84.大天使ステラちゃん、正体を見抜く
「何事ですか?」
ランプを手に、慌てた様子で侍女さんがお部屋へやって来てくれた時、お部屋の中は騒然としてた。
おばけさんのことが怖くて耐えられなかったのか、ポーギーが枕を投げたりしちゃっていたんだ。
ポーギーはわんわん泣き始めちゃって、今は落ち着けるようにって、ダニーがポーギーを抱っこして背中をポンポンしてあげてる。
「……私が彼らを驚かせたようだ」
侍女さんに向かって低いお声でお返事をしたのは、扉のところに佇んだまま、枕を投げられ放題だったおばけさん。
侍女さんの手に持つランプの光で、おばけの輪郭がぼんやり浮かび上がってる。
「何があったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか? スティーブ様」
「……様子を見に来ただけだったのが、起こしてしまったようでな」
「そうでしたか」
侍女さんがお話をするためにスティーブ様と呼ばれたおばけに体ごと向き合うと、ランプの光が近づいたことでおばけさん────背の高い、どこか見覚えのある綺麗な男の人の姿が、はっきりと私たちにも見えた。
おばけさんは、おばけじゃなかったんだねぇ。
「スティーブ叔父様、でしたの……?」
そろり、もぞりと、私の布団の中からアリスが顔を覗かせる。
アリスの問うような小さな呟きに、私はそっか、あの男の人がアリスが言っていた、アリスのパパの弟さんだったんだねって分かった。
言われてみれば、どこかで見た気がすると思ったスティーブ様のお顔は、アリスのパパが三十五歳くらいだとしたら二十歳と少しくらいまでアリスのパパを若くしたような、そっくりなお顔をしてる。
低いお声で言葉少なに侍女さんとお話をしているスティーブ様は、アリスのパパと同じく端正なお顔をしていて、だけどそのお顔は感情表現豊かなアリスのパパとは違っていて、ご機嫌が読み取れない無表情だ。
長い黒髪はサラサラで、線の細い体躯をしたスティーブ様はとっても綺麗な男の人だと思う。
だけど、美しいお顔と無表情が相まって、どこか冷たい感じもするような、そんな外見をしていた。
「スティーブって………」
「レミ?」
そこでふと、隣からお声がしてそちらを見ると、さっきまでおばけに怯えていたはずのレミが、今は難しいお顔をしてじっと何か考え込んでいるみたいだった。
顎に手を当てうーんと唸ってる。
どうしたのかなって思ってお名前を呼んでみるけれど、レミは考えに没頭しているみたいでお返事が無い。
私が首を傾げてじっとレミを観察してると、急にレミが動いた。
ハッとしたみたいな動きに、私もビクッとなる。びっくりしちゃった。
「あ、ああ、あああスティーブ、スティーブって………」
「どうしたのレミぃ」
わなわなとお口をわななかせて、手を口元ではわはわさせてるレミのお顔の色は悪い。
関節が錆びたみたいにぎこちない動きでこちらを見たレミは、震えるお口で何か言おうとして、すぐに私の向こうにいるアリスを見つけてギョっと身構えた。
まるで今アリスの存在を知ったみたいなその様子に、私はますます不思議に思う。
今日はずっとアリスと一緒だったし、レミだってアリスと仲良しになったのに変なレミだ。
「あ、あ、あ」
「レミどうしたの?」
「アリス様……、ううん、ステラ。ステラちょっと耳を貸して」
アリスを呼ぼうとして、けれどレミは不思議そうにしているアリスを見て思い直したようにアリスじゃなく私を呼び直す。
こしょこしょ話だ。
「ねえレミ、炎獄の───」
「あーもう、はいはい分かった分かった。“前世持ちたる蘇りし乙女の伝言。聞いて”。これでいいでしょ。それでね」
「違うもん……。なんかこう、心意気がですね……」
「はいはい、後でちゃんとやってあげるから」
秘密のお話だから、また虎さんのご本の炎獄の兎さんの口上をやってもらおうと思ったのに、レミは今回は本当に焦っているのか、ちょっと端折ったような適当な詠唱しかしてくれなかった。
残念だ。
ぶすむくれた私を、レミは「はいはい」と言いながら頭をポンポンしてくれた。
それからずいっとお顔を寄せて、アリスにも聞こえない小さく潜めたお声で「見て」と言う。
レミが視線で指す先にいるのは、アリスの叔父さんのスティーブ様だ。
やっと落ち着いてきたらしいポーギーを、ダニーと侍女さんが大丈夫だよってあやしてあげてるのを、傍で立って見てる。
「あれ?」
「しっ! 声を潜めて」
私が「あれ?」と思ったのが口から出ちゃうと、レミが大きい声出しちゃだめって言う。
それから、レミが知っていて、今思い出した、『スティーブ様』のことを、私に教えてくれた。
レミの知ってる未来の物語では、スティーブ様は姪であるアリスの婚約者候補として登場すること。
冷淡で、特に女性に対して厳しい態度を取る性格で、唯一アリスにだけは並々ならぬ執着を見せること。
だけど、それはアリスへの好意からではなく、兄であるワンダー侯爵様のための、強い責任感と厳格さから来る行動であること。
学園に行ったアリスがダニーと出会うことで、理想の王子様像をダニーに当てはめ傾倒していくアリスに、スティーブ様はアリスには過保護なほどの監視と疑いの目を向け、平民のダニーに対しては高圧的な態度で度々接触してくるようになること。
そんな、物語の『スティーブ様』についての説明を聞きながら、私はどんどん首が傾げていっちゃう。
そういえば、レミは前に、物語のみんなは、今ここにいるみんなと違ってることもあるよって言っていた気がするなあって思い出した。
それならあれもいいのかな? うーんと? って、私がよく分かんなくなってる間にも、難しい言葉も交えながら知っていることを一生懸命に私に教えてくれていたレミが「とにかく」と話を区切る。
「ステラ。あんたが避暑地で、サーカス団から別荘までをアリス一人で帰さなかったのは、英断だったわ。雷の衝撃で抱き着いて離さなくてそのまま運ばれたんだっけ? まあ何にしろ、それでシナリオから流れが変わったのなら結果オーライよ」
「ほえ」
「私の知ってる話の中で語られていた過去では、サーカス団の中から騎士によって保護されたアリスは、別荘地で待つ侯爵様の元に戻ってすぐにスティーブとの婚約話が持ち上がるの」
「ほええ」
「家出とはいえ、犯罪組織に捉われていた形となった娘を周囲から守るために信頼のおける弟にってところでしょうね。それに、『学ヒロ』ではサーカス団ももっと派手に暴れて騎士と争った末に捕まっていたから、その渦中にあった幼いアリスの精神状態も、良くなかったのかも……」
レミのお話はやっぱり難しい。
でも、雷のあとに私がアリスに抱き着いて、そのままアリスの別荘までくっついて行ったのを褒めてもらえたのは分かったから、私は嬉しくなった。
「ほえほえ」
「ちゃんと聞いてる?」
「うん」
私が、自分で自分のほっぺを支えるみたいに包んでほえほえ嬉しいお気持ちを堪能していたら、レミにじとっと見られた。
私は慌ててキリッとしたお顔になって頷く。
レミの目が『じとっ』から疑うみたいな『じっとり』に変わった。
それから、何かイタズラを思いついたように口元をニヤッと笑みにすると、改まったように小声で口を開く。
「じゃあ、ちゃんと聞いてた子は、自分の言葉でも説明できるかしら? 今説明した『スティーブ』のこと、ステラの言葉で私に説明してみて」
「うん」
いつもお姉さんみたいなレミだけど、今は何だかお勉強の先生みたいだ、格好いい。
私はよりお顔をキリリにして、それから「うんっとね」と、レミから教えてもらったお話を反芻した。
「えっとね、そうだねえ」
「頑張って」
「スティーブ様はねぇ、ちょっと怖い人かも? しれないのかなぁ?」
「ええ、そうね。まあ、私が知ってる世界ではね」
「今はアリスとは婚約のお話は出ていなくって、婚約のお話が出ちゃうとアリスやダニー? が困るスティーブ様になっちゃう? から?? えっと???」
「うんうん、とってもいい感じ。なんだ、ちゃんと聞いてくれていたのね。疑ってごめんなさい。私の話を聞きながら、なんだか可愛い顔をしてたものだからてっきり」
「うふふ、可愛かったかあ」
「ええ。こんな風にしてて、とっても可愛かったわ」
レミはさっきの私の真似っ子をするみたいに、ほっぺを両手で支えて何度かふわふわ動かして見せてくれる。
それから、お話に戻ろうって言うみたいに続きを促した。
「他にはどう? 後は、ステラが何か感じた事や気付いたことはない?」
「うんっとね」
レミはちょっと緊張したみたいに、私の反応を待ってる。
私は、さっきレミから聞いたことを思い出して考えてみてから、それからもう一度、ポーギーたちの傍で立っているスティーブ様を見やった。
やっぱりそうだ。
これはレミに言ってみよう。
「うんっとね、あとね」
「ええ」
「さっきね、『あれ?』って思ったんだけどね」
「……ああ、そういえばステラ、さっき何か言いかけていたわね」
「あのね、スティーブ様ね」
「ええ」
私はじっとスティーブ様を見た。
じっと、スティーブ様の、その、頭の上を。
「しょぼんって、してるかなあ?」
「え?」
私はスティーブ様の頭の上をじっと見る。
うん、しょぼんってしてる。
「あのね、スティーブ様、今はしょんぼりなのよぅ」
「??」
訳が分からなさそうにするレミが、私がじっと見ている先を見ようとするように、自分も頭の場所を変えてスティーブ様を見てみるけれど、レミにはやっぱり見えないみたい。
私とスティーブ様を交互に見て一体何がと言いたそうなレミに、私はちょいちょいって手招きをして、体の下に敷いてある敷布団を指差した。
「何を───」
指差したまま、人差し指を布団のシーツの面に当てる。
レミに説明するために、私が見たままを人差し指でシーツの上に滑らせた。
「こう、こう、それからこうなって、こう」
「…………」
「さっきまではね、もうちょっとキリッな感じだったんだけどね、今はずっとこのお顔になっててねぇ」
「…………」
布団のシーツを時々引っ張りながら書き終えると、シーツの面には確かに私が人差し指でなぞった線が跡に残って見えた。
レミはその線、ううん、線と記号と文字とを組み合わせたような不思議な図形を、ただただ沈黙して凝視していた。
シーツの上に私が書いた、『 (´・ω・`) 』というお顔の図形を。
「あのね、さっきまでは『( ´_ゝ`)』だったのよぅ。だけどね、ポーギーが泣き始めちゃったあたりからはずっと『(´・ω・`)』になっちゃっていたから、私、『あれ?』って思ったんだけどね」
私がレミにどう説明したらいいかなって思って言葉を重ねていると、レミがその言葉のお尻に被さるようなタイミングで口を開いた。
「…………どこ?」
「え?」
ぽつりと一言だけ言われ、私は聞き返す。
レミは布団に描かれた『(´・ω・`)』を真顔で見ていたけれど、顔を上げてぎこちなく笑顔を作ると、私を見て言い直してくれた。
「ス、ステラはこれを、どこを見て描いたのかしら……?」
「んっと、スティーブ様のね、頭の上にね、こう、ふわふわって」
「……それは、いつから?」
「えっと、真っ暗の中でね、扉が開いてね、おばけかなって思ったときにはふわふわって、浮かんで見えていたかなあ」
「………………そう」
長い沈黙の後、一言そう言ってくれたレミの声は、穏やかだった。
微笑みすら浮かべたお顔でそっと穏やかに目を閉じたレミは、それから突如ムギュッと、とっても力強く眉間に深い皺を作る。
それから、「なんでこうステラは」とか「もう~~」とかひとしきりブツブツ言ってから、大きくゆっくりと息を吸って、それから「はああ~~っ」って、疲れたように大きく大きくため息を吐いてやっと落ち着いた。
こしょこしょ話の最中なのに、その息の音はやたらと大きく感じちゃう。
私はそんなレミを不思議に思いながら、私うまく説明できたかなって、そわそわしながらレミの言葉の続きを待ってたんだ。
私、レミに褒めてもらえるのが好きだから、上手に説明できたねって、いっぱい褒めてもらえたら嬉しいなあ。
(´・ω・`)ナカセチャッタ…
(´・ω・`)モウシワケネェ…





