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42 怒られると思ったのに

穏やかなお昼過ぎ


「休憩行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」


松永が昼休憩に出ているあいだ、

マナは一人、厨房で仕込み作業を進めていた。


カラカラ――


「いらっしゃいませ」


扉の鐘と同時に入ってきたのは、


よれたシャツに、しわくちゃなスカートを身に着けた60代後半くらいの女性。

(……見たことない人だな)


「先週ここのケーキ買ったら、髪の毛入ってたわよ!」


「えっ……ええっ!? し、失礼しました……!」


「どのケーキに入っていたかわかりますか?交換させていただきます」


「は?もう全部気持ち悪くなって食べられなかったわよ!この……ムース、これ!

多分、あんたの髪よ!その長い髪がね!」


突然、声を荒げて指を差され、マナは思わず息をのんだ。


「……ご購入時のレシート、お持ちいただいてますか?」


「はあ!?私を疑うの!?」



「い、いえ……」


——バン!


ショーケースが大きな音を立てて叩かれた。

「返金してよ!ぜんぶよ!早くしなさいよ!!」


(……松永さんに、一度電話……)


「早くっ!!」


「……わかりました」


ショーケースを指差す女性。

「これと……これと……あとはこのチョコレートのも」


9個。合計金額は、5,100円。


マナはレジから現金を取り出し、丁寧に差し出した。



「……申し訳ございませんでした」

「気をつけなさいよ!」


女性は札を奪い取るように受け取り、

ふと、口元だけニヤリと笑って、店を出ていった。


——あの笑みが、しばらく頭から離れなかった。



───



約20分後。


「ただいま。休憩ありがとう」

松永が戻ってきた。


「……松永さん。実はさっき……」



事の一部始終を話し終えると、松永の目が静かに細くなった。


「……たぶん、それ詐欺だな」

「え……っ」


「異物混入、本当なら“交換してほしい”って当日中に連絡くる。

“全部の商品の返金”をいきなり求めるなんて普通はないよ」


「……すみません。勝手に返金してしまって……」



「……別に、大丈夫だ。気にするな」

そう言って、松永はふっと穏やかに微笑んだ。




その一言に、マナの目から、一気に涙がこぼれ落ちる。


「え、ちょ……俺、怒ってないって……!」



「ちがうんです……絶対怒られるって思ったのに……。松永さん優しいから…なんか泣けちゃって……」



マナは手で顔を覆いながら、嗚咽をこらえる。


「本当にごめんなさい……すぐに電話すればよかった……」


「……俺が休憩行ったばっかだったし、気をつかったんだろ。それくらいの売上、大丈夫だから」


「……っ、本当に、ごめんなさい……」



静かにうなだれるマナに、松永は手拭き用のペーパーを差し出した。


「ハンカチみたいな洒落たもんじゃないけど……どうぞ」


「……ありがとうございます」


マナが涙をふきながら、少し笑った。


「あとでいいから、そいつの見た目とか教えてくれる?」


「え……?」

「また来るかもしれないから、次は俺が出る」


「……本当にすみません」

涙はまだ止まらない


「……ほんと気にしなくていい。俺、そんな事で怒らない……もう少しここで、休みな」


「はい……」



そう言って店に出た松永は、レジの返金履歴をさっと確認して、



小さくため息をつく。

「……ああ、やっぱりな」



そのときだけ——

彼のまなざしは、淡く冷たい鋼のようだった。




次回へ続く

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