夢幻に落ちよ、その身体朽ちるまで
眠っているセーラの胸元へヒュプノスの幽体が入る。
小鳥たちの穏やかな調べ、草花を揺らす柔らかな風、陽光が金糸のように降り注ぐ天界をイメージした大地や、冥界に流れる川「コキュートス」の畔に、墓標のように枯れ木が一本あるだけの荒廃した場所まで、浮遊しながらミシェルを探し回るヒュプノス。だが彼女は見つからず、そこにルーテの声が聞こえてくる。
(ミシェルは混乱している、そっとしておいて、眠りの神様)
ルーテは優しく柔らかく言った。
(ミシェルはわたし、わたしはセーラ、もうすぐ一つになる)
それは三人の人格は近いうち一つに統合される、つまり切り離せなくなるということを示唆している、とヒュプノスは判断した。
「ルーテ、いやミシェル、汝が望む世界を見せてやろう」
ヒュプノスは自身の前にそっと両手を構えた。見えない瓶を包み込むように、指先をわずかに丸めて空間を掬い取る。その中に色鮮やかなまるで地球儀のような球体が出来上がる。
(セトプス・クルセダス…)
夢の世界で更に夢を見せてミシェルに箱庭の核心を喋らせようと呪文を唱え始めるヒュプノス。
……ミシェルが人格を統合して現実に箱庭のアプリを手にしてしまえば即リセットされる可能性がある、そのため、ルシフェルの言う彼女の人格に負荷を与えて崩壊させたり、あるいは全面に押し出すのは極めて危険、ならば、このままセーラの中に永久に封じるまでだ。
「箱庭で転生できなくする合言葉を持つのだな、汝らは」
(それは自分自身で念じないと効果がないわ……)
「ではやはり世界のほうをリセットするのか」
(リセットは複数の開発者の承認がいる、わたし一人ではできない……)
「ミシェル、確かに汝は危うすぎる」
ヒュプノスは念じた。
「汝には永遠の夢の世界を与えよう」
胸の前に作り出した小さく色鮮やかな地球に、ミシェルの幽体が吸い込まれていく。
« 命の源よ、夢幻に落ちよ »
───これでもうミシェルは目覚めることはない、セーラの心の奥の奥底で眠り続ける、その母体が朽ちるまで……。
◆
「ブブブブブッ」
八層では、ジュリアンの炎を纏った拳が、飛び回るベルゼブブの胴体を貫通し反対側へと抜けた。灼け爛れた傷口の風穴から、粘液が滝のように滴り落ちる。巨大な蝿の王の本体がボトリと床に落ち、消えない炎がその全身を覆い内蔵を焼く。再生力で回復しては焼かれを繰り返す、殺すことは出来ずともしばらくは動けないだろう。
不利を悟ったアスタロトはその翼で宙に逃げようとしたが、オルドはそれを許さず二刀流によってアスタロトの身を百裂に刻んだ。バラバラになった身体がピクピク動いて再生しようとしている。
そこにパトラが爆炎呪文を放つ。
(ゲヘナの火よ 来たれ)
« 霊撃爆焔獄 »
燃えているベルゼブブとバラバラでなお動くアスタロトの周りを円陣の結界が囲み、岩が溶けるほどの超々高温の場が作り出され、音という音が焼き切れ、二体の魔神の身体を残さず蒸発させた。
「すげぇ…やったか……」
カイはアスタロトが持っていたアイテムを漁り、使えそうなものを分けて手持ちの袋に詰めようとしたが、
「全部臭ぇ…」
肘あたりにある喋る痣がゲロを吐いたため、カイは袋にアイテムを詰めるのを止めた。
そして、一行はいよいよ最下層に降りる。
広大なコロシアムの中央を横切り、そのまま奥へ続く黒鉄の門を抜けた。大広間には立派な玉座が鎮座し、臓物のように蠢く生きた壁には墨と筆で文字が書かれた半紙が大量に貼ってあった。
大広間の隅にはいくつもの小部屋が並んでおり、その中の一つ、セーラが囚われている部屋から、ルシフェルと、ヒュプノスのお付のマグナがヨボヨボ歩くハデスの肩を支えながら出てくる。
「ようやく来たか」
ルシフェルが落ち着き払った声で言う。
「セーラはどこだ?」
カイはルシフェルの放つ魔気に後退りしながら訊いた。
「あそこでよく眠っている」
ルシフェルは親指で、くいっと後ろの小部屋を示した。それが戦闘開始の合図であった。
ハデスが腐蝕呪文を唱える、オルド達はシールドでその呪詛を防ぐ。
肉が裂ける嫌な音とともに、ルシフェルの首元から二つの顔がねじ曲がりながら生え出す。召喚された二体の魔神は、苦悶に歪むその喉奥から呪文を嘔吐き出す。魔神の一体は絶対零度の呪文、一体は轟雷の呪文、そしてルシフェル本人は天使の呪文を唱える。
« 光神白宴鉄槌 »
氷、雷、腐蝕、そして聖なる鉄槌、四系統の極致が、一度に交差し、オルド達を襲った。
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