番外編 航とマナの17年 社会人
10月の夜の空気は、ほんの少しだけ冷たくて。
その冷たさが、久しぶりの地元をやけに特別な場所に感じさせた。
マナから珍しくメッセージが来た。
東京のホテルの改装工事で、5日間だけの帰省していると。
玄関の前で出会ったのは、専門学校を卒業してから一度も会ってなかった顔だった。
「……久しぶり、マナ」
「……久しぶり、航」
一拍置いて、俺はマナをまじまじと見た。
「……痩せたな。大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
そう答える声は明るいのに、笑顔はどこか頼りなかった。
「なあ、先月二十歳になったんだろ? 飲みに付き合えよ」
「……え?」
「一年付き合ってた彼女に先月フラれてさ。ちょっとやけ酒したい」
「……いいよ。わたしも愚痴聞いてほしかったとこ」
───
夜。
俺の家のリビングに座る。
親同士はJAの懇親会で出かけてて、家は静かだった。
「ほら、これ。ジュースみたいなやつ」
マナに渡した缶チューハイは、アルコール5%の軽めのやつ。
「……ありがとう」
「乾杯!」
缶を開けたマナが笑う。
「……ほんとだ、ジュースみたい」
「飲みやすいだろ」
「……うん」
───
空の缶がテーブルに並ぶ
マナの肘の部分に包帯が少し見えた。
「お前……それどうした?」
「──!」
パーカーの裾を伸ばすマナ
「火傷しちゃって……この前やっと傷が治ってきた所……」
急に暗い顔になるマナ。
「社会人の先輩が話聞いてやろうか?」
マナはしばらく悩んでから
「航ならいいか……」
「雅ホテル……めっちゃ労働時間長くて……先輩もシェフもピリピリしてて……」
「同期、みんな辞めちゃった」
「……半年しか経ってないのに?」
「うん。わたしも、いつまで持つかな……」
(弱音なんてめったに吐かないやつなのに)
「……マナ、お前が弱音吐くの、珍しいな」
「……だよね」
「でも……せっかく就職できたし。簡単に辞めたくないって思うの。だけど……」
声が小さくなる。
「なんか……ちょっと疲れちゃった。パティシエの仕事、嫌いになりそうで……怖い」
俺は何も言わず、そっと頭をぽんぽんと撫でた。
「マナ……ちゃんと頑張ってんじゃん」
「そうかな……」
マナがテーブルにだらんと顔をつける。
(こいつ、酔ってるな。いや……相当精神的に参ってる……)
───
「なあ……マナさ。愛知戻ってきて、俺と農業やらない?」
「え……?」
「ごめん。わかんない。今、頭ぼーとする……」
ぱちくりと瞬きをして、
「……酔ったかも」って笑う。
「おいおい、これほぼジュースだぞ?」
(あっ……でも2本くらい飲んでたか……)
「だって、初めてだもん。お酒」
……可愛い。
(理性……飛びそう)
「航……ごめん眠くて……」
「家まで送るか?」
「多分大丈夫。お水もらっても良い?」
「ちょっと待ってろ」
椅子に座りながらうつらうつらしながらも話は続く
「航って本当に家族みたいだよね……」
「安心する……」
(そんな事言われたら……期待するだろ)
「水どうぞ」
「お前、顔紅くない? 飲みすぎた?」
マナの隣に座り、頬にかかる髪を指でよける。
(……可愛いな)
心拍が早くなる。
(マナが3歳のときに出会って、もう20歳か……17年か……)
(キスぐらい……だめか?)
指先で頬をそっとなぞり、触れるか触れないかの距離で、唇を寄せる。
「航? どうかした?」
一瞬だけ、世界が止まった。
「いや……なんでもない」
(……きっと片想いなんだろうな、俺)
缶ビールの残りを飲み干し、夜の静けさに身を沈める。
───
そして
現在に戻る
部屋の片隅に置いた古いアルバムをそっと閉じる。
明日、マナに告白する。
──でも、たぶん振られる。
……それでもいい。
これが俺なりの、けじめだ。
『番外編 航とマナの17年』
おしまい




