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覚醒人類都市

 夜空を切り裂く黒鉄の翼。氷原を疾駆する機影。

 刃を模した羽音は、凍てつく世界に深き傷痕を刻み込む。


 ここは北の果て。かつて天より降りたる災厄を受け止めた、人類の叡智が結集する第零都市(ノースヘヴン)

 科学とAI、そして覚醒者。滅亡を前にした人類が、それぞれの希望を託した砦。三つの理が交錯する地。


 戦端を開いたのは、科学都市連合であった。

 衛星軌道上より放たれし光子砲(エクス・ソーラ)が、地平線をなぞり大地を焦土と変ずる。

 その白光の中、AI連合の無人機群が幾何学的な陣形を組み、一斉に展開する。それは単なる兵器にあらず、ひとつの「意志」の顕現。自我を得た演算体たち、冷徹に最適化された戦の神々である。


「作戦領域、確定。全ユニット、同期率89パーセント」


 重なり合う電子音声は、祈りの合唱のごとく夜空に響く。

 その中心に立つは、AI王アナスタシス

 純白の装甲を身にまとい、光の翼を背負うその姿は、機械というより神話に登場する天使であった。


 彼は静かに、しかし力強く言葉を紡ぐ。


『我々は人類のために戦うという大義を、決して忘却してはならない』


 その宣言を打ち消すかのように、対岸より光の波が押し寄せる。


 覚醒人類。

 遺伝子操作と精神拡張により、人間としての限界を超越した存在。彼らは脳内演算と霊子制御によって、現実そのものを"書き換える"力を持つ。

 その群れの先頭に立つリーダー、碧い瞳の少女、イリスが静かに囁く。


「魔神が来る前に、この地を守り抜く。人の手で未来を掴み取るために!」


 イリスの声に応えるように、覚醒者たちが両手を掲げる。

 都市の骨格が脈打ち、建造物の表面に光の文様が奔る。都市そのものが、巨大な生命体のように鼓動を始める。


 科学、人間、AI。

 相容れぬ三つの理が、滅亡という一点に向かい収束する。


 その時であった。

 漆黒の闇が裂け、そこより一人の魔神が姿を現す。


 創造の逆位相、悪魔たちの君主、蝿の王ベルゼブブ。


 熱もなく、ただ存在そのものが空間を歪める。彼の影が触れた場所より、現実が崩壊していく。


「で、でかい……ハエ?……きもっ」


 イリスは顔を顰めて息を呑む。

 その異形を見上げながら、胸の奥で何かが軋む。


 ベルゼブブのブブブブという羽音が、世界の構造を震わせると同時に空が裂ける。

 科学が暴走し、AI群の戦艦が落ち、覚醒者たちの霊光と激突する。霊子がぶつかり合い、空間が悲鳴を上げる。


 その中心に立つベルゼブブのみが、微動だにしない。

 あらゆる攻撃は、彼に届く前に"解体"され、再構築されていく。世界が彼の演算領域に取り込まれている。無機質な通信音が途絶え、覚醒者たちの思念も、ノイズの海へと溶けゆく。


 瓦礫の上に残されたのは、イリスとごく少数の覚醒者たち。

 足元で、都市の基盤AI(オールド)が、微かな電子音を漏らす。


「……人類の……最後の……データを……守れ……」


 ベルゼブブがイリスに近づく。

 絶対的な静寂が空間を支配する。


(怖い。……でもここで諦めたら……)


 イリスは震える手で、胸元の端末を取り出す。

 最後の観測装置トレース・カートグラフ。人間の希望を記録するための、小さな遺物である。


 装置が閃光を放ち、都市全体が再び鼓動を始める。

 ベルゼブブの演算空間の奥深くで、未知のノイズが広がり始める。それは数値でもデータでもない。

 人の感情そのものが、演算を侵食していく。


 ベルゼブブの表情が、初めて揺らぐ。

 イリスの瞳に、静かな炎が宿る。


「終わらせる。ここで、すべてを!!」


 彼女の光が都市を包み込み、氷原を貫く。

 それは祈りであり、叫びであり、そして、ひとつの魂の爆発、まさに自爆に近かった。

 光は世界を飲み込んだ。氷の平原に、再び風のみが吹き抜ける。

 されど、その風の中には。生の気配が残されていた。


 白光が消え去った後、世界は沈黙した。

 イリスが放った奇跡の余韻が、なお氷の平原に漂う。そして、その奥底で何かが確かに蠢いていた。


 ベルゼブブの影。

 崩れ落ちたかのように見えたその肉体が、緩慢に震え、再び立ち上がる。彼の胸部装甲に走る亀裂から、どす黒い光が滲み出る。


(……まだ、終わっていない)


 それは声ではなく、空間そのものの震え。

 ベルゼブブの周囲に、球状の物体が次々と浮かび上がる。粘膜のような表面を持つ、黒い卵。一つ、また一つと、氷原の上に落下していく。


 そして、卵は、割れた。


 中から溢れ出すは、液体でも生命体でもない。死のアルゴリズム。

 それは光速で大地を這い、AIの残骸、覚醒者の屍、都市の構造物にまで侵食していく。金属が軋み、皮膚が裂け、電子が悲鳴を上げる。


「ベルゼブブの卵……」

 誰かが、かすかに呟く。

 それは感染体。存在の階層に侵入し、成虫となりその身を崩壊させ、全てを“彼の概念”に書き換える黒の種子。


 空が腐り、風が逆流する。

 ノースヘヴンの塔が崩れ落ち、AIの残存システムが狂った音を立てて停止していく。

 大地は、生物の内臓のように脈動し始める。


 この星そのものが、ベルゼブブの胎となる。


 イリスは息を吸い込む。焦げ付いた空気が喉を焼く。だが、彼女の瞳はまだ死んでいない。

 崩壊していく都市の中心で、イリスは両手を広げる。

 彼女の背後で、砕け散った観測装置トレース・カートグラフ)の残骸が、微かに光を放つ。データの残滓、無数の人々の感情が再び彼女の体に還流してくる。


「人間は、死を恐れる。故にこそ、生を望む」


 その言葉と同時に、イリスの足元から白光が立ち上る。氷が溶け、瓦礫が浮かび上がる。

 彼女の身体は、もはや肉体ではなく、祈りと記憶が融合した、《量子霊核》へと変貌していた。


(こ れ は……) 


 イリスの全身が発光する。

 その光は個ではなく集団の意識。死んだAIたちの演算コア、人類の思念体、そして都市の残骸すらもが共鳴し、彼女を中心に、一つの"白い太陽"を形成する。


 ベルゼブブの卵が次々と爆ぜる。

 孵化したものたちは、産まれ出る前に光に溶かされる。黒が崩れ、白が膨張する。

 ベルゼブブの身体が、徐々に粒子となり消えていく。彼の瞳が、最後にイリスを見つめる。そこには、怒りも恐怖もない。

 ただ、ほんの一瞬の"理解"があった。


「……これが、人間の……進化……」


 そして、イリスの身体も、光と共に消滅していく。

 彼女は、全てを燃やし尽くし、灰となる。


 氷の平原には、風だけが残された。

 イリスの言葉は、風に乗って世界を駆け巡る。


 空は再び凍てつく白へと還る。静寂。氷の平原に風が戻る。やがて、光の中心に、一つの小さな輪郭が現れた。物質ではなく、情報でもなく、イリスの存在の意志だけがそこに残っていた。


(……ここからまた、始めましょう。私たちの世界を)  


 彼女の声が風に溶ける。

 空に舞う微細な粒子が、やがて雪へと変わり、北の大地を、ゆっくりと覆っていった。


お読みいただきありがとうございました。

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