10 材料に感謝を②
マナは集めた卵をまとめて、卵トレーに移していると。
「そういえば、今から小林さんが牛達の搾乳するから見るか?」
「すごいですね。見たことないので楽しみです」
松永とマナは搾乳室に移動する。
すでに牛達が鎖で固定されてバケツに入った餌を食べている。
小林さんは牛の乳首部分を洗浄して、搾乳器を取り付ける。
機械が作動し、タンクに少しずつ溜まっていく。
松永は牛達の横を歩き、一頭の牛の前に止まり
「モカ、いつもありがとうな」
「松永さん牛の違いわかるんですか?」
「この子はモカ、性格がおとなしくて優しい」
「牛にも性格があるんですね…」
「人間だっていろんなやついるだろ。牛達も気性の荒いやつ、臆病なやつ、いろいろいる、牛達にも上下関係あるしな……。モカはおとなしいけど、こっちのココアは性格がきつくて、たまに蹴られそうになるから気をつけて」
「気をつけます!」
マナは一歩後ろに逃げた
搾乳が終わると牛たちは搾乳室から出て芝生の上で休んでいた。
「松永君今日もお手伝いありがとね。これ納品分の低温殺菌牛乳と平飼い卵ね」
「こちらこそいつも良い材料ありがとうございます。これでまた美味しいケーキ作れます」
「身体大切にしてね。マナちゃんもこれからよろしくね」
軽トラに材料を積みファームを後にした。
夕陽が、田んぼと空をオレンジ色に染めていた。
車窓から見える景色は、昼間の喧騒をすこしずつ静けさに変えていた。
「今日はいろいろ、驚いたか?」
ハンドルを軽く切りながら、松永がぽつりと口を開く。
「道具の手入れに、いきなりファーム行って卵拾ったり」
「いえいえ、なんかすごいなって……道具の大切さ、材料の大切さを知る……とても勉強になった一日でした」
「そう」
ふっと息をつくように笑う
「マナちゃんは素直だからそういうの、受け取ってくれると思った。仕込みの前に材料の大切さをまず知ってほしかった」
少し間をあけて、
「……きっと、ご両親が丁寧に育ててくれたんだろうな」
「やめてください……照れます」
「すまない……おじさんはこういうこと言いたくなる」
「えっ?おじさんじゃないですよ」
「いや、俺今年32になる。十分おじさん、しかも……バツイチ」
苦笑する
「えっ……バツイチ?」
「そう。25のときに一度結婚して、朝早く夜中帰って、クリスマスなんて二週間帰れなかった。」
「……気づいたら、向こうから『もう耐えられない』って言われたとき、何も返せなかった」
「今はもう、彼女は別の家庭があって、ちゃんと幸せにしてる」
マナは黙って聞いていた
松永さんがそんな過去を持っていたなんて、まったく想像していなかった
だからこそ——胸の奥が、少しざわついた
「そういえば」
と、松永が声のトーンをほんの少し戻す
「うちの勤務時間とか、まだ説明してなかった」
「え……あ、はい」
「朝8時から18時くらいで休憩1時間、水木が定休 。業界的には穏やかな方だと思う……続けられそう?」
マナは小さくうなずいた。
そのうえで、少しだけ真っ直ぐ、前を見て言葉を選んだ。
「私は……松永さんと働きたいです」
数秒、間があった。
松永はちらりとマナの方を見て、視線を戻す 。
「……そっか。ありがとう」
ほんの少しだけ、口元がやわらかくなる
「改めて、よろしく」
───
帰ってきた店で着替えを終えると、松永がドアを開けながら言った
「今日はお疲れさま。明日も定休日だから、次は明後日」
「はい。お疲れ様でした」
静かに閉まるドアの音が、背中に余韻を残す。
夜風がすこしだけ冷たくて、気持ちいい。
歩きながら、マナはぽつりと思った。
(……松永さん、バツイチなんだ……)
マナは自分でもよくわからない複雑な感情を抱いていた。
次回へ続く




