85 クリスマスの後、二人の変化
クリスマスから二日間の休みが終わり、久しぶりに店を開けた朝。
冬の空気はきりりと冷たく、ショーケースに並べたばかりのケーキは、どれも小さく光を反射していた。
ひと通りの仕込みを終え、松永はコーヒーを淹れた。
深い香りが店いっぱいに広がる。
マナが隣に座り、カップに口をつけた。
「クリスマス、大変でしたね」
「あぁ……でも、本当に無事に終わって良かった」
言葉こそ淡々としているが、松永の声にはどこか安堵がにじんでいた。
怒涛の三日間。寝言を聞いてしまったあの夜のことも、胸の奥にまだ残っている。
ふと、マナがコーヒーを置いて口を開いた。
「ホテルで働いてた時は……もう身体も心もボロボロで。クリスマスなんて、嫌な想い出しかなかったんですが……」
そこで一度、言葉が途切れた。
マナは、まっすぐに松永を見つめる。
「松永さんと一緒だったから……とても楽しかったです」
「……」
胸にずきん、と熱いものが走る。
松永は咄嗟に視線をそらした。
逃げたというより、見つめ返す勇気がなかった。
――寝言で判断なんて……やっぱり甘いかもしれない。
マナは自分の従業員だ。
年の差もある。しかも、俺はバツイチだ。
もし気の迷いだったら?
もし、自分だけが勘違いしてるのだとしたら?
マナの未来を縛るようなことをしてはいけない。
「……なら良かった」
ようやく絞り出した声は、ひどく小さかった。
そんな松永の迷いを知らないマナは、嬉しそうに笑った。
「松永さん、ほんとすごいですよね。ずっと動いてたのに、最後まで全然疲れた顔してなくて」
「いや……そんなこと……」
松永はカップを持ち上げ、一口飲んでごまかす。
その仕草がどこか不自然で、マナは不思議そうに首を傾げた。
「……どうかしました?」
「いや……別に」
言えない。
『好きだ』の一言が喉の奥でつかえて出てこない。
寝言に頼るなんて情けない。
けれど、あれをなかったことにするほど強くもない。
告白していいのか。してはいけないのか。
その狭間で、松永はずっと揺れていた。
マナが軽く伸びをしながら言う。
「今日、年末の大掃除ですもんね。頑張らなきゃ」
「あぁ……」
言葉は短い。
だけど、視線の向こうでマナが笑うたびに、心は揺れる。
このまま、何も言えずに年が明けたら。
それでも、きっと後悔する。
その思いだけが、静かな朝の中でじわじわと大きくなっていった。
まだ告白には踏み切れない。
でも、一歩だけ踏み出してみたい。
コーヒーを飲み干したあと。
松永は、ためらいがちに口を開いた。
「……あの。年明け、時間あるか?」
「え? ありますけど……」
「初詣……行くか?」
「……っ!」
マナの瞳がぱっと大きく開き、ほんのり赤くなった。
その反応に胸が跳ねる。
松永は、さりげない風を装いながら、目だけはそらした。
「深い意味じゃないぞ。ただ……まぁ、仕事の……」
「行きます!!」
食い気味の返事に、松永は思わず噴き出しそうになる。
「そ、そうか……」
マナは嬉しさを隠せず、頬を手で押さえていた。
――やっぱり、少しは……。
ほんの少しだけ、勇気が湧いた。
けれど、まだ。
まだこの気持ちは、胸の中で温めておく。
年が明けたら、ちゃんと向き合おう。
そんな決意だけが、ふたりの静かな朝にそっと灯った。
続く




