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パトラの憂鬱

「episodes of PATRA-1」

人間になったヘドロスライムのお話です。

「……どうかしてる、わたしは」


 パトラは紺碧の海のような濃い青色の瞳で、鏡の中の自分を見つめていた。肩までの巻き髪がゆるやかに揺れ、少女とは思えぬ怜悧な光を宿している。


 かつて彼女は魔族の幹部ヘドロスライムと呼ばれた存在であった。大戦の果てにエンシェントドラゴンを討ち滅ぼし、転生の秘宝を奪ったが人間として蘇った瞬間に傷が開き、命を落とした。

 ※前作 第十六章「ヘドロの末路」参照。


 その後、魔法都市パルマノーバの名門パムル家に長女として転生。富裕な家の娘として何不自由なく暮らしてはいたが、彼女の心には前世の残響、やり切れぬ憎悪と悲しみが残っていた。


「だけど……わたしの中にどうしても消えない"何か"がある」


 両親からパトラと名付けられた彼女は前世の記憶を断片的にしか持たなかった。

 幼い頃から魔法の才を発揮したパトラは、十四歳にして魔法の専門学でトップクラスの成績を修めた。

 将来は宮廷魔術師を目指すよう親からは勧められたが、彼女はそんなものに興味は無かった。

 両親はパトラの才能を認めつつも、不可解な言動が目立つ故にその精神の不安定さを懸念していた。


「お兄ちゃん」

 広い中庭の中央で剣術の鍛錬をしている兄、スルトに声をかけるパトラ。

「なんだパトラ。また前世だかの話か?」

 スルトは上半身裸で額に汗しながら、木刀の素振りを行っていた。

 スルトもまた、魔物の父に取り込まれ絶命した後、記憶を失いパムル家の長男として、パトラより四年ほど早く今世に転生していた。

「知らん知らん。兄ちゃんは忙しいんだ」

 スルトは面倒くさそうに片手を振って、パトラを追い払う。

「お兄ちゃん、わたし世界を周ろうと思うの」

 意を決したようにパトラは告げた。

「世界を? 旅にでも出るのか?」

「はい」

「お前の事だから、従者も連れずたった一人で行くつもりだろ」

「必要ないから」

「というかお前はまだ14歳だろ。父さん達には話したのか?」

「ちょっと行って帰ってくるだけだよ」

「駄目だ。いくらお前が強くとも女子供の一人旅なんて……」

「大丈夫、わたしには全てを焼き尽くす爆炎の魔法があるんですから」

「コールドの魔法を使う奴だっているだろ。仕方ないな…俺も行ってやるよ」

「いいの?」

「ちょうど暇だし、腕試しもしたいしな」

 スルトは鍛え上げられた大胸筋を震わせながら言った。


「なになに? お姉ちゃんまた悪い天使をやっつける話してるの? ぼく聞きたい」

 二人に駆け寄ってきた少年は五歳になったばかりの末弟のレオであった。

 幼い割に大柄な体躯をした彼はリードを付けた飼い虎を連れていた。

「レオ、ちゃんとお留守番できる? お姉ちゃん達は少しお出かけするよ」

「どこに行くの?」

「いま一番気になる場所、天空へと繋がる塔、そこに行く」


 旅の話は瞬く間に使用人たちに広まり、邸内は騒然となった。

「すぐ帰るから! お父様とお母様には内緒にして!」

 そう言うとパトラは炎衝飛行の呪文を唱えた。


« レイ・ヴン »


 パトラの全身は炎に包まれ、澄み切った青空に深紅色の彗星が走った。

「やれやれ……」

 そう愚痴りながら、スルトも真剣を携えて彼女の後を追う。


« 黒鳥嵐飛 »


 スルトの身体は巨大な烏となり中空をバッサバッサと羽ばたいた。

「これ、追いつけっかな……」


 残されたレオと使用人たちは、あまりの一瞬の出来事に言葉もなく、二人が飛び去った空をただ茫然と見上げていた。


お読みいただきありがとうございました。

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