16 洋菓子技術協会 愛知県支部
6月中旬
梅雨の雨音が店の窓をやわらかく叩く
ショーケースのガラスは湿気で結露し、マナはその曇りをていねいに拭いていた。
季節が進み、ケーキのラインナップも春の名残から夏支度へ
桃のケーキやさっぱりしたムース系が並ぶようになった。
厨房で仕上げをしていた松永がふと声をかける
「マナちゃん、今日の午後、名古屋で講習会があって、抜けてもいいか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「今まで俺ひとりだったから、なかなか行けなくて。次、定休日に被ったら一緒に行くか?少し遠出にはなるけど」
「……はい。次回、お願いします」
松永が所属しているのは、**洋菓子技術協会**という団体
洋菓子に関わる職種なら誰でも参加できる全国規模の協会で、
年に数回、外部講師を招いた実習型の講習会がある。
活動内容はとても実用的で、所属すると「パティシエ・マガジン」が毎月届く。
真面目な誌面……のはずが、なぜか裏表紙だけはいつも
化粧の薄い、ストレートヘアの美人女性がにっこり微笑んでいて——
グラビアではない、でも“いかにも”な世界観が広がっている。
ホテル時代、休憩中にその雑誌を広げた先輩たちが
「俺はこの子がタイプだな〜」
「いやいや、こっちの号のほうが断然いい」
と話していた光景を、マナはふと思い出す。
なんとなく、男性社会ってこういうことかと感じた記憶だった。
でも松永は違う
『パティシエは技術職だけど、情報は仕入れて活かさないと』と、よく言っていた
協会の繋がりを大切にし、流行や素材の情報交換を惜しまない。
その柔らかさも、彼の誠実さのひとつだった。
「18時くらいには、店戻れると思うから、あとは頼む」
「はい。わかりました」
マナは先に休憩を済ませ、松永は名古屋へと出かけていった。
松永のいない厨房は、少し広く感じた。
静かで落ち着いていて、けれど少しだけ——心細い。
それでも、マナはもう一人で店を切り盛りできるようになっていた。
テイクアウトの接客、焼き菓子の補充、包装。
雨の音を聞きながら黙々と手を動かし、あっという間に夕方になる。
「ただいま。お疲れ様、店ありがとう」
戻ってきた松永が紙袋を差し出す。
「ついでに、名古屋の新しい店の焼き菓子買ってきた。掃除終わったら、一緒に食べるか」
仕込みと掃除を終え、松永はコーヒーを淹れていた。
焼き菓子は種類ごとに半分にカットされ、二人分に分けられている。
松永がふと声をかけた。
「そういえば、これ」
一枚のチラシを手渡される。
「……第四回 U-20 パティシエコンクール……?」
そのタイトルを声に出した瞬間、
小さな音で——心の中に、何かが灯った気がした。
次回へ続く




