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49 松永の誕生日

閉店後の厨房は、すっかり静まり返っていた。

マナはそっと小さな包みを抱え、松永の方へ歩み寄る。


「松永さん、お疲れさまでした」

「ん?」



コーヒーを飲んでいた松永の前に、彼女はそっと箱を差し出す。


「……誕生日、おめでとうございます!」


不意を突かれたように松永が目を見開く。



「これ……?」

「ホールケーキは苦手って言ってたから、焼き菓子にしました」



箱を開けると、フィナンシェとクッキーがきれいに並んでいた。

すこし緊張したようなマナの笑顔。



松永はそれをしばらく見つめたあと、静かに口を開く。

「……マナちゃんが、作ったのか」

「はい……!味は、がんばったつもりです」



「……気を使わなくてよかったのに」


そう言いながらも、松永の表情はどこかやわらかく、コーヒーに手を添える指も、いつもよりゆるんでいた。


マナは、もうひとつ小さな封筒を差し出す。


「それと……これ」

「?」



「……手紙です。

 松永さんへの気持ち、ちゃんと文字にしたくて」



松永が封を開こうとすると、マナは慌てて言葉を重ねた。

「あ、ちょっと待ってください!

 ……家で読んでください。ほんの少し、恥ずかしいので」



「……そうか」

苦笑いのような、でもどこか照れを含んだような表情でうなずく。


「……ありがとな」


その一言は、静かで優しくて、

マナの胸に、じんわりと灯るものを落とした。


(……松永さん、今ちょっとだけ照れてる……)




───


夜。

松永はひとり自宅に戻り、静かにコーヒーを淹れていた。


キッチンカウンターの上に、マナからもらった焼き菓子の箱。

そして、開封されていない小さな手紙。


「ホールケーキじゃなく、焼き菓子……」


ぽつりとつぶやきながら、フィナンシェをひとつ口に運ぶ。

バターの香ばしさとやさしい甘さが、舌にゆっくり広がる。


(コーヒーに合うように味をまとめてある……)



思わず見た目より中身を重視する、自分の好みまで考えられていて——

彼女らしい気遣いが伝わってきた。




ふと、封筒に目をやる。


(……家で読んでください)

そのときの、真っ赤になったマナの顔が浮かぶ。


そっと封を開ける。


───


『松永さんへ』


誕生日おめでとうございます。


お祝いできて、とても嬉しいです。


松永さんは仕込み中あまり多くを話さないけれど、

言葉の代わりに、ちゃんと見てくれているのが分かります。


そのおかげで、私は不安にならずに前を向けます。


松永さんがいてくれるから、私はこの道を進めています。


本当に、ありがとうございます。


これからも、どうぞよろしくお願いします。


マナ


───



しばらく、何も言えなかった。


ただ、封筒を閉じて、そっとコーヒーを口に運ぶ。


(……誕生日なんて、どうでもいいと思ってた)



「……悪くないかもな」

ぽつりとこぼれた言葉は、思ったより深く響いた。


特別な日ではないと思っていた。

ただの日常の延長。


でも今夜は、ほんの少しだけ違っていた。



外からそっと吹き込む秋の風が、

カーテンの端を静かに揺らす。


松永は目を伏せ、もう一度焼き菓子を口に運ぶ。


ささやかだけど、

確かに“ひとつ積み重なった”夜だった。


 


マナのことを、俺はどう思っているんだろう。


先日、不意に彼女に抱きつかれたときの感触が、まだ胸の奥に残っている。


あれは、ただのトラブルだった……。


けど、俺のほうは……動揺したまま、何もできなかった。


ただの弟子?

妹のような存在?

それとも、それ以上――?


わかっているようで、答えはまだ、はっきりしない。


 



スマホの通知音が鳴る。


画面には、短いメッセージ。


大樹たいき誕生日おめでとう。久しぶりね。今度お店行っていい?』


一瞬、時が止まる。


松永は小さく息を吸った。


「……あおい


 


静かだった夜に、波紋のような余韻が、そっと広がっていく。





次回へ続く


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