14 オーナーさん来店
季節は春から初夏へと移り変わり、
苺の時期は終わり、店頭にはパイナップル、さくらんぼを使ったケーキが並ぶようになっていた。
小休憩の時間。
厨房の隅でアイスコーヒーを片手にしていた松永が、ふと声をかける。
「マナちゃん今日、ここのオーナーさんが東京から来るから」
「えっ……はいっ」
少し緊張するマナ
「そんなに身構えなくていい」
と笑う
この店舗は、もともとこの土地の地主である近田さんが、 親から相続した空き地を活かして5年前に開いた小さな喫茶店だった。
だが、奥さんの家業を継ぐため、家族とともに東京へ転居、店は空き店舗となっていた。
ちょうどその頃、松永が「そろそろ独立も考えたい」と思っていたタイミングで、
地元の知人を通して紹介されたのがこの場所だった。
改装費、設備投資すべて——オーナー負担
運営は赤字さえ出さなければ自由にやっていいという条件。
実質“雇われシェフ”だが、信頼されている証でもあった。
以前、松永はぽつりと言ったことがある。
「俺は経営とか向いてないから、今みたいに、ケーキ作りにだけ集中できる今の形がいい」
近田さんの本業が好調なこともあり、
雇用条件は一般のパティスリーより恵まれていた。
給与、休暇、労働時間……すべて、働く人を大切にする配慮が感じられた。
────
午後
カラカラカラ——とお店の鐘が鳴る
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、小柄で品のある優しい雰囲気の男性。
年は50代後半くらいでグレーのジャケットを着ている。
「近田さん、ご無沙汰しております」
松永が手を止めて会釈する。
「松永君、久しぶりだね。少し痩せたか?」
「いえ、鍛えてるだけですよ」
いつもより少しだけ、親しげな笑顔で返す松永。
「君が瀬川さんだね。はじめまして、近田です」
「あ、はじめまして瀬川マナです」
「松永君、いい子が入ってくれてよかったね」
「はい、ほんとに助かってます。仕事も覚えるのが早くて」
褒められ、思わずマナは耳まで赤くなった。
店内奥の席に移動したふたりは、コーヒーを飲みながら静かに言葉を交わしていた。
近況や、ケーキの売れ行き、季節商品に対する手応え、店内にはゆったりとした時間が流れていた。
そして1時間ほど話し終えた後——
近田は、東京の家族へとたくさんの焼き菓子を購入した。
それを松永とマナが丁寧に袋詰めしていると、
近田がふと声をかけた
「ここの店舗、空いていた場所をこんな素敵なお店にしてくれて……嬉しいよ。本当にありがとうね、松永君」
「いえ……こちらこそ、こんなふうに任せてもらえて感謝しています」
「瀬川さんも、松永君のそばで技術たくさん吸収して、がんばってね」
「はいっ……」
近田が店を出ていくのを、
松永はその背中が完全に見えなくなるまで、頭を下げて見送っていた
───
「近田さん、すごくあたたかい人だろ……俺は人脈には本当に恵まれている」
「……そうですね」
「マナちゃんも含めて、な」
「……えっ、あ、ありがとうございます……!」
思いがけず、照れくさい
マナは
近田さんの前で、私のことを“助かってる”って言ってくれたのが、 とても嬉しかった。
次回へ続く




