19話 森へ
翌日。
目を覚まし窓を開けた俺の目に飛び込んでくるのは、相変わらずの曇天だ。
こうも日差しが見えないと、気持ちまで沈んでくるな。
この町の人間にどこか元気がないのも、ただ漁業ができないというだけでなく、太陽という元気の源が見えないのもあるのだろう。
「エウラリア、今日は海を見に行くか?」
「うーん、行かなくていいんじゃないかなぁ。ほら」
エウラリアは遠くに見える海岸方面を指差す。
その空模様はこの辺りよりも数段険悪そうに見えた。
「海の方は、また雨降ってるみたいだし。今日はエルディンとイルヴィラと森に魔物狩りに行くんでしょ? 雨に濡れたら疲れちゃうかも」
なるほど、と俺はエウラリアの言うことに納得する。
俺は冒険者としては彼や彼女に遠く及ばない。そんな俺が無駄に体力を消費していくのは、二人にさらに余計な迷惑をかけることになってしまうことに繋がってしまう。
ただでさえ無理を言って付いて行こうとしているのだから、そういったことは好ましくないだろう。
「じゃあ、今日は海を見に行くのはやめとくか。悪いなエウラリア」
「ボクが見たいのは晴れた日の海だから。それに、今日の冒険はボクとしてもとても楽しみなんだよ?」
へぇ、そうなのか。
エウラリアはあくませ融合の妖精だから、魔物討伐の方にはあまり興味がないのかと思っていたが。
そんな俺の心を見透かしたのか、彼女は付け足す。
「キミの前の三人は根っからの融合魔術師だったからね。自分の身の回りのことはやるし友達づきあいもあったけど、冒険にでるなんてことはなかった。だから、正直ワクワクしてるよ」
「キミのお手並みも拝見できるかもしれないしね」とエウラリアは茶化したように笑う。
「ああ、俺の全力を見せてやる」
「二人の足を引っ張らないようにね~?」
「……おう」
仰る通りで。
実力を見せるのは後回しで、とりあえず今日は足だけ引っ張らないように頑張ろう。
そんなことを思いながら、俺は部屋を出た。
部屋を出た俺は階段を下って行く。
ピースバード亭は木造だが、だからといって古びた家屋のように一歩踏み出す度に木々がギィギィと音を立てるような粗末な造りはしていない。
階段は軋むこともなく俺の足をがっしりと強固に支えるので、俺は軽やかに階段を駆け下りて行った。
今日は寝坊してはいけないと思うあまり、少し早起きしすぎた。
まだ朝食にも早すぎる時間だ。
といってもアルシャと主人はもう料理の用意を始めているだろうから、二人に軽く挨拶してから身体を温めるためにそこらをランニングでもしてこようか。
そんなことを思いながら、一階へと着いた時だ。
なにやら言い争う声が聞こえてきた。
「……駄目だ。俺がなんのためにお前を育ててきたと思ってる。そんなことのためじゃない!」
「でも、このままじゃ町はどうなるんですか。事実、どんどん人が離れていっています。これ以上遅くなれば、もうこの町は死んでしまいます」
「町なんかより! ……俺はお前の方が大切だ、アルシャ」
「おじさん……。気持ちは嬉しいですが……私は、海巫女ですから」
……とぎれとぎれにしか聞こえないが、なにやら深刻な話のようだ。
このまま俺が二人の元に姿を現してもいいのだろうか。
正直、こんな空気の中に入る度胸はないのだが……。
そう思っていると、傍らを飛ぶエウラリアが肩を震わせているのが目に入る。
「ごめんレナルド……くしゃみでちゃう」
こちらを振り向いたエウラリアは涙目でそう言う。
慌てて二階へと戻ろうとするが、もうすでに遅かった。
「くしゅんっ!」
静まり返った一階に、かわいらしいくしゃみの音が響く。
エウラリアが狼狽えながら目線で「ごめん」と謝って来る。たしかにタイミングは悪かったが、生理現象を咎めるのは酷だろう。
ただ、エウラリアの姿が見えない主人はともかく、アルシャにははっきりと聞こえてしまっただろうな。
「レナルドさん! お、おはようございます」
やはりというべきか、エウラリアの、そして俺の存在に気付いたアルシャは慌てた声でこちらに向けて挨拶をしてきた。
アルシャの場所からは直接は見えていないだろうが、もう俺たちが階段にいることはばれている。こうなれば出て行かないのは逆に不自然だ。
観念した俺は、二人のいる部屋へと入った。
「あ、ああ、おはよう。ご主人も、おはようございます」
必死にいつも通りを装うアルシャ。
それとは対照的に、主人は「……ああ」と、明らかに心ここに非ずといった声色で返事をした。
「すまねえが、俺は買い出しに行ってくる」
「っ! ちょ、町長のところに直談判には行かないでくださいね!」
「わかってる!」
激しく言葉を交わしながら、主人がピースバード亭を飛び出していく。
残された俺たちの間には、なんとも言えない気まずい雰囲気が流れた。
「……すみません、お見苦しいところをお見せしてしまって」
アルシャが俺たちに頭を下げる。
「何かあったのか? 俺でよければ話を聞くが」
「レナルドさんは優しいですね。……でも、大丈夫です。なんでもありません」
アルシャは首を横に振る。
そう簡単に話せるような内容ではないのだろう。
詳しいことは分からないが、ただの客である俺が立ち入るには些か事情が込み入りすぎているようにも思える。
だから、アルシャが話してくれないことに対しての疎外感のようなものはあまり感じなかった。
ただ、彼女が背負っている物が何かについては気にはなる。
相当な事態のようだが……。
「辛いことがあるなら、いつでもボクに相談していいからね?」
「ありがとう、リアちゃん」
エウラリアに対して感謝を告げるアルシャの笑顔は、いつもよりも弱々しいものに思えた。
それから数時間後。
朝食をとり終えた俺とエルディン、イルヴィラの三人はピースバード亭を発ち、森へと出発していた。
見送りの時のアルシャの顔はいつも通りの完璧な微笑に戻っていて、余計に先ほどの弱々しい笑顔が頭の中で思い出される。
「少し元気がないようだけど、大丈夫かい?」
頭を巡らせる俺の歩幅は、自然と小さくなっていた。
それに目ざとく気づいたエルディンが俺を気遣ってくれる。
他人にバレるほど態度には出していないつもりだったが……これがトップクラスの冒険者の観察眼ということなのだろうか。
俺は「大丈夫だ」と返した。
すると、今度はイルヴィラが言葉をかけてくれる。
「もし体調が悪いなら、休んでた方がいいわよ? ……あっ、こ、これは別にあんたを心配してる訳じゃなくって、ただあんたがヘマするとあたしたちが尻拭いすることになるから勘弁ってことなんだからねっ!」
自分で言って自分で慌てだす彼女を、エルディンは微笑ましげに眺めた。
「素直じゃないなぁイルヴィラは」
「う、うるさいわね!」
ギャーギャーと喚くイルヴィラと、それを宥めるエルディン。
二人に気を使わせてしまったな、と俺は反省する。
そうだ、せっかく自分の作った武器がどう使われるかを見るチャンスなんだ。
この経験はこの先きっと俺の役に立つ。
今は頭を切り替えて、こっちに集中しよう。
「悪いな二人とも、本当にもう大丈夫だ。心配かけて悪かった」
「べ、別に心配なんかしてないし!?」
脊髄反射のごとく俺の言葉を否定するイルヴィラ。
しかしその声はどう聴いても上擦っている。
「……」
「何よその生温かい目は! やめてよね!」
イルヴィラは俺の目線から隠れるように、両腕で自らの顔を隠した。
「ねえレナルド。この子ってわかりづらそうに見えて、実は逆にすごくわかりやすくないかい?」
エウラリアの言葉に深く同意する俺だった。




