のうち、黒き一枚の翼が震えた。
ヒュプノスのお付き、艶やかで禍々しい女魔マグナが呪文の詠唱を初めた。踊るように身を振る彼女の詠唱は、歌に似たリズムを帯び、周囲の魔素が巻き上がる。
(我は命ずる 暗き天より来たれ 雷の精よ)
« 霊撃雷電雨 »
放たれた弩級の雷がパトラのシールドを一撃で打ち抜き、なおその先にある肉体にダメージを与える。
「っく……」
パトラは電撃の痛みに思わず呻いた。
その直後。
雷の雨により街区一帯が消し飛んだ。
自立防衛システムが必死に防壁を張り、街の半壊をぎりぎり抑え込む。空中に浮いた全ての瓦礫が発光し、データ化されて再構築されていく。
「パトラが押し負けてる……?」
「あの女悪魔、化け物か…」
セーラは迷っていた。
パトラは劣勢、カイはマリアの変質のせいで戦闘不能、マリア本人は70%吸血鬼化で今にも暴れ出す。
ヒュプノスは静かに見ているだけ。マグナが本気を出せば、この街は大破壊される。
「セーラ、撤退だ。マリアを治さないと死ぬ」
カイが震えた声で告げる。
セーラは唇を噛んだ。
「……神界へ逃げる。唯一神なら……マリアを、まだ間に合う」
「防衛システム!! 逃走経路を開けて!!」
街全体に光の路が開いた。
自立防衛システムがセーラ達を逃すために、敵の位置予測を上書きし、都市を変形させる。
マグナが追撃呪文の詠唱を始める。が、防衛システムが巨大な壁を伸ばし、マグナの目の前にせり上がる。
「……チッ邪魔ー」
その一瞬の隙に、かつて緊急回廊として旧人類が使用した《神界ゲート》へ、セーラ達は飛び込んだ。
◆
白い空間。
光とノイズの混じった存在が、ゆっくりと振り向く。唯一神(47%)、バグだらけの神の残骸。
「……マリア……ッ たのむ、助けて……!」
唯一神の光がマリアを包んだ。
その瞬間、世界がガタリと揺れた。
ノイズ。画面のブレ。
47%の処理能力では、マリアの吸血鬼化の修復は負荷が大きすぎる。
それでも唯一神は、命令ではなく、"願い"としてセーラ達を見つめた。
「再……構築……を……試行」
白い光が爆ぜた。
マリアは静かに眠り続ける。セーラたちは、神界の中央に座り込んだまま、ただ息を殺していた。
二度目の敗走。胸を締めつける敗北感が、誰も言葉を発せないほど重かった。




