60 名古屋のお店帰り
「宮脇、久しぶり。2号店、開店おめでとう」
「ありがとう。今は責任者やらせてもらってるよ」
松永がマナに目線を向けて紹介する。
「こいつ、同期」
「はじめまして。瀬川といいます」
「あっ、もしかして……あの、コンクールに応募した子?」
「はい、そうです」
───
宮脇はふたりを連れて勝手口の外へ出る。
「ここだけの話ね、斎藤シェフと書類選考の手伝いしてたんだけど……
あの桃のケーキ、評判良かったよ。予選、通るかもね」
「……本当ですか? ありがとうございます」
「期待してるよ。……っていうか、松永、
お前こそ最近大丈夫か? 2号店オープンの手伝いでも来たかと思ったわ」
「……いや、ただのご挨拶。
そういえば、お前2人目産まれたばかりだよな? 帰ってやれよ」
「出た……離婚経験者のひと言、重みが違うね…」
ふたりは苦笑し合う。
「俺みたいになるなよ」
松永が目を細める。
「こっちも昔よりずいぶん環境改善されたからさ。
……斎藤シェフ、めちゃくちゃ丸くなったよ」
「それはありがたい。……無理すんなよ」
「お互いさま」
ふと宮脇がマナの方を向く。
「瀬川さん……だったよね」
「はいっ」
「あのケーキ、本当にすばらしかったよ。
でも……土台にゼリー使ってたでしょ? あれ、上の飾りが重いと揺れやすいから気をつけて」
「……はいっ、アドバイスありがとうございます!」
「松永、また落ち着いたら飲みに行こうな」
「……あぁ、連絡する」
──
帰り際、焼き菓子を数点買って車へ向かう。
助手席のシートベルトを締めながら、マナがぽつりと口を開いた。
「……松永さん、皆さんからすごく信頼されてるんですね」
「ま、今日いた子たちは5年か6年一緒に働いてたからな。 店は違っても、たまに飲みに行ったりする」
「……そうなんですね」
(……自分だけ、特別に優しくされてるのかな。
そんな気がしてたの、……ちょっと恥ずかしい)
そう思って口を閉じかけたとき。
松永が、前を見たままぽつりとつぶやいた。
「……でも、独立してから“この子と働いてみたい”って思ったのは——マナだけだよ」
「え……そうなんですか?」
「なんで、ですか?」
「ああ……なんだろうな……」
少しだけ目尻をほころばせて、
松永は前を向いたまま言う。
「……勘かな」
助手席のマナは、声も出せずに、顔をほんの少しだけそらした。
(……それって、どういう意味だろう)
車内は、ゆったりとした沈黙に包まれていた。
金色の夕陽が窓から差し込んで、
ハンドルを握る松永の横顔を、やわらかく照らしている。
マナは気づかぬうちにまぶたを閉じていた。
「……マナ、マナ」
誰かに名前を呼ばれて、ハッと目を開ける。
「マナ着いたぞ」
(───!)
「……あ……すみません、寝てました」
(いつもより、顔近いし!)
(──かっこいい!)
マナは頬を赤らめて、慌ててシートベルトを外した。
(松永さんの運転……丁寧で心地よくて、つい……)
「今日はありがとう。楽しかった」
「……こちらこそです。
普段とは違う松永さんが見れて、良かったです……」
言ってから、しまった、と思う。
「……っ、い、今の、なんでもないです!」
(やばい、やばい! 寝起きで本音が……!)
「……それは、よかった」
松永は、ほんの少しだけ笑った。
いつもの優しさに加えて、なぜか今日は——
少し、やわらかい。
「明後日お店で」
「はい。……お疲れさまでした」
車を降りてドアを閉めたあと、
マナは一度だけ振り返って、
まだ駐車場にいる松永の姿を見つめた。
ただ観葉植物を渡しに行っただけのはずだった。
だけど、帰ってくる頃には——
この日が、心のなかで「特別な日」になっていた。
続く




