54 葵の訪問
マナは着替え室の奥から
かぼちゃの置物を取り出して、
レジ横にちょこんと飾った。
ショーケースにはかぼちゃのプリンと、ハロウィン柄の焼き菓子が並んでいる。
外は、しとしとと静かな雨。
カラカラ、と扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
いつものように声をかけると、
一人の女性が、柔らかく微笑んでいた。
張りのある花柄のワンピースを着て
フェーブかかって艶のある黒髪、そして落ち着いた雰囲気。
紅い口紅が印象的な女性
綺麗な指先が、ショーケースのガラスをなぞるように動く。
(綺麗な人……モデルさんみたい)
「美味しそうね」
マナは微笑み返し、「おすすめはモンブランです」と言いかけた――そのとき。
「……久しぶりだな」
厨房から出てきた声に、マナの背がすっと伸びた。
(えっ……)
視線を向けると、松永がその女性をまっすぐ見つめていた。
彼女も静かに微笑む。
「本当に久しぶりね」
その空気に、マナは思わず立ち止まる。
ただの知人には見えなかった。
“過去を知っているふたり”の、どこか静かな親しさ。
(……誰?)
「ふふ、素敵なお店ね」
「あぁ…」
マナは厨房に戻りながらも、ふたりのやり取りが耳に残る。
(松永さん……あんなふうに話すんだ)
声のトーンが普段とは少し違う。
やわらかくて、でも距離があるような……そんな会話だった。
「マナちゃん、ホットコーヒー2つお願いしていい?」
「……はい!」
マナは慌てて応えると、コーヒーの豆を用意する
その手元が、少し落ち着かない。
(……気になる。何を話してるんだろう)
コーヒーをトレイに載せて運んでいくと、
ちょうど彼女の声が耳に届いた。
「……実は、来月から九州に転勤なの」
「……そうか」
「引っ越しするから、しばらく愛知には来れなくなるわ」
「……そっか」
「だから──」
コーヒーをそっと置き、マナはすぐに席を離れた。
それ以上、言葉を聞くのは違う気がして。
(……この人、前の……奥さん?)
確信には至らないのに、なぜか胸がざわついた。
目の端に映るふたりの距離が、どこか優雅で落ち着いていて、
それが今の自分では届かないものに見えた。
(“大人の余裕”……って、こういうのかな)
羨ましさとも違う、でも確かに胸の奥に残るもやもや。
マナはただ、自分の持ち場に戻る。
静かな会話が続いていた。
「今日は、大樹に謝りたかったの」
「……」
「私……実は子ども、できない体質だったの」
松永の目がかすかに揺れた。
「当時、あなたが忙しいのも知ってたのに、
あたかも責任がそっちにあるみたいに……責めてた。 本当は、私の方だったの。ごめんなさい」
「いや……謝らなくていい」
「ふふ、そんな顔しないで。私はもう、吹っ切れてるから」
葵はいたずらっぽく笑った。
「“なんて声かければいいか分かんない”って顔してる、今」
「う……」
松永は小さく苦笑した。
「今度転勤して、新しい生活に慣れたら――
今の人と、養子縁組の説明会に行く予定なの」
「……そうか」
「だから、大樹。あなたも幸せになって」
葵はまっすぐ彼の目を見た。
「もう会わないと思うから……ちゃんと、前向いてほしいの」
「……ありがとう」
ふたりは、しばらく何も言わずに見つめ合っていた。
やがて席を立ち、葵は傘を取る。
入り口のドアに手をかけながら、もう一度だけ振り返った。
「じゃあ、大樹。元気でね」
ふっと笑う
(初めてあった時と同じ笑顔……最後も変わらない……)
「……ああ。葵もな」
静かにドアが閉まり、雨の音が戻ってくる。
マナは2人の邪魔してはいけないと感じ
厨房で仕込みを続けていた。
カラカラと扉が閉まり
マナは絞り袋を置く手をそっと止めた。
でもその空気は、
たしかに“すこしだけ変わった”ようにも感じられた。
続く




