79 深夜の厨房
12月22日 夜中1時。
厨房の時計が小さく時を刻む音だけが響いていた。
クリスマスのデコレーションの仕込みが始まり、
マナは1時間近く、ひたすら苺をスライスしていた。
松永は、スポンジを波刃包丁で三枚にスライスしている。
──
「マナ」
ビクッと顔をあげる。
「すみません……寝てました」
立ったまま、うとうとしていたらしい。
「いや……大丈夫だ。ただ、包丁持ったまま寝るな。危ない」
「……すみません」
「マナはその苺のスライス終わったら、今日はもう上がれ」
「俺も※サンド終わったら帰るから」
※スポンジと生クリーム、苺をサンドした状態。
「はいっ」
──
(苺スライス入れるボウル取ろうと……)
マナは背伸びして、棚の上のボウルに手を伸ばした。
だが、寝不足と長時間の立ち仕事で、ふっと視界がかすむ。
「……っ」
体が傾いた瞬間、背後から強い腕が支えた。
「危ない」
低い声。
温かい手。
その一瞬に、マナの胸が跳ねた。
見上げた先――松永の顔がすぐそこにあった。
「す、すみませんっ……」
慌てて体を離すと、松永は小さく息をついて、
「無理するな。今日はもう上がれ」
と、いつもより柔らかい声で言った。
「でも、まだ苺のスライスが……」
「俺がやる。お前は帰って、ちゃんと寝ろ」
「……はい」
マナは小さく頭を下げて、片づけを終えた。
──
外は静まり返った冬の夜。
白い息が、街灯の下でゆっくり溶けていく。
車に乗り込んでしばらくして――
(あっ……スマホ)
更衣室に忘れたことに気づいた。
「うそ……」
慌てて店に戻る。
──
厨房では、松永が一人残って作業していた。
ボウルの位置を少し低い棚に移しながら、
ぽつりとつぶやく。
「……マナのやつ、危なっかしいな」
その声が、やけに優しかった。
「……松永さん?」
声をかけると、松永がビクッと肩を揺らす。
「うっ!……びっくりした……」
「す、すみません! 忘れ物しちゃって……」
「忘れ物?」
「スマホです。たぶん更衣室に」
「ああ……そうか」
松永は視線を逸らし、耳まで赤い。
「……気をつけて帰れ。夜道、滑るぞ」
「はい。お疲れ様です」
マナは小さく会釈して店を出た。
外の冷たい風が頬にあたる。
でも――なぜか、心の奥はぽかぽかしていた。
──
厨房に残った松永は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(……独り言、聞かれた……)
1人だと思って油断していた。
12月に入ってから、ほとんど毎日、マナと顔を合わせている。
仕事中の真剣な目も、疲れたときの小さな笑顔も、
気づけば、全部目に焼きついていた。
(……絶対、気づかれちゃいけない)
松永は深く息を吐き、手のひらでおでこを覆った。
続く




